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大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:晩夏。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:南部国境付近。
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晩夏を迎えたこの頃、大陸西方メーヴラントでは着々と戦争の準備が進められていた。
一つはクレテア王国軍である。
王太子の結婚後、クレテア王国軍は大規模な動きを見せた。
聖冠連合に備えていた東部軍15万人のうち、10万人が引き抜かれて北部国境へ向かって移動している。中央からは直衛軍3万も北部へ向かって動いた。
北部国境近辺に北部軍の戦力8万人が集結し、国境周辺の村や町に駐屯し始めた。
21万もの戦力投入はこの時代の戦争としては破格の規模だった(地球19世紀初頭のアウステルリッツ三帝会戦でも両軍合わせて15万である)。もちろん、その戦費も。
常備軍だけとはいえ、これほどの大戦力を事前集結させる例は珍しい。短期決戦に懸けるクレテアの本気具合が窺えよう。
もう一つのベルネシア軍はクレテア以上に本気であった。
クレテア軍の動きを察知したベルネシアは南部方面軍団へ事実上の戦時体制を発令した。
国境周辺の全ての村落集落から住民を根こそぎ強制避難させ、穀物の備蓄から家畜に至る全ての食料を後方へ移送。
住居から掘立小屋まで全て解体し、井戸を埋め立てた。回収した資材を国境防衛線と陣地の強化と偽装に用いている。
国境線から防衛線の間にある全ての橋が破壊され、全ての街道や山林道に障害物が施された。
北部方面軍団からも引き抜ける兵力を可能な限り回され、国境近辺に作戦予備を含めた7万人に至る。これは事実上本国軍の過半数だった。
さらに全国的な予備役招集と募兵運動が行われた(ベルネシア軍は志願制である。戦時徴兵制も取られるが、敵の侵攻を早めること危惧し、ぎりぎりまで発令が遅らされていた)。
冒険者達の多くも傭兵として参集させられたが、その数はさほど多くない。なぜならモンスター素材や天然素材の採集もまた、国家経済や物資流通に直結する重要な経済案件だからだ。
南部方面軍団司令官クーホルン中将は南部方面軍団の諸部隊を回って、徹頭徹尾防御戦闘に終始することを命じた。要するに籠城戦である。
「ひたすら奴らに出血を強制せよ。外洋派遣軍が帰ってきた時の総反攻に備えるべし」
血気盛んな一部の南部貴族将校がこの方針に強く反発した。クレテアの弱兵如き、鎧袖一触にしてくれる。いざ野戦にて決戦に臨まんっ!
クーホルン中将はそうした将校たちを説得せず、容赦なく後方へ更迭した。国の存亡が掛かっている時に、司令官へ立てつくバカなど要らんのである。そもそも戦力差が3倍もあるのに、決戦だと? アホが。
戦線後方では昼夜を問わぬ軍需増産が行われていた。武器弾薬がひっきりなしに製造され、次々と前線とその後方策源地へ送られていく。
この時に活躍したのが、ヴィルミーナの新型馬車と小街区で用いられている物流システムやマネジメント方法だった。
ヴィルミーナの開発した新型馬車はこの時期に増産され、その快速性と踏破性を活かして物流と移動を大幅に向上させている。また、大量の軍需物資を小街区の進んだ物流システムとマネジメント方法によって効率的に流通/管理したことで、後にベルネシア全土に普及した。
疎開させられた南部国境周辺住民のための仮設住宅に、開戦後に移送されてくるだろう負傷兵用の野戦病院も建設された。負傷兵移送用馬車や小型飛空艇(後に救急プログラムに発展する)が用意され、緊急治療体制が整えられた。
これらのシステム確立にヴィルミーナの直接関与はない。ただ、ヴィルミーナがメルフィナと共に戦時民間医療所を申請する際、許認可を取りやすいようあれやこれやと書いた提案書きが誰かの目に留まった結果だった。
こうした成果と功績が大々的に知られることはなかったが、関係各所でヴィルミーナの人材的価値をじゃんじゃか高めていた。
本人のまったくあずかり知らないところで、だが。
〇
第一王子エドワードは学園の修練場で黙々と剣を振っていた。
もうじき、戦争が始まる。
この年頃の若者らしい勇気と冒険心、王族としての矜持と使命感から、エドワードも戦場行きを望んでいた。が、現状その願いが叶えられることはなさそうだった。
『実戦経験もない予備士官なんぞ戦場で何の役に立つっ! 第一王子のお前が戦場に行くことで現地部隊にどれだけの負担が掛かるか想像できんのかっ! お前の都合で軍の足を引っ張り、将兵を犬死させる気かっ! 弁えろ、エドワードッ!』
現国王カレル3世に厳しく叱責されてしまった。
ここまで言われては、エドワードと言えども引き下がるしかない。
