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再開します。
大陸共通暦1767年:ベルネシア王国暦250年:冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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翼竜騎兵はその格好良い名の響きと違い、見た目がもっさりしている。
高度に加えて相対気流に晒されるため、夏場でも低体温症に罹る危険があった。冬ともなれば凍傷の危険が跳ね上がるため、厚手の飛行装具に加えて防寒具を着込む。
特に冷気をまともに浴びる顔は、革製防寒マスクで守る必要があった(アニメみたいに素顔を晒すと、瞼と鼻と唇を失うことになるし、冷気を直に吸い込むことで気管と肺がやられ、最悪死ぬ)。
かくして、翼竜騎兵達はもこもこした格好でプテラノドンみたいな翼竜に跨り、空を行く。
武装は魔導具と護身用の回転拳銃のみ。気流に晒される上空では弓や弩なんて扱えないし、前装式はもちろん、後装式でも小銃の弾込めなど無理だ。
また空中では騎乗格闘戦など出来ない。三次元戦闘の最中に剣や槍を振るう余裕など皆無に等しい。地上目標に長鎗突撃をするくらいである。
というわけで、翼竜騎兵達は竜を駆りながら、魔導術をぶっ放すのが本業だ。騎兵と名乗っているのは、かつて竜騎士と呼ばれた名残に過ぎない。
ぶっちゃけ、チャンバラなら馬を駆る普通の騎兵の方がずっと強い。
この日、王都沿岸上空で翼竜部隊の模擬戦が行われていた。
翼竜の翼に赤色の塗料を付けた部隊と、翼に青色の塗料を付けた部隊が北洋の空を縦横無尽に飛び回る。
編隊飛行を重視し、相互支援と協力を重視する赤組は本国軍の翼竜部隊。
個々人の技量を重視し、ほとんど好き勝手に飛び回る青組は大冥洋群島帯の翼竜部隊。
地球史において第一次世界大戦後期以降、空戦は部隊単位の戦いが基本となった。つまるところ、空であろうと、陸であろうと、海であろうと、アニメやゲームのような超越的個人が存在しない限り、戦争は集団で行われることが前提であり、集団の利を活かせないやり方はナンセンスなのである。
が、これはあくまで概論的な話。
局地的な限定条件においては、時に圧倒的な『個』が戦場を支配する。
模擬戦は赤組優位で進んでいた。個々人の技量を重視する青組の弱い者から順に“撃破”していき、数的優位を確立して強い者は袋叩きにして“沈め”る。
そんな中―――
『ああ、ヨハン=ルイがやられたっ!』
『あいつはいつも落とされる』
『1人速いのがいる。振り回されるなっ! 囲めっ!』
赤組の編隊が必死に追う中、青組の一騎が俊敏に空を駆けていく。
青組の翼竜騎兵ラルス・ヴァン・ハルト少尉は翼竜を駆り、一旦、高度を取ると反転捻りこみをして赤組の編隊の中へ最大速度で殴り込む。
意表を突かれた赤組の編隊が崩れた。その混乱の間隙の中、ラルスは群れから逸れた一騎へ襲い掛かる。体重移動と翼竜の翼面荷重を巧みに操り、獲物の回避旋回の内側へ潜り込むと、そのまま急旋回の高Gが掛かった状態で、ショット。放たれた魔導術が吸い込まれるように獲物へ命中した。“撃墜”された方はいつ撃たれたのか分からないまま、脱落していく。
ラルスは“撃墜”したことなど気にもかけず、再び赤組の編隊へ襲い掛かった。さながら家畜の群れを襲う鷲頭獅子のような獰猛さと俊敏さで。
飛空船から模擬戦を観戦している軍高官や翼竜騎兵部隊幹部達は、思わず唸る。
「凄いぞ。たった一騎で一個編隊を蹴散らしている」
「あれは何者だ?」と軍高官が翼竜騎兵の中佐に尋ねた。
「大冥洋群島帯方面軍団のラルス・ヴァン・ハルト少尉です。混血ですが、極めて優秀です。実戦に出したら、あっという間に撃墜王になりました」
翼竜騎兵中佐は言った。
「今ではエシュケナの鷲頭獅子。そう呼ばれています」
模擬戦が終わり、翼竜騎兵達が基地へ着陸していく。
ラルスは氷膜が張り付いた防寒着をばりばりと鳴らしながら翼竜を降り、防寒マスクと防寒帽を脱いだ。汗に濡れた髪をほぐしながら、冷たい空気を肺いっぱいに取り込む。
