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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第1部:少女時代

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49/336

6:0b

一部表現に修正を加えました。内容に変化はありません(12/18)。


 静かになったところで、

「物資と輜重の備えはどうなっておるか?」

「侵攻発起線付近の都市を策源地として物資の集積を始めております。また、国境付近の各町村には道路整備と駐屯受け入れ準備を進めさせています」

 アンリ15世の下問にクレテア北部の貴族が報告した。

「併せて、偵察により敵が国境防衛線の強化工事を行っていることも確認しました」

 むう、と皆が唸る。


 ベルネシアの地理的特徴として、北部は干拓地を中心としただだっ広い平野部で、排水システムを止めると湿地帯や冠水地域に化ける。

 南部は山稜森林帯が広がっていて、地勢と自然環境から進撃路が限られる。しかもモンスターがごろごろいる。


 こうした地理的特徴から、この地域の主要都市は古くから当然のように城塞化が施されていた。北部は敵勢力に備えて。南部はモンスターの襲来に備えて。現在は各地の城塞都市を改修して相互支援し合える要塞線を構築している。

 世界有数の城塞都市国家。それがベルネシアだ。


「後方のメローヴェン要塞線まで強化されると不味いな。もう始めているかもしれん」「攻勢開始を前倒しにするべきでは?」「物資の集積が間に合わない恐れが……」「そんなもの、奴らから奪えばよかろう」「食い物その他はともかく弾薬はどうする。我が軍と奴らでは規格が違う」

 皆があーだこーだと言い合う中、マリューが声を荒げた。


「前倒しなど出来るわけがなかろうっ! 開戦は殿下の挙式後っ! これは国家間の取り決めぞっ! クレテアの、陛下の信用が掛かっておるのだっ! 不利になろうがなんだろうが、動かせんっ!」

 ぐむぅ、と再び皆が唸る。


 アンリ15世がどこか楽しげに喉を鳴らし、

「余が企てた縁談が余の企てた戦を妨げるか。ままならぬな」

 皆を見回して告げた。

「宰相の言うとおり、開戦の前倒しはできん。よって、侵攻の具体的な作戦内容を改めて検討しよう。敵の防衛戦力とその強度が想定より高いと見做したうえでな。今日の会議はここまで。皆、御苦労であった」


 アンリ15世はそう告げると、腰を上げた。壁際に控えていた侍従と愛人である子爵夫人がさっと近づき、体を支える。


 全員が起立して頭を垂れ、主君の退室を見送る。扉が閉ざされ、アンリ15世の威容と異様から解放された室内の全員が一斉に息を吐く。


 宰相マリューがすだれ頭を掻きながらぼやいた。

「やれやれ。あと何度こんな会議を開くやら……ワシの髪が無くなってしまうわ。聖冠連合との婚姻同盟を結ぶと仰られた時にもっと強く反対すべきだった」


「聖冠連合と同盟か」年長の大貴族がしみじみと「わしの爺様が現役の頃では想像もしとらんことだな」

 陸軍将官が思い出したように周囲へ尋ねた。

「して、婚儀の当事者であられる殿下は如何に?」


「今は側女に夢中だ」

 マリューが不出来な身内を嘆くように言う。

「マリー・ヨハンナ皇女が嫁いでこられれば、手放さなきゃならんからな。以前にも増して御執心だ」

 室内の全員が失笑か慨嘆を漏らす。ひどく疲れた顔で。


            〇


 大クレテア王国と聖冠連合帝国はこれまであれやこれやの理由で争い続けてきた。いや、争い自体は聖冠連合帝国の前身神聖レムス帝国時代から行われていたから、数百年に渡る因縁の宿敵関係と言えよう。

 そんな宿敵同士が、王子と王女の婚姻を通じて手を組むというのだから、メーヴラント諸国が動揺するのも無理はない。


 その当事者たるアンリ16世は御年16歳で中背小太りの少年だった。

 一見、王太子というよりは裕福な大地主の放蕩息子といった印象を受ける。そんな鈍そうな見た目に反し、彼は狩猟や乗馬や武芸を好むアクティブな小デブだった。


 王たるを期待されて育った彼は、徹底的な帝王学の許に育ったゆえに、気質も王たる傲岸不遜さに満ちていた。まあ、経験豊富な父王や老獪な重臣達にしてみれば、鼻息荒い子犬でしかなかったが。