同時に、酷く傷ついた。国難に際し、自分が役立たずどころか邪魔になると言われては、立つ瀬がない。
むろん、この心境は誰にも話していない。特に妙な性癖を見せるようになったグウェンドリンには。まあ、うん。情の深い『佳い女』だと認めるが……“アレ”はなあ……
グウェンドリンの膝枕は良いものだ。それは認める。最適比率の筋肉と脂肪を持つあの太ももの感触。鼻をくすぐる良い香り。髪を撫でる手つき。……良いものだ。赤ちゃん言葉さえ要求されなければ……
――て、そんなことを考えている場合か。
エドワードはひときわ強く剣を振り、雑念を払って思考を改める。
自分には何が出来るだろうか。何かできることはないだろうか。ヴィーナは一資本家として実業家として既に国と民に貢献している。それどころか、アルグシア相手の交渉では外交官としての力量も示したという。自分も次期国王として王子として何かを為したい。一人の男として何かを成し遂げたい。
と、調子外れの歌が聞こえてきた。
タマネギがどうたらかんたら……単調ながら耳に残る歌だ。
集中を殺がれたエドワードが剣呑な目を向けると、アリシアとヴィルミーナの側近達が姿を見せた。即座に機嫌を直すエドワード。ちょろすぎませんかねえ。
アリシア達はエドワードに気づくと、礼儀正しく一礼する。
エドワードは笑顔で答礼し、剣を鞘に納めてアリシア達の許へ歩み寄った。
「やあ、アリス。君がここに来るのは珍しいな」
「ちょっと体を動かしたい気分だったので。エドさんは一人ですか?」
「まあ、な。少しばかり無心で剣を振りたかった」
バツの悪そうな顔をしてエドワードは剣の柄頭を撫でた。
アリシアの傍にいるヴィルミーナの側近達の中には、エドワードと同じ予備士官課程を採っている少女もいた。名前はたしかマリサだったか。
「マリサ嬢。君も鍛錬か?」
「はい、殿下。いつ動員されても良いように」
「動員か……あると思うか?」
「殿下の方が事情に通じているのでは?」
マリサが不敵な態度を崩さずに挑戦的な反問を返すと、エドワードは自虐的な気分に駆られた。
「俺は王立学園の一学生で、単なる予備士官候補生だ。国政や軍の秘密には触れられんよ。場合によっては、ヴィーナの方が詳しいかもしれないな」
「そうなんですか?」
アリシアが少し驚いたように目を瞬かせた。
「あいつは今や我が国でもそれなりの大資本家で大実業家だ。軍や王国府にも独自のパイプを持っている。俺よりも顔が広いくらいさ」
エドワードの嫉妬が微かに滲む賛辞に、マリサ達側近衆が誇らしげに面持ちを緩める。
「それで、話を戻すが、マリサ嬢。君はどう考える? 忌憚ない意見を聞かせてくれ」
「では、“エドワード様”。あくまで同じ予備士官候補生として私の意見を言いましょう」
マリサは口端をゆがめ、言った。
「我々の動員は十分にあり得ます。クレテアがどこまでやる気かは知りませんが、今回の侵攻は入念に準備されています。戦時徴兵が発令されたとして将校が不足しますから――」
「我々の動員もありえる、か。なるほど」
エドワードは考え込む。その段階に至ってなお、王族であるからと言って、自分だけ動員から外されるなんてごめんだ。なんとか父を、王を説得する材料を考えねば。
「マリサ。それ、ヴィーナさまの言ってたことじゃん」
アリシアがあっさりばらすと、マリサがムッとして頬を膨らませた。
「何で言っちゃうんだよっ! 言わなきゃ出来る奴と思われたのにっ!」
「えっ!? なんで私、怒られてるのっ!?」
「ははは~」
姦しい少女達のやり取りに、エドワードは微苦笑を湛える。戦争の足音がすぐそばまで迫っているのに暢気な、と思う一方で、気負わぬ彼女達の在り方が好ましく、どこか羨ましい。
「よければ、アリス達の鍛錬に混ぜてくれないか? アリスが居るなら魔導術戦技もやるんだろう?」
エドワードの提案にアリシアは、どうする? とマリサ達に目で伺う。
「構わないよ。将来の国王陛下をぶっ飛ばしたってのは後々自慢できそうだしね」
「おっまえはホントに怖いもの知らずな。不敬罪でクビが飛ぶぞ。物理的に」
やいのやいのとマリサ達が言い合い、
「良いみたいですね。じゃ、いっしょにやりましょー」
アリシアは屈託なく笑ってエドワードの提案を受け入れた。
ああ……この笑顔。心が洗われるようだ……。エドワードが密やかに心をトゥンクとときめかせる。
もはやグウェンドリンと婚約破棄など出来ようはずもない(それをやったら、間違いなくエドワードは廃嫡、あるいは、勘当される)。しかし、やはりアリシアを忘れることなど出来ない。周囲が仄めかすように、愛人として囲ってでも傍に置きたい、置き続けたい……
だが、アリシアに日陰者の愛人として生きることを強要して良いのか? そんな立場に追いやられたら、この笑顔が失われてしまうのではないか?
俺はどうしたら―――
なんだか乙女な心理状態の第一王子エドワードをよそに、世界は回っていた。
この日、大クレテア王国がベルネシア王国に宣戦布告した。
次からは戦争。残酷表現が続きます。御留意ください。




