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大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:初冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:南部国境付近。
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事の発端はヤン・ヴァン・キーツ海軍大尉だ。
彼の提案した作戦は、敵策源地の破壊による侵攻軍のさらなる弱体化及びクレテア国庫への打撃、つまり、敵の泣き所を思い切り引っ叩こう、というものだった。
悪くない。敵の弱いところを叩くのは常道である。
敵の物資、策源地を潰すことで敵侵攻軍を衰弱死させられる。餓死や病死、衰弱死させられるなら銃砲弾を使わずに済む。敵の国庫にダメージを与えれる点もよろしい。銭が無ければ戦争はできないのだから。
ただ、問題があった。飛空船が足りない。
海軍保有の飛空船は国境周辺とシーレーンの防衛任務に回されており、この作戦へ回せる数に限りがあった。
その後、船は民間船を動員することで補われたものの、砲弾が足りない。爆弾も足りない。
海軍は王妹大公令嬢ヴィルミーナを頼ることにした。
なぜ軍需産業のお歴々ではなくヴィルミーナなのか。その軍需産業のお歴々が防衛線への物資供給で既に手いっぱいだったからだ。
『ウチはもう無理っス。限界っス。え? 他に当てはないか? うーん、王妹大公令嬢様ならなんとかできるかも。手広くやってるし、この間もアルグシアから山ほど分捕ってきたし』
彼らがヴィルミーナの名を挙げた理由は、ヴィルミーナがあれこれと手広く商っていたことに加え、アルグシア連邦との取引で業界内にその勇名を馳せていたからだ。
特に、秋終わりの再交渉では、“小口取引”の五倍もの量をアルグシアから引き出した。しかも、買い付け単価は“小口取引”の時より割安だった(交渉後のアルグシア側は手籠めにされた村娘みたいな顔だったという)。
そんなわけで、海軍がヴィルミーナに話を持っていくと、
『私の麾下には弾薬製造工場なんて無いんだから、話を持ってこられても困ります。アルグシアとイストリアから引っ張ってきた物資で何とかしてください』
むべもなく断られても、海軍は諦めない。必死に食らいつく。何卒っ! 何卒ッ! 御国の存亡が掛かっておりまする、何卒ぉッ!
こうまで必死に嘆願されると、御紋まで賜った”政商”として断りにくい。
「……その面倒事を考えた奴を連れて来なさい。何がどれだけ要るのか。どういう物をどういう風に使う気で求めているのか、話を聞きたい。その上で私に何が出来るか考えさせて」
今度はヤンが青くなる番だった。
平民上がりのヤンにとって王妹大公令嬢なんて雲上人だ。その雲上人を説得して“融資”を引っ張らないと作戦が遂行できない。一介の事務屋大尉には荷が重すぎない? とヤンが嘆いたのも無理からぬことであろう。
かくしてヤンはヴィルミーナの許に参じた。
ヴィルミーナは猛烈に不機嫌だった。過労のせいだろう。目つきがコワイ。凄くコワイ。
「あげる時間は10分よ。要領よく明快に説明しなさい」
この10分は妻にプロポーズした時より緊張した、とヤンは後に語る。
ヤンのプレゼンを聞き終えたヴィルミーナは、反射的に嫌悪感が湧いた。
現代日本人は新興宗教的平和教育と共に、戦争の非道さと悪性を”感情的に”ひたすら叩き込まれて育つ。そして、刷り込みというのは案外バカにできない。
そうしたバックボーンを持つヴィルミーナは、都市爆撃を提案されたことに嫌悪感を抱き、その提案をしてきた人間が、村役場の御人好し公務員みたいな人物だったことに、慄いた。
この世界では、人の好さそうなあんちゃんまで、こない怖いこと考えるんかい。なんて恐ろしいんや……
