閑話13:オラフ・ドランのこだわり。
大陸共通暦1768年:ベルネシア王国暦251年:春。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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白獅子において、ヴィルミーナの側近衆達は独特の立ち位置にあった。
彼女達はヴィルミーナの秘書であり、侍女であり、参謀であり、代行者であり、それぞれが担当業務の総責任者であり……その権限は各主要事業の代表や重役達に十分伍する。
特に、“会合”と揉めた前後に組織の再編と効率化が図られて以降、アレックス達側近衆はヴィルミーナの側近として、要諦事業や業務へ落下傘的に投入され、管理監督する役割を負うようになった。いわば、管理官や理事官であり、監督者であり、監査役であり……
外見は小娘であっても、誰も側近衆を軽んじたり、侮ったりしない。彼女達はヴィルミーナが直々に薫陶を授けて育てたエリートであり、派遣する際は名代として送り込むから、軽んじることも侮ることも致命傷を招くのだ。
何より、ヴィルミーナは側近衆をよく『大事な友、大切な姉妹』と口にする。実戦を経てからは特に、だ。
そんな別格の扱いを受ける側近衆において、ただ一人の男子がオラフ・ドランだった。
もちろん、『白獅子』の要職には男性が大勢いる(そもそも女性の会社員など絶対少数派の時代である)。が、側近としてヴィルミーナに直言できる立場にある男は、少ない。それこそ、側近衆の中ではドランだけだった。
また、戦時中の仕手戦の際、差し出口を叩いたことは、良くも悪くも効果があったらしく、ドランの許へ各主要事業のお偉いさんがしばしば訪ねてくるようになった。
付け加えておくと、戦時中、ドランは出征せず白獅子の一職員として軍への協力業務に従事していた。なんせ入社して早々、ボスと側近衆が戦場に行ってしまい、各種事業間の連絡/調整役として奔走していたことも大きい。
それと……いくつになっても、どれだけ偉くなっても、異性より同性の方が話し易いというのはあるらしい。まあ、能力はともかく、年若い娘っ子である側近衆達にへりくだりたくない。というのもあるだろう。
「――というわけでね。ドラン君の方からもヴィルミーナ様に口利きしてはもらえないだろうか?」
といったお願い事。
「―――ということなんだが、何か妥当な解決策はあるかな?」
といった相談事。
果ては、
「ドラン君は独身なのかね? ほうほう……どうだろう? うちの親戚にね、ちょうど釣り合う年頃の子がいてね……」
といった話まで。
ドランにしてみれば、迷惑な話だった。新参者であるから、あまり目立ちたくはないのだ。
完全な中央集権制組織でも派閥抗争は必ず生じる。各種主要事業の御偉方は側近衆が配下を持ち始めて以来、側近衆の派閥が強大化することを危惧しているらしい。それは側近衆達も同じことで、各種事業の御偉方が力をつけてクーデターや独立を企まないか、と目を光らせている。
その辺りをヴィルミーナ様はどう考えているのだろう? 銀行業務だけは身内で支配すると明言しているが……将来的には各種事業のトップを側近衆と挿げ替えるのだろうか。それとも、各種事業は生え抜き達に任せるのか。
まあ、いいか。今は将来のことより我が身が大事だ。
ドランは鼻息をつき、意識を仕事へ集中させる。
「金貨のプールを実現させるためにも、しっかり働かないとな」
正直、その野望は如何なものか。
〇
中背にちょっぴり腹の出た男オラフ・ドランは金貨が大好きだが、食事も好きだ。食事に関心が薄い人間のことを『非文明人』と見做す程度に、食事という行為を重んじている。
特に、勤務中の昼飯に対してはちょっとした『こだわり』があった。
勤務中の合間。ちょっとした解放感を抱きながら取る昼食は、空腹を満たすだけでなく、午後からの仕事に対する活力にならなくてはダメ。ゆえに、昼飯をお偉いさんと会食とか、同僚と愚痴をこぼしながら摂るとか、そういうことは望ましくない。
『昼飯を食べる時はね、純粋に食事を楽しめなきゃあダメなんだ。独りで静かで自由で……』
どこかの孤独にグルメを楽しむおじさんみたいな『哲学』を持つドランである。
さて、この日の昼飯時。
