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大陸共通暦1767年:ベルネシア王国暦250年:晩冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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オープン仕様の4頭牽き馬車を中心に、壮麗な儀仗騎兵の行列が王都の目抜き通りを進む。王都の上空を磨き上げられた飛空艇と、礼式儀装された翼竜騎兵達が悠然と飛行していた。
馬車には王太子礼装姿のエドワードと花嫁衣裳のグウェンドリンが乗っていた。
エドワードの胸元には自身の胸像が施されたメダルが下げられ、グウェンドリンはリボンで自身の胸像を象ったメダルを掛けられていた。
誰も彼も、これから夫婦となる2人と同じ記念勲章を胸に下げていた。裕福でない者達も精一杯の盛装に身を包み、胸元に記念勲章を下げ、誇らしげに行列を見送り、祝福の歓声を上げる。
馬車上のエドワードとグウェンドリンは、大通り沿いに集まった人々へ控えめな微笑みを向け、喝采に応えて手を振る。
「皆、心から祝ってくれているようだ」
王太子礼装をまとったエドワードは、まさに『王子様』といった様相で、正統派イケメンの面目躍如たる美丈夫振りを発揮している。
「そうですね。とても嬉しいです」
花嫁姿のグウェンドリンも、その超絶美貌を最大効力で発揮していた。おおよそ今、この瞬間、世界で彼女より美しい者など存在しないのでは、と思うほどの美貌と魅力を振りまいている。
行列は華やかに彩られた王都オーステルガムの中を大聖堂へ向かっていく。
行列が目指す大聖堂には、既に立会人達が集まっている。
適度な暖房が施された大聖堂の大ホール内で、ヴィルミーナは軍礼装姿のレーヴレヒトを伴っていた。アレックスもとても久しぶりに普通のドレスを着ている(なお、一部から猛烈な遺憾の意を訴えられた模様)。
「ちゃんとした正装をして怒られる……理不尽だ」
「世の中は不条理と理不尽にあふれているもんよ、アレックス」
嘆くアレックスにニーナが笑う。
レーヴレヒトは外国から来た参列者達を横目に窺う。イストリア、アルグシア、聖冠連合、カロルレン、ロージナ、エスパーナ、エトセトラエトセトラ……そして、クレテア。
「よく来られたな。図太いというか、流石というか」
「来ないわけにいかないわ」ヴィルミーナも外国人参列客を一瞥し「敗北したからこそ、見栄を張らないとね」
「そういうものか」
「レヴ君。力を失った大国の末路は悲惨、というのが通り相場よ。何もかも周辺国に貪り食われ、歴史の彼方に葬り去られる」
ヴィルミーナは冷厳に事実を告げた。
地球史においても、多くの国々が力の喪失と共に滅んできた。
二次大戦後の世界秩序が国家独立権を重んじていなかったなら、世界の地図はだいぶ違っていただろう。ま、それが正しいとは限らない。独立権が強固ゆえに、失敗国家は滅亡という幕引きが出来ない。延々と終わりなき貧困と腐敗に苦しめられ続ける。
「連中にとっては今が踏ん張りどころ、というわけか」
レーヴレヒトは眉尻を掻きつつ、ヴィルミーナに尋ねた。
「ところで、アルグシア人達が君に熱い視線を送っているようだけれど?」
「戦時交易の交渉現場で散々毟ってやったからね。思うところがあるんじゃないかしら」
ヴィルミーナは不敵に微笑んで嘯いたが、レーヴレヒトはアルグシア人達の視線に小首を傾げる。
そういう反感や嫌悪を込めた視線とは違う気がした。なんというか、あれは……商談相手を見るような感じだ。
