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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第1部:少女時代

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77/336

8:4

一部登場人物をネームドに変更しました(12/25)

大陸共通暦1767年:王国暦250年:春。

――――――――――――――――――――――――

「クレテア国債の購入は現在、発行分の2割程度まで届きました」

 ”侍従長”アレックスの報告を聞いたヴィルミーナは、端正な顔を歪めて眉間に深い皺を刻む。

「足りない。全然足りない。最低でも4割は必要だ。しかも、予定より遅い。原因は?」

「報告によれば、対抗して買いに走っている者がいるようです」


 瞬間的に、ヴィルミーナの双眸が冷厳に鋭くなる。

 化生染みた威圧感に、小街区オフィスの会議室に詰めていた側近衆や麾下幹部達が身を竦ませた。

「どこの人間?」


 アレックスは居住まいを正し、報告を続けた。

「エスパーナの豪族商人です。売りを渋って高値で吹っ掛ける気なのか、我々の動きを読んで便乗しようとしているのかは不明です」


 数秒ほど沈思黙考し、ヴィルミーナは決断した。紺碧色の瞳が獣のような凶暴性にギラついている。

「その豪族に国債を吐き出させろ。手段は関知しない」


 その言葉に会議室内の全員が息をのむ。

 この時代の商人は荒事を恐れない。というより、上品なマフィアみたいな連中が多い。しかし、法が存在しないわけではない。むしろ、この時代の法は現代のような人道主義的観点が欠落しているから、違反者への懲罰に尺度がない。


 幹部の一人――海運事業筋がおずおずと口を開く。

「ヴィルミーナ様。現段階で事をあまり荒立てては危険かと。相手は他国の豪族です。事と次第によっては司法上の問題に限らず、国際問題を招きます。もう少し穏当な手段で臨んだ方が良いかと」


「私は明確に反対です。これは流石に……」

 デルフィネが不安顔で言った。


 もっとも、デルフィネが配慮したのは、法的道義的問題ではない。事が失敗したり、問題になった時、ヴィルミーナの身が心配だったからだ。


 ヴィルミーナは威容を解いて、諫言した2人に微笑みかける。

「妥当な懸念だ。諫言をありがたく思う。今少しの時間と資金があれば、君達の提案を検討しただろう」

 が、すぐに双眸を鋭く細め直し、

「しかし、今は時間が足りない。春季攻勢に間に合わなければ、危険を冒す価値すらなくなる。よって、手段を問う贅沢は採れない」


「ヴィーナ様……」

 なおも案じるデルフィネへ告げた。

「これは戦争よ、デルフィ。戦争で稼ごうとしている時点で、その戦争に巻き込まれて命を落としても何一つ不思議じゃない。たとえ、それが他国の人間だろうと、例外じゃない。先方がそのつもりでなくとも、こちらは斟酌しないし、する必要もない」


 ヴィルミーナは命じる。

「やれ」

 側近衆のエリンが腰を上げ「すぐに連絡を付けます」と会議室を退室した。


「先物の方は?」

 話を進められ、気を取り直したアレックスが報告を再開する。

「麦と綿で仕掛けています。どちらも順調です」


「よし。資金(タマ)が尽きるまで買って買って買い漁れ。買い集めた分だけ奴らにダメージを与えられる。鉄銭一枚残さずに買いまくれっ!」


 ヴィルミーナは心底楽しそうに目を細める。

 一国を扼殺する。

 これほど血肉湧き踊る勝負は初めてだった。

 

