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大陸共通暦1766年:ベルネシア王国暦249年:晩春。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
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子供とは大人の事情に振り回される生き物である。
それは現代でも近代でも変わらないし、地球でも異世界でも変わらないし、貧民の子でも貴族の子でも変わらない。
王立学園を始めとする全ての国公立学校と私塾で生徒に軍事教育が導入された。体力訓練、戦闘魔導術、魔導術戦技、銃の扱い方に戦術訓練。従来からあった授業もあるが、完全な実戦形式に変更されている。
「くっそっ! 俺も行きてえっ! 手柄を立てて親父達を見返してぇっ!」
「クレテア野郎に思い知らせてやるのにっ!」
と鼻息が荒いのは、王立学園高等部予備士官課程の生徒達。運動会や体育祭を前にした運動部員のように意気軒高だ。
「予備士官課程の連中はともかく、官僚課程や教養課程まで……学徒動員するってことか?」
「僕達も戦場に行くのかな……そんな切羽詰まってるのかよ」
戦争が珍しくない時代だからと言って、誰も彼もが戦争を肯定的に捉えるわけではない。不安を覚える者もいるし、忌避感を抱く者も少なくなかった。
「動員されたって、私達はどうせ後方勤務でしょ?」
「つまんないよね。戦場に出してもらえるなら、男共なんかに負けないのに」
「クレテア人は捕まえた女を犯した後に喉を掻き切るんだって」
「怖いこと言うのやめてよぉ……やだよぉ……戦争なんて行きたくない……」
女子達も例外ではない。男子と同様の訓練を求められた時点で、自分達も招集される可能性を無視できないのだから。
そんな中でも変わらない人間というのは要る。
「聞いてくださいよぉ、ヴィーナさまぁっ! 食べ物の値段がすっごく値上がりしてるんですっ! こんなの、大冥洋群島帯じゃなかったですよっ! 阿漕すぎますぅっ!」
ドンパチの絶えない外洋領土出身のアリシアは、こうした雰囲気の中でもいつも通りに太平楽だった。アリシアに言わせれば、戦争が始まる前から、こんな慌てる理屈が分からないらしい。
「本国はここ20年以上、戦火に晒されてないからね。久しぶりの戦争で皆、泡食ってるのよ」
ヴィルミーナも平然としていた一人だ。
もう既に取り乱した後(5:5参照)だったし、何よりも動揺する暇もなかった。
この時期、ヴィルミーナの麾下組織は戦争需要(食糧不足や物資不足に備えての駆け込み需要や買い占め)が生じて大忙しだった。不足するであろう各種物資や人員の対策案など、諸々の対処に追われている。
そして、そんなところへ様々な相談や陳情が持ち込まれる。
たとえば、仲良しのメルフィナとか。
名門ロートヴェルヒ侯爵家次女メルフィナ・デア・ロートヴェルヒ。
ヴィルミーナに匹敵するほど商売や事業が大好きな彼女は、ヴィルミーナほど豪快かつ派手に事業展開していなかったが、美容サロンビジネスを中心に、ファッション、化粧品、コスメグッズなど女性をターゲットにした事業を展開、一端の実業家となっていた。
「美容サロンもお客が激減です……コスメとかそっち方面の売り上げも落ちてます……」
メルフィナの各種事業は戦争による社会情勢の変化の煽りをがっつり受けていた。どうしたものかと頭を抱えている。
「このままじゃ倒産です……ヴィーナ様、何とか良いお知恵はありませんか?」
そうねえ、とヴィルミーナは考え込む。
