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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第1部:少女時代

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76/336

8:3

大陸共通暦1767年:王国暦250年:初春。

大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム

 ――――――――――――――――――――――――

 アリシア・ド・ワイクゼルの活躍は聖王教会に大きな混乱と困惑をもたらした。

 特に彼女に捧げられた二つ名が問題だった。ワーヴルベークの守護天使、青光の乙女。

そして、聖女。


 聖女だ。


 ヴィルミーナはゴセック大主教へ『今時、聖女なんて流行らない』と厳しい言葉を吐いたが(4:4参照)、これはベルネシア王国が開明派世俗主義国家だから通じる発言だった。


 聖王教開明派や世俗主義は元々伝統派から強い迫害や弾圧を受けた歴史があり『力で無理強いしても正しい信仰心は育まれない』という現代地球に近しい価値観へ至っている。ベルネシアの外洋領土統治において異教徒や異民族の改宗を強要しないのも、ここにある(意図せずして宗教対立を生じさせずに済んだ)。


 そして、開明派世俗主義は信仰心が薄いことを意味しない。むしろ、日々の生活に宗教が密接していない分、信仰心を刺激される機会に酷く純朴な反応を起こす。


 ワーヴルベーク襲撃の後、ベルネシア王国南部では『聖女到来』が声高に叫ばれた。

 我らには聖女がついている。この戦い、神の加護は我らにあり。邪悪なる侵略者共よ、己が罪深さに震えるがいい。


 この予期せぬ盛り上がりに、ベルネシア聖王教会はむしろ困惑していた。

 教会が一切あずかり知らないところで『聖女』が担ぎ上げられてしまったのだから、当然であろう。彼らがアリシアをどう『聖女』として担ぎ出すつもりだったかは定かではない。が、このタイミングで、こうしたカタチではなかったことは間違いない。


 なんせ教会自身が『アリシア・ド・ワイクゼル準男爵令嬢様は素晴らしい活躍をしましたが、聖女かどうか分かりません。みだりに聖女の尊号を用いないようにしましょう』と訴えたほどだから。


 動揺していたのはベルネシア聖王教会だけではない。

 聖王教会伝統派はもっと動揺が激しかった。


「異端者共が尊崇すべき聖女を担ぎ出すなど不届き千万っ!」「身の程知らずの背教者共めっ! 聖女を僭称させるなど許しがたい暴挙ぞっ!」「ベルネシア人は信仰の敵じゃあああっ!」

 とブチギレまくったのは伝統派の超保守主義者達だ。


 彼らにとっての『聖女』とは、日本人がサブカルで気軽に使う肩書では済まない。超保守主義が定義する『聖女』とは福音の体現者、神聖性の顕現者。二次大戦前の天皇陛下みたいな現人神に等しいのだ。教義的にも信仰的にも、異端者の聖女など絶対に許容できない。


 彼らほどでないにしろ、クレテアの平均的な伝統派信徒達も動揺していた。特に、前線の兵士達の間では熱心な議論が交わされた。


「ベルネシアに聖女が現われたって」「連中は異端者だ。きっと騙りだよ」「でも、本当だったら? 聖女様に銃を向けるなんて罰当たりな真似したくないぞ」「敵の流したウソだろーぜ。真に受けるなよ」「そうは言うけど、俺達は敵の何倍も戦力があるのに、戦況はかなり酷いじゃないか。もしかしたら――」「その辺でやめとけ。坊主共に聞かれたら騒ぎになるぞ」


 この騒動は伝統派の総本山たる法王庁にも届いていた。

 昔日の大権力を有していた頃ならば、諸国に呼びかけて数十万余の大軍勢を集結させ、異端のベルネシア王国を聖伐し、聖女を騙る不埒な娘など火炙りにしただろう。


 しかし、長年の愚行と腐敗と堕落で弱体化しきった今の法王庁に、そのような力はもはや無い。むしろ、ここまで斜陽を迎える原因となった権力志向を改め、穏健的平和主義に転向せざるをえなくなっていた(皮肉なことに方向転換をして以来、民衆や諸侯の支持が回復を見せている)。