     〇


 クレテア政府の財務総監部では、綱渡り状態の戦時経済を維持するため、官僚達が連日連夜、膨大な業務に勤しんでいた。


 報告書に目を通していた七三頭が呟く。

「おかしい」


「何だ。どうした? なんか問題が起きたのか?」

 同僚が嫌そうに尋ねる。これ以上仕事が増えたら戦争が終わる前に過労死してしまう。


「ここ数日、急に国債の取引量が増加してる」

 七三頭の回答に、同僚は安堵の息をこぼした。

「国債が売れるなら良いことじゃないか。戦争のおかげで国庫は右肩下がりだ。金が入ってくる分には問題ないだろ」


「そうだけど……動きが急すぎるよ。しかも、購入者がエスパーナとタウリグニアの金融業者らしい。なんか嫌な感じがする」

 同僚の見解に不同意の七三頭は難しい顔で報告書を何度も読み直す。


 七三頭の不安顔に同僚は疲れきった嘆息を吐く。

「何をそんな不安がってるんだよ。外国ってことは、国債が売れた挙句、外貨が入ってくる。良いことづくめじゃないか」


 と、そこへ別セクションのカリアゲ頭がやってきた。

「やあ。参った参った。大忙しだぜ」


「どうした?」

 同僚の問いかけに、カリアゲ頭が苦笑いを湛える。

「先物取引が活況でさ。その処理が忙しくて。麦と綿が凄いことになってるよ」


「へえ。戦争特需か?」

「多分な。購入者は外国の業者だし、そういうことなんだろうな」

 カリアゲ頭のセリフに、七三頭がハッとして報告書から顔を上げた。


「待て。外国? ひょっとして、エスパーナとタウリグニアか?」

「? 聖冠連合とコルヴォラントの筋だけど? なんで?」

 訝るカリアゲ頭の回答に、七三頭は目を瞬かせ、拍子抜けしたように肩を落とした。

「や、気のせいだ……うん。多分……」


 七三頭はそれから小一時間ほど書類を精査し直し続ける。

 が、結局、彼の不安を解消する事実や情報を見出すことは出来なかった。


           〇


 大陸西方ガルムラント、エスパーナ帝国内の某所。

 繁華街にある高級レストラン、その一室。真っ白なリネンのクロスが掛けられたテーブルを挟み、2人の男が対峙していた。


 1人は栗色の髪に深い青色の瞳をした40絡みのメーヴラント紳士で”ゲタルス”という。

 相対する1人は茶色の髪に紺色の瞳をした30半ばのガルムラント紳士で、地元豪族バルマーニャ家のリカルドだ。


 2人の背後には、各々の手勢が3人ずつ控えている。いずれも刀剣と拳銃で武装していて、高品質な魔道具を装備していた。経験と装備を持つ手練れ達だ。


 メーヴラント紳士ゲタルスは卓上に置かれた大型トランクケースの中から、クレテア国債を取り出して一枚一枚真贋を確認していく。出された飲み物には触れもせずに淡々と。


 その作業の様子を、ガルムラント紳士リカルドは黙って見守る。その眼は敵意などという表現ではとても足りない凶暴な憤激に満ちていた。


 そして、最後の一枚を確認し終えたゲタルスは国債をケースに詰めて、トランクを閉じる。

「確かに、所有のクレテア国債は戴きました。取引成立ですな。お嬢様方は表の馬車の中に居られます。ご確認ください」


 リカルドは双眸を一層釣り上げ、手勢の一人へ目を配る。手勢は弾かれたように部屋を飛び出して行った。


 数日前だ。彼の子供達が誘拐されたのは。そして、誘拐犯――目の前のメーヴラント野郎は要求してきた。子供達を無事に返して欲しければ、保有しているクレテア国債を全て譲渡しろ。

