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残酷表現がございます。御留意ください。
誤字修正しました。内容に変化はありません(11/18)
クレテア兵達は嬉々としていた。
陽動襲撃任務で駆り出された彼らは敵の哨戒部隊とでも簡単な銃撃戦をしたら、すぐに撤退するつもりだった。ろくすっぽ飯も出ない状況で真面目に戦争をやるほど、彼らはバカではない。
しかし、罠にかかった獲物を見て、考えを改めた。
物資を満載した馬車列。あそこには食い物もあるに違いない。空腹という原初の本能を刺激された彼らは、この襲撃を何としても成功させることに切り替えた。
それに、車列を守る兵士は皆、年若い女兵士達だった。侵攻開始以来、女を抱くどころかセンズリを掻く余裕すらなかった彼らは、暴力的な獣欲衝動に駆られた。
そして、彼らを率いる将校や下士官達もそれを良しとした。実際問題、食い物は必要だったし、女(しかも敵国の女性兵士)を犯すことで士気を高められるなら、安上がりだからだ。
「待ってろっ! たっぷり可愛がってやるぜ、ベルネシア女っ!」
「武器を捨てろっ! そうすりゃあ、コマすだけで殺しゃあしねえよっ!」
クレテア兵達は脅すように囃し立て、下卑た哄笑をあげながら制圧射撃を行い、木々や大地の起伏など遮蔽物を伝って確実に距離を詰めていく。
澱みなく滑らかに行われる射撃&機動。
飢えていても、欲情していても、しっかり訓練された精兵だけのことはある。にわか仕込みの貴族令嬢達や実戦経験の乏しい二線級部隊の女性兵士では厳しい相手だった。
だが、彼女達は痴漢に遭って泣き震える気弱な女の子ではない。精鋭主義に基づいてきっちり訓練を受けた女性兵士であり、中身ウン十歳の覚悟完了令嬢に率いられた“狂信者”達だ。
ヴィルミーナは野戦指揮官としては素人であるし、凡庸以下である。だが、危機の素人ではない。数々の艱難辛苦を危機を修羅場を鉄火場を乗り越えてきたウン十歳の経験がある。イラクとコーカサスで現代戦の壮絶なドンパチに巻き込まれたことがあるし、中南米でカルテルの凶悪な暴力をたっぷり見聞きさせられた。
殺されかけているくらいで、膝を屈したりしない。
クソッタレの現代社会で勝ち組に昇り詰めた女の教訓。
脅威を避けられないなら、抗うのみ。狂犬のように吠え立て、牙を剥き、敵が怯んで諦めるまで抗い続けるべし。
カス共に譲歩などしたら全てを奪われる。奴らには髪の毛一本だろうと譲ってはならない。奴らに与えるくらいなら、あらゆる抵抗をしてぶっ潰せっ!
「誰がお前らなんかにヤラせるかっ! その小汚い粗チンをもぎ取られたくなければ、とっとと失せがやれ、クレテアの短小野郎っ!!」
ヴィルミーナは悪罵を返しながら小銃を発砲し、掩体壁に身を隠して次弾を装填する。
「ヴィーナ様、下品すぎますっ!」
アレックスが涙と冷や汗塗れの顔を向けて小言を飛ばす。他の側近衆達も苦笑いを浮かべていた。
ええで。調子戻ってきたやん。そうや。悲しむのも怖がるのも後にし。今は生きることだけ考えて動けばええ。
女性兵士達はヴィルミーナの王族令嬢とは思えぬ猛々しさと頼もしさに目を丸くし、次いで、士気を激増させた。
「お貴族様のお嬢ちゃん達に負けんなっ! クソ野郎共をぶっ殺せっ!」
『おうっ!』
デルフィネとその側近衆達はヴィルミーナの狂猛な姿に唖然としている。その顔には次のように書かれている。
『下品な啖呵を吐き出しながら銃をぶっ放すこの女は誰? 王妹大公令嬢はどこへいった?』
ヴィルミーナは皆を見回して不敵に笑う。
「あのカス共は私達をナメてる。それに、私達を犯したくて仕方ないらしい。つまり、付け入る隙がある」
「でも、数も腕も奴らの方が上ですよ? どうするんですか?」
女性小隊の残余を率いる若い伍長が問い質す。その態度は完全に上官へ接するものだったが、本人も他の女性兵士達も気に留めていなかった。
「正面と左翼へ火力を集中投入し、右翼を薄くして誘い込む」
「右翼に? それは悪手だ。右翼は遮蔽物が濃い。何をするのか知らないけど、誘い込むなら左翼の方が」
「いえ、右翼で良い。遮蔽物がある。それが重要なのよ」
ヴィルミーナは毅然と伍長へ応じ、次いで、ニーナへ微笑みかけた。
「ニーナ。私の魔導適正で出せる魔力を全て預ける。集団魔導術であのカス共を潰しなさい」
切り札として名指しされたニーナは、歓喜と重圧に身震いし、大きく首肯した。
ヴィルミーナは自信ある態度を崩さない。
が、内心は既にいっぱいっぱいだった。
間違いなくこちらの手は読まれているだろう。素人が機転と勇気だけで精強な正規軍に勝つのは、チンケな作り話の中だけだ。
ただし、欲望に逸るカスの思考ならば、手に取るように分かる。その手の連中は散々あしらってきたし、蹴り飛ばしてきたから。
大方こちらの手にハマったように見せ、その上で難なくやり過ごして希望をへし折り、降伏させるか、捕らえる気だ。そうしなければ、私達を殺すしかない。そうしなければ、私達を凌辱して欲望を満たせない。
それこそが狙うべき隙。
あのカス共の油断を誘い、予測を上回る一撃を放てば、勝てる。
その一撃で始末できなければ、奴らは本気になってしまう。こちらを容易く狩れる羊と見做さず、本気で殺しにかかる。そうなったら……
いや。そうはさせん。必ず成功させるんやっ!
