22 人生再現
俺に静かにしているように身振りで指示したソニアは玄関ドアの脇に立った。
そして無防備に入ってきた千景ちゃんがドアを閉めるや否や背後から口を素早く塞ぎ、抱きしめて抑え込む。
ソニアは小柄で華奢で、暴力のぼの字も知らない可憐な乙女といった体つきだが、流石に小学生には負けない。
しかしなんだな。これもう完璧に居直り強盗だ。警察に通報されたらグウの音も出ない。魔法使いじゃなくて犯罪者になった気分。
「こんにちは、千景ちゃん。元気にしてたかしら。私を覚えてる? 昨日会ったお姉さん」
「…………!」
かわいそうな少女は顔を真っ青にして震えあがった。
そしてそれを突っ立って腕組みして見る俺。上から見下ろすと威圧感与えちゃうかなと思ってしゃがんでみるが、今度を不良がガンつけてるみたいになってしまって立ち上がった。何やってもダメだこりゃ。どうあがいても居直り強盗。
しゃがんだり立ったりする俺を不審そうに一瞥し、ソニアは千景ちゃんの耳元で囁く。
「息苦しいでしょう? 大声出さないなら口離してあげるわ。大声出さないって約束できる?」
「!」
「いい子ね。もし約束を破ったら怖いわよ。そこの男の人にぶん殴られちゃうわ」
「あっはいぶん殴ります。おらっ! おらっ!」
シャドーボクシングすると千景ちゃんはガクガク頷いた。
ソニアが手を放すと、千景ちゃんは苦しそうにせき込んで大きく息をする。
しばらく息を整えるのを待つ。ソニアに髪を梳かれながら呼吸を整えた千景ちゃんは、自分を拘束するソニアの細腕をぎゅっと握り、頭を豊満な胸に預けちょっと寂しそうに呟いた。
「なんだかママみたい」
「…………」
流石のソニアも絶句した。俺も言葉が出ない。
この状況で出てくる感想がそれ? 強盗に捕まってるんだぞ。どんだけ母性に飢えてんだこの子。
どんな境遇で生きてきたのかもう聞く前から怖い。
「あのな、千景ちゃん。昨日このおねーさんに殺されかけたんだぞ?」
「でもお姉さん、優しい。私の事嫌いな人は私を抱っこしてくれないもん」
「ええ……」
もうこの子はグリモアがどうとか魔法使いがどうとか抜きで保護してあげた方がいいんじゃないだろうか。心配になる。
娘にナイフ持たせて通り魔させるDV親父。母親不在。強盗に心を許す無防備さ。それでいて抗争・襲撃当たり前の魔法社会に首を突っ込んでいる。
誰かが手を差し伸べてあげないと取り返しのつかない事になるぞ。
ソニアはなんともいえないモヤモヤした顔をして千景ちゃんを離し、ベッド端に腰かけた。
「あ……」
が、千景ちゃんが思わずと言った風に手を伸ばしてきたので、溜息を吐いて苦笑し、自分の隣を叩く。千景ちゃんは嬉しそうにソニアの隣に座り、懐っこい猫のようにソニアに体を預けた。
かわいい。娘がいるならこんな子がいいな。まだ結婚もしてないが。
「千景ちゃん、グリモアに入らない?」
「グリモア……」
「お姉さんが働いてるところよ。一緒にお仕事しましょう?」
「う、うん。したい。でもパパが……」
「パパは私が説得するわ。ねえ、いくつか聞いていいかしら?」
「うん」
