閑話11:名の残らぬ者達。
8:3の修正に伴い、一部編集しました。内容に変化はありません(12/25)。
大陸共通暦1767年:ベルネシア王国暦250年:秋。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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ヴィルミーナのビジネスは真っ当ではない部分も少なくない。
たとえば、私掠船への出資。フルツレーテンの時、国境付近で回復剤を強制買取していた連中。“会合”と揉めた時に情報や資料を回収する時の強硬策。そして、今回の国債買い付け。
彼ら裏方の人材の出どころ。
当初は母の護衛衆や御用商人クライフの筋からだった。
護衛衆は元軍人や冒険者の伝手を、御用商人クライフは自身のコネを使って、人材を提供した。
また、自分から売り込んできた連中もいる。
ヴィルミーナが美容サロンビジネスを手掛ける際、娼館筋に声を掛けた。その際、裏家業の手合いにも話が通った。
そうした裏社会連中の一部がヴィルミーナとの伝手を求めた。
王妹大公家の後ろ暗いところを請け負って儲けよう、そういう魂胆だ。彼らは貴顕とつながる旨みとリスクをよく知っている。
ヴィルミーナは裏社会との関わり合いについて、前世の知識と経験があった。
日本経済界を例にすれば、戦後だけ切り取ってみても、旧財閥企業のヤクザを使ったスト潰しやバブル期の地上げ等々、恥ずべき事例が山ほどある。芸能界なんてそれこそヤクザ抜きには語れない(歌姫美空ひばりが一番有名だろう)。政治や大規模利権が絡めば、闇はさらに深くなる。
ヴィルミーナ自身も地獄の海外行脚中に幾つかの犯罪組織と表ビジネスの取引をした。
応対した男達はメガバンクの役員みたいに高価なスーツと洗練した物腰をしていた。が、PMCの護衛は「ありゃあ人間をチェーンソーでぶった切って笑ってるタイプだな」と評していた。
あの手の連中の扱い方は一つ。
弱いと思われるな。決して。
連中に弱いと一度でも判断されたら、もう暴力以外に、それも連中が戦慄するほど圧倒的な暴力で屈服させる方法以外にない。それが裏社会の人間を扱うマナーだ。奴らには利と恐怖しか通じない。情が効果を持つのは、その後だから。
まあ、それはさておき。
当時(10歳)のヴィルミーナは裏社会の売り込みを二つ返事で受け入れた。
※ ※ ※
貸し切られた飲食店で、ヴィルミーナは集まった裏社会の男女達へ告げた。
「確かにこの世には必要悪というものはある。正論や道理で回らないのが世の中だし、不条理や理不尽がまかり通る世の中では、貴方達の存在には利用価値がある。けれど、誤解して欲しくないわ」
ヴィルミーナはにっこりと微笑む。
「世間が貴方達を恐れるのは、貴方達が偉大だからでも、優れているからでも、力があるからでもない。貴方達は小鬼猿と大差ないから、皆、恐れているのよ。薄汚い獣みたいだから」
自分より体が大きく、荒事慣れした裏社会の男女を前にしても、全く動じることなく悪罵を吐き、薄笑いすら浮かべる10歳女児はおよそ真っ当な人間には見えない。
美しい紺碧色の瞳の奥に、殺人の経験を持つ者達すら怖気させる”何か”が潜んでいる。
この小娘は少女の姿をした化生か何かではないか。
そんな不気味さに誰もが気圧され、息を呑む。
「でも、私は貴方達を怖くもなんともない。なぜなら私は王妹大公の娘であり、今生陛下の姪だから。親の七光りでもなんでも、とにかく本物の権力を行使できる。まさか、ここにいる者で本物の権力を侮る愚か者はいないわよね?」
裏社会の者達は知らず知らず首肯した。
権力が有する凶暴性はアカやナチ、軍国主義に限らない。”民主主義国家”のアメ公は民主的に人種差別したし、民主的にインディアンを虐殺し、民主的に原爆を使い、民主的に中南米へ干渉し、民主的にイラクを崩壊させて中東を地獄に変えた。