曲芸的な高負荷機動と神業的な攻撃は、体力をぎりぎりまで搾り取る。体がふらつくほどの疲労感を抱きながら、ラルスは本国軍から借りた翼竜の鼻先を撫でた。
「君もお疲れ様」
翼竜が甘えるような声を上げ、鼻先をラルスの手に擦り付ける。翼竜なりの愛情表現だ。
「俺達が鍛えた竜を俺達より上手く扱われちゃあ、こっちの立つ瀬がないな」
本国軍の翼竜騎兵がやってきて、ラルスへ右手を差し出す。
「良い腕だった。対戦出来て光栄だ」
「こちらこそ」
ラルスは握手してその場を離れ、隊の面々が集まっているところへ向かう。
「ちっくしょー。3騎掛かりでフルボッコにされた。ずっけーよ」
リーンがもじゃもじゃになった髪を掻きながら毒づいていた。
「タイマンなら負けねーのにぃ……っ!」
「パウルはどこ行った?」
ラルスの問いに、リーンは黙って指差す。
焚火の傍で熊が丸くなっていた。や、パウルが巨躯を縮めるようにして暖を取っている。
「あのボケ、真っ先に脱落して火に当たってやがった」
パウル君の弁『西方の冬は寒すぎる』
しょうがない奴だ。ラルスは眉を下げつつ、ポケットから細巻を取り出して魔導術で火を点けた。甘い香りがする紫煙を吐く。
「今晩、アリスと食事の約束があるけど、一緒に来るか?」
「ンな野暮な真似しねーよ。人の恋路を邪魔するなかれってね」
リーンは小さく肩を竦め、周囲を見回して声を潜めた。
「それより、あの噂、聞いた?」
「アリスが第一王子殿下の愛人という話だろう。本人から聞いたよ」
「え!?」リーンは目を丸くし「ま、まじで? そ、それで?」
「アリスにそんな器用な真似が出来るもんか。王子様方が勝手に入れ込んでただけだよ」
ラルスは紫煙を吐き、控えめな微苦笑を浮かべた。
「ほら、ガキの時分でもあったろう? 代官や与力の倅がアリスに入れ込んで騒ぎになった」
「ああ。あったあった」リーンは頭を振り「血筋だの生まれだの気にする連中は、ころっと引っかかるのよね、アリスのアレに」
「王子様や御貴族様達には、あの無頓着さが純真無垢な妖精にでも見えたんだろう」
ふ、とラルスは冷笑を湛える。
「一旦誤解すると容易に目が覚めない。ある意味で確かに妖精だ。人を食う類のだが」
「よう言うわ。ベタ惚れしてるくせに」とリーンがにやりと笑う。
「当然だろ」
ラルスは満更でもなさそうに白い歯を見せた。
「アリスは俺の守護天使だ」
〇
ラルス・ヴァン・ハルトは大冥洋群島帯に入植したベルネシア人の父と、現地人の母との間に生まれた混血児だ。
親父は現地人の母を娶る気はなく、身重の母を捨てて姿を消した。ラルスは親父の名前も顔も知らない。
ベルネシア人の子を妊娠した母は親兄弟や親戚から縁切りされ、ラルスを出産後、低賃金の仕事をしながらラルスを育てた。
母子の貧乏暮しは非常に荒んだもので、母は時折、ラルスを酷く罵った。お前を妊娠しなければこんな生活をせずに済んだのに、と。
近所の連中は大人も子供もラルスを『混ざりもの』と嘲り、蔑んだ。
誰からも愛されず、実母から存在を否定され、生まれという自分ではどうすることのできない事実で、非難され、否定され、侮られ、蔑まれ、いじめられる。
5歳を迎える頃には、ラルスは不条理で理不尽な世界とこの世の全てに、強い怒りを抱いていた。外面は大人しくとも、内に激しい憤怒と憎悪を秘めた子供になっていた。
5歳の時に実母はラルスを捨てて、姿を消した。そして、ラルスは聖王教会に引き取られた。
ヴァン・ハルトという家名は、この時、聖王教会の職員から与えられたものだ。
職員曰く『戦友の苗字だ。勇敢で優しい男の苗字だ。きっと良いことがある』
彼の言葉は正しかった。
ラルスは送られた先の孤児院がある村で、彼の人生を大きく変える幸運を得た。
アリシア・ド・ワイクゼルと、出会ったのだ。
その孤児院がある村には、ワイクゼル家が暮らしていて、アリシアや村の子供達は当然のように孤児院の子供達とも一緒に過ごした。