と誤解気味に思いつつ、ヴィルミーナにしても既に腹を括っている。”優先順位”を間違えない。大事なのは自分と大切な人達とこの国と民。そのために都市爆撃が必要ならやるだけだ。
まあ、この世界の人間がやってええと思うなら、そーいうことなんやろ。それに……
どうせ死ぬんは敵や。
非情な割り切りを済ませ、ヴィルミーナはヤンへ逆提案する。
「私の麾下グループで航空爆弾や砲弾の量産は無理よ。設備もノウハウも人材もないもの。だから、代替品で対応しなさい」
「と、おっしゃいますと?」
「航空爆弾は、樽に爆薬と弾丸を詰めたものを使えば良い。それでも不足する場合は、焼夷弾で誤魔化す。焼夷弾も揮発性の高いものに洗剤を混ぜて燃焼剤を添加しておけば、充分よ。とりあえず、それで実験して納得できたなら、話を持ってきなさい。量産しましょ」
さらりと語るヴィルミーナに、ヤンは薄ら恐ろしいものを覚える。
18かそこらの娘が都市爆撃のアイデアを昼飯のメニューでも告げるように言い放つ。その事実に背筋が震える。
なんて恐ろしい……これが王妹大公令嬢様か……うちの娘達はこんな風にならないよう気を付けよう……
こちらも誤解を抱いてはいたが、物資提供の確約と問題解決のアイデアをもらったヤンは、丁寧に礼を告げ、王妹大公家を辞した。
そして、海軍が樽型の簡素爆弾と焼夷弾の実験したところ『悪くないやん』となり、大量生産と相成った。
規格は標準ワイン樽サイズ――約120リットル用が選ばれた。これは製造効率と飛空船への搭載作業能率の関係から決定された。
この予期せぬ大量需要に、国中の樽業者と職人達が嬉しい悲鳴を上げた。
〇
そして、作戦は実施された。
犠牲を覚悟しての、白昼爆撃。
安全性を考えるなら夜間爆撃の方が良かったが、練度問題と民間船を多用している関係から、目標を確実に目視で狙える白昼爆撃となった。
ベルネシア海軍のこの爆撃にかける意気込みが窺えよう。
海軍の戦闘飛空艇や戦闘飛空船が周囲をがっちりと守る中、民間の飛空輸送船や飛空客船、私掠飛空船、果ては飛空短艇までもが大船団を組んで進んでいく。
目標はクレテアの国境付近都市スノワブージュ。ベルネシア侵攻軍の2つある策源地の一つだ。前線への移送が滞っているため、膨大な物資がスノワブージュに留め置かれている。武器弾薬医薬品に食料、冬営用器具や資材などが大量に蓄えられているのだ。
その全てを破壊し、焼き払うため、船団の全飛空船は搭載できる限りの樽型簡易爆弾と焼夷弾を搭載していた。
肝となる物資備蓄倉庫に関しては、潜入させた工作員達が発煙剤や魔導反応で指示する手はずとなっていた。もっとも、精密爆撃なんて出来ようはずもないから、目標を狙って大量の爆弾と焼夷弾を浴びせるだけだ。おそらくはかなりの付帯損害――非戦闘員が巻き込まれて犠牲になるだろう。
作戦に参加している多くの将兵と船乗り達は「どうせクレテア人だろ? 敵じゃん」か「戦争ってそういうもんだろ? なんか不味いの?」で済ませていた。
流石は異民族と異教徒への虐殺と虐待と強姦と奴隷化を肯定していた時代である。人道的精神が乏しい。まして、侵略してきた国の人間となれば、良心と倫理の対象外なのだろう。
例外は作戦立案者として戦闘飛空艇に同乗していたヤン・ヴァン・キーツ大尉のような“自覚的”な者達だった。彼はウン年振りとなる戦闘飛空艇に乗れた喜びを覚えつつ、自らが起因となって行われる破壊と殺戮を思って良心の呵責に苛まされていた。
100隻にも及ぶ敵国飛空船団がスノワブージュの街へ迫る。
が、迎撃の翼竜騎兵も戦闘飛空船も来ない。対空砲火もない。魔導通信の妨害波もない。予期せぬ無防備状態にベルネシア側が困惑し、罠を疑ったほどだ。
種を明かせば、開戦以来、戦闘は主にベルネシア国境周辺に限られていて、スノワブージュ周辺には銃弾一発飛んできていない。
クレテア軍にしても、王都の御偉方にしても、戦闘が国境周辺に限られていたことから、ベルネシアが後方策源地を攻撃することはないと”信じて”いた。国境付近の村々が爆撃を受けても、だ。