「この際、美容サロンは縮小しましょう。戦線後方の臨時治療施設を建てて、そこの看護補助員にする。私も協力するから医師と看護師を搔き集めましょ。人材さえ保護できれば、再出発できるわ」
「ありがたいお話ですけど、それだとヴィーナ様に利得がないんじゃ……」
「あるわよ。大ありよ」
王族が戦争成金、なんて風評は絶対に避けたい。聞こえの良い社会貢献はいくらでも歓迎だ。
”戦後”を視野に入れるなら、こうした活動のもたらす利得は特に必要だろう。
「とにかく、いろいろ対策を立てましょう。メルも5年以上実業家をやってるんだから、このくらいでオタついててはダメよ」
「……っ! はいっ!」
気持ちを切り替えたメルフィナは目の色を変え、力強く頷いた。
〇
学園の変化はもう一つある。
王立学園高等部では在校生の婚約ラッシュが生じていた。
そのラッシュに乗って婚約した一人の若者が王立学園内の食堂で、唸っていた。
「ぐぉおおおお……っ! どうして、こう、なったっ!」
体育会系熱血イケメンのユルゲン・ヴァン・ノーヴェンダイクは頭を抱えている。
ユルゲンは高等部一回生の“やらかし”後、近衛軍団長である親父に軍の訓練へ放り込まれ、血尿が出るほど鍛えられまくった。そのおかげで、今や180台半ばの長身とたくましい筋骨を持つ美丈夫となっていた。
「何言ってんだ、ジーン(ユルゲンの愛称)。あんな美人でおっぱいの大きい、おっぱいの凄く大きい嫁さんを貰えて何が不満なんだよー」
三枚目系イケメンのカイ・デア・ロイテールが軽薄な口調で囃し立てる。
こいつもやらかし後に北部沿岸候の父親からひと冬の間、水兵生活へ放り込まれた。骨の芯まで凍える日々を経験した今も、軽薄だった。身長180前後の長身と細マッチョな体。健康的に日焼けした肌。女食いまくってそうなジョック野郎である。
「僕はユルゲンには姉さん女房が合ってると思うよ。良縁だよ、良縁」
どこか冷めた様子のギイ・ド・マテルリッツ。
相も変わらず弟系カワイイ美少年だが、その可憐な面立ちはどこか翳がある。やらかし事件後、まるで人が変わったように魔導術の鍛錬と研鑽に勤しみ、その実力は今や現役の宮廷魔導士達すら瞠目するほどだという。でもさぁ……君、なんか闇落ちしてない? 大丈夫?
「ギイの言う通りだ。ジーンにぴったりの嫁さんだぞ。もっと素直に喜べ」
すらりとした中肉中背のクール系メガネイケメンのマルクは、やらかし後に物腰が丁寧になった。母親の鞄持ちをやらされて女性尊重の精神を叩きこまれた結果だろう。
「お前ら、よぉ言うなっ! 俺が婚約してアリシアに近づけなくなったから、喜んでるんだろーがっ!」
ユルゲンは脳筋である。考えるより先に動くタイプだ。もちろん、名門大貴族嫡男として英才教育を受けて育ったから地頭は悪くない。が、脳筋である。その脳筋ユルゲンでも、幼馴染で親友のこいつらの“真意”くらい分かる。
こいつらの祝福は婚約のことだけではない。『これでアリシアに近づく邪魔者が一人減った』ことも祝っている。二重の祝福なのだ。
「そんなことないぞぉ、ジーン」「そうだよ、ユルゲン。被害妄想だよ」「深く考えるな。熱が出るぞ」
三人の親友達はくっくっくと人の悪い笑みを浮かべていた。真意が読まれることすらネタにして笑っている。深い絆があればこそ外道振りだった。
「お前ら、覚えとけよっ!」
悔しげに吠えるユルゲン。彼は今でもアリシアを強く強く恋慕している。
しかし、今回の縁談を蹴ることは出来ない。高等部一年生時のやらかし以来、両親の信用と信頼が激減していた。
父親はユルゲンを近衛軍団へ入れることをやめ、卒業後は陸軍に放り込むことを決めている。父はアホの子を見る目を向けながら『お前は外で揉まれてきた方が良い』
婚約者を見つけてきた母などは『この母のメンツを潰すような真似はしませぬな?』と脅しをかけてくるほどだった。
