38 失ったものと得たもの
霜と焼け跡が入り混じる奇怪な路地に消防車のサイレンが聞こえてきていた。
サイコパス二人組が何かしらの人払いをしていたのは間違いない。さもなくばとっくにご近所の皆さんが戦闘音を聞きつけ何事かと顔を出しているはずだ。しかし流石に火事の煙が上がれば消防と警察が飛んでくる。
ソニアの家が燃えているしここも燃えている。急いで逃げないと治安維持系公務員の方々への説明に困るハメになる。
特に俺は裸コートの不審者で、半焼けでボロボロの服を着て泣きじゃくる16歳の美少女を抱きしめている。見つかったら問答無用でお縄だ。冗談じゃない。
「ソニア、歩けるか? ここを離れよう」
べそべそに泣くソニアは何か言おうとするが言葉が出ず、何度も頷いて答えた。
俺が気絶した山川を担ぎ、足に力が入らないらしいソニアを臾衣がおんぶして現場を離れる。グリモアに「パラケルススの襲撃者を撃退した」と連絡し、事後工作を頼んでおくのも忘れない。あとは数時間身を隠しておけば各方面へのツテを使い隠蔽系魔法の使い手がいい感じにおさめてくれるだろう。
こういうところが企業所属の強さだよな。色々な魔法使いが所属しているから色々な局面に柔軟な対応ができる。
大和撫子に背負われた半焼け服の美少女と、気絶した男を背負うコート一枚の素足不審者が長々と逃げれば火事の件に関係なく職質にぶち当たってしまう。
手近な逃げ込める場所として俺達は熊埜御堂と山川のセーフティーハウスを利用する事にした。
山川のポケットから鍵を拝借し玄関を開けて中に入る。
築何十年なのか、古びていてかび臭いセーフティーハウスは狭い1LDKの窓には鉄板が取り付けられていて、大量の水と食料、医薬品がダンボールで積み上がっている。
服もあったので何はともあれ着替える事にした。臾衣に山川を椅子に縛り付けるのを任せ、俺とソニアは着替えに入る。
変装用とマジックで殴り書きされたダンボールの中身は多岐に渡り、警察の制服から消防服、ツナギ、スーツ、カジュアル私服など各種取り揃えられ、女物の下着まであった。サイコパスの渾名に恥じぬド変態ぶり。
俺が着替え終わると、ソニアも着替え終わった。セーフハウスにあった服はサイズがあわず、ぶかぶかのYシャツを裾を折り曲げた長ズボンに突っ込んでいる。余ったYシャツの袖がぶらぶらしていて元々幼いソニアがもっと幼く見えた。なんだお前? ただでさえ可愛いんだからあんまり可愛くなりすぎると俺が死ぬぞ。
今までは嫌われてると思っていたから歯止めが効いていたが、好き(丸焼き)! されたおかげでブレーキがぶっ壊れた。
「ねえ」
「お、おう」
まだ顔に泣きあとが少し残るソニアがちょっと気恥ずかしそうに袖を弄りながら言う。
顔が見れない。急にソニアが初めて会った時に私を抱いてと迫ってきた時の事を思い出してくらくらする。
「私を殴ってののしって」
「!?」
急にドMになったソニアを二度見した。
どうした? 頭打ったか? 大丈夫か?
耳を疑っているとソニアは真摯に説明した。
「私は獅狼が好き。でも獅狼のこと好きだと獅狼がまた燃えちゃうわ。嫌いになれば燃えない。だから獅狼の事を嫌いにならせて欲しいの」
「あ、ああ、そういう事かびっくりした。でも気にしなくていいぞ? 見てただろ、俺は焼け死んでも復活できるんだ」
気にしなくていいはかなり見得張った。焼け死ぬのは苦しい。避けられるなら避けたい事ではある。が、だからといってソニアを痛めつけて嫌われに行くのは違う。
俺の無事を見てあんなに泣いて縋り付き安堵していたソニアはボコれない。あなたが好きだからあなたのために、って言ってる女の子を殴れねーよ。
「気にしないわけないでしょう、好きな人が燃えるのは嫌なの。もう優しくしないで。殴って。お前なんて嫌いだって言って。はやく」
「待て詰め寄るな詰め寄るな。落ち着け、無茶言うな。そのー、なんだ、あれだ。俺を燃料にすれば実質ノーリスクで炎魔法使えるわけだろ? 便利! ソニアが炎で俺を助けてくれるなら実質、」
「じゃあ獅狼はどうせ治るから、生き返るからって好きな人燃やせるの?」
「そ、それは……」
ソニアは淡々と理詰めの感情論で攻め立ててくる。でもお前、自分が今どんな顔してるか分かってるか? そんな悲壮な顔で辛そうに縋り付いてきておいて殴ってののしってくれなんて通るかよ。
ソニアは家を亡くし、家族を亡くし、体目当てのクソ野郎に迫られ、社会の荒波の中でたった独りずっと頑張ってきた。例えソニア自身が望んでいても突き放せない。