人間は信じたい情報を信じる。見たい情報だけを見る。クレテア人はスノワブージュが攻撃されることはない、と信じたかったのだ。そして、信じきっていた。
少なくとも、この瞬間までは。
ベルネシア海軍の大船団が現われ、スノワブージュの街は大混乱と恐怖に包まれた。
街が男達の怒声と罵声、女達の悲鳴と泣き声に包まれる。逃げ惑う住民達。空に向けて小銃をぶっ放す兵士。混乱して暴れる馬車の馬。親とはぐれた幼子が泣きながら母親を探している。老人達が物陰で神に祈る。不埒者がどさくさに紛れて店頭の物品を懐に入れる。
そんな混沌と混乱の坩堝と化したスノワブージュへ――――爆撃が始まった。
輸送船の貨物搬入出ハッチが開き、乗員がストッパーレバーを外す。
ラックに詰められていた樽型爆弾が雪崩を打って転がり落ちていく。ラックから落ちる際、樽の蓋に装着された点火紐が引っ張られ、信管がフリーとなる。
風切り音を上げて降り注ぐ樽型爆弾の雨。
地面や建物に衝突した衝撃で、信管が樽いっぱいに詰められた爆薬を炸裂させる。
市街地に咲く爆炎の花。勢いよく巻き上がる爆煙が泡や水柱を思わせた。不発弾も少なくなかったが、破砕した樽からまき散らされた爆薬は、他の爆弾の爆発に誘爆したりして質が悪い。
船団先頭グループが爆撃を終えて街を離れていく。
先頭グループを守る戦闘飛空艇や飛空船が置き土産と言わんばかりに、爆撃した辺りへ砲撃を加えていった。
第2グループが爆撃を開始。
爆弾が7割。焼夷弾が3割。油と洗剤と発火剤を混ぜた即席ナパーム剤は、爆撃で露出した建物の木材に引火。激しく燃え上がる。こちらも不発弾が多かったが、むしろナパーム剤を飛散させて延焼を悪化させていた。
燃え広がる炎熱は全てを飲み込んでいく。建物も街路樹も人間も、屋根裏のネズミまで。
船団第2グループが爆撃を終えて旋回。帰投する。
やはり、警護の海軍飛空船達が追い打ちを加えていく。流れ弾が街のシンボルである中央広場の尖塔を直撃し、へし折った。
最後の第3グループが爆撃を開始。爆弾4割、焼夷弾6割。飛空短艇も多いこのグループは投射量が先行した2つのグループより少ない。が、代わりに、容量1トン弱に達する特大樽爆弾を積んでいた。
これは元々搭載量が知れている飛空短艇には、量を積むより特大の一発の方が良い、と判断されたためだ。
その特大樽爆弾の一発が砲弾薬集積倉庫を直撃した。
大型倉庫いっぱいの炸薬が殉爆し、莫大なエネルギーが放出される。その高熱圧力により、砲弾備蓄倉庫周辺にいた警備兵達が文字通りこの世から完全に消滅した。甚大な爆発圧力は倉庫周辺の建物を一瞬で破壊しつくし、街区一つを瓦礫の山に変える。
衝撃波はスノワブージュの外まで伝播し、いくつかの脆い建物や壁などを倒壊させた。都市上空を通過中だった飛空船達は熱圧と爆炎の上昇気流に激しく揺さぶられ、小型短艇数隻と間の悪い飛空船が転覆するように墜落した。なお、この墜落した船の生存者達は怒り狂った住民達の私刑に遭って殺されたという。
粉塵と煤煙を含んだ土石流みたいな爆風が吹き荒れる。巨大な爆煙と粉塵が空高くへ昇っていき、巻き上げられたおびただしい量の瓦礫が街内外へ降り注ぐ。
その甚大な爆発音は遠く離れたウェルサージュまで届いたという伝説が生じたほどだ。
最後の第3グループは犯行現場から逃げるように街の上空を出ていく。もちろん、警護の海軍飛空船達は街へ砲撃を加えていった。仕事熱心過ぎませんかね。
この空襲の規模は、地球史の第二次世界大戦で行われた諸々の空襲と比べれば、児戯と言っていい程度だった。
しかし、スノワブージュ側も空襲の対策をしていなかったことで、集積された物資の84パーセントが失われ、街はその策源地としての能力を喪失した。
人的被害は数字が錯綜しており、数百名から一万弱まで幅がある。後世の研究では、3000~5000人ほど死傷したと見られている。
ベルネシア側の損失は民間飛空船3隻/飛空短艇5隻が墜落。戦闘飛空船5隻(飛空艇含む)が爆発の余波によって損傷。