ドランは小街区オフィスからちょっと足を延ばし、表通りから外れたところにある小さな店へ入った。
カウンター席だけの小ぢんまりした店内は、既に大方の席が埋まっていた。
「いらっしゃい。ここのところ毎日来るわね」
カウンター内の女将が馴染み客の来店に笑顔をこぼす。
「ここの味にハマッてるので。気まぐれランチを頼みます」
ドランはカウンター席に腰を下ろし、メニュー表を見ずに『気まぐれランチ』を頼む。
『気まぐれランチ』とはその名の通り、シェフが当日の朝、市場に仕入れへ赴いた際、気まぐれに思いついたメニューで構成されるランチセットだった。何が出てくるか分からない。
それが良い。
「はーい。気まぐれ一つ~」と女将がテンポよく復唱した。
「兄ちゃん、一昨日にここで食べてた人だよな?」
隣で揚げ物を齧っていたおっさんが声を掛けてくる。
「ええ。そうですが……」と肯定するドラン。
「そうか! いや、一昨日によ、兄ちゃんが他の客と話してたろ? ほら、金幣10枚をひと月で倍にするっての」
「ああ。私がボスから出された課題の話ですか」
ドランの返しに、おっさんは我が意を得たりと首を大きく縦に振った。
「おう。それそれ。あん時、俺は仕事で先に出ちまってオチが聞けなかったからよぉ。良けりゃあ聞かせちゃくれないか?」
「構いませんよ」
ドランは料理が届くまでの暇潰しがてらに話し始めた。
※ ※ ※
ヴィルミーナはドランを組織に加える際、腕試しに課題を出した(8:2参照)。
その課題が『金幣10枚をひと月で倍にしろ』というものだった。大雑把に現代日本円でいえば、100万円を倍の200万にしろ、という話である。
100万円を200万円に増やす方法はいくつかあるが、オーソドックスにいけば、100万円分のAを仕入れ、Aを200万で売ればよろしい。
この場合、重要なのは倍の価値で売れる商材と、その需要先ないし市場を見つけること。まあ、そんなもんがホイホイ見つかりゃあ、誰だって大商人や大金持ちになれるわけで。
ドランはひと月のうち大半を諸々の調査に費やした。原資として預かった金幣10枚も経費として使い切った。その代価として掴んだ商取引の情報を、コネのある投資家へ金幣20枚で売った。
物を売り買いするのではなく、情報を金に換えただけ。
別段、特別凄いことをしたわけではない。これまでクライフ商会で学んだこと、クライフ商会で勤めている間に出来たコネや伝手を使い、一番確実に利益を得られる手段を採用しただけだ。
まあ、それが出来る、というだけで十二分にドランは実力を発揮した、とも言える。
事実、ヴィルミーナはドランの報告と金幣20枚を満足げに受け取り、金幣10枚をボーナスとして与えた。
※ ※ ※
「なんでぃ。なんかすげえ商売をしたとか、そういうオチじゃねえのかい」
おっさんはがっかりしたと言いたげな不満顔を浮かべる。
「すげえ商売を思いつくなら、勤め人なんかしませんよ。自分で商売やります」
ドランは小さく肩を竦めて苦笑い。
「オヤジさんは文句を垂れたけどよぉ、金幣20枚の情報ってのは大したもんだと思うぜ」
脇で話を聞いていた別の客が口を挟んできた。
「確かになぁ。しっかし、腕前を見せろっつって金幣10枚をぽんっと出しちまうとは、すげえボスだな。あんちゃん、勤め先ぁどこだい? まさかコレか?」
これまた口を挟んできた別の客が、一本筋を描くように頬を撫でながら問うた。
ドランは苦笑いしながら、胸元の社員証を出して示した。
「いえいえ。そこの『白獅子』に勤めてる事務屋ですよ」
『白獅子っ!?』
他の客達も女将さんも吃驚を上げる。小街区の人間にとってヴィルミーナの『白獅子』は“領主”の直営企業に等しい。
「白獅子の勤め人ってこたあ、まさか、話に出たボスってのぁ王妹大公令嬢のヴィルミーナ様かぃ?」
「ええ、そうですが……?」
小首を傾げるドランに、おっさんが目を剥きながら言った。
「兄ちゃん、最後の最後にすげえオチを出すじゃねえか……」
「やー……驚いたぁ。そんな話、初耳よ」
女将も『先に言っておいてくれ』と言わんばかりに、非難がましい目線を送ってきた。
「なんとなく話す機会が無くて」
小さく肩を竦めるドラン。すっごいな、ヴィルミーナ様。この街では国王陛下よりも尊崇されてるんじゃないか?
