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いつもより長くなりました。申し訳ありません。
大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:南部国境付近。
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スノワブージュの復讐を。
その合言葉の下、クレテアは冬季攻勢を開始した。
雪と泥に塗れたクレテア兵達が遮二無二に突っ込んでくる。ろくに食ってないだろうに、ろくに体を休められていないだろうに、どいつもこいつも憤怒で目を血走らせ、これまで見たこともないほど士気が高い。
砲撃でスクラムを吹き飛ばしても、次のスクラムが平然と前進してくる。仲間の血肉を浴びても、怯む素振りすら見せない。銃剣を付けた小銃を固く握りしめ、味方の死体を踏み越えて死に物狂いに挑んでくる。
凄まじいまでの戦意と闘志。そして、恐ろしいほどの憎悪と敵意。
しかも、戦術的にやり口を変えてきた。これまでは数の利を活かして防衛線を広域に渡って攻撃し、弱体化した部分へ圧力をかけて突破を図ってきた。手堅い教科書的手法だ。
が、今回の攻勢は違う。数の利を活かしている点は同じだが、攻勢面を狭い一点へ絞って集中させている。そのうえ、味方が屍山血河を築こうと止まらない。銃兵一人一人が弾丸となって防衛線に突っ込んでくる。
損耗した前衛部隊を後退させず後続部隊が追い越して攻撃し続けるという、残酷なこの肉弾戦術攻勢は、敵味方の血肉で彩られた道をひた進むことから『ランスベールの赤絨毯』と呼ばれた。
犠牲は凄まじかったが、数的劣勢のベルネシア防衛線には効果があった。
いくつかの塹壕線と拠点がクレテアの数的圧力に押し潰され、突破を許してしまっている。もちろん、ベルネシアも一歩も引かない。敵の突破により孤立してしまった部隊も現陣地死守の構えを見せ、徹底抗戦し続けた。
地上で血みどろの激戦が繰り広げられる中、空の戦いは奇妙な静けさを迎えている。
ベルネシア軍はスノワブージュ爆撃後、クレテア軍が制空権奪取と本土防空のため、前線に航空戦力を投入すると踏んでいた。しかし、前線の空に現れたクレテア航空戦力は牽制以上の効果が望めない小勢だった。
ベルネシア軍は訝った。ひょっとしてクレテアも集中運用を図っているのか? 自分達に出来たことをクレテアが出来ぬ道理もない。いや、報復のために仕掛けてくるに違いない。今はその準備中なのだろう。
とーころがぎーちょっん。
事実はベルネシア側の想像の斜め上を行く。
都市爆撃に慄いたクレテア大貴族達が領主権やらなんやらを最大限に行使し、自領の防空に翼竜騎兵や戦闘飛空船を割くよう軍や政府に圧力をかけたのだ。
政府も王都を始めとする国内主要都市の防空を強化したため、なし崩し的に対空火器と航空戦力が国内中に分散されてしまった。いわゆる戦力の遊兵化。
もちろん、戦略的には大失敗である。
敵の航空攻撃ルートが国境からに限られているのだから、水際――国境周辺に集中投入して分厚い防空網を築く方が正しい。そうすれば、兵站ルートも傘で守られる。開戦以来、侵攻軍を悩ませている補給活動の状況を改善できる。
こんなの軍事常識の初歩である。のに、我が身可愛さの権力者達に軍事的正論が屈してしまった。絶対王制国家にもかかわらず特権層の影響力が強い弊害か。あるいは、正論で世の中が回るわけではない、という皮肉的現実か。
いずれにせよ、ベルネシア側は加害者的警戒心から報復を危惧し、航空戦力を防空に割いてしまった。そのため、航空戦力による直接対地支援が絶対不足することとなった。
ベルネシア軍防衛線司令部は前線から次々と届く危機的な報告に、絶望感すら漂っていた。
「スノワブージュを潰したことで腹を括ったか。どれだけ犠牲を払っても突破する気だな」
クーホルン中将は戦況図とその上に並べられた駒を見下ろしながら、苦しげに唸る。
先の戦略爆撃は国家戦略的には正解でも、防衛戦略的には失敗だったということだ。敵を弱らせるつもりが、覚悟を決めさせて攻勢を誘発してしまった。
「予備戦力は?」