負の想像力を無理やり絞め殺し、
「皆の命を預けるわよ、ニーナ」
ヴィルミーナはニーナを背中から抱きしめ、自身の魔力を委託する。
「身命を賭して期待にお応えします」
決意を固めたニーナは左袖をまくり、手首を巻かれた青魔鉱銀のブレスレットを晒す。
と、デルフィネ達がヴィルミーナの許に集まり、その背中に寄り添った。
「わ、私達の魔力も託します」「お願いします、ヴィルミーナ様」「ヴィルミーナ様」
懇願するデルフィネ達にヴィルミーナは滴るほどの色気を込めた笑みを返し、ニーナの耳元へ囁く。信頼と信用を込めた強く、優しい声色で。
「私の合図と共に放ちなさい。大丈夫。必ずできるわ。貴女は”私の”姉妹なのだから」
ニーナは力強く首肯した。
クレテア兵達はヴィルミーナ達が“誘い”を掛けていることを読んでいた。魔導術で小器用に掩体壁をこさえた辺りから、頼りが魔導術であることも分かっていた。
彼らはそのうえで、狙いに乗った。
遮蔽物の多い右翼側に誘いをかけてきた辺りから、女達が素人ないし練度不足と判断したからだ。そして、ヴィルミーナが読んだ通り、女達の希望を踏みにじって降伏させられると踏んだ。もちろん、その後は楽しい楽しいレイプ祭りをするつもりだった。いや、レイプ祭りをするために、あえて危険に乗ったと言っても良い。
タガの外れた人間は欲望を満たすことしか考えられない。彼らは今、兵士としての矜持を完全に放棄していた。正規兵としての戦闘技能を持つ強姦魔集団に成り果てていた。
彼らの誤算は、相手の中に中身ウン十歳のインチキ令嬢がいたこと。
それと、相手がそこらの平民女性兵士だけではなく、血統に基づく高い魔導適正を持った貴族令嬢達だったことだ。
高い魔導適正を持ち、高品質な魔導術発動触媒を持ち、高魔力発動条件を備えた貴族令嬢達が力を合わせて集団戦闘魔導術を発動させれば、いかなる事態が生じるか。
クレテア兵達は知らなかった。あるいは、想像できなかったのかもしれない。
ヴィルミーナは迫りくるクレテア兵二個小隊を見つめ、機を謀る。
まだ。まだ。まだ。まだ……
もう少し。もう少し……
あと少し。あと少しだけ―――
一切の感情を排した声で静かにただ一言。
「放て」
瞬間、ニーナは膨大な魔力を投じた魔導術を発動した。
「ええええええええええええええええええええええいいいいいっ!」
ヴィルミーナに告げられた通りのイメージに基づき、貴族令嬢達から託された強大な魔力を魔導術に転換して、クレテア兵達へ投射した。
それは、極超低温冷気の大奔流だった。
クレテア兵達は瞬時に退避行動を取った。銃弾や砲弾ならば遮蔽物の陰に隠れれば、何とかなったかもしれない。しかし、物陰に身を伏せたところで極超低温冷気の大奔流は避けられない。
クレテア兵達は遮蔽物ごと、あるいは、遮蔽物の陰に怒涛の勢いで流れ込んでくる極超低温冷気に飲み込まれていった。
効力範囲内のあらゆるものが熱量を奪われ、凍てついてゆく。
木々も、冬草も、落ち葉も、石の裏や木の皮の内側にいた虫も、果ては大気や大地まで、あらゆるものの熱を奪い去り、凍りつかせる。もちろん、防寒具を着たクレテア兵達とて例外ではない。
漫画なら氷塊に包まれてカチンコチンの絵になるところだろうが、物質的化学反応はそういうユーモアを解さない。どこまでも冷酷に現象を発露する。
極超低温冷気の奔流に呑まれたクレテア兵達は悲惨の一語に尽きた。
この時代の防寒具など極超低温冷気の前では夏服と大差ない。将校の魔導装備も圧倒的魔力量の前では無力だった。
クレテア兵達は全身から気化熱の白い蒸気を発しながら凍てついていく。
突発性心停止で即死できた者は幸運。爆発的脱水によって生きながらにミイラ化現象を起こす者さえいた。
そうでなくとも、急激な体温喪失に伴う細胞と血管の損傷により体中が凍傷によって破壊されていく。皮膚が膨張し、浮腫が湧く。耐え難い疼痛に襲われながら、表皮、指、瞼、耳、鼻、唇、手足が壊死していく。
悲鳴を上げようにも舌と喉頭が凍りつき、喉が膨張して一言も発せない。
彼らは静かに、だが、恐怖と痛みに狂いながら死んでいった。