 というわけで、法王庁は聖女騒ぎについてコメントを発しなかった。反応することで法王庁がベルネシアの聖女を意識している、と思われることを避けたのだ。


「――なのに、超保守派の連中は非難声明を出せという。勘弁して欲しいぜ」

「まあ、純粋な連中だからな。行き過ぎて過激にならないうちは可愛いもんだよ」

 法王庁の法王執務室で、現法王ゼフィルス8世と筆頭枢機卿ザカリオンがまさに降って湧いた『聖女問題』について話し合っていた。


 2人とも70を過ぎ、聖王教会のナンバー1、ナンバー2という大人物にもかかわらず、足を投げ出すようにだらしなく座り、自分達で適当に淹れた御茶――ブランデーが半分を占める――を下品に啜り、煙突のように煙草を盛大に吹かしていた。

 ここが法王執務室でなく、2人が僧衣を着ていなかったら、不良ジジイ2人が駄弁っているようにしか見えない。


「ぶっちゃけた話、クレテアが勝ってくれないことにゃあ、否定しても無駄なんだよな」

「まあな」


 彼らの言う通り、法王庁が『聖女は偽物だ』と訴えても、クレテアが負けでもしたら、なし崩し的に『ベルネシアの聖女は本物だった』なんてことになるだろう。場合によっては、要らん火種としてくすぶり続けることになるかもしれない。


「向こうも今ンところ公式に認めてるわけじゃねェンだろ?」

「ああ。積極的に肯定してない。むしろ火消しに動いている。多分、成り行きで民衆が勝手に騒いでるんだろう。大侵攻時代に我々が気狂い娘を救国の聖女として担ぎ上げたのと同じさ」

 筆頭枢機卿ザカリオンの洞察は正鵠を射ていた。


「正味な話、ベルネシアにマジで聖女が現われたからって世の中がひっくり返るわけじゃあない。大陸西方で伝統派の地位が揺らぐようなことはない。むしろ、枝葉団体が他地域でやってる改宗強要の方が問題だ。あのバカ共のせいで聖王教会伝統派全てが宗教的侵略者だと見られてる。アジョラ会の適応主義の方がマシだった」


 法王ゼフィルス8世は苦い顔を浮かべる。

「あれもなあ、度が過ぎなきゃあ良かったんだが……」


 聖王教伝統派アジョラ会は布教のため、現地文化や伝統を尊重する適応主義に基づいて活動していて、大陸東方や南部で聖王教伝統派の普及に成功した。


 が、これを後発の宣教団が『異教迎合』と非難した。かくして、地球史のように典礼論争が発生し、外洋における布教の在り方が改められた。で……現在、大陸東方や南方における布教は衰退状況にある。

 アジョラ会は『それ見たことか』と鼻で笑っていた。


「考えてみりゃあ当然だよな。俺達に歴史があるように、蛮地にも歴史があって築いてきた文化と伝統があらぁな。俺らだって東方や南方のやり方を押し付けられちゃあ反発するぜ」

 しみじみと紫煙を吐く法王。


 苦笑いする枢機卿。

「つっても、現地の異教におもねるわけにもいかねーよ。それをやっちゃあ聖王教の正統性が保てねェ。別の新興宗教になっちまう。ゲテモノはもう勘弁してくれ」


 外洋に進出した先で、聖王教が現地宗教や民間信仰と混交して得体のしれない代物になった例がいくつかあった。

 法王庁が「それは異端だっ!」と改めさせようとしても、当事者達は「? あんた達が教えたことだろ? 何が悪いの?」と小首を傾げる有様で笑うに笑えない。


 なお、こうした事例を起こした背景に適応主義が合ったりなかったり。

 アジョラ会は『身に覚えがありません』とそっぽを向いている。


「現状はともかく、将来的に超保守主義のアホ共が何をすっか分からねえぞ。異端審問官に怯えて物陰に隠れる時代じゃねェンだ。軽率な真似をすりゃあ連中だって仕返ししてくる。積年の恨みがこもってる分、おっかねえぞ」


 法王の指摘に、枢機卿ザカリオンは酒精の強い御茶を啜り、言った。

「向こうと話を付けておくか? 一応、パイプはあるぞ」

「喧嘩はしたかねェが舐められたくもねェ。こっちにも面目がある。上手くやれっか?」

「その辺の塩梅は心得てるさ」

 枢機卿ザカリオンは実にひとの悪い笑みを浮かべた。


 ドアがノックされた。法王と枢機卿は慌てて居住まいを正し、煙草を揉み消して証拠隠滅とばかりに酒の入った紅茶を飲み干す。互いに互いを素早くチェックしてグッとサムズアップ。