「ありがとう。今日はパパどうしたの?」
「パパ? パパはご飯買いに行ってる」
「ご飯か。今日のご飯は何だ? 昨日は筑前煮だったろ」
「!? 何で知ってるの?」
口を挟むと千景ちゃんは酷く怯えてソニアにしがみついた。
世間話失敗! 傷つく。
これ俺いる? この家に不法侵入してから余計な事しかしてない気がするぞ。もうソニアだけでいいじゃん。
千景ちゃん(12)がソニア(16)に母性を感じて懐いたおかげで尋問はただの質問になり、事情聴取はスムーズに進んだ。暇になった俺はレターケースの書類をパラパラ捲りながら耳を傾ける。
話によれば、千石親子は父の魔法の魔力を賄うために貯金を使い果たし、借金して、それでも足りず、会社もクビになり、通り魔で魔力を強奪してその日暮らしをしているらしい。千景ちゃんは学校にも通わず父を手伝っている。
千景ちゃんは父の魔法が無ければ生きられないそうだ。
なるほど、娘のために魔力が欲しかったのか。だがそのために娘を危険に晒しているのでは本末転倒…………
…………。
親子の事情を知った俺は、手癖で捲っていた書類に見逃せないものを見つけた。
これはなんだ? 意味が分からない。
「ソニア、これ。どう思う?」
「何? …………ねえ千景ちゃん、これは何?」
俺がソニアに書類を渡すと、ソニアは目を瞬き、ややあって千景ちゃんに見せた。
千景ちゃんは不思議そうに答える。
「えっと、お医者さんの診断書」
「そうね。ここ読める? 死亡診断書って書いてあるわ。名前は千石千景になってるわね?」
そう。千石千景は死んでいた。そのはずだ。偽装でもない限り。
死亡診断書にはクリップで写真も一緒にまとめてあり、そこには今より少し幼い千景ちゃんが映っている。
「? 私生きてるよ」
「火葬場のパンフレット、領収書。墓石とか仏壇の案内もある。千石千景は死んでるはずだ。君は誰だ?」
「私は私だよ。お兄さん怖い……」
詰め寄ると、千景ちゃんは怯えてソニアにすがった。その小動物めいた庇護欲を呼ぶ仕草も、裏を知ると得体の知れない不気味さを帯びる。
かわいそうな女の子だと思っていた。毒親に虐待されている子供だと思っていた。
だが違った。背筋が冷える。この子は誰だ?
誰かが千石千景に成りすましている? それともゾンビ? 怨霊?
戦慄し立ち上がったソニアが振り返ると、玄関に一人の男が立っていた。
その男は俺達を見て顔色を変え、買い物袋を放り出して突進してきてソニアから千景ちゃんを奪い返す。
「千石元太……よね?」
「黙れ! なんなんだお前らは! 不法侵入だぞ!」
「それはいいのよ。あなた娘に何をしたの? その子は死んだのにここにいる。蘇生? でもあなたの魔法は治癒よね」
激昂する千石父にソニアは落ち着いて尋ねた。
「うるさいッ! 千景は生きている! この子の、娘の人生は終わっていない! この子は、千景はなぁ!」
千石元太は狂乱して叫ぶ。父に強く強く肩を掴まれた揺さぶられた千景は苦しそうに呻いた。
「おいやめろ! 娘だろ!」
「黙れ、お前に何がわかる! この子の何を知っている?