「臨編混成戦隊が一つだけ。部隊が壊滅した残余将兵と予備兵の寄せ集めです。こいつを使い潰したら、後は戦時徴兵部隊が届くまで補充はありません。最後の予備です」
参謀長の大佐が呻くように告げ、別案を呈した。
「敵が一点集中しているならば、両翼を前進させて半包囲を企図しては? 側面に圧力を掛ければ、敵とて攻勢を中断するかと」
「兵力に差がありすぎる。地の利を捨てたら圧倒されてしまう。それに、陣地から出たところを狩るつもりかもしれん。奴らにはそうした“贅沢”が出来る頭数が残っている」
クーホルン中将は首を横に振り、決断した。
「作戦予備を主攻面へ当てて敵の頭を押さえる。血を流したいなら流させてやるまでだ」
「……根競べ、ですな」
参謀長の言葉に、クーホルン中将は首肯して拳を固く握りしめた。
「敵の兵站状況を考慮すれば、この冬季攻勢はそう長くは続けられまい。持ち堪えれば、後は春まで小競り合いに終始するしかなくなるはずだ。なんとしても耐えさせろ。ここがこの冬の山場だぞ」
激戦の指揮統率に忙殺されていたクーホルン中将はすっかり失念していた。
臨編戦隊は戦隊長以下の主要将校が開戦前に追い出した攻勢論者ばかりだと。
後方へ左遷された彼らは、不足した将校を補うために臨編部隊へ放り込まれ、前線へ戻っていたのだ。
〇
ベルネシアとクレテアの死闘から遠く離れた聖冠連合帝国。
帝都ヴィルド・ロナはメーヴラント東部からディビアラント西部にまたがる大国の首都にふさわしい大都市だった。
いわゆるバロック調の重厚な歴史的建造物が数多く並び、近代的な煉瓦製建築物も少なくない。街路樹の並ぶ石畳の道路は毎日奇麗に清掃されて落ち葉一つなかった。
そして、政府関係の建物には聖冠連合帝国の象徴たる国旗――聖冠を中心に向かい合う鷲頭獅子と双角飛竜の旗がたなびいている。
そんな帝都ヴィルド・ロナにある帝国議会堂の一室で、帝国高官達がベルネシア戦争について議論していた。
その様子は――広大な版図を持つ聖冠連合帝国らしく大陸西方語ながら訛りや方言が多い。
「クレテアがもう泣きついてきよったか。手出し無用とほざいとったくせ、だらしないのぉ。ほんで、なんぞ言うて来た?」
東部領出身の高官が訛り丸出しで尋ねる。
「同盟を口実に金を要求してきた。冗談なら笑える額だな」
でっぷりと太った悪人面の宰相サージェスドルフが言った。帝都出身の彼は訛りがない。
「かぁ~。図々しい。こら盟を結んで失敗したかぁ?」
「しかたあんめェ。東部領がきな臭ェんじゃ。西の面倒が無くなるに越したこたぁねえよ」
帝国東北部出身の高官が鼻息をつく。
「で? どうすンでぃ? 援助してやんのか?」
「ヨハンナ様が嫁いだばかりだ。無碍にもできん。が、ベルネシアとも知らぬ仲でもないからなぁ。戦費提供の代価に講和仲介を条件にするか、コルヴォラントの領有問題を持ち出すかな」
「がははは。向こうから距離を取らせるか。よぉ考えるのう」
聖冠連合帝国は地中海利権を有しており、また陸路からも大陸西方の外――大陸北方、中央域、南方と交易できるのだ。北洋利権も外洋領土も必ず必要、というわけではない。
クレテアと婚姻外交を結んだのも、帝国西部の面倒事を減らし、その余力を国内整備と狂犬アルグシア対策と東方領土拡大に投入するためだった。ベルネシア、延いてはイストリアと揉めては元も子もない。
そもそも、ベルネシアは帝国に王女を差し出している。
帝都には恥も外聞もなく王女を差し出してきたベルネシアを軽んじる者が少なくない。が、帝国が征服/併合してきた東部領の中には同様に人質を差し出したところが、“それなり”にある。表向きは婚姻による取り込みの体を取ったが、実質的には”そういうこと”が少なくなかった。
ここでベルネシアを切り捨てれば、そうした東部領旧勢力に疑念と警戒心を持たせる。何より婚姻外交で他家と結んできた帝国は、婚姻関係のつながりを軽んじることは出来ない。
クレテア人はそうした帝国の事情をまるで斟酌しない。
いや、斟酌する気がないのか。宰相サージェスドルフは思う。ま、それでこそクレテア人だ。思慮深いクレテア人などクレテア人とはいえん。