早速面倒事かな。分かっていたことだが、退屈しない人生になりそうだ。
端正な顔に忍び笑いを湛えたレーヴレヒトに、ヴィルミーナは小首を傾げた。
「なぁに、急に?」
「君と式を挙げる時もこんな大げさなことになりそうだなって」
「ぅ。それは言えてるかもね……」
ヴィルミーナはげんなり顔を浮かべた。
「小さな教会で身内だけでお祝い、は無理かしら」
「式自体はそれが出来たとしても、その後の宴はどうしたって大々的になると思う」
「ぅう。避けられないか……アル様の披露宴みたいになったら嫌だなあ」
ゼーロウ男爵家嫡男アルブレヒトの結婚式を思い出し、ヴィルミーナは一層仰々しいげんなり顔を浮かべた。
「そんなに酷かったのか?」と片眉を上げるレーヴレヒト。興味津々だ。
「この際だから、はっきりというけれど、あれを結婚披露宴と呼んだら、売春窟の乱痴気騒ぎも結婚披露宴になるわね。マルガレーテ様の表情。あれほど無表情になった花嫁、見たことがないわ」
ほんとに参加したかったな、と楽しげに喉を鳴らすレーヴレヒト。
「そだ。思い出した」
ヴィルミーナはげんなり顔をむすっとしかめ面に変える。今日も表情筋が大活躍。
「レヴ君が入院中、君が書き溜めた雑記帳に目を通したんだけれど」
負傷してレーヴレヒトが入院後、部隊が移動した際、私物を含めた行李が病院へ送られてきたのだ。それでヴィルミーナはペンを借りるつもりで私物を開け(後ろめたさはあったが)、レーヴレヒトが書き溜めた数冊の革張り紐綴じノートを発見。姉が弟のエロ本を見つけて目を通すような感覚で容赦なく読んだ。
何時かにも触れたが、レーヴレヒトはヴィルミーナと関わって以来、何かと記録する癖がついていた。いずれのページもみっちりと記述され、精緻なスケッチや景観図などが描かれている。入営後は内容が多岐に渡り、訪れた土地の自然や生態、民俗風俗の文化に伝統伝承などから街並みや街行く人々、食べた料理、果ては抱いた娼婦の似顔絵やあられのない姿絵まで。
ちなみに、負傷前の最新ページは再会したヴィルミーナの似顔絵だった。
「正直、娼婦の絵はやりすぎ」
「それ以前に人の私物を断りなく目を通すのは?」
「……敢えて言おう。それはそれ、これはこれ」清々しいほど図太いヴィルミーナ。
「君らしいね」
レーヴレヒトはくすくすと笑う。
周囲を無視してイチャコラ・アトモスフィアを放つ2人に、側近衆独身組は口の中を砂糖でじゃりじゃりにされた気分を抱く。
「……あたし、ちょっと本気で男探そう」「私も……」「エリン。弟紹介して」「ざっけんな、私の可愛い弟を雌狼に紹介できっか」「おぅ、アレックス。早く男になるんだよ」「引っ叩くぞ」
どこでもいつでも仲良し側近衆。
「あれがヴィルミーナ嬢を射止めた婿殿か」
眼鏡イケメンのマルクは遠目にレーヴレヒトを窺い、
「またえらい優男だな。意外と面食いだったんだなぁ、あの御嬢様」
三枚目系イケメンなカイはしみじみと呟き、
「大公令嬢様はどうでも良いよ。それよりアリスの想い人はどこだ?」
可愛い系美少年なギイが怖い顔で聖堂内を見回す。
「なんで殺気を出してんだ。落ち着けよ」
熱血イケメンのユルゲンが眉をひそめてギイをなだめる。
なお、ユルゲンの婚約者リザンヌ嬢は彼のユルゲンの左腕を抱きかかえ、ラブラブ振りを周囲に“アッピル”中。歯噛みする同期を見て御満悦だ。おほほほ。妬め、嫉め、僻むがいい。あぁ、気分が良い。
「ヴィーナ様の彼氏、すっごいイケメンだなあ」
アリシアがのんきに感想をこぼす。
「や、アリスの恋人だって十分美形じゃん」
