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大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:南部国境付近。
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ベルネシア陸軍特殊猟兵戦隊の逸話はクレテア軍も聞いていた。『森の悪霊』『密林の幽霊』などと仰々しいあだ名で呼ばれている部隊だ。
未開の蛮族やゴロツキ崩れの植民地軍相手にイキっているだけ、と高を括っていたが……
「夜襲に狙撃、遊撃、待ち伏せ……どれだけ哨戒網を厚くしても軽々とやってのけます。始末に負えません」
侵攻軍参謀長が呻くように言った。
「しかも、ただ殺せるだけ殺して去っていく。意味が分かりませんよ」
素人は誤解しがちだが、戦争における勝敗とは、兵士の死傷者数ではない。戦略目標、戦闘目的を達成した方が勝ちだ。
たとえば、敵都市の占領を目的とした場合、敵兵をどれだけ殺そうと都市の占領に失敗すれば、作戦上は負けである。敵軍の包囲殲滅を目的とした作戦で、敵を打ち負かしても主力の撤退を許したら、作戦上は失敗である。
逆にどれだけ犠牲を払おうとも、戦略目標を達成すれば勝ちだ(勝った後が大変だけど)。
そういう意味において、敵兵の殺戮だけを目的とした作戦行動――いわゆるゲリラ戦は、戦争が陣取り合戦であるこの時代において、軍事常識から逸脱したものだった。
「兵站線を締め上げるだけでなく、兵力漸減も図り始めたな。我が軍の士気をここぞとばかりに削ぐつもりだろう」
猛将ランスベール大将はベルネシア側の意図を正確に見抜いていた。
しかし、問題の対処は難しい。
特殊猟兵達は地の利を生かし、活動の主導権を掌握して好き勝手に襲ってくる。物資が底をついている今、積極的な対抗策は取りにくい。ひたすら守りを固めるか、賞金を懸けて兵士達の個人的努力を推奨するくらいだ。
そして、クレテア側は特殊猟兵の“真意”に気づいていなかった。
悪辣なゲリラ戦に注意を引きつけられ、特殊猟兵達の長距離偵察班が自分達の懐深くまで浸透潜入し、突出部や防衛線突破口、後方の配置状態など事細かに偵察し、反攻作戦の下準備を着々と整えていることに、まったく気づいていなかった。
というか、それどころではなかった。
「鬱陶しいが、全体的にはまだ許容範囲内だ。それより兵站線だ」
冬季攻勢をなし崩し的に打ち切らせた悪天候は、置き土産を残していった。
道は雪で塞がれるか、泥濘と化して馬車などの移動を困難にしている。
これにより、ただでさえ弱体化していた侵攻軍の兵站線と補給活動は完全にマヒした。
今や海軍飛空船や翼竜騎兵達ですら、宅配業者として物資移送に従事している。が、その供給量は将兵の飢え死にを辛うじて防ぐ程度だった(この航空移送部隊は、当然、ベルネシアの戦闘飛空艇に襲われて犠牲を出している)。
「食糧と医薬品の不足で兵士達がバタバタ倒れています。早急になんとかしませんと、侵攻軍が崩壊しかねません」
兵士達は寒さと空腹と疾患とシラミに苛まされていた。防衛線突破時の興奮と士気向上は失われている。露天陣地で不潔な毛布にくるまり、寒さと病に震えながら、脂も浮いてないスープやオガクズが混ぜられた薄い粥で飢えを凌ぐ兵士達の姿は、乞食にしか見えない。
そんな状態にあっても、彼らは軍としての規律と秩序を保っていた。
驚嘆すべき強さ。紛れもなく大国の精兵達だった。
「本国がもっとこちらの支援要求を真摯に捉えてくれていれば……」