ユルゲンは固く固く拳を握って、親友達へ宣言した。
「たとえ結婚しようとも、俺のアリシアへの思いは永遠に不滅だからなっ!」
親友達は、あ、と目を丸くし、視線がユルゲンの後方へ移った。
彼らの目線の動きに、ユルゲンはごくりと生つばを飲み込む。脳筋であるがゆえに、彼は感覚が鋭かった。上ずりそうな声で、最も仲の良いマルクに問う。
「……後ろか? 後ろに、居るのか?」
問われたマルクはそっと目線を外した。
ユルゲンはぎぎぎぎと金属が擦れる音が聞こえてきそうな動作で振り返った。
そこには、先程の宣言を聞いたのだろう。バツの悪そうな面持ちの王子エドワードとグウェンドリン。
第一王子は嘆息交じりに言った。
「ユルゲン。お前に用向きがあると訪問されてな。こうして案内してきたんだが……」
そして、2人に案内されてやってきたユルゲンの婚約者――
リザンヌ・デア・ベルクラウアー侯爵令嬢(22歳)が立っていた。
夏物のカジュアルドレスが包むその肢体は凄い。大迫力のHカップを誇る胸元。きゅっと搾り上げられた腰回り。優艶なヒップ。AV業界のスカウトマンが見たら10年に一度の逸材とかいっちゃう程の恵体だ。
緩やかな縦巻きパーマが施された髪のゴージャス感が凄い。艶気の溢れる双眸に宿った嫉妬の気炎は、もっと凄い。
「ダーリン。どうやら私達はまだ話し合いが全然足りていなかったようね」
ダーリン? その場にいる全員がユルゲンを見る。お前、ダーリンって呼ばれてんの?
「り、リザンヌ嬢、さっきのは、」
一瞬で気圧されたユルゲンが言い訳を口に仕掛けるも、
「ダーリンッ! 私のことはハニーそう呼ぶ約束でしょう……?」
かつんっ! とハイヒールの底で床を蹴り鳴らすリザンヌ。ユルゲンが即座に黙り込んで固まった。
ダーリン? その場にいる全員がユルゲンを見る。お前、ダーリンって呼んでんの?
「ま、待ってくれ、さ、さすがにここでは――」
「殿下、皆さま。少しばかりハニーと話し合ってまいります。御免あそばせ」
リザンヌはユルゲンの襟首を掴むと子猫のように連れ去っていく。
ユルゲンが身振り手振り目の動きで助けを求めるが、王子エドワード以下全員がさっと目を背けた。
やがて二人が見えなくなり、王子エドワードは引きつった顔で呻く。
「まあ……うん。なんだ。ユルゲンは良い嫁をもらったな」
「そ、そうですね。きっと良い家庭を築くでしょう。ええ。本当に、うん。きっとそう」
グウェンドリンが無理やりまとめ、一行はユルゲンの幸福を祈った。投げやり気味に。
さて、婚約成立者の中には、アリシアの親友コレットもさらっと混じっていた。現在は諸々の手続きやらなんやらでその婚約者の実家に赴いているとのこと。芋っぽくハムスターな彼女だが、しっかりお相手がいたらしい。侮れない女コレット。
「めでたいことだけれど、意外といえば意外ね。コレットはもっと奥手とばかり」
話を聞いたヴィルミーナがウームと唸る。
報告したアリシアがくすくすと笑う。
「コレットはああ見えても攻めの女なんですよ。でも、こんな急に婚約するとは思わなかったなぁ。いろいろ相談は受けてたけど、婚約は私も寝耳に水でした」
何か引っかかるものを感じ、ヴィルミーナは質問を重ねた。
「興味本位で聞くけれど、コレットの旦那様はどういう方なの?」
「5つ年上の男爵家若当主さんで、南東国境警備隊に勤めてるそうですよ。私も姿絵しか見たことないけど、熊っぽくて可愛い人でした」
ハムスターと熊が結婚するのか。クマモンみたいな子供が生まれそうやな。
埒の無い想像をしつつ、ヴィルミーナは気になる点について意識を集中させる。
クレテアとの国境警備隊員が慌てて婚約、か……現場はもう臨戦意識になってるな。