無頓着で図々しいほど人懐っこいアリシアは、出会った時からラルスを大いに構い倒し、振り回した。その関係はヴィルミーナとレーヴレヒトの年相応に純朴化させたもの、と言っても良いかもしれない。
ラルスにとって、アリシアとの交流はひたすらに鬱陶しいものだった。あの天真爛漫さや無頓着さや図々しさにイライラさせられた。しかし、いつ頃からかアリシアとの関わりを心待ちにするようになっていて、アリシアを通じてパウルやリーンといった友人もできた。
魂を焼いていた激しい憤怒と憎悪は、いつの間にかすっかり消えていた。
ラルスはアリシアによって、心の闇を払われ、救われたのだ。
それに、ラルスはアリシアから目指すべき夢も貰った。
ある日のこと、アリシアと遊んでいる時に頭上を大きな鷲頭獅子が飛んで行った。
乳歯が抜けた隙っ歯を見せながら、アリシアはラルスへ言った。
「空を自由に飛べるって気持ち良さそう」
その言葉はラルスの心に深く深く染み渡った。せせこましく鬱陶しいことばかりの大地から隔絶した真っ青な空に、ラルスは希望を見出し、夢を抱いた。
この日を境に、ラルスはよく空を見上げるようになった。その横顔に、もはや暗い情動は微塵も残っていなかった。
10を越える頃には、アリシアとラルスは互いに友情以上の感情を持ち合わせるようになっていたが、聖王教の坊主が要らんことをし、ワイクゼル準男爵家を本国へ向かわせてしまった。
別れの時、ラルスとアリシアは固く誓い合った。
再会を。そして、いつの日か結ばれることを。
子供の背伸びした約束事と笑い飛ばすべきところだろうが―――二人は本気だった。
後だし話になるが、ヴィルミーナはアリシアを客分として閥に加えて以降、事業手伝いの報酬を与えていたものの、その使い途については一切聞かず、尋ねなかった(他の側近衆達にも同様で、戦死したサマンサが服飾工房を買収していたこともホントに知らなかった)。
アリシアが受け取った報酬を使って、大冥洋群島帯のラルスに手紙を送っていたことを、誰も知らなかった。親友コレットは知っていたけれど、その手紙は群島帯にいる祖父母や親戚への手紙だと思っていた。
アリシアとラルスは、文通という現代日本では忘れ去られた奥ゆかしい方法で、しっかり交流を続けていたのである。
ラルスはアリシアとの約束を糧に、心の中の暗い情動を前へ進むためのエネルギーに昇華させた。一日とて無駄にせず学問と鍛錬を積み、初等教育を優秀な成績で終えると、ラルスは軍へ志願した。
そして、ラルスは厳しい選抜を突破し、翼竜騎兵となった。
幼き日に希望と夢を持った空へ踏み出したのだ。
〇
アリシア・ド・ワイクゼル嬢は戦争終結後、ちょっとしたイメチェンを図った。
理由は再会したラルスへ大人になった自分をアピールしたいから。女の子は恋をすると奇麗になるからね。仕方ないね。
髪をミディアムに詰め、ゆるふわパーマに(パーマネントが技術体系化するのは、20世紀初頭前後以降。しかし、髪にウェーブを掛けたりすること自体は紀元前から存在するらしい。女性の美に対する努力は古今変わらないようだ)。お化粧もばっちり決めて、ドレスも可愛い系からオトナな奇麗系のスレンダードレスへ……
「背伸びしてる感が凄い。元は良いのに、このイマイチ振りはなぜかしらん」
親友コレットの辛口評価にアリシアは眉を下げる。
「ええ……じゃあ、どうすればいいのさぁ」
「まず髪型がダメ。アリスは顎の線が細めだから、ゆるふわは合わない。それから、化粧も濃過ぎ。あと、ドレスもダメ。アリスはバランス型体形なんだから、スレンダードレスじゃ貧相に見えちゃうよ。要するに」
コレット先生の総評。
「全部ダメ」
「ほぁあっ!? 全部ぅ!?」
分かり易くショック顔を浮かべるアリシア。ヴィルミーナ並みの顔芸だ。
コレットは大きく嘆息を吐いてから、腕組みしていった。
「デートは夕方だっけ? ドレスの手直しは無理かぁ……でも、アレンジすればいけるな。よし、パパッといくぞっ!」
「コレット……なんて頼もしい。流石は管理官っ!」
「管理官は止めて」
で。
迎えにやってきた軍礼装姿のラルスは、アリシアを前にして雷に打たれたような衝撃を受けた。見惚れるなどという表現では足りない。完全なまでに魅了されていた。
