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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第1部:少女時代

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8:2

大陸共通暦1767年:王国暦250年:初春。

大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム

 ―――――――――――――――――――――――――

 王弟大公夫人ルシアは人種で言えば、大陸西方ガルムラント人だ。その出自はエスパーナ帝国に滅ぼされた国の亡命貴族である。


 黄土色の髪に群青色の瞳、白人にしては肌の色彩が濃く感じる。肉感的な妙齢の貴婦人で涙型の大きな乳房はいささかも重力に屈していない。


 夫フランツとは政略結婚ながら、夫婦仲は睦まじい……というか、ラブラブだ。

 フランツはルシアを強く愛し、ルシアもフランツを深く愛している。子が出来ず、先王から離縁を求められた時、ルシアは涙を呑んで離縁を受け入れようとしたが、フランツはこれを断固として認めず、ルシアを連れて出奔してしまった。


 その際、ルシアはフランツに詫びようとした。自分が子供を産めなかったせいで――

 フランツはルシアを抱き寄せてキスをし、滴るほど男性的魅力に溢れた笑みを浮かべた。

 君は俺の全てだよ。


 ルシアこそフランツのいない人生など考えられない。ルシアにとって、フランツは人生の光、太陽、幸せそのものだった。


 最高の伴侶を得た。その一点において、ルシアは紛れもなく人生の勝利者だろう。

 子供には恵まれなかったが、血の代わりに愛情で深く結ばれた子供達は大勢いる。引き取った孤児達はルシアを実母のように強く慕っていた。


 ルシアは甥姪達もとても可愛がっていた。

 その姪の一人、王妹大公令嬢ヴィルミーナが厄介な話を持ち込んできた時も、ルシアは愛情深い笑みを崩さなかった。


「おば様やおば様の御家族にご迷惑をお掛けする気はありません。紹介状などご用意していただかずとも良いのです。ただ、信頼のおける人物の名前を教えていただければ、後はこちらで上手くやりますから」


 ヴィルミーナは有り余る才能に振り回されている、とルシアは感じていた。

 艶やかで真っすぐに伸びた薄茶色の長髪。美しい紺碧色の瞳。眉目秀麗な顔立ち。手足が長く均整のとれた体つきは、どれほど豪奢な宝石もドレスも添え物に貶めてしまうだろう。

 これほどの美貌ならば、思わせぶりに微笑むだけで、どんな男も篭絡してしまうはずだ。


 なのに、この姪は幼い頃から商売や事業にばかり“うつつを抜かしている”。貴族淑女はそのようなことにかまけるべきではない、とルシアは考えてしまう。


 もしも私がヴィルミーナの親だったなら。ルシアは思う。

 商売や事業なんてさせず、もっと“貴族淑女らしい生き方”をさせただろう。それに、早く婚約者を見つけろ、結婚相手を探せ、と発破をかけているに違いない。なんなら、自分が良い旦那様を見繕っていたかも。


「あの、おば様? 聞いてます?」

 意識を内側に向けてしまっていたルシアは、ヴィルミーナに声を掛けられて引き戻された。

「え? あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてしまって……」


「フランツ叔父様が御出征されていますから、御心労が溜まっているのでしょう。日を改めましょうか?」

「いえ、大丈夫。こういうことは初めてじゃないから……」

 ふ、とルシアは小さく微笑み、窓の外を窺う。

 エンテルハースト宮殿西宮の客間から臨む庭園は、春を迎えて緑が見え隠れし始めていた。


「ヴィルミーナ。良かったら、散歩に付き合ってくれないかしら?」


     〇


 フランツが出征して以来、ルシアはエンテルハースト宮殿に詰めている。

 ここが一番速く情報が届くからだ。大公夫人として代官領を預かる立場であるものの、フランツの安危が気になって仕事など手につかなかった。

 家人達や子供達もルシアの王都滞在を勧めてくれたので、その心遣いに甘えていた。


 これまでもフランツは危険へ飛び込んできた。大型モンスターと戦い、山賊群盗と戦い、これは国に報告していないが、イストリア植民地の現地人迫害に怒り、イストリア人民兵部隊を蹴散らしたことだってある。