 どうぞ、と法王が丁寧に応じると、若い修道女が恭しく一礼した。

「聖下、ミサの時間が迫ってございます。お支度を始めさせていただきたく」


「ありがとう。進めてください」

 法王は今までのだらけた様子が嘘のように上品な物腰で応対する。

「それでは、私も御暇させていただきます。聖下、後ほどミサでお会いしましょう」

 筆頭枢機卿もまた先程までの蓮っ葉さが霧のように消え去っていた。


 もっとも……2人の息が酒臭いことまでは誤魔化せなかった。口うるさい儀典祭礼長の小言を食らうまで、あと20分。


    〇


「――というわけでな。アリシアの件は思いのほか大きな話になっとってなあ……正直、儂らも困っておる」

 ベルネシア聖王教会大主教ゴセックはばりぼりと堅焼きビスケットを噛み砕く。

「儂らは伝統派と喧嘩したいわけではないからな」


「そもそも、教会はアリスを聖女にするつもりだったのでしょう? 何が問題なのです?」

 話を聞かされたヴィルミーナもばりぼりと堅焼きビスケットを齧る。


 王都内の小ぢんまりとした小教会、その台所で大主教と王妹大公令嬢が、安物の御茶と安物のビスケットで会談していた。

 立場というものを完全に無視しているが、2人ともそんなことを気にせず、ばりぼりと音を立てて堅焼きビスケットを齧り倒す。


 ゴセックは御茶を啜り、ふ、と息を吐く。

「ここだけの話な、教会はあの娘っ子にロスト・マギカを再現させるつもりだった」


 長い歴史の中で技術が絶えることは珍しくない。日本だけでも、古刀、和算、アイヌ土器、戦艦などの技術等々が失われ、その再現はほぼ不可能となっている。個々人の細かな技術を挙げたら、もはやキリがない。


 ロスト・マギカもそうしたロステクで、失伝した魔導術だ。あるいは、文献や記録として残っていても、再現不可能、使用不可能なものを指す。

「あの娘っ子の桁外れな魔力なら、教会のロスト・マギカを再現可能だろう、とな」


 要するに曲芸するパンダにしたかったわけだ。ところが現実的な武勲を以って『聖女』となってしまった。客寄せパンダにする予定が面倒な政治的価値を持ってしまった、と。

 ……手遅れちゃうか、これ。


「それで、アリスはロスト・マギカを再現できたのですか?」

「出来てはおらんよ。魔力量自体は充分らしいが、何かが足りんようだ」

「ふむ。ちなみに、そのロスト・マギカがどのようなものか伺っても?」

「“天使憑きマリアの癒光”だ。伝承では大陸西方を襲った黒死病から人々を救ったとされておる」


「なるほど、確かに再現できれば凄いです。外洋領土では疫病が酷いと聞きますし、アリスがその癒光を使えるようになったら、紛れもなく聖女と崇められましょう。私が製薬業界の人間なら殺し屋を送り込みますけど」

「……酷いことを言うな。罰当たりだぞ」

 流石に眉をひそめるゴセック。


「天の罰より日々の糧を失う方が怖い。それが衆生の本音です」

 ヴィルミーナはばりぼりと堅いビスケットを齧る。

「それと、そろそろ本気でどう扱うべきか、指導すべきです。いくらアリスが他人の感情に無頓着とはいえ、殿下達の空回り振りは流石に気の毒になってきましたよ」


「はて、なんのことかな」

「またしらばっくれて」とヴィルミーナがじろりと睨む。

「儂は坊主だぞ。殿下の愛人になっても良いなどとは言えん。それになあ」

 ゴセックは新しいビスケットへ手を伸ばしながら、さらりと言った。


「アリシアにはどうも想い人がおるようだぞ?」


「!? !? !? なんですってっ!?」

 ヴィルミーナは吃驚を挙げて思わず腰を浮かせた。その表情たるや王族令嬢としてアウトなほどの有様となっている。


「それこそ大問題じゃないですか、それはっ! いつからご存じだったんですかっ! なんで教えてくれないんですかっ! どうなってるんですかっ!」

「待て待て待て待て。ヴィーナこそアリシアの友達だろう。なんで知らんのだ」

「“奴”はああ見えて自分のことはほとんど語りません。精々が大冥洋群島帯のことと家族のことくらいで、誰それが好きとかそういう話は――――」


 ヴィルミーナは凍りつく。愕然とした面持ちで呻くように呟いた。

「まさか……全部計算してた? あの立ち居振る舞いも、これまでも、全部?」


「それはない。ないな。ないない。ありゃあ天然だ。神と聖王の御名に誓っても良い」

 ヴィルミーナの懸念をあっさりと否定し、ゴセックは御茶を啜った。

「あのな、ヴィーナ。誰もがお前さんみたいに脳味噌を酷使して生きとるわけではないぞ。大抵の人間はぽやっと生きとる。儂だって飯の献立を考える時以外は、脳味噌なんぞつかっとらんわ」