「軍内ですら未だに兵站と補給の重要性を認識している連中は少ないからな。バカ共は未だに現地徴発で何とかしろと抜かしよる」
防衛線のこちら側には村も集落も存在しない。徴発先どころか雨露をしのぐ宿すらないのだ。防衛線を突破した時には期待が生じたが、物資備蓄所らしきものは殆どが焼かれていた。敵の応急防衛部隊に稼がれた時間と悪天候が痛かった。
あるいは、とランスベールは心の中で思う。外洋領土に展開していた特殊猟兵戦隊が帰還したことで、本国は外洋派遣軍の到来が近いと踏んだのかもしれない。となれば、”時間切れ”を危惧して穏健派がストップをかけている可能性がある。休戦なり講和なりを持ち掛けるなら、これ以上の戦費増大は抑えたかろう。
もちろん、部下達には言えない。上層部のごたごたは現場の士気を削ぐだけ、百害あって一利なしだ。
ランスベールは憂鬱な気分を払拭しようと大きく息を吐いた。
「両翼を下がらせ、橋頭堡へ通じる主攻面の側面援護だけに絞らせる。その余剰人員で兵站線の雪掻きと道路整備だ。馬鹿馬鹿しい限りだが、仕方ない」
「閣下。本国から命令指示書が届きました」
情報幕僚の大佐がやってきて書類を渡す。ランスベールは書類に目を通し、たちまち不機嫌面を浮かべた。
「……またぞろバカがバカなことを言いだしたぞ」
「なんです?」
「敵が学徒動員したのは聞いているな?」
ランスベールに反問された参謀長は首肯した。
「ええ。軍事補助員として後方支援に従事しているとか」
「その学徒動員部隊に第一王子を擁する広報宣伝部隊がある」
「ああ。存じてます。避難民キャンプや野戦病院を巡って民を慰め、兵を労わっているそうですな。正直羨ましいですよ。我が国の王太子殿下は……いや、失礼しました」
不敬に当たると気付き、参謀長は口を噤む。
大クレテア王国王太子アンリ16世はこの侵攻作戦の戦況を聞いても、なお関心を示していなかった。彼にとって、この戦争は『親父の最後の博打』であり、どこまでも他人事だった。
今はもっぱら幼な妻を孕ませようと熱心に子作りしている。
なぜか? 王太子妃マリー・ヨハンナを孕ませれば、愛人としてタイレル男爵夫人を再び傍に置けるようになるからだ。
彼はどこまでも思春期の少年らしく、傲慢なまでに自己中心的で情動に正直だった。
「本国が言うには、この宣伝部隊がメローヴェン要塞線傍の街まで来るそうだ。それを一突きしろとさ」
「……冗談でしょう?」
ランスベールが卓上に放り出した書類を手にし、参謀長は読み込んで青筋を浮かべた。
「こんな……本国は何を考えてるのかっ!」
「政治効果を狙っているんだろう。殺害するなり捕虜にするなり出来れば大手柄。尻尾巻いて逃げ出せば、それを喧伝して厭戦気分を刺激する。そんなところだろうよ」
「馬鹿馬鹿しいっ! 宣伝部隊が訪ねるという町はワーヴルベークですよっ!? メローヴェン要塞線の奥じゃないですかっ! 物資の不足を補いもせず、こんなふざけた命令を寄こしやがってっ! 閣下、無視しましょうっ! こんなもの、付き合いきれませんよっ!」
「気持ちは分かるが、少し落ち着きたまえ。君らしくもないぞ、参謀長」
軍高官は政治家の顔も持つ。ランスベール大将とて例外ではない。
「実施して欲しければ物資を寄こせ、と返答しよう。物資が来れば、御の字。来なければ無視だ。仮に物資が届いても、やらずにぶったくればいい。少しばかり兵を運動させ、努力したが失敗した、とでも報告して終わりだ」
半世紀も軍隊という不条理と理不尽が幅を利かす組織の中で生き、大将まで出世したランスベールは抜け目がなかった。
