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大陸共通暦1767年:ベルネシア王国暦250年:冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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魔導技術文明世界におけるエネルギー源とは、根本的には魔素である。
この世界の万物――大気、水、土、有機物、無機物に内在する魔素という物質を用いる術、それが魔導術だ。
魔導術が研究され、発展し、進歩し、技術体系化されていく過程で、人類は魔素――この場合はエネルギー体として魔力というべきか、魔力を多く含有する物質を発見した。
膨大な年月と多種多様な条件により、魔素が収斂して生じた鉱物。
いわゆる魔晶や魔石などだ。
当然ながら、人類はこのエネルギー資源を利用する研究を始め、魔導器具を開発していく。これが魔導技術文明の始まりである。
聡明な理系の方なら気付いたのではなかろうか。
万物に魔素が内在するならば、大気や水や土にも魔素が含まれるならば、ハーパー・ボッシュ法が大気からアンモニアを合成するように、技術的アプローチで魔素を抽出できるのではないか?
魔導術が大気中の魔素を利用して発動できているのだから、不可能ではないはず。
これは地球世界に当てはめて言えば、大気から取り出したエネルギーで家電や自動車や船舶や各種機器を動かせるようにするようなものだ。
結論から言おう。
人造魔晶や魔石の製造は、魔導学における『沼』だ。
歴史上、数多くの魔導技術者や研究者に錬金術師達がこの沼に沈んでいき、数多くの詐欺師達が人造魔晶を謳い文句に欲深な者達から金を巻き上げていた。
しかし、必ずしも不可能ではない。
糞尿で硝石を人工培養したように、魔晶の類もある程度鉱物化を人為的に推進できる(でなければ、戦場でじゃんじゃかぶっ放せないし、魔導技術文明もここまで進展してない)。
俯瞰的に言えば、なまじっか人為的に推進できるもんだから、人造魔晶という『沼』が出来た、ともいえるけれど。
さて。物質の化合や合成、転換、分解、精錬など行えば、予期せぬ副産物が生じるものだ。我が国の産業史を振り返れば、そうした副産物を垂れ流して自然を汚し、人々の生活を破壊した記録がいくつもある(それに伴う、経済界と政界と官界の浅ましい振る舞いは目を覆うばかりだ)。
大企業のボスとなったヴィルミーナは、こうした公害を看過しなかった。
〇
この日、ヴィルミーナは王国中西部へ出張していた。
王国南部に広がる山稜森林帯の端にあり、地盤がしっかりしながら平坦なこの地域は、良好な工業用地で古くから工房都市や工業地域として確立していた。近年は製鉄所など金属工業を主軸としている。ここで製造された鉄や鋼などが先の戦争で軍を支えたのだ。
ヴィルミーナが訪れた街には、前近代的な耐熱煉瓦製の高炉と反射炉が並んでいた。ぶっちゃけ近代の需要量を考えれば、高炉と反射炉の組み合わせでも充分なのだが……社会と産業の近代化に伴う鉄の需要を満たすとなると、やはり転炉が欲しい。
鉄も鋼も欲しいが、さっさと各種鋼材の開発も進めたい。一口に鉄鋼といっても使用目的で大きく異なる。たとえば、工具鋼とバネ鋼では求められる特性が違う。工具鋼は耐熱性や耐摩耗性が要求され、バネ鋼は弾性や疲労強度が重視される。
もちろん、鋼材開発にはタングステン、モリブデン、クロム、バナジウム、ニッケル、アルミ、コバルト……こうした添加用資源も必要だ。
はっきり言おう。鋼鉄もまた『沼』である。
それはさておき。
出張で訪れた先は、合資会社が立ち上げた製鉄所で、ベルネシア初の転炉を試験運用している。この合資会社において、『白獅子』の持ち株比率は決して高くない。