気分の良くない想像を振り払い、ヴィルミーナはアリシアに尋ねた。
「お祝いの品を用意しないとね。アリシアは何か贈ったの?」
「大冥洋群島帯の稀少石で作ったアミュレットです。現地文化で安産祈願の品ですよっ!」
えっへん、と得意顔を浮かべるアリシアに、ヴィルミーナは喉を鳴らした。
「子沢山家族になりそうね」
コレットの婚約を祝っているのは、側近衆達も同じだった。
「コレットが婚約とは驚きですなー」「まったくですな」「見かけによらずやりますな」
ヴィルミーナの側近衆内でも婚約が成立した者達がいる。が、意外なことに数は少ない。ヴィルミーナが独り身の自分を棚に上げて異性を紹介しようとしても、あまり色よい返事を寄こさない。
しかし、彼女達が異性に興味がないかというと―――
「男が欲しぃよぉ」「言うな。言うな」「おほほほ。負け犬共め」「可哀そうよのぉ可哀そうよのぉ」「絶対に許さない」「てっめーら。弾は前からだけじゃねーぞ」「実際ヤバいよね。ウチの両親も最近うるさくて」「親戚から不良債権を押し付けられそう」「ありえる……」
ヴィルミーナの側近衆は『茶会のビンタ事件』を経て、幼くして精神的に大きく成長した者達であり、今はヴィルミーナの事業や商いに深く関わり、いわば、内政業務に長けた人材となっていた。現王立学園生の中ではトップクラスに有能な乙女達だ。周りから“狙われて”いる、といえよう。
「結婚したらさぁ、相手の家に嫁いで子供産んで……それだけ?」「……つまんないね」「貴種だのなんだの言っても、結局のところ、私達って血統調整の家畜と変わらないよなぁ」
しんみりとした彼女達は揃って溜息をこぼす。そして、ニーナが呟く。
「卒業しても、結婚しても、子供産んでも、ヴィーナ様ともっといろんなことしたい」
その発言は、彼女達の総意だった。
「婚約するなら、その理解がある人が良いね」「家柄とかは別にどーでも良いかなあ」「むしろ、私達が好き勝手やるなら、家格は下の方が良くない?」「だな。夫と舅姑がごちゃごちゃ言えないようにマウントとれる家が良いわ」
女性特有の現実指向が加わり、徐々にえげつない会話になっていく。
「アリスはどーすんのかな」「王子殿下の愛人に収まるのか、それとも取り巻き連中の誰かとくっつくのか」「殿下の取り巻き連中かぁ。ナリは良いけど中身がなあ……アタシなら要らんわ」「そもそもあんたじゃ選ばれねーから」「あー、男が欲しい。優しくて金持ちで私に好き勝手させてくれるイケメンはいないかなー」「そんな男が本当に居たら、あんたを殺してでも奪い取るわ」「そりゃそうだ」
ははは~、と笑う側近衆達。
戦争が間近に迫っていても、彼女らに限らず王立学園生達は学生気分を保っていた。まだ、それが許される時期だった。
「そだ。ヴィーナ様は?」「そら、レヴ様でしょ」「素敵だったよねー……きっと、今はもっと素敵になってるわよ」「お前、ヴィーナ様に生皮剥がされっぞ」「あははは」
側近衆達が話題に挙げたレーヴレヒト・ヴァン・ゼーロウは士官学校に入学後、未だに音沙汰無し。通常の軍歴で言えば、既に士官学校を卒業して任官しているはずだが、卒業後の一時帰宅すらなかった。
これには、レーヴレヒトの母もヴィルミーナも落胆して肩を落としたものだ。
男爵家次男坊という出身成分を考えると、外洋領土派遣軍に送られた可能性が高い。あるいは、クレテアの侵攻に備えて南部国境周辺に配属されているかも。
ヴィルミーナは南部国境に展開している部隊を調べることにした。
が、これもまた失望と落胆を味わうだけだった。
捜索失敗回数の増加に、ヴィルミーナは嘆息気味に思わずぼやいてしまう。
「君は一体どこで何をしてるのよ……」