「戦況がどう転ぼうと、我々はこの戦争に関わらん。クレテアの愚行に付き合って貴重な国費と資源を蕩尽したくはないからな。それで良いな?」
サージェスドルフの意見に、他の高官達も頷く。
帝国南部出身の高官が窓の外を一瞥し、小さく微笑む。
「雪が降りだしよった。まったくこん寒い中、ご苦労なこったぜ」
ははは~と高官達は笑った。彼らにとって、ベルネシアでの戦いはまさしく他人事だった。
〇
雪がちらつく寒風の吹きすさぶ昼下がり。
前線へ投じられたベルネシアの臨編戦隊が塹壕を飛び出し、逆襲攻撃へ移った。
クレテア前衛部隊は開戦以来、一度として生じなかったベルネシア軍の逆襲攻撃に驚き、とっさに対応できずに崩れた。
臨編戦隊を率いる将校達、特に戦隊長のトルットソン大佐はこれを敵が弱体な証であると判断し、魔導通信で総司令部と両隣の部隊へ報告した。
『我、逆襲ニ成功! コレヨリ後退シタ敵を急襲ス! 我ガ隊ヲ支援サレタシ!』
「臨編戦隊が逆襲攻撃に出て、後退した敵軍へ追撃を行っている模様ですっ!」
通信兵が大音声で報告した時、総司令部の統合作戦指揮所にいた全将兵が呆気にとられた。
我に返った防衛線総司令官クーホルン中将は、視線だけで人を殺せそうな顔つきになった。
「誰がそんな許可を出したっ! 陣地に留まって持久を徹底しろと命じたぞっ!」
「げ、現場指揮官の独断かと―――」と仰け反る参謀長。
「現場に許したのは防御戦の判断だけだっ! 逆襲など許していないっ! まして、追撃だとっ!? 軍法会議ものだぞっ!」
「閣下。今は臨編戦隊の扱いです。今すぐ決断しなければ」
年若い司令部付中尉が物怖じせずに上申した。
「~~~大至急、退かせろっ! 釣られて飛び出す者は銃殺に処すと言えっ!」
クーホルン中将は再び怒鳴り飛ばし、卓を殴りつける。
「クソバカ野郎めっ!」
「退けだとっ!? 今こそ反攻の潮目だろうがっ!」
通信兵の報告に、臨編戦隊長トルットソン大佐は侮蔑するように鼻を鳴らした。防衛線戦司令部は弱腰すぎる。この俺がベルネシア軍人魂を示してくれるわ。
「ここで退けば、我らが背中から弾丸を浴びる。よって、このまま敵を蹴散らし、奪われた第4帯の拠点を奪還するぞ。司令部には増援を寄こせと伝えろ」
トルットソン大佐は”それっぽい”理由をつけ、軍刀を振り上げて叫んだ。
「このまま前進だっ! 我らは勝っているっ! 侵略者を蹴散らせぃっ!」
『おおおおおおおおっ!』
付き従う将兵達は意気軒高に雄叫びを上げる。
かくして臨編戦隊は後退命令を無視し、前進を継続した。
「敵部隊約1500が反撃に出ましたっ! 虚を突かれた前衛を崩されておりますっ!!」
「1500? ふむ……どんな部隊だ?」
「はい。銃兵、擲弾兵、装甲兵などの雑多な混成部隊。騎兵はおらぬとのこと」
伝令の報告にランスベール大将は口端を歪める。ダンディズム溢れる笑みだった。
「後詰にそいつらの頭を押さえさせろ。数はこちらが優勢なんだ。落ち着けば崩れん。その旨を徹底して立て直させろ」
「はっ! すぐに!」
伝令が即座に飛び出していく。ランスベール大将は口ひげを弄りながら、
「先の見えん持久戦は精神的消耗が激しい。士気を保つためか、あるいは、堪え性のない奴の独断専行だな。一戦隊だけで突出してる辺り後者だろう。頭を抑えた後は速やかに潰せ」
「拘束して敵部隊の釣り出しを図っては?」
参謀長の提案へ小さく首を振り、その老いたブルドックみたいな顔を悪辣さでいっぱいにした。
「わからんか? 今、堅牢な防衛線に一個戦隊分の穴が開いているのだ。小細工は不要。この好機を逃がすなっ! 全力投入だっ!」
「はっ!」
参謀長以下幕僚達はランスベールの意志を実現すべく活発に動き出す。
古今、奇襲効果を失った小勢の突撃は長持ちしない。
降雪が始まり、大気が刺すように冷え込んでいく中、戦闘の熱はさらに激しくなっていた。
「くそっ! 何をしているっ! 止まるなっ! 進めっ! 進まんかっ!」
臨編戦隊の戦隊長トルットソン大佐が軍刀を振り回しながら騒ぐが、部隊は砲撃孔だらけの焼け焦げた場所で行き詰まっていた。
「無理ですっ!」戦隊幕僚の一人が言った。「我が隊は完全に頭を押さえられましたっ! 動けませんっ!」
