表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第1部:少女時代

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

58/336

7:0b

大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:晩秋。

大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:南部国境付近。

―――――――――――――――――――――――――

 クレテア側はベルネシア軍が順調かつ思惑通りに防御戦を展開していると思っていた。

 その実は薄氷の上で踊っているようなものだった。


 弾薬消費量が予想を上回っていた。いくつかの前線備蓄所が早くも空になっている。

 後方の弾薬製造工場は昼夜を問わず増産に明け暮れていたが、それでも弾薬の消費ペースに追いつかない。


 前線と策源地を駆け巡る補給部隊は想定以上の過労状況にあり、既にへばっていた。

 兵員の死傷率も想定より高い。防衛線後方に用意された野戦病院群も八割が満床状態で、医師と看護師が不眠不休で働いている。


 国庫には余裕があるのに現物がない。現物はあるのに前線へ送れない。物は届いても人手が足りない。順調どころか破綻寸前の状況だった。


 それでも、辛うじてベルネシアのロジスティクスが機能していたのは、ヴィルミーナの影響だろう。新型馬車と改善物流システムがベルネシアの命脈を支えていたのだ。むろん、本人はこんなこと想像もしていなかったが。


 後方が躍起になって支えている最前線では、人間の持つ忍耐力が試されていた。

 将兵は塹壕の底で冷たい泥濘に塗れながら寝起きし、飯を食い、排泄し、敵の砲撃に耐え、迫りくる敵兵を殺し、場合によっては殺される。仲間や友人の死体をせっせと運び出し、馬車に乗せて防衛線後方へ送り出す。連絡道路には、馬車から零れ落ちた血肉や手足や内臓が散乱している。


 最前線の士気はとっくに払底していた。大軍相手の持久戦に将兵の心身は擦り切れていた。愛国心だの愛郷精神だのそんなものは何の支えにもならない。

 彼らがグロッキー状態に陥りながらも逃げ出さずに戦うのは、銃後に暮らす家族や愛する者達を守るためだ。

 そして、彼らがベルネシア軍制による精鋭主義の下、徹底的に鍛えられた兵士という名の“兵器”だったからだ。骨の髄まで鍛え上げられた彼らは、グロッキー状態だからこそ、習性的に戦い続けられる。否、戦うこと以外に考えられない。


 これだけ血道をあげてもなお、戦況は芳しくない。

 ベルネシア国境防衛線総司令部では、少なくとも年内いっぱいは国境防衛線で敵を減耗し続ける予定だった。


 しかし、開戦から二月ほど経った現状の弾薬消費量と兵員の損耗率、敵戦力と攻勢圧力を考慮すると、見通しが暗かった。


 国境防衛線は5重の塹壕帯陣地とトーチカ群を用意してあった。いくつかの地域は未だ第1帯で持ちこたえている一方で、既に第3帯まで踏み込まれている地域もある。


 戦線が均質な直線状態を持つことはありえない。様々な要素と事情から、自然と複雑怪奇なジグザグ線を描くようになる。

 こうなってしまうと、攻守双方が苦労に悩まされる。戦線を整理すれば、予備戦力も獲得出来るのだが……迂闊な後退は戦線崩壊を招きかねないから、かなり難しい。


 で、ここぞとばかりに攻勢派の声がでかくなる。

 守ったままではジリ貧だ。ここは攻勢に出て敵に甚大な損害を与えるべしっ! 今は敵も弱気になっている。裂帛の意志と不退転の決意をもって吶喊すれば、クレテアの如き弱兵は――


 防衛線総司令部は開戦前にある程度のバカを追い出したことで、攻勢論者達の口を噤ませていた。しかし、戦況の悪化に伴い、連中はまたぞろ息を吹き返してしまった。


 防衛線総司令官クーホルン中将は強引に攻勢案を退けた後、妻への手紙にこう書いている。

『自分の忍耐力を褒めてやりたい。もう少しであのバカ共を撃ち殺すところだった』

 

 ともかく、ベルネシア側の現実はクレテアが想像している以上に深刻であり、一刻も早い外洋派遣軍の帰還とイストリア連合王国軍の来援が必須だった。

 ところがぎっちょん。


      〇


『南小大陸イストリア連合王国植民地にて、入植民の大規模蜂起発生』

 ヴィルミーナは報せを聞き、思う。

 これさあ……独立戦争ちゃう? 独立戦争やろ? 不味い……これは不味いで。


 ヴィルミーナの予感は正しかった。

 イストリア連合王国はベルネシア来援軍を南小大陸の植民地へ向けざるを得なくなった。来援軍の派遣は未定になった。


 下手すると、むしろベルネシア外洋派遣軍の南小大陸軍団を貸せとか言い出すやろなぁ。

 これまた大当たりである。

 この時、国王カレル3世と王国府のお偉方はイストリア大使から、ベルネシア来援軍派遣の差し止め通告と外洋派遣軍の協力要請を聞かされ、ブチギレている真っ最中だった。


 後日に聞いたところ、イストリア大使は大汗を流しながら必死に弁解したという。

『我々は同盟国を決して見捨てませんっ! 見捨てませんっ! がっ! 来援軍をいつ送り出すかは、我々が決めることでして……や、見捨てませんよっ!?』


 ここで同盟国ベルネシアを見捨てたら、ベルネシア外洋領土の全てが反イストリア勢力に化ける。それはイストリアにとって色々と不味かった。

 結局、イストリア大使はひたすらに汗を流しながら、

『物資を都合するから、当座はそれで頑張ってっ! シーレーンの警備はこっちでもやるしっ! あの、その、と、とにかく頑張ってっ!』

 要約すればそんなことを言って退散したらしい。


 ヴィルミーナは考え込む。

 南小大陸イストリア植民地の大規模蜂起により、外洋派遣軍の大規模な引き抜きも難しくなった。もしも、大蜂起が自分達の外洋領土に飛び火したら、物資供給が困難になって『詰み』だからだ。


