#27 Grammatical Mood
"Mi felifel text fqa!"
精一杯言語で好ましい味や食感を伝えようとする。口の中で溶けるような食感に、バターの香りと程よい甘さがマッチした一つの傑作とも言えるその菓子をテーブルの上で翠やシャリヤ、そして作った本人であるエレーナも楽しんでいた。
この傑作のおいしさをいうにも語彙力の無さがいつまでも背中を追ってくる。ただ、今回は「好き」という一言を言えるようになった。これは、大きな進歩だ。最初は願望表現を引き出そうとしていたが、これで女の子に告白し放題である。
(そんな肝っ玉はないがな。)
"Cenesti, xace."
エレーナが翠の言葉に答える。ニコニコと笑みを浮かばせながら嬉しそうな様子だ。"xace"という表現が「ありがとう」に当たる言葉であるのは、文脈の流れとして自明だろう。
シャリヤも満足そうに菓子をつまんでるのを見るとこっちまでほほえましく思えてくる。エレーナもお菓子を作って、振舞うとは現代には似合わない高い女子力をお持ちである。エプロン姿もよく似合うし、いいお嫁さんになるだろう。
(うちの幼馴染もこれくらいに家庭力があればな。)
幼馴染?
ふと出てきた言葉に疑問を覚える。転生前の記憶は無いはずなのに「うちの幼馴染も」なんておかしい。
翠は更に詳細にそれについて思い出そうと試みた。頭を押さえて考え始める翠をエレーナとシャリヤは怪訝そうな表情をして見合わせた。それでも転生前の記憶への興味はそんなことでは尽きない。
幼馴染じゃないかもしれない。妹ではないのか?母親だったか?嫁と呼んでいたかもしれない。そもそも異性なのか。知人でもなく、全くの他人だったり?本当にそれは人間?
頭の中にふと浮かんだ像は見えなくなり、霧散した。今の憶えは一体何だったのか、記憶がボトルネックになってていい感じに傾けると出て来る仕組みだったりするのか。
「はぁ……」
やめよう。これ以上やってもきりがない。転生前の記憶が何だって言うんだ。転生者として目的のために今を生きていくことが大切じゃないのか。シャリヤに、エレーナに、レシェールたちに恩返しすることが重要な直近のタスクのはずだ。
しかし、それを求めようとする興味は本能に突き動かされたかのように湧いてくる。もう一体何なのか分からない。
頭の中のもやを払うように頭を振っていると、シャリヤは戸棚を物色して一つの小瓶を翠の目の前に差し出した。
"Fi co is pikij, elx deliu knloan tektal zu letix asnast fua pikij."
"Pikij......?"
いきなりの長文。シャリヤでも誰でもこうやって異世界語の学習者にやさしくない長文を投げかけてしまうのはしょうがないことに感じるが、少しは手加減して欲しいというものだ。こっちは単語力530000ではないわけだし。
文中に二回出てきた"pikij"という単語が重要そうだ。長い文章だが最初のpikijの後で一息ついているということは、そこで文が区切れそうだ。最初の文章の"fi co is pikij"の"is"は"es"に似ている。まあ、似ているといって関係があるとは限らないが、重要な情報になりそうだ。それで"fi"が"co"を修飾している……?まあ、「"fi co"が"pikij"に関して"is"である/する」という文章であることは、推測できるような気がする。
そういえば、今の語彙力なら「俺は"pikij"を理解したい。」って言えるんじゃないか?「理解する」は確か"firlex"で、「~が好き」は"felifel text"だ。「理解すること」と言いたかったら、"-o"を動詞の語尾として付ければよかったはずだ。無理やりっぽいがまあ通じるだろう。
"Xalijasti, mi felifel text firlexo <pikij>."
"Hmm, deliu co lkurf <selene mi firlex pikij>."
うん?質問の仕方を修正してくれている?
確か、"kranteerl"から間違えて"krant"を動詞語幹として取り出してしまった時に"deliu co lkurf <krante>."と言われて修正されていたっけ。「~したい」と言いたい場合は"selene"を文頭に置くんだろうか。
"Ja, selene mi firlex <pikij>."
"Mi is pikij!"
正しい質問をしたと思ったら、エレーナが席を立って、そう言って頭を抱えて床を転がり始めた!
いきなりの行動にびっくりしたが、シャリヤは平然とごろごろ転がっているエレーナを指さして"ci is pikij."と言っているし、なんだろうこの地域ではこんなノリが一般的なんだろうか。
(んな、馬鹿な……)
席に戻ったエレーナとシャリヤは見合わせて、お互いに笑いあっていた。
多分、"ci"がエレーナを指しているから「彼女」という意味の代名詞だろう。"is pikij."の意味は結局のところ良く分かってないが、とりあえず翠はいきなり席を立って頭を抱えて床を転がりまわるような状態ではない。
元の文章に戻って、区切られた二つ目の"elx deliu knloan tektal zu letix asnast fua pikij."について考えてみよう。"deliu"という単語は"deliu co lkurf <krante>."という文章にも出てきている。"co"が主語で、"krante"が目的語として考える。すると、"lkurf"が動詞で、"deliu"が「~するべき」という表現に見えてくる。なぜなら、"selene"は文頭に来たからだ。どうやら、このように文頭に来て雰囲気を表す単語があるらしい。インド先輩的に言うと法を表すものだろう。英語の直説法とか仮定法とか命令法とか、日本語の動詞の活用の仮定形とか命令形とかあの類である。
つまり結果的には、"deliu knloan"という句は「食べるべき」だと読める。あとの文章が良く分からないが、分かったところだけを読むと「あなたが良くない状態なら、食べるべきだ。」と言うところがわかる。
(まあ、小瓶の中身は……)
小瓶の中身は思った通り、錠剤のようなものであった。シャリヤはつまり翠の体調が悪くなったのかと思って風邪薬か何かを出してきてくれたのだ。気の利いた女の子だ。でも、べつに体調は悪くないのでそう言って、シャリヤを安心させなければいけないだろう。感謝の意も添えて。
"Xalijasti, mi niv is pikij. Xace."
"Vynut."
シャリヤは、にこりと笑って薬の入った戸棚に戻した。翠はと言えば、疲れでお菓子を一気に三つ口に放り込み、机に突っ伏してしまった。