ツッコミを入れるコレットの傍らには婚約者がいた。
五歳年上の婚約者殿は縦にも横にも大きな男で軍礼装を着ていた。コレットと並ぶとハムスターと熊みたいだ。いずれ産まれるだろう子供はクマモンみたいな感じなるのだろうか……
「こここ、恋人じゃないしっ! まだ違うし」
「まだ、ねえ。じゃあ、じきにそうなるかもしれないんだ」
「え、あ、そ、それは、あばばば」
慌てふためくアリシアに、コレットはニヨニヨと笑う。
同時に内心でホッとしてもいる。なんせ戦勝パーティの時、衆目の前でアリシアが軍人青年へ抱き着いた件は方々で噂になっていて、特に貴族令嬢たちの間で評判が芳しくない。第一王子やその側近達を弄んで捨てた悪女のように言われていた。
もちろん、アリシアの耳にも届いているだろう。まあ、全然気にしてないようだが。
「私が式を挙げる時は、彼氏を連れて来てね。約束だよ」
「そ、その約束はぁ、ま、前向きに検討してぇ、善処をぉ、試みますぅ」
しどろもどろで切り返すアリシアに、コレットはくすくすと喉を鳴らす。
「なに、それ。どこで覚えたの?」
気を取り直したアリシアが、得意げに応える。
「戦争中、療養所で働いてた時、役人が良く言ってた」
メルフィナとデルフィネ、不仲な2人は並んで座っていた。喧嘩を起こさないか、と両者の側近衆がハラハラしている。
メルフィナはふ、と息を吐いて呟く。
「グウェンが結婚して、ヴィーナ様が婚約。最後まで売れ残るのはどっちかしら」
「そのような些末な心配をしてどーすんだよ、でございます」
「ほぅ。些末ですか」
「些末でございましょ」デルフィネは鼻を鳴らし「ヴィーナ様は証明されたんです。女の生き方は家に入る以外にもある、と。少なくとも、私はどこかの種馬に嫁いで牝馬暮らしをするつもりはございません」
「気分を害したら申し訳ないけれど、ホーレンダイム侯も夫人も、貴女の望む生き方を肯定するとは思えないわ」
メルフィナの指摘は正しい。上昇志向がっちがちのホーレンダイム侯爵夫妻はデルフィネの“商品価値”を存分に活かした政略婚を模索中だ。
余談ながら、ベルネシア戦役世代となったデルフィネ達の代は、婚姻相手探しに最も盛り上がる時間を戦争に浪費された世代で、未婚者が多い。
「両親が何を考えようが、知ったことではありませんけれどね」
デルフィネはふんと鼻を鳴らし、大貴族用の席についている両親を一瞥する。
「そちらこそ、なまじっか事業なんて抱えているから、欲深な連中に目を付けられてるそうじゃありませんか」
ヴィルミーナという規格外が存在するから目立たないが、『女は家中を守るもの』という時代に一端の実業家で個人資産を稼いでいるメルフィナは、十分に逸脱者だった。
そして、美貌と財産を持つメルフィナは独身の連中から大いに大いに関心を引いている。
「私が有象無象に嫁ぐことはありませんし、半端な家との政略結婚など無駄だと両親もわかっておりますから、御心配なく」
メルフィナは澄まし顔で応じ、ヴィルミーナとレーヴレヒトを見た。
「私もレーヴレヒト様みたいな素敵な殿方が欲しい……」
「不倫とか勘弁しろよ、でございます」と嘆息をこぼすデルフィネ。
「あら。心配してくれるのね。余計なお世話ですけど」
「心配なんかしてねェよ。でございます。自意識過剰なんじゃありません?」
ふんっ! メルフィナとデルフィネは磁石が反発するようにそっぽを向いた。
〇
「皆様、間もなく第一王子エドワード殿下、婚約者グウェンドリン様がご到着します。起立しておまちください」
席に座っていた者達が腰上げた。立派なステンドグラスを背にした大ホールの祭壇上に総主教と国王夫妻、大主教達がスタンバイ。