そんなこんなで、『気まぐれランチ』が御到着。
本日の内容は、白身魚を丸ごと彩り鮮やかな春野菜と共に煮込んだ海鮮スープ。色彩豊かな食用花のサラダ。ガーリックトースト。
嗅覚がスープの香りを捉えた瞬間、食欲が爆発する。ドランの口腔内にドバッと涎が放出された。ごくりと生唾を飲み込む。
――待て。待て待て。落ち着け。まだ焦るな。まずはこの絵画のような美を楽しもう。
孤独にグルメを楽しむおじさんみたいなモノローグを内心に流し始めたドラン。
そして、スプーンとフォークを手に、食事をスタート。
うーん。このスープ最高だ。お魚ちゃんの滋養が五臓六腑に染み渡る。堪らないな。たくさんの春野菜も嬉しい。俺の胃袋にも春が届いたぞ。濃厚な味わいのスープの合間に、食用花のサラダで一休みだ。小皿の上で満開のお花畑が美しい。花弁の柔らかな食感と仄かな甘みが、良い。蜂や蝶の気分が分かった気がするぞ。
何言ってんだ、こいつ。と思わなくもないが、ドランは内心でモノローグを語りながらバクバクと食べ進める。
ガーリックトーストにたっぷりとスープを吸わせ、がぶり。思わず頬が緩む。
男の子なガーリックトーストが、海鮮スープと合わさって、海遊びだ。
意味不明であるが、ともかくドランはスープの具をあらかた食べ終えた後は、残っていたガーリックトーストをスープに沈めてグズグズに崩し、わずかに残った食用花をスープへ散らす。
よしっ! 行くぞ!!
スパートをかけて簡易スープ粥をガツガツモシャモシャと一気に食らい、ドランは至福に蕩けた面持ちを浮かべながら、冷たいハーブティーを啜る。
美味かった……魚の美味い国に生まれてよかった……
支払いを済ませ、ドランは店を後にする。
たっぷり美味い物を食った。午後も頑張ろう。
〇
戦争が終わり、白獅子の各主要事業が本格的にスタートを切り始める中、一つの問題が生じていた。
「このオフィス。ちょっと手狭になってきたわね」
ヴィルミーナのその一言が始まりだった。
年が明けた後、側近衆の一部がそれぞれの事情によって白獅子(この場合は中枢たる持ち株会社)から離れたが、その一方で、先に述べたように側近衆達の下に人がつけられたし、雑務や各種社内業務に対応する下部人員も拡充されていた。
すると、今度は小街区オフィスが手狭になってきた。
元々小街区建設の折にヴィルミーナの拠点として設けた施設のため、さほど大きくはないし、何より企業財閥の中核社屋としてはなんというか、ちょっとしょぼい。
「もうちょっと大きなハコが欲しいけど……どうしましょうか。自前で作るか、余所の建物を買うか。そもそも、ここに根を張り続けるか、いっそ別の場所へ移るか」
ヴィルミーナが散文的に呟き続ける。
“侍従長”アレックスが口を開く。
「このまま小街区に根を張るべきと思います。住民はヴィルミーナ様を慕っておりますし、白獅子の各種企業や組織も展開していますから。小街区を拡張して対応すべきかと」
「私はいっそ移っても良いと思う。小街区、というか王都ではこの先もさらに拡張する必要性が生じた場合、対応しにくいもの。適当な連絡用社屋だけ置いておけば良いんじゃない?」
側近衆テレサの意見に、“信奉者”ニーナも賛同した。
「ヴィーナ様が目指しておられるパッケージング・ビジネスを国内で試しても良いかもしれません。ノウハウの蓄積も出来ますし、組織内の人員が組織方針を明確に理解できるのでは?」
「ふむ……」
ヴィルミーナは側近衆達の意見を聞き、ドランへ顔を向けた。
「ドラン君。君の意見は?」
「王都の郊外に新街区を建設されては? 小街区に近いまま、パッケージング・ビジネスの試運転も出来ます」
ドランは折衷案を挙げた。側近衆にあまり睨まれたくない、というドランの立場を示すような妥協的な意見。
「皆の意見はそれぞれに聞くべき点があるけれど、もう一捻り欲しいわね」
ヴィルミーナは顎先を撫でながら、小さく首肯して言った。
「各主要事業の上層部に回覧書を出して、この件の意見を求めるわ。その間に、貴方達ももう少し考えを詰めてみて」
こうして初回の会議は終了。
会議室を出て、ドランは考えてみた。
王都オーステルガムはベルネシアの中枢であり、大港湾都市であり、情報のるつぼであり、経済と金融の中心で、物流の中核で、商業の大市場だ。当然、『白獅子』の各種事業にも大きく関わる。
となると、やはりオーステルガムに残るべきか。
が、組織が肥大化していくことを考えれば、余所へ移り、白獅子の一大拠点を構築してしまうのもアリだろう。白獅子のために最効率化された都市開発。利便性や効果はとても高い。
となると、王都と地方の間に情報伝達の即時性を保てれば、良いのでは?