よほどのバカでない限り、本物の権力を敵に回したりしない。
「はっきり言いましょう。私を利用して甘い汁を啜ろうとか、私のビジネスから利益を掠め取ろうと考えているなら、止めておきなさい。私は私から盗む者を、奪う者を、騙す者を、裏切る者を絶対に許さない。殺す、なんて甘い処分では済まさないわ。私はね、一瞬で終わる死よりも希望のない余生を与えることこそ、最大の罰だと思っているから」
冷笑するヴィルミーナの目つきに一切の虚偽誇張がなかった。
紺色の瞳には絶対零度の冷酷さと非情さに満ちている。
この場にいる誰もが理解し、確信した。
ヴィルミーナは今、口にしたことを本気で実行することを。脅しではなく事実を通知しているのだと。
ちなみに、ヴィルミーナは死刑反対論者ではない。
死刑とは命を奪うことより、独房でいつ死刑が執行されるか分からない恐怖に震えながら、日々を過ごすことが最大の罰だと思っている。恐怖と絶望の日々、希望無き余生。
「私は貴方達を信用しないし、信頼もしない。私とのつながりも何の保証にも保険にもならない。そのうえで、私に利用されて、場合によっては使い捨てられても構わない、というならば、私は貴方達へいつ見捨てられるか分からない不安で恐ろしい日々をあげましょう。刺激と達成感を得られる生き方をあげましょう。決して人に自慢できない惨めで情けない人生をあげましょう。貴方達の家族が真っ当に生きられる機会をあげましょう」
ヴィルミーナは告げた。天使のような可憐な顔に悪魔のような微笑を湛えて。
「それでも良いなら、飼ってあげるわ」
そして、ヴィルミーナは幾度か自身の言葉が正しかったことを証明した。
幾人かの反社会勢力が突然、王立憲兵隊に捕縛された。例外なく終身重労働刑に課され、その家族が外洋領土の辺境へ追放刑となった。
この時代の終身重労働刑も追放刑も事実上、死刑と大差ない。いや、一息に死ねる死刑より悪質かもしれない。
ヴィルミーナは本当に”希望のない余生”を味合わせたことになる。
ヴィルミーナに飼われることを選んだ者達は肝に銘じた。
あの小娘を侮るな。あの小娘を決して軽んじるな。
あれは人の皮を被った怪物だ。
※ ※ ※
王都外れに貿易関係の小さな会社がある。警備はやたら厳しいが、出入りしている社員は普通の若者から壮年の男女まで様々だ。
社の玄関ホール壁には魔導術で作成された大きな一枚石板が貼ってあった。石板にはいくつかのチューリップの花のマークが刻印されて並べられ、手前には白い花が生けられた花瓶が並んでいる。壁の周りは奇麗に清掃されて塵一つ存在しない。
講和条約が発布され、戦争が終結した数日後、社員達は白い花を花瓶に生けていく。
社の会議室で、往時にヴィルミーナの前で冷静さを保っていた男女――今や幹部となった面々が顔を合わせていた。
その中の一人に、ガルムラントまで出向き、豪族の子女を誘拐して国債を奪取したメーヴラント紳士ゲタルスもいた。
「今回はきつかった……随分と犠牲が出た」
「大仕事だったからな。分かっていたことだが、額がでかくなるほど危険も増す。死傷した“社員”の補償はされるんだろ?」
「ああ。従事した現場要員の全員に特別賞与も出る。一人頭金幣20枚だってよ」
「すごいな。まあ、金よりもオプションの方が大事だが」
察しの良い諸兄はもうお分かりだろう。
この貿易会社こそ、ヴィルミーナの裏方組織だ。
ヴィルミーナは彼らに報酬以上のインセンティブとオプションを用意していた。
年老いた親や女房子供の生活を保障し、きつくない仕事を斡旋する。子供の就学を援助。病院などの優待。各種控除や補助等々、この時代では考えられないほど福利厚生が充実している(貢献度に応じて、これらインセンティブとオプションが格上げ、拡大される)。
“社”の幹部である彼らには、報告さえすれば、獲得した情報を用いてインサイダー取引すら許されていた(代わりに、機密保持条項が厳格で、裏切りの代価は一族郎党に及ぶ)。