 帝王学を学んで育ち、また両親の夫婦仲を見て育ったアンリ16世は、今回の縁談に現代人的な価値観を持ち込んだりしていない。王族の義務と割り切っていた。

 ただし、一人の女性の扱いついては、大いに不満があった。



 クレテア貴顕の慣習として、精通を迎えた男子に側女を与える、というものがある。

 元々の発端は性欲に目覚めた子弟が家人の娘や領内の娘に手を出して問題を起こしたり、庶子私生児をこさえたりするくらいなら、性処理担当を与えようということらしい。

 これは地球中近代においてもあったことで、珍しいことではない(なお、結局のところ庶子私生児問題は生じた模様)。


 ただし、クレテアの場合、彼女達は御役御免後の生活保障が約束される代わりに、子供が出来た場合、堕胎することを強要される。彼女達の役割はあくまで性処理であり、子供を産んでもらっては困るのだ。聖王教会伝統派は教義上、堕胎を認めてはいなかったが、堕胎された子供のために行われる秘密のミサとその費用を決して断らなかった。


 王太子の側女タイレル男爵夫人(側女を賜った時に叙勲された。元は貧乏準男爵家の娘)とて、また例外ではない。

 彼女は18の時、5つ下のアンリ16世の女となった。以来、アンリ16世に女の虚実を学ばせてきた。寝室で。庭園の四阿で。狩猟先のテントの中でも。遠乗り先の木々の陰でも。


 2度ほど妊娠したが、その都度早期堕胎をしている。如何に王子の子であろうと、卑賤の血を継ぐ者が王室に連なることは許されないのだ。この愚直なまでの血統主義は現代人には決して理解しえないロジックであろう。


 断っておくと、近代後期以前は多産多死が常だった。その関係から、中近代では10代前半で結婚して初産が15歳前、なんてことは珍しくなかった。日本においての有名どころは、前田利家が12歳の正室を孕ませたことだろうか。

 そして、生まれた子供達の多くが、早世することが前提だった。たとえば、マリア・テレジアは16人の子供を産み、5人が早世している。


 ただ、アンリ16世は二度も堕胎を強要されたタイレル男爵夫人を心から労わり、深く愛情を注いできた。


 が、それがよろしくなかった。

 通常、側女は婚約者が出来たと同時に御役御免となる。そりゃそうだ。先方にしてみれば、嫁ぎ先の男が側女へ入れ込んでいるという事実は面白くない。

 アンリ16世も聖冠連合帝国との縁談がまとまった時点で、タイレル男爵夫人と別れることが決まっていたが、これに猛反発していたのだ。


「愛人を囲うのと同じことだろう。ならば、このままタイレル男爵夫人を傍に置いて何が悪いのか。ベルネシアの第一王子なんぞは結婚前から愛人を囲っておると聞くぞ」


「愛人を囲うのは、御正妻を迎えた後。出来れば御子を上げてから、というのが慣習です。ましてや、ベルネシアのボンクラ王子を真似るなど論外ですぞ」

“爺や”が小言を紡ぎ続ける。

「御自重ください。殿下の御婚約にはクレテアと聖冠連合の同盟が掛かっております。翻れば、この先、両国の戦を防ぐことが出来るのです。数千万余の民を担う大クレテア王国の後継者が側女如きに執着などなさりますな」


「ぐぬぬぬ」

 憤懣のたるみ気味な顎をプルプルさせ、アンリ16世は踵を返して部屋を出ていく。

「殿下、どちらに?」

「タイレル男爵夫人の許だっ! どうしても手放さねばならんなら、少しでも多く抱くっ!」

 アンリ16世は愛妾の部屋へ向かって行った。

 彼にとってベルネシア侵攻は些事だった。気にも留めていない。


 当然だ。大クレテア王国とベルネシア王国では常備戦力も最大動員可能兵力も段違いなのだから。

 ――多少苦労はしても、負けることはない。

 これは当時のクレテア人が漠然と抱いていた意識だった。


 ただし、ごく一部の者達は知っていた。

 戦力兵力においてはクレテアが圧倒的に優位であるが、国家経済力の差はクレテア人が思ったほどに開いていないと。

 むしろ、国内総生産という指数に限れば、ベルネシアの方がクレテアより健全かつ裕福で、しかも強靭だということを、知っている者達は確かに存在した。

 

 もっとも、そうした少数の者達の懸念は国家指導層や軍上層部まで届かない。彼らの不安は鼻息を荒くした連中の耳に届かない。彼らの恐れは誰も気にも留められない。


 アンリ16世はそうした気に留めない者達の好例と言える。

 これから起こる戦争のことなど想像すらせず、愛妾タイレル男爵夫人へ夢中だった。彼の精神世界は今のところ性欲と情念で完結していたのだ。

 いやはや。幸せなことであろう。

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