魔導通信は妨害と傍受の危険が高い。いざという時は伝令で一日以内の範囲が好ましい。
あ。
「翼竜か、飛空短艇を買えば良いか。それなら」
独りごちつつ、ドランは自身の執務室へ戻った。あまり大きくない小街区オフィス内で割り当てられた部屋のため、その職権の大きさに対し、執務室は小さい。デスクも小さい。
ドランは書架から地図を取り出した。
この時代、地図は軍事機密に関係するため、民間で手に入る地図は、ほぼ概略図かいい加減な代物だった。それでも、大まかな距離と場所の把握が出来る。
デスクの引き出しから定規を取り出し、ドランは地図の上へ定規を置いた。
「えーと、翼竜と飛空短艇の最大速度を考慮したうえで、王都まで一日の距離……」
しばし、地図と格闘した末、ドランは丁度良い港町を見つけた。
土地の名前は、クレーユベーレ。
うん。良いじゃないか。ここなら美味い魚が食える。それに、内陸方面には農業都市が近い。肉や野菜も美味いもんが食えそうだ。
金貨のプールを目指しつつも、美味い物も食いたい。
ドランは二つを達成すべく、クレーユベーレの資料を集め始めた。
〇
遠い未来。
『白獅子』は王都旧小街区に、本社ビルとして新古典主義的な大型建築物を据えている。
ただし、『白獅子』の“本拠地”はどこかと問われれば、誰もがクレーユベーレという街を挙げる。
王都オーステルガムから北西に数十キロほど離れた港町で、日本的に例えるなら、東京に対する神奈川県横須賀みたいな立ち位置の場所だ。
18世紀中頃過ぎまで、このクレーユベーレは平凡な港町に過ぎなかった。
町の内陸側には北洋沿岸地帯で数少ない湿原林があり、魔晶をたっぷり含んだ良好な泥炭が採れる。というか、それくらいしか挙げる特徴がない土地だった。
どういうわけか『白獅子』はこのパッとしない街にやってきて、主要事業を展開してがんがん開発した。
港湾を拡張整備し、町割りを引き、道路を敷き、住宅地と商業施設を作り、さらに工場や学校や諸々の施設を作り、クレーユベーレはベルネシアでも上から数えた方が早い港湾工業都市に生まれ変わっていた。
今やクレーユベーレには『白獅子』の主要事業社屋が並び、街の主な産業や企業が全て『白獅子』かその関係筋だった。住民は『白獅子』関連に勤める人々か、その人々を相手に商売する人々、その家族で構成されている。
白獅子の街。それがクレーユベーレである。
その事実を象徴するように、街の中央大広場には、傍らに獅子を従えた女神像が建立されており、その女神像のモデルはヴィルミーナ・デア・レンデルバッハ=クライフ・ディ・エスロナだった(ちなみに、若い頃の、である)。
なお、『白獅子』のクレーユベーレ移転を提案した“大番頭”オラフ・ドランは、クレーユベーレにある大学の学生食堂施設にその名を残している。
グルメ物は『孤独のグ〇メ』が一番好き……
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