 大主教がそれじゃあかんのと違う? と思いつつ、ヴィルミーナは腰を下ろす。お茶を一口飲んで気を落ち着けてから、改めて問い質した。

「……それで、アリシアの想い人というのは?」


「儂も詳しくは知らんが、どうも故郷の、大冥洋群島帯の者らしいな。幼馴染かなんかではないかな」


 なんとまあ……遠く離れた生まれ故郷に残した幼馴染を想い続け、第一王子殿下を始めとするイケメン達の誘惑にも揺らがずにいた、と。

 ほえー……少女漫画みたいな一途さやなあ……。


 自分だってレーヴレヒトのことをずっと気にし続けているくせに、この感想。王妹大公令嬢様は自覚が足りないようです。


「しっかし、大問題であることには変わりないですよ……殿下達が知ったら自我崩壊を起こして引きこもるんじゃないですか?」

「失恋の痛みは人生をより美しく彩る糧だ。ほっとけほっとけ」

 かかかと楽しげに笑うゴセック。良い性格している爺様である。


「他人事だからって、もう」

 ヴィルミーナは溜息を吐いた。

「ほかにこの件を知っている者は?」


「ヴィーナを入れても5人とおらんよ。その者らも、立場的に殿下達と接点を持たんし、口も堅い。心配は要らん」

 どうだか。ヴィルミーナは不満顔のまま、堅焼きしたビスケットを勢いよく噛み砕いた。


 それにしても、アリスに想い人かあ。

 これ、乙女ゲーのヒロインがメイン攻略対象を無視して、余所のキャラに手を出すようなもんちゃうの? や、隠しキャラや裏ルートと見做せば、有りの範疇か?


 まいったな。とんでもない爆弾やぞ。どないしよか。んー……

 決めた。


 私は何も知らんかった。そういうことにしよ。

 連中の人間関係や。私が関わることちゃうわ。そもそも今はクレテアのことでクッソ忙しいねん。乙女ゲー的なことは当事者連中で片付けてください。私は知らんっ! しーらないっ!


 百面相しながら考えをまとめたヴィルミーナは、御茶を上品に啜り、ゴセックへ尋ねる。

「教会の置かれた状況とアリシアのことは分かりました。それで、大主教様。教会は私に何をお望みですか?」


「平たく言えば、このほとぼりが冷めるまで、アリシアを預かってほしい。ヴィーナのところは令嬢方が働いとろう? その中に混ぜてやってくれんか? 教会で預かってしまうと、聖女の噂に信憑性を与えかねん」

「元々、閥の客分でしたから構いませんが、公式にはまだ宣伝部隊に所属してるのでしょう? その辺はどうするのです?」


 暗に『殿下の絡みはどうすんの?』というヴィルミーナの問いに、ゴセックは小さく首肯した。

「ん。問題ない。軍もワーヴルベークの件を重く見とるでな。再編成の際は殿下のわがままも通さんつもりだ。表向きには軍需産業への補助貢献活動となるかな」


「分かりました。なら、他に幾人かまとめて寄こしてください。その方が公平性を示せます。出来れば、メルフィナとその側近衆が欲しいです。優秀ですから」

「うむ。手配しよう」


 ゴセックは思いのほかスムーズに話がまとまったことに安堵しつつも、

「ところで、ヴィーナ。この御願いに対する返礼を求めんのかね?」

「あら。私とて教会信徒ですよ。教会に貢献できる喜びで充分です」

 くすりと冷ややかに微笑むヴィルミーナへ盛大な仏頂面を返す。

「怖いことを言うな。さっさと言わんか」

「それは失礼。では、こちらも御願いごとを一つ」


 ヴィルミーナは微笑んで告げた。

「この件でパイプをつないでいる伝統派の司祭様を、私にご紹介ください」

「なんとまあ」

 ゴセックは小さく頭を振った。

「貢献で済ませておくべきだったか」


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