その凄惨無比かつ一方的な殺戮を目にし、左翼と正面に残っていた少数のクレテア兵達が泡食って逃げていく。
「バ、バ、バカヤローッ!」「ボケナスッ! あたし達まで巻き込まれっとこだったぞっ!」
擲弾銃を撃っていたエリンとテレサが罵声を飛ばし、女性兵士達とアレックスは眼前に広がる白霧の地獄を唖然と見つめていた。
ヴィルミーナは自分が作り出した凍土地獄を見つめる。
数十人の殺戮を企図し、実現したことに対する罪悪感も良心の呵責も後悔も一切ない。
冷徹に脅威を排除したという現実を認識し、
「ありがとう、ニーナ」
心からの感謝の言葉をニーナの耳元へ囁き、その頭に口づけする。
ニーナが歓喜に身を震わせ、誰もが危機を脱したと安堵した、刹那。
「ご、のっ! べる、じば、のぉ、めじゅいぬど、もがああああああああっ!」
凍てついた顔の皮が瞼や鼻や唇ごと剥がれ落ちた敵の兵士が、点火した手榴弾を投げ込もうと駆け込んできた。走る衝撃で凍り付いた軍服が表皮と共にベリベリと剥がれ落ちていく
まるで、現代地球で流行りの走れるゾンビみたいだった。
ニーナ達は魔力放出による虚脱状態で動けない。アレックス達は反応できない。エリンとテレサ、女性兵士達は銃に弾を込めていない。
動けたのは、ヴィルミーナだけだった。
ヴィルミーナはとっさにニーナを押しのけ、迫りくる敵兵へ立ち向かう。絶対にもう誰も死なせない。死なせたりしない。腰に戻していた回転式拳銃を抜いて構える。
弾倉内の残弾は二発。
引き金を引いた。一発目が外れる。
焦燥感が爆発的に上昇する。恐怖と重圧が大きすぎて涙も出てこない。
再び撃鉄を起こし、弾倉が回転して装填。二発目を撃つ。
外れた。
顔の皮が削げ落ちたクレテア兵が勝ち誇ったように剥き出しの表情筋を蠢かせ、
金属的な銃声が轟き、クレテア兵の首の付け根――脳幹と頸椎の接合部辺りが抉れ飛んだ。
瞬間的に虚脱して倒れたクレテア兵の手の中で、手榴弾が爆発。その体が吹き飛び、木の太い枝にその“残骸”が引っかかって釣り下がった。
銃声がさらに幾重も重なり、逃げ出したクレテア兵達がバタバタと倒れ、一人残らず狩り殺されていく。
キョトンとするヴィルミーナ。
不意に、森の奥から6つの影が現われる。
影は真っ白だった。雪に融け込むよう、防寒服も山岳帽も防寒覆面も手袋も軍靴も、軍靴に装着したかんじきも、各種装具も、手にしている小銃も、全てが白い。
影達は姿が見えているのに気配を全く感じない。存在感が酷く希薄だった。凍てついた落ち葉の上を歩いているのに、足音も落ち葉の割れる音もしない。どうやって歩いているのか全く分からない。
ただ、本能がその場にいる全員を戦慄させ、絶望を確信させた。
―――”アレ”はヤバい。クレテア野郎共の比じゃない。アレには絶対に勝てないっ!
女性兵士達は力なく銃を下げ、貴族令嬢達が絶望感に負けてしくしくと泣き出す。
ヴィルミーナだけが弾切れになった拳銃を構えたまま、静謐に近づいてくる白い影達を睨む。その聡明な頭脳を必死に動かして打開策を模索する。
何にも思い浮かばなかった。悔しくて悔しくて涙すら湧いてこない。
と、
先頭を進む影が敵意のないことを示すように、回転式拳銃を大型化したような白塗りの回転弾倉式小銃を掲げた。
そして、よく通る無機質な声色で告げる。
「撃つな。味方だ」
別の衝撃がヴィルミーナの心を直撃し、おもわず体が震える。
白い影の声は、ヴィルミーナには聞き慣れた響きの声だった。記憶に残る声色より少し低いけれど、“彼”の声を決して聞き間違えたりしない。
その白い影は記憶にある“彼”よりずっと背が高い。
白い影は掩体壕の傍までやってきて、ヴィルミーナの前に立つと、目深に被っていたフードを下げ、白い山岳帽と覆面を脱いだ。
丁寧に刈られた栗色の髪。深い青色の瞳を持つ鋭い双眸。そんな双眸が良く映える整った顔立ち。もさっとした防寒服越しでも分かる鍛え絞られた長身痩躯。涼しげな優男。
「君ももう立派な淑女なんだから、いいかげん無茶はやめてくれ」
4年振りに再会したレーヴレヒト・ヴァン・ゼーロウは開口一番に小言を吐いた。