 しかし、本格的な戦争はこれが初めてだった。


 ルシアはベルネシアで生まれたが、両親や親族、兄から戦争がどれほど恐ろしいか(ついでに、エスパーナ帝国がどれほどクソッタレか)、たっぷり聞かされて育った。


 この時代の戦場は鉄風雷火が吹き荒れる地獄。如何なる勇者であろうと一兵卒と変わらず命を落とす。フランツの勇気も技量も強さも、砲弾と銃弾の前では意味をなさない。

 心配するな、という方が無理だった。


 ルシアはヴィルミーナを伴い、中庭を散策する。二人の侍女も距離を取って付いてくる。

 日が高くとも空気が依然冷たく寒い。冬服が春服へ仕事を譲る日はまだ先になりそうだ。


「エスパーナの伝手を紹介すること自体は構わないの」

 寒気に晒され、ルシアの吐息が微かに白く煙る。

「私や私の実家の名前を出すことも構わない」


「ありがたいお話ですけれど、事は重要です。場合によってはおば様や御家族に累が及ぶやもしれません」

「エスパーナに一泡吹かせられて、この国を守れるのなら、その程度の危険は喜んで負うわ」

 ルシアは事も無げに応じ、そのうえで切り出した。

「私達が小さな孤児院を営んでいることは知っているよね?」


「はい」とヴィルミーナは首肯した。

「いずれ私達が世を去る時、孤児院のことを、私達の子供達のことをお願いしたいの」


「私でよろしいのですか? 聖王教会に話を付けることも可能ですよ」

「貴女が良いの、ヴィルミーナ」ルシアは足を止め、ヴィルミーナを見据え「貴女に頼みたいのよ」

「承りました。おば様の御願いは必ずや守ります。法定文書にしておきましょう」

 ヴィルミーナの答えを聞き、ルシアは思わず苦笑し、太陽が浮かぶ青空を見上げてぽつりと呟く。


「私達の子供達も、いずれ戦場へ行くことになるのかしら」


 たとえ自分の胎を痛めていなくとも、ルシアは母親だった。

 愛する子供達が、慈しみ育ててきた子供達が、泥の中で寒さと飢えに苛まされて死んでいくことなど許容できない。

 手足をもがれ、はらわたをまき散らし、頭を吹き飛ばされて死ぬことなど容認できない。

 大事に大事に育てた愛しい子供達を、鉛玉の餌食にすることなど絶対に、断じて受容できない。


 そして、その指摘にヴィルミーナは少なからず動揺する。

 動乱を迎える時代に結婚して子供を産む、ということは、我が子が戦場で命を散らす可能性がとても高い、ということだ。


 前世でも子供を持たなかったヴィルミーナには想像もつかない。子供を失うということがどれほどの恐怖で、どれほどの苦痛で、どれほどの絶望なのか、想像もできない。


 ルシアが大きな嘆息をこぼす。

「戦争のない平和な時代が続いていたのに……」


 もちろん、それはベルネシア本国に限って、だ。外洋領土はどこも大なり小なり流血が絶えなかった。本国内にしても、モンスターや賊によって命を落とす者達は少なからずいたし、貧困という煉獄を味わっている者達はいくらでもいる。