俺は知っている、覚えてるぞ、この子の産声を。初めて歩いた時のあぶなっかしい足取りを。初めてなのに千景は九歩も歩けたんだ、すごい子なんだ。小学校に入っておねしょ治ったな、ハンバーグが好きなのも、付け合わせのパセリをいつも横によけるのも、全部覚えてる。この子の人生は全部知ってるんだ。だからまだ生きてる、俺がこの子の人生を覚えている限り、この子は死んでない!」
ああ。
そうか、そういう事か。
父の血を吐くような絶叫を聞き、納得と共にやりきれない思いが溢れた。
ソニアは痛ましげに溜息を吐いた。
「あなたは娘の死を受け入れられなくて、娘の思い出を魔法にしたのね」
俺が自分の人生を魔法にしたように、彼は娘の思い出を魔法にしたのだ。
だが俺と違い、千石千景は死んでいた。
娘の思い出を魔法にしても娘は生き返らず、娘の影法師になった。娘本人ではなく父親視点での人生を元にしたのだから、抜け、欠け、不足があったに違いない。
俺は人生再演魔法で負傷を回復できる。千石元太の魔法は治癒ではなく、娘をかたどった魔法をかけなおして修復したのだ。
常に娘魔法を維持し、怪我をしたら魔力を追加消費して治す。そんな事をしていれば魔力不足に陥るのも無理はない。
「グリモアは魔法使いを歓迎するわ。千景ちゃんを維持する魔力もなんとかしましょう。どんな魔法使いであれ、」
「うるさい! 千景、耳を貸すな。やりなさい。こいつらを痛めつけて縛り上げて飼ってやろう。手足を切り落せば逃げられないさ。魔力タンクがあればお前は永遠なんだ! 千景、どうした! やりなさい!」
「……そう。残念よ。千景ちゃんは伏せて」
ソニアが手をかざし、炎の奔流を放つ。
千景ちゃんは伏せようか父を守ろうか躊躇したようで、迷っている間に父は大火力に焼かれ一瞬の断末魔を残し炎に巻かれて倒れた。
ソニアが手を振ると、千石元太の炎は消える。千景ちゃんは茫然と煙を上げる黒焦げ死体の前に膝を折り、縋り付いた。
「パパ? パパ。パパ、どうしたの? 動いてよ。パパ、パパ、寂しいよ。私を一人にしないで――――」
「…………」
「……ソニア、行こう。消防が来る」
鬱々と沈み込んで親子を見ているソニアの手を引っ張る。千石元太の炎は消えたが、家具に燃え移った火は燃え広がりはじめている。消火器が無いのは確認済みで、俺達にできる事はない。人が集まってきて人目を引いてしまう前に逃げなければ。
魔法の使い手、ひいては魔力供給源を失った千景ちゃんも遠からず魔力切れで消失するだろう。
千石元太が娘に狂い、蛮行に及んだ時点で結末は決まっていたのかも知れない。
「……ええ、行きましょう」
俺達は父親に縋り付く千景ちゃんをその場に残し、炎に包まれつつあるアパートを後にした。
会社に戻ってからも、ソニアはずっと沈み込んで上の空だった。
俺も考えずにはいられない。何かもっといい結末を迎える事ができたのではないかと……
翌日。ソニアは空元気で出社してきた。
次の勧誘先はね、と話してくるソニアはいつもより早口だ。
「なあ、一日ぐらい休んでもいいんじゃないか」
「何が? 何で? 私は全然大丈夫よ」
「大丈夫な奴はそんな疲れた声出さねぇよ」
休む休まないの押し問答をしていると、事務の太田さんが声をかけてきた。
「九条さん、姫宮さん。お話し中すみません、少しいいですか」
「はい?」
「何かしら」
「受付に『綺麗なお姉さんとカッコイイお兄さんに紹介してもらった』と言ってる子が来ているんですが。心当たりは?」
俺達は顔を見合わせ、頷きあって受付に向かった。千景ちゃんだ。あの火事から逃げられたのか。
父親なしで千景ちゃん……千景ちゃんの姿をして千景ちゃんのように動く魔法がどれだけ維持されるのか分からない。
しかし消滅までの束の間の猶予を俺達と過ごしたいと願うなら、それを叶えてやりたい。叶えるのが義務とすら言える。理由はどうあれ彼女の父に手を下したのは俺達だ。
そう心に決め、受付につく。
そして受付で手を振ってくる千景ちゃんを見て呆気に取られた。
「あ! お姉さん! お兄さんも! えへへ、私やっぱりお姉さんと一緒にいたい。パパも一緒でいいんだよね?」
千石元太によく似た、三十代後半の、虚ろな目をした見知らぬおじさんを連れた千石千景は、ちょっと照れながら元気よく言った。
「仲良くしてね!」