使い捨てにする。
確かにその言葉通り、危険な仕事で見捨てられ、命を落とした“社員”は幾人かいた。危険な者達に捕らえられても救出されず、無残に拷問死した者もいる。
だが、彼らは誰一人として組織を、ヴィルミーナを裏切らなかった。
たとえ自身が命を落としても、家族が守られるから。家族の人生が保障されるから。
ヴィルミーナは“社員”を使い捨てにしても、その貢献に対する報酬と感謝を決しておろそかにしなかった。
CIAが殉職者を悼んでホール壁に星を刻むことを真似、社のホール壁に国花を刻むこともそうだ。
その貢献と献身を決して忘れない。その証。
裏社会の者達はこの情理と実利を大いに受け入れた。ドブネズミ以下の存在だった彼らにとって、家族が胸を張って生きられることは大きな価値があったし、何よりも自分達の成した貢献が記念される事実に、感動すら覚えていた。
「カイルの奴は随分と張り切っていたが……なんかあるのか?」
「あいつの子供、私塾に入る歳なんだってよ。なんとかオプションの等級を上げて、良いとこに入れたいって頑張ってたぜ」
「ああ。なるほどな。たしかにそりゃ頑張るわ」
子供を良い学校に入れる、などということは裏社会にいた頃の稼ぎや立場では考えられないことだった。今は違う。ヴィルミーナが資金提供している私塾なら入ることが出来る。真っ当な会社員という肩書があるから、女房子供も後ろめたい思いをしない。
家族にも言えない荒事仕事や汚れ仕事をする機会は決して少なくないが、裏家業にいた頃に比べれば、ずっとマシだ。
何より、退役軍人の荒事要員が増えて、裏稼業人のやることは現地に上手く浸透することや軍人にはできない裏口からの情報収集などになっている。
そして、ヴィルミーナは荒事だけが得意な奴より、ゴミ漁りをしてでも情報を集められる人間を高く買った。自分で情報網を作れる人間はたとえ出自がろくでもなくても、幹部候補として出世させた。洞察力や観察眼に秀でていて知性が高ければ、経費で教育を受けさせた。
もちろん、荒事要員だって軽んじはしない。訓練費用などを提供し、装備も十分に用意しているし、死傷した場合の補償は普通の社員より高い。
が、やはり裏切りに対する処罰は重い。怖気を振るうレベルの制裁が科される。
賢者曰く『飴を欲しがる者には求めるだけ与えよ。ただし、飴の瓶に手を突っ込んだなら、その場で手を切り落とせ』
ヴィルミーナにも通じるところがある。
「財閥化が確定してウチの組織も拡大するって仰ってたな。どうしたもんか」
「人員の増強か。規律と忠誠心が問題だな。下手な奴を入れても使えねえし面倒なだけだし」
「そもそも大っぴらに募集出来ねえよ。なんかうまい手を考えねえとなあ……ヴィルミーナ様に相談してみるか?」
「つかえねー奴と思われてクビを切られたらどーすんだよ」
「下手なことして問題を起こすよりゃマシだろ」
「そりゃまあ……でもなあ、なんとか良いところ見せたいぞ」
頭をひねる彼らの顔はどこか楽しげでもあった。
学と教養に限りがある彼らは知らないし、気づかない。自分達が諜報機関として発展していることに気づかない。
後に存在を隠しきれなくなり、『メーヴラント商業調査会社』として新たに再出発した時、裏稼業から始まった社史はすっぱり斬り捨てられ、白獅子の外郭組織となった。
ヴィルミーナの暗部を担う組織から、豊富な経験とノウハウを持つ調査/情報収集/分析を売り物にした白獅子の合法企業に生まれ変わった。
新しい酒は新しい革袋に。というわけだ。
ただし、国花の刻印が彫られた壁は幾度か社屋を移転した際も必ず保存、移設が行われた。遠い未来に戦火で破損したこともあったが、新たに作り直すことはせずに修復された。
いつ頃からか、この『刻印の壁』にはプレートが掲げられるようになった。
『彼らの貢献と献身を決して忘れない』