動揺から立ち直ったクレテア兵達は、ようやっとまともに姿を見せたベルネシア兵達へ断固たる闘志と戦意、そして過剰なほどの復讐心をぶつけてきた。
その猛烈な迎撃に、臨編戦隊の進撃は止められてしまっている。それどころか、敵に食いつかれて引くことすら叶わない。今や砲撃孔を塹壕代わりに防御戦闘を繰り広げている始末だ。
じきに敵の破砕砲撃が始まるだろう。そうなっては――――
トルットソン大佐は地団太を踏み、
「司令部へ支援を要請しろ! 増援と砲撃支援を今すぐ寄こせと言えっ! 今すぐだっ!!」
「妨害波が濃密で不通ですっ!」
大型ランドセルみたいな魔導通信具を担いだ通信兵が悲鳴染みた返事を寄こす。
「敵装甲兵集団っ! 大隊規模っ!」
全身甲冑と盾と刀剣類で武装したクレテア装甲兵達が雄叫びを上げ、恐ろしい勢いで突っ込んでくる。強烈な打撃力を持つ近接戦特化部隊の突撃に、トルットソン大佐が顔を真っ青にして引きつらせ、天へ向けて怨嗟を放つ。
「くそっ! クーホルンめっ! 腰抜けの愚将めっ!!」
トルットソン大佐はあくまで自分の正しさを疑わなかった。
臨編戦隊は一時間に渡る白兵戦の末、全滅した。
臨編戦隊約1500名のうち生存者は捕虜の30名足らずだった。トルットソン大佐は捕虜の一人となった。
ランスベール大将の読み通り、臨編戦隊の防衛線担当区域はほとんど空だった。勢いに乗ったクレテア兵達が防衛線の穴へ殺到していく。
逆襲に参加できなかった少数の負傷兵達が決死の抵抗を試み、その義務を果たした。
防衛線に開いた幅2キロの穴を確保したクレテア兵達は、悪化する天候を無視して攻撃を継続。たちまち幅6キロまで押し広げる。その穴から完全編成の歩兵師団一個と騎兵一個旅団が防衛線の内側へ進出した。
堤はついに破られた。
〇
ランスベール大将にとっての不運、あるいは、クーホルン中将の幸運。
突破口が山稜地であり、大部隊の移動に適した道が幅の狭い山林道一本だったこと。
降雪の悪化により、運動が予想以上に妨げられたこと。
ランスベール大将は物資の限界も側面援護も無視して可能な限りの戦果拡張前進を図った。『武器と食い物は敵から奪え』と命じるほどになりふり構わなかった。敵が立ち直る前に押しまくる。この好機を逃すわけにはいかなかった。
が、クーホルン中将はなりふり構わなさは、それ以上だった。
『重傷者でも構わんから敵へ当てさせろっ! なんとしても足を止めさせるんだっ!』
総司令部付大隊と輜重兵、動くことが出来る傷病兵。とにかく戦える人間を搔き集めて応急防御部隊を編成。敵の頭を抑えさせつつ、“穴”に接する部隊を使って突破口へ圧力をかけた。戦術原則を無視して砲兵を前進させ、阻止弾幕を撃たせた。
応急防御部隊は馬車を横倒しにし、路肩の樹々を切り倒してバリケードとし、必死に抵抗した。彼らは2日間の激戦の末に玉砕した。生存者は記録に残っていない。
そうして捻出された時間によって、工兵達が山稜内架橋や斜面爆破による山林道閉塞を成功させた。
もっとも、クレテア軍の足を止めたのは、応急防御部隊の献身的犠牲のおかげではなかった。
天候が酷く悪化して動きを止めざるを得なくなったのだ。
クレテア側が足を止めた時、防衛線に幅5キロの穴が開き、深さ8キロの突出地が生じた。
防衛線の背後にあった村落を二つと前線備蓄所を1つ制圧。ただし、足止めされている間に、備蓄所は焼き払われていた。村の方は住民こそ居なかったものの、処分されずに残っていた食料といくつかの建物を確保できた。
村に入った兵士達は防衛線を突破したことより、久しぶりに暖を取って眠れたことを喜んだという。
この悪天候は一週間近く続いた。
クレテア側は作戦停滞中に物資不足の限界を迎え、攻勢を打ち切らざるを得なかった。戦術的には大成功、戦略的には不完全燃焼だった。
後世のクレテア人歴史家は次のように記している。
『この悪天候がもう少し遅く到来していたら、あるいはもう少し早く止んでいたら、この戦争は春までに終わっていただろう』
ベルネシア人歴史家の見方は少し違う。
『悪天候がなくとも、クレテア軍の足はすぐに止まっただろう。彼らはそれほどに物資が欠乏していた』
さて。真実はどちらか。
いずれにせよ、開戦から数か月。
この日、戦局が大きく動いた。