 増援到来が遠くなった。代替案が要る。

 軍と王国府はどう動くだろうか。


 戦時徴兵制は既に実施している。貴族平民を問わず若者が軍隊に引っこ抜かれていた。先立ってヴィルミーナが要望した通り、理系/技術研究系の人材は徴兵を免れている。

 

 その徴兵した連中を促成するにしても、2週間から6週間は欲しいが、戦況次第か。や。訓練しても無駄やな。ニワカ仕込みの兵隊に精鋭主義の軍が要求する任務水準を満たせるわけがない。動員部隊が前線へ送られる時点でもうアウトやわ。


 精鋭主義の最たる弊害は第一線部隊が失われたら、後が続かないことだ(旧日本軍航空隊が良い例)。

 となると、使い物になるんは、王都を守る近衛軍団、アルグシア国境と沿岸地域に残っている現役兵部隊、予備役部隊か。これを使い切るまでに援軍が届かへんかったら、詰みやな。降伏するか、市民を使い潰しての時間稼ぎしかない。


 まあ、素人の私が気づくことやもの。本職連中も気づくやろ。あとは決断次第やな。

 ヴィルミーナが察した通り、国王カレル3世とベルネシア軍総司令部は自国軍の切羽詰まった状況をちゃんと把握していた。


 ゆえに、彼らは決断した。

 アルグシア国境と北部/西部沿岸の残置戦力とその弾薬と火砲を全て南部防衛線へ回す。


 もしもアルグシアが裏切れば、ベルネシアは東から崩壊するだろう。もしもクレテア軍が意表をついて北部や西部の沿岸に上陸戦を仕掛ければ、ベルネシアには為す術がない。


 しかし、20万もの兵力を投じたクレテア軍にそうした行動はできない。国庫の問題もあるし、前線の将帥達(と大貴族達)のメンツにかかわるからだ。

 アルグシアも裏切らない。今はまだベルネシアにモノを売って稼ぐ方が儲かるからだ。南部防衛線が抜かれたら、その時は分からないが……


 決断を下して以来、カレル3世は就寝時に必ず愛妻の王妃エリザベスを抱きしめるようになった。その温かく柔らかな乳房の間に顔を埋めでもしなければ、不安の大きさと重さに耐えられず、一睡もできなくなっていたから。


       〇


 ベルネシア海軍総司令部付大尉ヤン・ヴァン・キーツは、まだ30に届いたばかりでその容貌は軍服を着ていなければ、田舎役場の公僕にしか見えない。


 実際、キーツは海軍軍人ながら船に乗った期間より、陸で書類仕事をしている期間の方が長い。実戦経験は初陣の一回きりだった。なお、その初陣で目を回してしまい、船を下ろされたという背景がある。


 平民出ながらも海軍士官学校を優秀な成績で卒業していたため、クビにならず総司令部で書類仕事を扱うことになった。


 周囲からは『戦場で目を回した情けない奴』と見られつつも、キーツは黙々と仕事をこなしてきた。庶務、総務、経理、人事と渡り歩き、今は兵站部に勤めていて、対クレテアのハンター・キラー任務に当たっている戦闘飛空船部隊を担当していた。


 その能力評価は飛空船部隊から『補給で困ることが無い』と評された辺りに窺えよう。

 海軍上層部も現在はキーツの軍官僚としての能力を高く評価しており、将来的な後方事務方のトップ候補とすら見做している。船上勤務に戻すことは全く考えていなかった。


 しかし、キーツ本人はもう一度船上勤務に就きたかった。だって、船が好きで海軍に入ったから。特に空を泳ぐ飛空船が大好きだった。青空を回遊するその姿に心奪われていた。

 よって、此度の戦争はキーツがもう一度船に乗る絶好の機会であり、何があっても逃せなかった。


 それに、だ。

 彼には愛しの奥さんと幼い娘が二人いた。


 奥さんは貴族でありながら、両親を早くに亡くした孤児同然の自分に嫁いでくれた。妻の両親もそれを快く許してくれた。まだ幼い娘達は目に入れても痛くないほどに可愛い。

 キーツは彼らを守りたかった。自分の良心を悪魔へ差し出してでも。


 彼は卓越したその頭脳をもって作戦計画書を海軍上層部へ上申した。兵站部の事務屋風情が分も弁えられんのか、と憤る者もいたが、軍上層部がそうした反発を蹴り飛ばした。

 武勲ではなく、後方勤務で将来を嘱望されるような男が何を言ってきたのか、純粋に関心を持ったためだ。

 そして、彼の作戦計画は――――。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