#250 夜空と故郷と
「疲れたな……」
目の前に広がるのは無数の星々だ。それぞれ様々な輝きを見せてくれる。いつまで見ていても飽きない。俺は寝床の屋上から古代の星空を見上げていた。
掃除は終わり、詩学院の教師からはお礼として紙とペンを貰った。場所らしいお礼とは思ったが、俺達にこれを使う機会がこれからあるのだろうか。住居に戻ってくるまでには日も暮れて三人は夕食の準備にいそいそと駆られることになった。休む間もなく料理を作っているうちに日は落ち、何もできなくなっていた。
あれだけ色々あったというのに眠気が少しもしない。寝床に入っても、全く寝付けないのが面白くなくてそれで屋上から星空を見ていたのだった。
「そういえば、インド先輩も色んな星の話をしてくれたな」
思い出せば、枚挙に暇がない。彼は天文学の知識は無かったが、遠出するたびに星の話をするのだった。インドで見た満天の星空から、飛行機から見るプラネタリウムを独り占めするような景色まで、言語のことを語るように何ら専門的な知識で語るのではなくただ星々の情景を直接伝える。彼もここに居たら、何も言わずにじっと天蓋に散りばめられた星々を見つめ続けていただろう。
あれはデネブ、アルタイル、ベガと言って喜ぶのは知的好奇心だ。彼が星空に想っていたことはそれとは違ったものだった。
「……」
彼がああなってしまった原因をより深く知るためにはやはり、夕張悠里を見つけねばならない。しかし、どうやって彼の足取りを追えば良いのだろうか。俺たち三人はこの街だけでさえ、その全てを理解しているわけではない。言葉もまるで二重に暗号化されたかのような状態で、作法も社会的な情勢も分からないこの世界でどうやって一人を探すことが出来るのだろうか。
"Jazgasaki.cenesti......?"
そんなことを考えているうちに誰かの声が聞こえてきた。目を向けると月の光のもとにその姿が見えた。茶色がかった黒髪ショート、つり目気味のオブシディアンブラックの瞳、驚きに緩んだ桜色の唇は艶かしく湿っていた。インリニアだ。肩紐で吊り下がっているのはワンピースのようなナイトドレスだった。薄緑色のワンピースはいつものボーイッシュな印象とは全く違う艶やかな印象を感じさせる。それは月光に透けて引き締まった体のラインを映し出す。
元々、敵であったはずの彼女に一瞬でも見惚れてしまっていた。彼女は見つめられて恥ずかしそうに視線を反らす。
"H, harmie co klie fal fqa?"
"La lex es lkurferl mi'st ja. Co mol fal fqa fua harmie?"
"...... Selene mi xel fgir celx cene niv sulaun. "
「空」や「星」という単語を知らないので、空を指差して示す。インリニアは指し示す方向を見て小さく感嘆の声を上げた。
"Edixa mi letix niv elx xelil kotiel'i las fal molil yuesleone esm......"
"...... La lex es fua retovo mi."
インリニアは俺を見ながら、冗談めかして少し笑ってみせる。
"Ja, Ci es jurleten fua mi."
"...... Nace."
謝る悪事なんて一つもしてないのについつい謝ってしまう。おそらく、"jurleten"というのは「大切な」という意味なのだろう。俺だってシャリヤが自分の元から奪われてしまえば狂ってしまうだろう。誰彼構わず関係者を殺そうと躍起になるのは分からなくもない。
"Cene niv mi nat pan co pa......"
"Pa?"
"Mi tisod niv retovo co fal no. Mer, liestustan klie melx deliu wioll miss fynet karse unsal. Pa, la lexe'd liestu es niv no."
"......"
インリニアは安心したような顔で夜空を見上げていた。彼女にとってみれば、俺のことはいつでも殺せたはずなのにそうしなかったのは「その時」がまだだったのだろう。その時が来るときまでに俺は彼女の気持ちを変えられるのだろうか。まだ、分からない。分からないだけあって気分が暗くなってきた。
彼女はゆったりと俺の横に座ってきた。話題を振らねばと頭が回り始める。
"I, Inlini'asti"
"Harmie?"
"Harmue co'd icco es? Hame la lex es?"
いきなり過ぎる話題の方向転換にインリニアは呆けた顔で受け取った。自分でも会話が下手だと分かっているが、彼女は頬に手を当てて思い出すような顔をしていた。
"Mi'd icco es lardi'o fal chafi'ofese'd qaie. La lex es vynut marl."
"Chafi'ofese'd qaie...... es niv yuesleone?"
"Niv, La lex es icco pesta laoziavil yuesleone. Mer, fqa'd liestu io nat mol niv ja. La lex m'es xerf menise'd icco, ladirien nistarypis lolerrgon mol fal la lex. Mal――"
眠気が視界を曖昧にしていく。星空を閉じるように目蓋が勝手に閉まっていた。インリニアの声もだんだんと遠くなっていく。まるで子守唄のように、インリニアのお国自慢は意識が消えるまで続いていた。