まあ、無理もない。今宵のアリシアはそれほどに美しい。
髪型に柔らかなレイヤーを当てたウルフボブ。お化粧はナチュラルにしつつ、目元をセンシティブに強調。そして、ドレスはフィッシュテールに応急改造して脚線美を発揮。
一言でまとめると、アリシアはさながら天女様の如く麗しく美しかった。
「アリス、すごく……奇麗だ」
ラルスは魅入ったまま絞り出すように告げた。
「ありがと」
頬を桜色に染めたアリシアは嬉しそうにはにかむ。恋する乙女な仕草が美麗な容姿に愛らしさを加え、凶悪なほど魅力を発揮する。
「遅くならないうちにお返ししますから」
ラルスも釣られて照れ笑いしつつ、見送りに姿を見せたアリシアの両親へ告げた。
アリシア母はにやりと口端を吊り上げる。
「あら。きっちり貰ってくれるなら、お持ち帰りしてくれてもええよ?」
「ママッ!」
思わずアリシアが悲鳴を上げると、むすっとしていたアリシア父がおもむろに口を開く。
「ラルス……俺は戦場刀を用意してある。意味は分かるな?」
「パパぁ……」
げんなり顔を浮かべるアリシア。苦笑いを大きくするラルス。
そんなこんなで2人はディナー・デートに赴く。
向かった先は王都旧市街区にある老舗レストラン『金鹿の大角亭』。
照明が抑えられたムーディな店内には、時節柄かアリシア達と同様、軍礼装姿の男性とドレス姿の女性という組み合わせが多い。
蝋燭が灯る丸テーブルの上に料理が並ぶ。北洋海竜のステーキ。ベイクドポテトのチーズソース掛け。芽キャベツのコンソメ煮込み。そして、芳醇な聖冠連合産ワイン。
「相変わらずたくさん食べるな」
ラルスはアリシアの手元に置かれたステーキを一瞥して苦笑いする。照れ笑いするアリシアのステーキはラルスの注文した物より一回り厚く大きく、半熟卵が鎮座していた。
北洋海竜の肉は絶妙な焼き加減だった。適度に火が通った肉は芯の付近が美しいピンク色をしており、微かに湯気を燻らせている。下処理の控えめなソースと肉汁、半熟卵の白身ととろけ出した黄味が絡み合うコントラストが涎を誘う。
きこきことナイフで肉を切り分け、アリシアは肉をほおばる。
「おいしい……」
美味しいもの食べて幸せそうに目を細めるアリシアは何とも可愛い。
ラルスもステーキを口に運ぶ。確かに美味い。でも、幸せなアリシアの様子が見られたことの方が嬉しい。
二人は食事を進めながら、たくさんのことを話す。
子供時代の思い出話。離れた後の互いのこと。友達のこと。戦争中のこと。話すことは尽きない。食事が終わった後、ブランデー入り珈琲とベリーソース掛けチーズケーキを楽しみながら、
「アリスはこれからどうするんだ? 群島帯に帰ってくるのか?」
「しばらくは教会の仕事をすることになってるよ。なんかいろいろやって欲しいんだって」
アリシアの回答に、ラルスは微かに眉根を寄せた。
10になったかどうかの頃。アリシアが超人的な魔力を発揮した。それが全てを変えた。教会の坊主がアリシアを『祝福を受けた子』と喚き始め、そして、一年後には本国へ発つことになってしまった。
ラルスは聖王教会に感謝しているし、自分に『ヴァン・ハルト』の名を与えてくれた人物には強い恩義を抱いている。しかし、この件に関してだけは、教会に強い反発を禁じ得ない。
「ラルスはやっぱり群島帯に帰っちゃうの?」
「第一王子殿下の立太子と挙式まではこっちにいるよ。祝賀飛行に参加するから。その後はまだ分からないな。軍の再編が完了するまで帰国はないと思うけど」
「そう……でも、それなら、またこうして一緒に出掛けられるねっ!」
ニコニコ顔のアリシア。そこで頬を赤らめて雰囲気を出せない辺り、御察しである。
御察しのラルスは確信した。
これはちゃんと段階を踏んで距離を詰めていかないとダメだな。容姿は成長して見違えたけれど、中身は昔のままだ。
懐かしげに、それから、楽しげに微笑むラルス。
「? なになに? どうしたの? 何か楽しいこと?」
アリシアは不思議そうに小首を傾げた。
「ああ。とてもね」
ラルスは優しげにアリシアを見つめ、頷いた。