 それでも―――戦争という理不尽で不条理な愚行に我が子を差し出すよりマシ。それがルシアの、母親としての偽りなき考えだった。


「ヴィー姉さまっ! ルーおば様っ!」

 宮殿の方からもこもこした冬服姿の美少女が駆けてくる。その背後に紅顔の少年が続く。


 第二王女ロザリアと第二王子アルトゥールだ。11歳と10歳の二人はまだまだ愛らしい。

 少し遅れて第一王女クラリーナが姿を見せる。御年14歳。流石に大好きな従姉を見つけたからといって駆けだす年頃ではない。


 三人とも正統派の美形だ。兄のエドワード同様に大陸北方人の母の血が強く出たのか、髪は金髪気味で、瞳は美しい青緑色をしている。


 ロザリアとアルトゥールが遠慮なくヴィルミーナに抱き着く。勢いの乗ったタックル気味の抱き着きはヴィルミーナの内臓に結構な衝撃を伝え、

「ふぅンぐっ!?」

 ヴィルミーナの口から奇怪なうめき声が溢れ、端正な顔が王族として許されないレベルに歪む。表情筋さん、キレてるぅー。


「あらあら」とルシアが苦笑い。

「二人とも、ヴィー姉様が困ってるじゃない。粗相しないの」

 ほんの二、三年前まで弟妹以上に勢いよく抱き着いていた第一王女クラリーナは、澄まし顔で弟妹を注意し、ヴィルミーナとルシアに礼儀正しく一礼する。

「ヴィー姉さま、ルーおば様。ご機嫌麗しく」


「リーナはすっかりレディになったわねえ」とルシアが満足気味に首肯した。


 レディか……それが貴婦人であることを祈るわ。貴“腐”人やなくて。

 ヴィルミーナは知っている。知って、いるのだ。


 ※   ※   ※


 ある日の会話。

「男装させられて以来、催し事に男装以外で行けなくなったんです。縁談どころかご令嬢方から手紙が来るんです。しかも、恋文が」

 アレックスが怖い顔で怨嗟をこぼす。


 いつぞやの諸侯御機嫌伺いで男装して以来、アレックスは茶会や夜会に催事に参加する際、男装せざるを得なくなっていた。


 普通のドレスを着ていくとこれ見よがしに落胆失望の嘆息をこぼされ、幼いお嬢様方や年若い令嬢方が『なんで男装じゃないの?』と悲しげな眼で訴えてきて、母や祖母まで「ドレスより男装の方が……」なんてボソッと呟くのだ。


 こうして、アレックスは周囲の期待と圧力に屈し、茶会や夜会や催事に参加する時は男装がスタンダードになってしまっていた。今ではファンレターに交じり、ガチの恋文が届く。


 そんな男装アレックスを誰よりも気に入っているのが、第一王女クラリーナだった。

 同じパーティに参加した場合、側に侍らせて離さない。が、これに対して同じくアレックスの猛烈なファンであるご令嬢方が集団で抗議する事態に。


 アレクシス・ド・リンデ子爵令嬢は非常に稀有な事態――自分を巡って王女と令嬢達がガチで揉めるという体験をしている。笑うに笑えない。


「この間の茶会でクラリーナ殿下が言ったんです……古代メーヴラント人は女性同士でも性的な関係を持ってた、って……民族の文化体験をしてみませんか、って……」

 アレックスがちょっぴり泣きそうな顔で言った。

「私、このままだと縁談どころか王女殿下の愛人にされちゃいますよぉ」


 これにはヴィルミーナも愕然となった。

 この当時、クラリーナはまだ12歳。12歳女児が自分の兄貴と同い年の年上女子を性的に口説いたのである。……どうしてこうなった?


 ヴィルミーナは慄きつつも、アレックスを落ち着かせた。

 ―――し、思春期を迎えたばかりの女の子には、そ、そういうこともあるのよ。憧れた女の子に自己投影して、それを恋とか愛とか勘違いしちゃうの。大丈夫。大丈夫だから。成長するうちに解決するから。大丈夫だから。

 きっと大丈夫。大丈夫、のはず。多分。大丈夫だと、良いなあ……


 ※   ※   ※


「ヴィー姉さま、ルーおば様。散策するにはまだ早いですよ。サロンでお茶にしませんか?」

 クラリーナが悪戯っぽく微笑む。

「実はちょっと我が儘を言って甘い物を用意させたんです。一緒に楽しみましょう」


「まあ。レディになったと思ったのは思い過ごしだったみたいねえ」

 くすりと微笑むルシア。


「ヴィー姉さま、一緒に食べましょ」「ヴィー姉さま、一緒に食べよ」

 ローザリアとアルトゥールに左右の腕を抱えられたヴィルミーナは、美少女と美少年にモテてちょっぴり幸せな気分を味わった。


      〇


 小街区オフィスへクライフが青年を連れてきた。

 年の頃は20代前半。中背ながらちょっぴり腹が出ていた。クライフが判を押して期待する若者らしいが、小さな店を切り盛りするのが関の山、といった印象を受ける。


 こういう毒にも薬にもならなそうな奴に限って、思いのほかエグい性癖を持っていたり、慈悲の欠片もない冷酷なビジネスをしたり、法規制を逆手に取ることに長けていたりするから、商経済の世界は怖い。


「ヴィルミーナ様、この者はオラフ・ドランです。当商会の手代を務めております」

「御紹介を受けまして、名乗らせていただきます。オラフ・ドランと申します。王妹大公令嬢様の御尊顔を拝謁賜り、恐悦至極にございます」

 丁寧に一礼するドラン青年。


 ヴィルミーナはクライフとドランに応接椅子へ着席を促す。“侍従長”アレックスが御茶を卓に置き、部屋を出ていく。


「ドラン君。クライフから聞いていると思うが、今後、私の下で働いてもらうことになる。しかし、それは私の傍で、とは限らない。君の能力を疑うわけではないけれど、クライフの商会で評価されたことが、私の下で同様に評価されるとは限らないからね」