段取りでは――
1:エドワードとグウェンドリンは介添人と共に祭壇前に赴き、
まずエドワードだけ祭壇上に上がって立太子式を行う。
2:王妃が差し出した王太子冠を国王が受け取り、エドワードに被らせる。
そして、総主教が祝福を与え、立太子を宣言。
3:続いて、グウェンドリンが祭壇上へ上がり、結婚式へ移行する。
4:讃美歌の斉唱後、総主教が聖典から愛の教えを抜粋して朗読後、祈祷。
5:新郎新婦の宣誓が済めば、いよいよ結婚式のクライマックス。
6:指輪を交換し、誓いのキスを交わす。
つまりは、まんまキリスト教形式の結婚式だ。
ヴィルミーナは思う。
前世の若い頃は周りの結婚式に出席する度、歯軋りさせられたもんやけど、今日は実におおらかな気分で過ごせるわあ。
そっとレーヴレヒトの手を取り、指を絡ませるように握った。
「? どうした?」
レーヴレヒトはヴィルミーナの手を握り返しながら小首を傾げる。
「ん。手を握りたくなったの」
微かに頬へ朱を差すヴィルミーナは完全に恋する乙女だった。中身ウン十歳のババアは今、この瞬間、初恋中の思春期並みに浮かれていた。
前世分を換算したら曾孫みたいな歳の旦那が出来るとか……勝ち組っ! 圧倒的勝ち組っ! あー、今、この勝利を前世の連中に知らせたいっ! 勝鬨を聞かせてやりたいわぁっ!
にやにやと顔芸的に笑うヴィルミーナに、近い将来、夫となるレーヴレヒトは思う。
またぞろろくでもないこと考えてる顔だな……うーん。結婚したら毎日、朝から晩までこの顔芸を見るのか……楽しそうだな。
ラブラブな毒気を振りまくヴィルミーナに、側近衆達は思う。
おのれ、みせつけよってからに。ヴィーナ様許すまじ。
そして―――
「第一王子エドワード殿下、婚約者グウェンドリン様が御到着されました。皆様、盛大な拍手でお迎えください」
大聖堂正面玄関が大きく開け放たれ、軍楽隊が入場曲を奏で始める。大ホールが祝福の拍手に満たされていく。
それから、新郎新婦が姿を見せた。
盛装に身を包んだ第一王子エドワードと純白の花嫁衣装をまとったグウェンドリン。
エドワードの介添人は弟のアルトゥールで、誇らしさと緊張で顔を赤くしている。
グウェンドリンの介添人は姪の少女で、こちらもやはり誇らしさと緊張でかちんこちんだ。
四人はゆっくりと赤絨毯を踏みしめるように祭壇の前へ進んでいく。
新郎新婦を見送りながら、
「……一つの区切りがついた気がするわ」
ヴィルミーナはぽつりと呟く。
「まだ始めたばかりだろう?」
レーヴレヒトは柔らかく微笑んだ。
「そうね……その通りよ」
大きく頷き、ヴィルミーナはレーヴレヒトへ花咲いたように笑顔を向けた。
「まだ始めたばかりだわ」
〇
大陸共通暦1767年、ベルネシア王国暦250周年。
第一王子エドワードが立太子され、また婚約者グウェンドリンと挙式を上げた。
この結婚式後、ベルネシアはいくらかの平穏が訪れた。戦役で敗北したクレテアも療養が必要で、これからしばし内政に専念し、対外的には穏健路線を進む。
大陸西方メーヴラント西部がこうして落ち着きを取り戻し、大陸西方メーヴラントは再び安定を取り戻した。
そうはいかないんだな、これが。
性悪で陰険な運命の女神が戦争で弱体化したベルネシア王国と大クレテア王国にガソリンをぶっかけ、更なる炎上を図らなかったことには、理由がある。
某所。
?:ベルネシア人達は証明した。
数は必ずしも絶対的要素ではないことを。
彼らに出来たことが、我々に出来ない道理はない。
さあ、諸君。今度は我々の番だ。