それに、この作戦案で確信した。上層部は主戦派と穏健派が揉めている。おそらく穏健派に対抗するためにこの馬鹿馬鹿しい作戦を提案してきたのだ。
まったく冗談ではない。こっちはくだらない”権力闘争ごっこ”に付き合う余裕も暇もないというのに。
「大いに賛同しますっ! 本国は我々をバカにしてますよっ!」
憤懣収まらない参謀長が怒気を吐き出す。
ランスベールは苦笑いを浮かべ、参謀長をなだめるため、従卒へ熱いお茶を持って来るよう命じた。
二人はこれでこの一件が片付いたと判断し、再び補給と兵站について頭を悩ませ始めた。十数万余将兵の命を預かっている彼らに、本国のバカ共が考える”お遊び”に付き合うような暇はないのだ。
が、彼らは後に思い知る。
バカは斜め上を行くがゆえにバカなのだと。
〇
真冬の盛りに達し、大陸西方は酷寒の冷気に覆われている。
足首まで沈む程度に雪が覆う山林道を、武器弾薬と医療品と食料を積んだ馬車列が前線へ向かっていた。
女性将兵一個小隊と王立学園女子生徒の軍事補助員20数名からなる第17輸送隊だ。
濃緑色の冬季野戦服と防寒コートを着た彼女達は、小銃と行李を担ぎ、馬車と共に寒々しい山林道を進んでいく。
「……今日はまた、格別に寒いわね。毛糸のパンツを穿いてくるべきだった」
ヴィルミーナは筒形マフラーを鼻元まで引き上げてぼやく。長い髪を結いまとめ、山岳帽の折り込みを下ろして耳を覆っている。
「はしたないですよ、ヴィーナ様」
同じく軍装に防寒装備をまとったアレックスが小言をこぼす。男装の似合う彼女は軍服姿が良く映える。ブルボン時代の軍服で長髪だったら、きっとオスカルのようだったろう。
「やはりヴィルミーナ様は広報宣伝部隊に御一緒すべきだったのでは? あちらもあちらで大変でしょうけれど……」
「貴女達もアレに参加させられたら、私も参加したんだけどね。融通が利かないったら」
ヴィルミーナは小さく肩を竦め、不満そうに鼻息をつく。
広報宣伝部隊はあくまで王族と有力貴族の子女を前線から遠ざけるための方策だったし、人数制限の関係から、家格の低い貴族子女はどうしたって一般部隊として扱うしかなかった。
ヴィルミーナは自身の影響力とコネを使って、側近衆も広報宣伝部隊に入れようとしたが、王国府と軍が『例外は認められない』と突っぱねた。その言い分は分かるが……
私がこれまでどんだけ御上と軍に貢献したぁ思ぅとんねや。ボケが。
かくして、ヴィルミーナは軍と王国府に当てこするように、一般学徒として側近衆と共に軍事補助へ参加した。
「大事な貴女達と離れるくらいなら、宣伝部隊なんてお断りよ」
ヴィルミーナは、ふん、と鼻息をついた。
これも事実だ。彼女達はヴィルミーナの最も大事な人材。組織の根幹をなす者達。軍に使い潰されたりしては堪らない。自分が傍について目を光らせねば。
「デルフィもそうでしょう?」
「話しかけんな、でございます」
名門ホーレンダイム家御令嬢デルフィネの派閥も、この輸送隊に組み込まれていた。
デルフィネは非常に美しい娘へ成長していた。
勝ち気な目つきが似合う端正な面立ち。体つきは野暮な冬季野戦服越しでもグラビアアイドル的スタイルが見て取れる。世が世ならトップアイドルとして芸能界を驀進したかもしれない。
そんなデルフィネは『茶会のビンタ事件(1:4参照)』以来、反ヴィルミーナの筆頭格であり、ヴィルミーナのことを毛虫の如く嫌っていて、ヴィルミーナと親しいメルフィナのことも嫌っている。家同士の関係と婚約者候補の座を競った経緯から、グウェンドリンのことも大嫌い。さらに言えば、身の程を弁えない『野良猫』アリシアのことも嫌いだった。