 是非もない。

 バルマーニャ家は豪族だ。金などいくらでも稼げる。しかし、家族の代わりは、子供の代わりは……


 リカルドは目の前のメーヴラント人に対する壮絶な殺意を堪えながら、問う。

「……息子は」


 憎しみのこもった目つきで睨まれても、ゲタルスは微塵も動じない。礼節を保った態度を崩さず、無礼な素振りは欠片も見せなかった。

「ご安心を。我々が出国する際、お返しします」


「――出国できても、安心できると思うなよ。俺に舐めた真似をして、バルマーニャに手を出して長生きした奴はいない」

 リカルドが憎々しげに吐き捨てる。これは脅しではない。宣告だ。

 ガルムラント人は何かにつけて気分屋だが、こと家族絡みはいつだって真剣だ。特に、家族が絡んだ復讐に関しては、絶対に妥協しない。


 しかし、やはりゲタルスは皺ひとつ動かさず、紳士然とした態度を変えない。


「もちろん、承知しておりますとも。ですので、我々から謝罪を込めた意味で情報を提供させていただきたい」

「情報だと?」

「金を買っておくことですな。近日中に価値が上がりますよ」


 ゲタルスの”情報”に、リカルドが顔を大きく強張らせた。

「お前ら、まさか……」

 と、そこへ手勢が息を切らせながら帰ってきた。

「確認しました。お嬢様方は御無事です。怪我一つされておりません」


 報告を聞いたゲタルスは大きなトランクケースを手に立ち上がった。

「では、失礼します。また良い取引をしましょう」

 自身の手勢達に囲まれるように守られながら、ゲタルスは部屋を出ていく。一部の隙も見せず、どこまでも礼儀作法を乱さずに。


 ゲタルスを見送り、部屋に残ったリカルドが忌々しげにワインを呷る。

「出国後に仕留めますか? それなりに犠牲を出すことになるでしょうが、獲れますよ」

 手勢の中で最も腕が立つ者が問う。

「様子を見る。どうせ奴らの行き先は分かってる」

 リカルドの回答に、手勢達が怪訝そうに眉根を寄せた。


 ち、と不快そうに舌を鳴らし、リカルドは手勢達へ、

「言葉遣いから分からんのか。あいつらはベルネシア人だ。くそったれ。奴らの戦争に踏み込んじまった。まさか帝国内まで手を伸ばしてたとは……北洋沿岸の田舎モン共め。人の縄張りで動き回りやがって」

 心底不愉快そうに吐き捨て、告げた。

「金を買い集めるぞ。準備させろ」


           〇


「……これは本当か?」

 執務室にやってきた大蔵大臣から資料を渡され、目を通し終えた宰相マリューが問う。


 大臣は小振りのパイプを吹かしながら首肯を返す。

「ああ。ここ数日の金融取引状況だ」

「国債、現物先物、為替……外国業者の買いが集中しているな。どう見る?」

「戦勝を見込んで、だと思う。春季攻勢はもはやそこら中に知れ渡ってるからな。ベルネシア外洋派遣軍が到着する直前がピークを迎えるだろう。その後の事と次第では」

 大臣は続きを言わなかった。


 マリューは溜息と共に呟く。

「暴落か」

 戦時下の国債は明快だ。勝てば上がり、負ければ下がる。

 それだけに値の動きが投機的で、厄介極まりない。戦時国債で自転車操業をしている状況だから、尚のことだ。


「連中が反攻を始める前に休戦を飲ませて勝ち逃げできれば、逆にもっと上がるかも」

 不敵に微笑む大臣に、マリューは呆れた顔を浮かべる。

 こいつも投資してるのか。まったく。この調子だと賄賂を贈ってる連中にも情報を流してるな。癒着はほどほどにしろというのに……


「まるで春季攻勢の成功が確定してるような言い草じゃないか」

 マリューは嫌味っぽく言ったつもりだったが、大臣はむしろ嬉々として語った。


「防衛線自体は既に突破してるからな。正面のベルネシア近衛軍団を突破してしまえば、もう遮るものは何もない。要塞線も恐れるに足らないことはワーヴルベークで証明済みだ。成功は間違いない。問題は生じる犠牲の数とベルネシアが折れるかどうかだよ」


 大臣は欲深な男だが、発言は道理に外れていない。

 少なくともマリューはそう判断したし、この時期の大クレテア王国指導層は同様の見解だった。侵攻軍総司令官ランスベール大将が聞いたら『見通しが甘すぎる』と怒声を発していただろうが。