 ヴィルミーナが暗に『場合によっては丁稚として一からやり直させるぞ』と告げると、ドラン青年は別段動じることなく、首肯した。

「構いません。職場が変わるのですから、そういうこともあるでしょう」


 んん? なんややけに素直やな。一からやり直してもええのか? 腹に一物隠すタイプか? それとも、適応主義的か。

 クライフがにやりと楽しげに笑っている。この古狸め。私を試しとるな?


「では問おう。私の下で働くにあたり、君の目標、いや、野心を聞かせてくれ。君はこれから何がしたい? どうなりたい?」

「そうですね。一言で言えば、とにかく稼ぎたいです」

「ほぅ」ヴィルミーナは片眉を上げ「それは、なぜかしら?」


「お金が好きなんです」

 ドラン青年はしれっと言った。


 現代でも預金通帳の数字を見て悦に入る人間がいるように、ドラン青年は眼前に金穀を山と積み上げることが好きだった。

「いつの日か金貨で満たしたプールを泳ぎたいですね」

 ええ……なんか岡左内みたいなこと言い出した……


 戦国のお金大好き武将、岡左内こと岡定俊は部屋に敷き詰めた黄金の上で、裸になって寝転がっていたという。


「そのお金を使って、何かしたい、とかそういうことは……」

「特にないです。もちろん必要なことには迷わず使います。お金は所詮道具ですから」

 あ、そこは分かってるのね……。ヴィルミーナは眉を大きく下げた。

「でも、金貨のプールを泳ぎたいと」

「はい。だって、金貨のプールですよ? 泳ぎたいでしょう?」


 や、同意を求めるな。その『貴女なら分かるでしょ?』みたいな顔、やめーや。私は金貨のプールで泳ぎたいなん思ぅたことあらへんわ。


 クライフが堪えきれなくなったというように、大声で笑いだした。

「いや、失礼。ヴィルミーナ様。こやつは少々変わっておりますが、その才は非常に優れ秀でております。ヴィルミーナ様に必ずや貢献するかと」


「そうなってくれると良いけれど」

 まあ……ドラン青年の目や仕草からは、前世の仕事関係者達のような獰猛さや狡猾さは感じられない。積極的に上を目指して昇っていくタイプではなく、優秀さから上に引き立てられていくタイプのようだ。

 熾烈な出世競争と社内権力闘争に揉まれたヴィルミーナはその辺の嗅覚が鋭く敏い。


 趣味にしても、かなり俗っぽいとは思うが、前世で関わり合いを持った一部資産家や権力者のような変態趣味と比べれば、実に健全。問題にすらならない。


 ほんとになあ……変な奴いっぱいいたもんなあ……アレかな、仕事に有能で優秀な分だけ人間的に反比例するってのがあるのかもしれへんなぁ……

 そう言えば、真実の愛に目覚めたぁゆうて、嫁と子供捨てて、若い男と駆け落ちした同期は元気にやっとるんやろか……


 遠い目をして韜晦し始めたヴィルミーナに、ドラン青年とクライフは小首を傾げた。

「ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事してた。そうね。君の配属先を決めるためにも、少しばかり実力を見せてもらおうかしら」


 ヴィルミーナは気を取り直して引き出しを開け、金幣を10枚ほど取り出して執務机に積み上げた。

「金幣10枚を預ける。ひと月で倍にしなさい。方法は違法行為と賭博以外なら自由にやってよろしい」


「お受けする前にいくつか質問しても構いませんか?」

 ふむ。条件を明確にするんか。曖昧さを嫌ったようやな。最低限の条件と自由にやって良いという言質を与えたのだから、あえてルールを確認せず突っ走るのも手やと思うけどね。


 質疑応答を済ませた後、ドラン青年は力強く頷いた。

「―――分かりました。金幣10枚。お預かりします」


 お手並み拝見といこか。

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[気になる点] 「遠い目をして韜晦し始めた」 韜晦:自分の才能・地位などを隠し、くらますこと。また、姿を隠すこと。行くえをくらますこと。 本文では、現実逃避みたいな意味合いで使っていますね。誤用で…
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