ただ、生産される鉄の割り当てはきっちり確保していた。何より、この転炉を製造したのは『白獅子』であり、技術的な中核部分は完全に掌握している。
搦め手による利権の抑え方。こすっ辛いともいう。
「凄い熱気ですね」
ヴィルミーナと共に製鉄所の視察に訪れた側近衆ヘティが感嘆をこぼす。
戦争が終わったので流石に軍服は改めたが、製鉄所視察ということでヴィルミーナもヘティも乗馬服のようなパンツスタイルでコートを着込んでいる。
ヴィルミーナを先頭に、合資会社重役と製鉄所の幹部達からなる案内行列が、施設内を巡っていく。
「試験器ながら生産量は上々です。品質も悪くありません。ただスラグの分離や精錬工程にさらなる習熟が必要ですな」
案内係の説明を聞き、ヴィルミーナは製鉄所から伸びる大きな煙突を一瞥する。
「排ガス処理の方は?」
「そちらも悪くありませんが……本当に必要なので?」
案内係が訝しげに反問すると、ヴィルミーナは大きく頷いた。
「イストリアの大工業都市では、表に洗濯物を干していると、工場からの煤煙で黒くなるそうです。私は美しいベルネシアを煤塗れにする気はありませんし、ここで暮らす人々の生活を煤煙で塗り潰すようなことは望みませんし、許しません」
ヴィルミーナは大気汚染、ひいては公害の類をえらく気にしていた。
環境保護のため、ではない。将来的な公害問題を懸念してのことで、それも、汚染物質を垂れ流して地域と人々の生活を破壊したクソ野郎として記録されるのが嫌、という極めて個人的動機だったりする。
パッケージング・ビジネスの悪辣な実業家ならば『悪名高きヴィルミーナ』として記録されるかもしれない。だが、公害の悪名では『汚染物垂れ流し女ヴィルミーナ』と呼ばれかねない。嫌すぎる。
まあ、処理機構とはいっても、煙突にフィルター層を組み込んだだけだが。この時代の技術力ではこれが関の山だ。それでも、何もせず垂れ流しよりは良い。
ちなみにフィルターの交換だけで済むため、煙突内で煤取りしなくて楽だったりする。イギリス人は煙突掃除に児童(実質は児童奴隷)を使い、子供の蒸し焼きを100年以上こさえ続けた。ブリカスェ……
その後、製造された鉄や鋼のインゴットを見せられたり、作業場周りの問題点や不具合などを確認したりしていく。
「ふむ。現状、深刻な問題は生じていないようね。とはいえ、試験運用を一年ほど続けて技術の習熟と問題点の洗い出しに勤めましょう。炉の大型化や製鉄所の増設はその先です。国家事業ですからね。失敗しました、では済みません」
ヴィルミーナの見解に、幹部職員は大きく頷いた。
「それと、工場職員に御土産を持ってきましたから皆さんで分けてくださいな」
用意した酒樽と日持ちする焼き菓子を配布するように告げ、ヴィルミーナは製鉄所を後にした。
ほとんど揺れず走破性の高い豪華な馬車を見送り、案内係達は大過なく視察を終えられたことを安堵する。
「自然や下々の生活を気に掛けていらっしゃる。立派な姫さまだ」
「しかも土産までくれたぞ。今までお偉いさんから土産なんて貰ったことねえよ」
視察に居合わせた現場要員達が口々にヴィルミーナを讃える。
で、その当人は―――安堵していた。
「鉄と鋼の増産が出来るし、排出ガスもそれなりに抑えられてる。ひとまずは成功ね……」
結い上げた髪をほどき、ヴィルミーナが強張った髪を指で透いていると、
「先ほどの案内では触れてませんでしたけれど、石炭の乾留工程で得られる魔晶油の品質がかなり良いみたいです」
ヘティが報告書をめくりながら言った。
「魔晶油、か」
ヴィルミーナはどこか韜晦気味に呟く。
地球では、石炭をコークスに加工する乾留工程で生じるのは、コールタールと燃焼性ガスと軽油だ。ところが、どういうわけか、この世界では軽油ではなく魔素成分を含有する魔晶油が採れる。
