殿下からの要求
「何をしているのですか」
静かな声でも、闇夜の中ではよく響いた。
振り向いた先にいたのは、燭台を手にした大神官様だ。
ルウェイン殿下が少しひるんだように視線をさまよわせる。どうしたのかなと思ったら、大神官様の指摘で私も気づいた。
「ルウェイン殿下。どうしてあなたが夜に神殿に出入りなさっているのですか?」
確かに。なんで夜なのに殿下は神殿にいるの?
と思ったら、シンシア嬢も自分も同罪だといわんばかりに下を向いた。え、これって……まさか、シンシア嬢に会いに来るためだった?
そもそもシンシア嬢が夜出歩いていることが、おかしかったのだ。私は自分が徘徊したりしていたせいで、不思議に思わずにいたけれど。
でも、二人で待ち合わせまでしていたのに、どうして殿下はシンシア嬢と婚約を解消するなんて言い出したの?
首をかしげている間にも、大神官様と殿下の話は進んで行く。
「王宮と通路が繋がってはいますが、ご自身の部屋のように夜にまで頻繁に出入りなさるのは感心しませんね。国王陛下にも神殿側から申し入れしておきます」
「なっ……! それなら侯爵令嬢が俺を殴ったことについて言及させてもらう!」
ルウェイン殿下の言葉に、私は冷汗が出る。大神官様に迷惑をかけてしまう。どうにかしたいけれど……。
「夜の神殿ですからね。不審者と見間違ったのでしょう」
「だが、女性が人を殴ったという噂が流れれば、武勇伝ととられる一方で批判する者もいるだろう」
大神官様がはねつけても、ルウェイン殿下は諦めずに脅してくる。さらには要求までしてきた。
「止めたいと思うのなら、シンシアを聖女にしていただきたい」
「……殿下っ」
脅迫する形で聖女に選ばれたくないと思ったのだろう、シンシア嬢が驚いたように呼びかけたが、ルウェイン殿下は「黙っていてくれシンシア。君のためだ」と考えを曲げなかった。
「選定の日まで待ちましょう。選定の日、シンシアを選んでくださるよう祈っております」
ルウェイン殿下は、こちらの返事も聞かずに足早に立ち去った。
それを見送ったシンシア嬢は、足から力が抜けたように、その場に膝をついた。
うなだれて、嘆く。
「どうして。あんなに優しかった人なのに……」
シンシア嬢のつぶやきに、私は「いや、それは嘘じゃないかしら」という言葉が喉まで出かかったが、
「ルウェイン殿下は、最初から私が養女だとわかっていて、求婚してくださったのに」
次の言葉に「は?」とまぬけな声が出た。
「殿下はあなたが養女だと知っていたんですの?」
「最初にお会いした時にお話しました……。私の領地に視察にいらした時、養女の私は目立ちたくなかったので、挨拶をした後は病弱だからと引きこもっていたのです。けれど町で火事がありまして」
燃え上がった火はなかなか消せない。自分なら聖霊術で火を消せると思ったシンシア嬢は、館を飛び出した。
元々、養女だということもあって養父の役に立とうと、率先してそういうことをしていたらしい。
町にたどり着いて聖霊術を使って火を治めている最中に、周囲の視察から戻って来ようとしていて火事に気づいた殿下の一行と、ばったり会ってしまったのだという。
しかも最初は、お互いに気づかなかった。協力して火を消した後で改めて顔を見て「あ!」となったらしい。
当然、病気だと聞いていたルウェイン殿下は驚き、シンシア嬢は事情を説明した。
全てを理解したルウェイン殿下は、養子であることは貴族社会でそれほど問題にはならないが、気になるなら口外しないと約束した。
それから視察中はシンシア嬢も同行することが増え、そのうちに……。
「優しい殿下にひかれていたのですけれど、視察を終えられる時に殿下も同じ気持ちだということを教えて下さって……」
しかもその出来事があったのは、私が婚約の返事をする直前のことで。
「不幸な偶然が重なった……ということかしら」
詳しくシンシア嬢に聞き出してみると、王家が私の家に婚約の打診をしたのが、殿下が視察にでかける少し前。
素敵なお顔の王子様との婚約ができる! と、お父様が一か月くらいは慣例としてお返事を焦らした方がいいと言っていたのだけど、私が早くしなければ誰かにとられてしまうかも、とお父様をせっついたのだった。
それでも二週間待ってから返事をしたのだ。それがちょうどルウェイン殿下が視察から戻られる日のことだった。
取りやめてもらおうとしたルウェイン殿下は、王都に帰ってきたその日に私の家から受け入れる旨の返事をもらっていることを知り、翌日には私の挨拶を受けたようだ。
時系列を私から説明された大神官様も、シンシア嬢も、複雑そうな表情だ。
私も複雑だった。
既に好きな人がいて、でも別な女性(私)と婚約が内定してしまった殿下は、私と会いたくなくても仕方なかったのかもしれない。ようやく冷たかった理由がわかったものの、微妙な気持ちにはなる。
「とはいえ、その時受けると返事をしてしまったのは、殿下の方ですからね」
大神官様のおっしゃる通りだ。