「ふむ。確かにな……ベルネシアに接触する準備を進めておこう。時間的限界だ」

「どこまで分捕る?」

 大臣のパイプから、ポッと勢いよく煙が上がる。


 マリューはすだれ頭を掻きながら答えた。

「陛下や軍には悪いが、占領地域は全て放棄だ。代わりに賠償金と外洋領土の譲渡を迫る。特に大冥洋群島帯だ。あそこを得られるなら、賠償金を負けてやっても釣りがくる」


「軍の面子を立てないと不味い。既に死傷ウン万人だ。流した血の分、具体的な成果が要る」

 暗にもっと強気で分捕れと促す大臣に、マリューは首を横に振る。

「本土割譲を要求すれば、向こうも折れない。交渉をしている頃には、外洋派遣軍が帰ってきて強気になってるだろうからな。外洋領土で納得させるべきだ」


 大臣は煙突のように紫煙をくゆらせながら考える。

 そして、

「その辺りが妥当か……内に外にタフな交渉になりそうだな」

 掛かる交渉のみぎり、協力すると迂遠に言われ、マリューは大きく苦笑いした。

「戦争は始めるより終わらせるのが大変。まこと至言だ」

「まったくだ。ははは」


 大蔵大臣も宰相マリューも春季攻勢の勝利を微塵も疑っていない。

 よって、2人は勝利後に取り掛かる休戦交渉、あるいは、講和交渉の際、ベルネシアに提示する条件内容の詳細を話し合い始めた。

 国債や先物取引、為替の動きを気にすることは、もうなかった。


    〇


「我々の動きに他の連中も食いつきました。クレテアに買いが集まってます」

 アレックスの報告に、ヴィルミーナは口端を釣り上げた。

「舞台の用意が整ってきたな。我々の本命は国債だ。他は市場の動きに任せていい」


「白獅子とヴィルミーナ様の全資産を投じました。しくじったら破滅ですよ」

 今更の意見に、ヴィルミーナはくすくすと喉を鳴らして笑う。

「もう前線の将兵に全てを委ねるしかないわ」


 傍らで書類仕事をしていた側近衆のテレサが尋ねた。

「全てを委ねるなら、神にでは?」


「会ったことのない方に頼っても仕方ないでしょ」

 にやりと諧謔たっぷりに微笑むヴィルミーナに、アレックスを始めに側近衆が呆れ顔か苦笑いを浮かべた。ニーナとデルフィネはどこか感動したような面持ちを湛えている。


 呆れ顔派のリアが思わず問うた。

「ヴィルミーナ様はどうしてそんなに自信たっぷりなんです? 私なんて不安で不安で、お腹が痛くて吐きそうです」

 うんうんと同意の首肯をする側近衆。


「それはね、貴女達が頑張ってくれたから。麾下の全員が務めを果たしてくれたから。全てをやり遂げたなら、もう何も気にはならない。少なくとも、今のところはね」

 ヴィルミーナに自分達のおかげ、と言われ、皆が嬉しそうに表情を和ませた。


 実のところ、不安はある。

 ヴィルミーナとて人間だ。中身がウン十歳だろうと、不安なものは不安だし、心配なことは心配だ。春季攻勢の行方も、この勝負の行方も不安で心配だ。全財産を失うかもしれない。あるいはそれ以上の何かを失くすかもしれない。不安で心配でどこかへ逃げ出したくなる。


 それに、レーヴレヒトのことも気掛かりだった。

 最精鋭部隊に所属するレーヴレヒトは最前線で戦うのだろう。一番危険な任務に就くかもしれない。自分がハイスターカンプ少将に推した作戦に投じられるかもしれない。

 もしも―――もしも、それでレーヴレヒトが命を落としたなら、私は……私は自分を赦せるだろうか。


 こうした不安と心配がもたらす負の想像力を、ヴィルミーナは前世の経験則と持ち前の気の強さで無理やり捻じ伏せているだけだった。


 それに、ヴィルミーナは知っている。

”本当の不安”がやって来る時はまだ先だと。


 もはや何の手を打つこともできず、状況の推移を見守ることしかできない。

 無為無策に精神論へ縋るしかない。

”本当の不安”がやってくるのは、その時だ。


 だから、今はまだ平気。自信たっぷりに振舞い、皆を奮い立たせていられる。

 ヴィルミーナは時計を一瞥した。軍が提供してくれた情報通りなら、春季攻勢は近日中に始まる。

 春季攻勢が始まった時。”本当の不安”は牙を剥いて襲い掛かってくる。

 そして、それに抗う術は何もない。


 待つしかない。味方が死力を尽くして勝利を掴む瞬間を。

 クレテアの背骨をへし折る機会が訪れる瞬間を。

 恐怖と不安に心を削ぎ減らしながら。

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