魔導術学的に言えば、石炭に含まれる魔素が油分と共に抽出され、魔晶油となっている。らしい。燃料としては軽油とガソリンの合いの子みたいな存在らしいが……その辺が明るくないヴィルミーナにはよく分からない。敢えて言うならば――
この世界ってファンタジーやなあ……
「そだ。記念勲章の生産はどうなってる?」
「報告では順調です。納入日には十分間に合います」
「そう。よかった」
エドワードの立太子と結婚に合わせて恩賜される品だ。『間に合いませんでした』は通らない。『白獅子』とヴィルミーナの沽券にかかわる。
「出張の日程には余裕があるのよね?」
「ええ。二日ほどならどこかに立ち寄っても大丈夫です。最悪、飛空船をチャーターする手もありますし」
ヘティの回答に、ヴィルミーナは数秒思案して、告げた。
「なら、この辺りで一泊しますか。ここらの美味しいものでも食べていきましょ」
「素晴らしいお考えです、御嬢様」
同道していた御付き侍女メリーナがにっこりと満面の笑みを浮かべる。
「この辺りは羊料理とチーズが有名なんです。お任せください。宿と店は調べておきました」
ヴィルミーナはくすくすと楽しげに喉を鳴らした。
「流石はメリーナ」
〇
視察から戻ったヴィルミーナへ、アレックスとデルフィネの推薦付きでマリサの提案書が渡された。
そこには『切断障碍者による運動競技大会の実施提案書』と記してあった。
まさかパラリンピックの提案が出てくるとは……
マリサの提案書を読み進めながら、ヴィルミーナはちょっとした感動を覚える。
障碍者スポーツは第一次大戦後、ルートヴィヒ・グッドマンという偉大な医師がリハビリの一環として入院者達にスポーツを促したことで始まった。
このグッドマン医師のもとで研修した日本の中村裕医師が陣頭に立ち、日本、そして、アジア地域に障碍者スポーツを普及させていった(さらには身体障碍者が自活できるよう働く場所まで立ち上げた)。彼はアジアにおける障碍者スポーツの父であり、日本において身体障碍者の社会復帰/進出を促した偉人である。
点字ブロックを発明した三宅精一氏など、日本における障碍者の社会復帰/社会進出は基本的にこうした民間の人々の努力と貢献によって果たされている(三宅氏は点字ブロックを私費で普及させた)。
弱者を切り捨てることが当たり前の時代に、こうして先進的な社会奉仕案を提唱するなんて……そんな子が私の傍から現れた。うん。誇らしいわ。
ページをめくっていくと、競技案が記されていた。その中で……
!? なんやこれっ!?
競技用車椅子の設計案や、ゴブリンファイバーを用いた板バネ式義足などの開発案が記載されていた。
ちょ、先進的すぎるやろっ!? 転生者? 転生者なの!?
と、ドキドキしながら詳細を読み進めると、開発設計協力にクェザリン郡の工房や製作所の名前がつらつらと記されていた。
あいつらかや……。
ヴィルミーナは思わず脱力した。
※ ※ ※
話は数年前にさかのぼる。
レーヴレヒトが士官学校入りして消息不明となってからも、王妹大公家とゼーロウ男爵家の交流は絶えていなかった。
そもそも、両家のつながりは王妹大公ユーフェリアと男爵夫人フローラの友諠が元になっていたから、交流自体に子供達の事情はあまり関係がない。
ただ、レーヴレヒトがいなくなってからは、ヴィルミーナがゼーロウ男爵家に、しいてはクェザリン郡に滞在する期間が激減したのも事実だった。
この事態に最も困ったのが、クェザリン郡の各種工房や製作所だった。
ヴィルミーナとレーヴレヒトが共に過ごしていた頃は、大なり小なりの新技術や発展技術、もしくは新たなアイデアなどが次々と持ち込まれ、彼らの好奇心と向上心と挑戦心を刺激しまくっていた。
特に、ヴィルミーナが尻を守るために新型馬車の開発を企んだ時は、彼らを歓喜させた。豊富な資金と資源が供給され、彼らは存分に開発と研究を楽しむことができたのだ。