帰還までの間に、クレテア翼竜騎兵の追撃や対空攻撃により7隻の民間飛空船が大破。戦闘飛空船一隻が撃墜。
最終的な死傷者は174名だった。
ヤン・ヴァン・キーツ大尉は晩年に至るまでこの日のことを家族に語らなかった。ただ、この爆撃が行われた日には必ず教会へ通い、長い時間、祈りを捧げたという。
そして、その巨大な爆煙はベルネシア侵攻軍総司令部からも見えた。
「何が……起きたんだ……」
参謀の一人が唖然としながら呟く。
回答を持っている者はいなかった。何が起きたのかは分からない。だが、その結果は分かる。二つの策源地のうち一つが失われたのだ。大勢の現地住民の命と共に。
これで兵站は絶望的になった。冬ごもりどころではない。
ランスベールは瞑目した後、
「侵攻軍の全馬車、全馬匹を以って残るシャルルヴィル=バジメールから弾薬を搔き集めよ」
告げた。
「物資の移送完了次第、行動を起こす。参謀長。作戦の糸を引け」
参謀長を始めとする全員が固い面持ちで答礼した。
〇
スノワブージュ爆撃の報せを聞いたヴィルミーナは、ただ「そう」とだけ返した。
なにせ、前世が日本人であるヴィルミーナはよぉく知っている。高高度から一方的に爆弾を落とす行為がどのような効果をもたらすか。この世界で唯一人知っている。
作戦成功を喜びはしなかった。が、かといって、後悔や反省、良心の呵責も全く抱かなかった。ただ、この爆撃によって何が起きるのか、考えていた。
まったく動じなかったヴィルミーナと違い、スノワブージュ爆撃はクレテアに激震をもたらした。
空襲自体は珍しくない。この世界の戦史において、大帝国による翼竜部隊の大空襲、といった記述が度々散見される。空を飛ぶ手段があれば、相手の手が届かない上空から攻撃する、というアイデアは猿でも思いつくものなのだ。
しかしながら、スノワブージュ爆撃はこの世界で繰り返されてきた空襲とは、質が違う。
敵軍の撃滅や都市攻略の一手段としてではなく、国庫への打撃と兵站の破壊を目的とした戦略爆撃は、この世界のこの時代における軍事的常識から逸していた。
そのため、クレテアの政治指導層はこの爆撃を『政治的衝撃を目的としたもの』と認識した。
実際、最前線から離れた策源地が直接狙われたことで、国境に近い諸都市は恐慌状態に陥っていた。特にスノワブージュ同様の策源地であるシャルルヴィル=バジメールは市民が軍を追い出そうと暴動を起こす始末だった(軍がいるせいで爆撃される、という理屈)。
また、ベルネシア飛空船部隊がやすやすとクレテア本国に侵入してきた事実が、クレテアの特権階級層を慄かせていた。海運貿易国であるベルネシアは長距離飛空船が多い。つまり、その気になれば、クレテアのどの都市も、ウェルサージュすら爆撃可能なのだ。
戦場の兵士達同様に自分達も命を狙われる――銃後で贅沢暮らしをしている特権階級層にとって、この衝撃は大きかった。
この戦略爆撃の意味を正確に把握していたのは、侵攻軍の総司令部と宰相マリューを中心とする内政官達だった。
20万の軍勢を維持するための物資、その半分が唐突に失われた。その補充と補填、破壊されたスノワブージュの再建、いったいどれだけの費用が掛かる? 国庫は既に床が見え始めている。このままでは赤字国債と借款といった方法を採るしかないが……それは国家破綻への道だ。
内政官達が『休戦』『停戦』『講和』といった単語を脳裏に浮かべても、無理はなかった。
ただし……頭の痛い問題として、この爆撃によって国民の反ベルネシア感情が爆発したことだ。これではそうそう剣を下ろすことは出来ない。迂闊な停戦や休戦は民衆の大反発を生む。
何らかの軍事的成果を上げない限り、あるいは……考えたくないが、決定的敗北を喫さない限りは無理だろう。
かくして、スノワブージュ爆撃の衝撃に国中が揺れ、宰相マリューの貴重な毛髪が大量に失われ、国王アンリ15世が激憤のあまり卒倒寸前になったところへ、侵攻軍総司令部から連絡が届いた。
――我ら、如何なる犠牲も恐れず敵防衛線の突破へ挑む所存なり。




