#340 ヴォルシと誇り
「いただきます」
そんな彼女の言葉を無視して、俺はカレーに手を付け始めた。百聞は一見にしかず。言葉を弄するより、実際に食べてみせたほうが良いに決まっている。家庭的なカレーの味を楽しんでいる横で、黒服の少女はその様子を見つめていた。
そして、しばらくすると見様見真似でスプーンを掴み、カレーを口に運ぶ。
"......!"
その瞬間、彼女の目に光が満ち、怒涛のごとくカレーをかき込み始めた。
谷山はそんな彼女の様子を見て、唖然としていた。
「相当お腹が減っていたようですね」
「捕らえてから、食事に手をつけようとしなかったからね。ハンガーストライキも辞さないって感じだったし」
「はあ」
人間、食欲には勝てないものだ。そんなことを考えていると、いつの間にか彼女の前の皿からカレーライスは消滅していた。どうやら満足したようで、顔には至福の表情が浮かんでいる。
"Lirs, jol co metista lkurf fhasfa fal no."
"N, niv! Mi's cossa'c lkurferl'i letix niv."
"Harmie coss fergen'artz mi? Cossa'st l'alf xalija molal es harmue? Nun nyj panqa lap faller la lex."
黒服の少女はぷいと顔を背けるだけで、何も答えなかった。谷山はそんな様子を見て、落胆したように肩を落とす。
少しばかり性急だったか、しかしこの調子だと話し掛け続けてれば何処かに綻びが生じそうなものだった。
"Lirs, selene mi nunerl elx mol lolerrgonj. Harmie co xale nertniar mol fal elmal mal......"
"Mi es niv nertniar!"
何気なく言った疑問に少女はいきなり立ち上がって吠えるようにそういった。周囲の自衛官の目が一挙に集まって、彼女の表情は憤怒から焦りの表情に変わる。そのままするすると何かに引きずられるようにして、席に再び座った。
"Co es kertni'ar ja?"
"Jopp...... mer...... mi p'es niv kertni'ar......"
"Harmue la lex es faller la lex."
少女はうろたえながら、答えを探していたがややあって投げ出すようにため息を付いた。
"Kertni'ar ad nertniar'd ete'd molo mol?"
"La lex mol pa la lex es niv elx selene kanteterl mi'st......"
"Hmm......"
人間にはそれら以外も居るらしいが、そういう話でもないようだし、どうやら彼女にとって「ケートニアー」か「ネートニアー」かというのは、複雑な話らしい。
悩みつつ、的確な意味を探ろうとしたところで彼女は先を話し始めた。
"Dalle co tisoderl, mi es nertniar pelx edixa mi anfi'erlen fua xelkene'd elmerss deroko. Farfel io xelken derok niv nertniar fua elmerss. Pa, mi g'letix kirxniarx, veles texto."
そこまで言ってから、彼女はキッと視線を俺に向けて挑むような表情になった。
"Mal, no io nilirs mal mol fqa. Pa, cene niv mi lkurf xelkene'd iulo. La lex es xelken ad mi'd mylon!"
黒服の少女はそこまでいい切ってから、また顔を背ける。さっきネートニアーであるのを否定したのは、シェルケンとして普通なら戦闘部隊に所属できないネートニアーとしてのコンプレックスだったようだ。
"Firlex, mi firlex."
ふん、と答える少女。どうやら俺がその説明で納得したと思っているようだ。しかし、こっちはこっちで大切な人が取られているのだ。ここで引き下がれると思ってもらっては困る。しかも、彼女の意思は固いが、突き崩せると確信してる。
俺は少女の腕を掴んで、無理やり引き上げる。
"Jei!"
"Klie."
少女に抵抗する暇も与えず走り出す。谷山が呼び止める声が背後から響いたが、気にしてられなかった。目指す先は元々監禁していた場所。少女は足をもたれさせながらも、なんとか俺に付いてきていた。
* * *
谷山はニヤついた顔で片方の口角を上げ、食堂を走り去る二人の背後を眺めていた。
「はあ、若い子ってのは元気があって良いねえ。おじさんに何回このセリフを言わせるつもりなのかな」
谷山はそう言いつつ、用意していた自分の分のカレーにやっと手を付け始めた。ここの食堂のカレーは冷えてもなんとか食えるくらいには旨いと自衛官の間では評判が高い。ただ、エスニック料理で舌が肥えた谷山は毎度のとおり、備え付けの辛味料をこれでもかと入れていた。
「頼んだぞ、翠君。僕たちの切り札は多いようで、少ないんだ」
そう呟きつつ、一口。飲み込んだ途端、激しく咳き込んだ。
「辛ッ!? ちょ、これ、めっちゃ辛いんだけどっ!?」
そんな谷山の叫びを、通りすがりの食堂のおばちゃんがにんまりした顔で
「ああ、谷山陸佐。あれ、いつも調味料を大量にお入れになって、すぐ無くなるから、激辛のデスソースに変更しておいたんですよ」
「そんなバカな……ラベルは同じだったでしょうが!?」
「まあ、そうだったかしら」
絶対にわざとだ――谷山はそう思いつつ、先行きの不安を少しだけ感じていた。