まあ、勢い余って『ゴブリンファイバー』というやらかしもしたけれど。王都の研究所へ連れていかれた連中は元気にしてるかなー。
が、レーヴレヒトが軍に入った以降、こうした熱狂できる仕事が来なくなった。
これはヴィルミーナがこの手の仕事を麾下事業に割り振るようになり、強力な影響力を持つ王都小街区に開発研究拠点を作ってしまったためだ。
結果、クェザリン郡の職人や技術者達は技術的熱意を持て余していた。
で、それから少し経て、ゼーロウ男爵家嫡男アルブレヒトがかねてより大恋愛をしていた伯爵令嬢と結婚し、その式へ王妹大公母子も出席した。
同じく結婚式に参加していた地元の職人や技術者は、この機会を逃さずヴィルミーナへ熱心に営業を掛けた(なお、代官貴族のように地域密接型貴族は、地元民との距離が近いため、義理事に平民の有力者や関係者が招待することが多い)。
思わず怯むほどの熱意に負け、ヴィルミーナは小街区で用いられる車椅子の製作、発展型の開発などを依頼していた。
彼らは嬉々としてこの仕事を請け負った。人を小街区へ派遣し、車椅子利用者の意見や要望を丹念に聞き取り、車椅子の利用環境、その実用問題などをじっくりねっとり調査していた。それらの情報を基に、試作品を製作。地元の傷痍冒険者達で試験運用したりしていたのだ。
熱意がありすぎる。
※ ※ ※
考えてみれば、新型馬車の開発で車輪を用いる構造体やゴブリンファイバーの扱いに一番通じているのはこいつらだったか……
ヴィルミーナは嘆息混じりに読み進め、再び衝撃を受ける。
『猪頭鬼猿の骨粉と大陸南方の植物素材を魔導処理したら、良い具合のコーティング剤が出来たZE☆』
そのコーティング剤とはどう読んでも生物素材由来の合成樹脂だった。
なお、合成樹脂の開発史は19世紀半ばに開発されたセルロイドに端緒を発するという説と、化学が発展した20世紀に入ってから花咲いたという説がある。まあ、どちらでもいい。魔導技術文明世界のこの時代ではどのみち先走りであるから。
なにやっとんねん、こいつらぁっ!! ゴブリンファイバーの再来やんけっ!! だいたいまたかっ! またモンスター素材かっ! どんだけモンスター素材を弄繰り回すのが好きなんやっ!
ヴィルミーナは内心でぶちぶちと文句をこぼしながら、この合成樹脂絡みの権利取得の書類を作り始める。
この生物性合成樹脂『オークポリマー』は化学合成樹脂が登場するまで、大いに利用されることになる。
あー……これはもう、あれやな。ゼーロウ男爵家へ挨拶に行く時、あそこの連中と専属契約結ぼう。そうしよう。
あいつらはニトログリセリンで遊ぶ五歳児や。危険すぎる。
余談ながら、ヴィルミーナがクェザリン郡を訪ねた時、技術バカ達と更なる”余計な騒ぎ”を生んでしまうのだが……これはまだ先のこと。
ともかく、このマリサの提案は承認や。せや。『白獅子』だけやなくて関係各位にスポンサー協力してもらおか。名前を売りたい商会とか実業家はいくらでもおるしな。どうせなら記念大会にしよ。御母様、いや、傷痍軍人が中心やろし、戦場を駆けたフランツ叔父様がええかもしれへん。
王弟大公記念傷痍軍人競技大会。や、叔父様の二つ名を考えたら『蛮族公カップ』かな? ……ええやん。
よっしゃ。さっそく王国府へ開催の申請書だそ。
さて。『白獅子』から王国府に出された競技大会開催の申請書は、王妃エリザベスの目に留まる。
「あら、また素敵なこと考えたわね……開催は春、か……」
王妃エリザベスは考える。
そういえば、イストリアからの表敬訪問の件が先送りになってたわ……そだ。あの話を再開して、この大会の台覧大会にしたらどうかしら。
こうして、競技大会の一件は知らず知らずのうちに話が大きくなっていった。