であるから、鬱陶しいことになりそうな広報宣伝部隊を忌避し、派閥の面々と共に一般軍事補助員して参加したら……このザマである。
ちなみに、デルフィネは交友関係や人間関係が幅広い。彼女の周りに集う者達の特徴は打算と利害と縁故でのつながりより、純粋に彼女を敬愛し、憧憬する人間が集まっている。
現代風に言えば、ファンクラブだ。
「相変わらず、デルフィは懐かない猫みたいで可愛い。あとで良い子良い子してあげる」
「やめろ近づくな触るな失せやがれ、でございます」
デルフィネはバイ菌を見るような目でヴィルミーナを睨むが、ヴィルミーナは気にも留めない。猫を可愛がり過ぎてノイローゼにするタイプの接し方である。
「ヴィルミーナ様、あまりフィーをからかわないでください」
デルフィネの側近であるリア・ヴァン・ドーセルが釘を刺す。そばかすがチャーミングな彼女はデルフィネのマネージャー的ポジションであり、唯一デルフィネを『フィー』という愛称で呼ぶ資格を与えられた『身内の中の身内』だった。
「それに……その、怖くないんですか? 今回の輸送は前線に近いんですよ?」
輸送隊として戦争に参加して10日ほど経つ。幸い、一度も敵に遭遇していないし、攻撃も受けていない。腹を空かせた小鬼猿や魔狼の小群と出くわしたくらいだ(それでも、怖くて泣きだした少女達はそれなりにいた)。
「もちろん怖いわよ」
ヴィルミーナは目を柔らかく細めて続ける。
「でもね。私のあずかり知らないところで、私の大事な友達が失われるかもしれないことの方がずっと怖い。だから、怖くても良いのよ」
ヴィルミーナの側近衆が嬉しそうに、そして、誇らしげに首肯した。
「もちろん、デルフィネも同じでしょう? 貴女は周りを大事にしてるもんね」
「……ほっとけ、でございます」
図星だった。デルフィネはプイッとそっぽを向く。『照れ隠しするデルフィネ様、マジカワ♡』とデルフィネの側近衆がにまにま。
同行している女性小隊の面々は、緊張感のない貴族令嬢方に呆れつつも、その気楽な余裕に和まされる。
開戦からこっち、ずっと余裕のない日々が続いていた。気を和ませられることは好ましい。
ちなみに、この女性小隊を率いる女性将校は軍司令部から内々の口頭命令を受けていた。
『いざという時は全てを犠牲にしてでも、王妹大公令嬢だけは必ず守り、脱出させるべし』
命の値段は人によって違う一例。
なお、ヴィルミーナは女性兵士達にもデルフィネ達にも『配慮』を欠かさなかった。自費とハイスターカンプ少将を始めとする軍絡みのコネを使い、女性用防寒品を用意して提供していた。これにはデルフィネも渋々『ありがとう、ございます……』。
『悔しくてもちゃんとお礼が言えるデルフィネ様、マジカワ♡』と悦に入った派閥の面々。こいつら、よぉ調教されてやがる……。
ヴィルミーナとデルフィネのやり取りを見守っていたマリサは、控えめに苦笑いした。何気なく視線を周囲に向ける。
鈍色の雲が空に蓋をしていて太陽は拝めない。山稜内を通る山林道は一応舗装されているものの、小街区の道路とは比べるべくもない。踏破性能の良い新型馬車でなかったら、相応に難儀していただろう。
山林道の両脇に広がる森は背の高い樹木が茂っており、何とも陰鬱で寒々しい。太い木々の陰や藪の裏からモンスターが出てきそうで不安が刺激される。
こんな環境でも人間は殺し合うのだから、まったく度し難い。
まあ、そんな度し難い愚行たる戦争に、こんな形でしか関われないことに不満なあたしも大概だけど。
予備士官課程を採っているマリサは主戦場で戦いたかった。
「ん?」
マリサは眉をひそめた。今、森の暗がりの中で何か―――