「臾衣も何か言って。私が獅狼に嫌われて、私も獅狼を嫌いな方があなたにとって都合いいでしょう?」
「え!? う……そん……そう……いや……えっと……私は、ソニアさ痛っ!」
苛立つソニアに話を振られて動揺する臾衣の頬に、突然傷ができた。
何の前触れもなく薄く抉れるようにできた傷跡から赤い血が滲む。
臾衣が驚いて頬に手を当てると鮮血がべっとりついた。
「おい! 何狸寝入りしてんだ山川ァ!」
俺は押し問答を中断して椅子に縛り上げられた山川を蹴とばした。
油断も隙もない! こいつ寝たふりして記憶消去魔法かけやがった。
が、椅子に縛られたまま横倒しに倒れた山川は呻き声一つあげず床に頭を打ち付けぐでんとしている。
「おい、おい。寝たふり続けたら爪剥がすぞ。5、4、3、2、1! ……0!」
爪に指をかけて力を込め脅しても全く反応がない。まさかと思って脈を取るが、脈はある。
「……気絶したままだ」
「え、でも今記憶消去を」
「そう、そうだよな。どういう事だ」
「何? 何の話?」
ソニアが記憶消去で傷を負うと知らないソニアは俺と臾衣を交互に見比べ困惑している。
記憶消去使いの山川は気絶している。魔法は使えない。しかし臾衣は記憶消去で負傷した。山川の魔法じゃない。
……臾衣に記憶消去をかけてきているのは山川じゃなかった?
いや、でもこいつらは昨日臾衣を襲ってきたんだぞ。臾衣を狙っているのは確かだ。
どういう事なんだ?
「尋問しましょう。どういう事なのか確かめないと」
「ねえ、さっきから何を話してるの? その傷は何?」
「すみません。ソニアさんは一度別室に行ってもらえませんか? 聞かせられない事情が」
「いや聞いてもらおう。ソニアは信用できる。知っておいてもらった方がいい」
ソニアはこれ以上ないほどの好意――――信頼を示してくれた。敵だったり、敵に繋がっていたりする事は有り得ない。
山川に聞こえないよう隣の部屋でひそひそ事情を明かし、臾衣が母親に電話して魔力を送ってもらい傷が治るのを見ると納得してくれた。色々腑に落ちたらしい。
ソニアは俺が九条獅狼ではない事に気付いていた。最初に会った時に性格が違ったのがずっと引っかかっていたとか。まあ俺の頬を引っ張って別人の変装かどうか疑ってたしな。あと人生再臨の現場を目撃されたから、ソニアは俺が波野司として生まれ、育ち、ある時急に九条獅狼の姿に切り替わるのを知ったはずだ。
「中身が誰でも私はあなたが好きよ。秘密は守るし、あなたの敵は私の敵。協力するわ。何があっても。あなたが嫌いになってくれなくても、どこまでも」
全てを聞いたソニアは胸に手を当て熱を込めて誓った。
ありがたいけど重い。俺と臾衣はけっこう逃げ隠れコソコソしながら謎の敵を追ってるし、そんな悲壮な献身を誓わなくてもいいんだぞ。言いふらさず、助けられるところで助けてくれれば十分だ。
三人で冷水をぶっかけて目覚めさせた山川を囲んで尋問したところ、事情が分かった。
熊埜御堂と山川は普通に企業戦争の延長線上として臾衣を狙っていたという。
ニューアイランド争奪戦でGAMP各社主戦力が出払ったタイミングを狙い、ライバル企業社員で孤立している魔法使いを闇討ちして回っていたそうだ。それが真実である証拠に風呂場で氷漬けにして積み上げられている複数の死体の存在を教えられた。中には三日前から無断欠勤している事務の太田さんの遺体もあった。
臾衣を付け狙っていたのかと尋ねると、目を付けたのは一昨日で、殺そうと試みたのは昨日。それ以前の記憶消去については全く心当たりがないと主張した。
山川が気絶していたのに臾衣が記憶消去による負傷を負った事からも主張は正しいと判断できる。
三人で山川の自白を元に状況を整理したところ、一つの結論が導きだされた。
おそらく「ロストタイム」が起きていたのだ。
ロストデイが人類から丸一日分の記憶を奪ったように、ニューアイランド争奪戦が始まってからも人類は記憶を消されている。ほんの短い一瞬の記憶、あるいは特定の出来事、人、物、何かの記憶が。
臾衣はその全人類記憶消去を免れた。臾衣と同種の記憶魔法存在・千景ちゃんに電話して確かめたところ、臾衣と全く同じ現象に悩まされているとの回答が得られたから間違いない。
ロストデイから四年近く、人類記憶消去は起きていなかった。ニューアイランド争奪戦が始まった途端に再び記憶消去が起き始めたのには必ず関連性がある。
しかし一体何の関係が……?




