閑話39a:とある田舎町の災難な一日
お待たせしました。
※ナンバリング間違えてました。修正済み
まずは薬物中毒者がハイになった状態で書いたような概略図をご覧いただきたい。
この精確性に乏しい概略図が示すように、バルマ河以東に広がるスリネア山地及び密林地帯は、概略図に記載し得る規模の主要道路がほとんどない。
主たる理由はスリネア山地と密林地帯が、強力なモンスターの生息する化外の地であり、カロルレンのマキシュトク沼沢地と同じく開墾開拓が難く、天然素材を狩猟採取する冒険者商売とその関連産業しか成立しえない土地だからだ。こういう土地は狩猟拠点としての開拓村と連絡線以上の道路が通らない。
別の理由を上げるなら、ベルネシアとエスパーナ帝国が敵対関係にあったため、両国の植民地も建設的な交流が乏しく、両国をつなぐような主要道路が築かれなかった。密貿易や個人レベルの非公式交流など小規模な関係性を証明するように、スリネア=ミランディア間の道路は実に限られていた(この辺は旧イギリス領ガイアナと旧スペイン領ベネズエラの国境付近が似た環境にある)。
ミランディアに侵攻したベルネシア軍陸上部隊は限られた幹線道路と開拓道路、地図に記載されない規模の林道山道を頼りに進軍しており、バルマ河に到達した際、渡河点対岸は守りを固められていた。
まあ、だからなんだ、という程度の話だ。
今次戦争において、ベルネシア軍の最大の敵は、バルマ河や密林などの自然障害とミランディアの貧弱な交通網だった。
ベルネシア軍はバルマ河で足止めされていたが、まず以って渡河支度が整うまで黙って待つ指揮官などいやしない。なんたって、勝利が確定している戦争だ。将校達は将官から下っ端尉官まで、手柄を一つでも多く上げようと目をギラギラさせている。
アル中が酔っぱらいながら描いたような概略図が示す通り、バルマ河以東の上流にはヌエバ・ウルダ州と、スリネア山地と密林が大半を占めるスリナス州の州都があった。
侵攻計画上、これらも当然ながら制圧/占領対象である。
海軍飛空船部隊と協力してバルマ河渡河作戦の準備を進める一方、南小大陸方面軍団第262戦闘団と騎兵連隊麾下の軽騎兵大隊、本国から派遣された第6機動打撃戦闘団派遣部隊、翼竜騎兵大隊が、密林地帯の細い林道や山道を頼りに上流地域へ進撃開始。
彼らの攻略対象には河港町エル・パチョも含まれていた。
○
『ミランディア人へ告ぐ。武器を捨て投降せよ。夜明けまでに白旗を掲げ、降伏せよ。国王陛下の名の下に生命の安全を保障する。白旗を掲げぬ場合、街にいる者全てに抗戦の意志有りと見做す。繰り返す。ミランディア人へ告ぐ――』
ベルネシア軍の飛空短艇が拡声器で上空から呼びかけてくる。大陸共通語とガルムラント語を交互に繰り返す。
これは旧エスパーナ帝国植民地においてガルムラント語が普及しており、大陸共通語の普及率が低いためだ。入植黎明期、エスパーナから移ってきた連中が大陸共通語を喋られるほど、学も教養もなかった(この辺りはベルネシアでもイストリアでもクレテアでも同じ)。
「ヘタクソなガルム語を喚きやがってっ! 異端者共に降伏なんかするもんかっ!」
ルドルフォやイヴァン達のように血気盛んなことを言っている者は少なくなかったが、大部分の兵士達は不安と憂慮を抱えた顔を浮かべている。難民達は言うまでもないだろう。
エクトルはエル・パチョの上空を滞空旋回している飛空短艇を見つめ、国境城砦で味わった空爆の恐怖を思い出していた。友人リックの死にざまが脳裏をよぎり、胃が震える。
「あんなのどうでもいい。それより今日の飯は出るのかどうかだよ」
マルティンが汚れた丸眼鏡を拭いながら、ぼやく。
「お前、怖くないのか?」エクトルが尋ねると、
「怖がったって無駄さ。どうせ死ぬ時は死ぬんだ。飯の方が大事だよ」
マルティンは眼鏡を掛け直し、真顔で言った。ある意味で最も兵隊ズレした少年の一人がマルティンだった。
エクトルは友人の変化に不気味なものと、ある種の羨望を覚える。まだ一度も発砲したことがない小銃を抱え直し、町の空を飛びながら喚き続けるベルネシアの戦争鯨を見上げた。
僕らはどうなるんだろう。
ベルネシア軍の降伏勧告は河港町エル・パチョの住民や難民、軍人に動揺を呼んでいた。
当然ながら、難民達は降伏を望む。死ぬよりマシだと。それに奴らは国王の名を挙げている。騙したりはしないだろう……
「奴らは身の安全は保障すると言ったが、財産までは言及していないぞ。奴らが群島帯でエスパーナ人に何をしたか思い出せ。身ぐるみ剥がされて、先住民達の前へ差し出されるかもしれない」
しかし、少数の貴族や富裕層が降伏の危険性を訴える。彼らの発言は被害妄想と切って捨てられない。指摘通りベルネシアは群島帯を占領した際、エスパーナ人入植者を犬以下に扱った。
何より聖職者達の反対が凄まじい。旧エスパーナ帝国圏は伝統派の右派が絶対多数を占める。彼らは異端者へ屈服することを断固拒絶した。地中海戦争でベルネシアの王族ヴィルミーナが暴れまくったことも、彼らの“異端ベルネシア”に対する敵愾心を強めていた。
「戦おう。ここで。少なくとも名誉は守られる」
将兵の中には渡河を諦め、ベルネシア軍相手に最後の決戦を考える者がそれなりにいた。
戦意が旺盛なわけでも、故国や民間人を守ろうという軍の義務感や使命感でもなく、個人的名誉のために。
魔導技術文明世界18世紀は男性原理の時代だ。無様に逃げ続けるくらいなら、戦って死ぬ方がマシ、と考える男性は決して少なくなかったし、『男なら生き恥を晒すより、名を惜しんで死ぬべき』と男の尻を叩く女性も相応に存在していた。男はつらいよ。
しかし、一部の軍人達は別案を出した。地元冒険者達から情報を得た彼らは『渡河ではなくバルマ河上流――密林地帯を踏破して、ヌエバ・ウルダ州へ脱出しよう』と。
「敵は戦いを避けようとしている。今なら、交渉で街を離れられるかもしれない」
前近代欧州の戦争ルールは、交渉次第で城砦や都市の防衛隊が武器を持ったまま撤退することがしばしば認められた。
この手の話し合いはまとまらず無駄に長引くことが常だが、ベルネシア軍が迫っている状況が妥協的決定を促した。
「軍は捲土重来を期してヌエバ・ウルダ州へ撤退。希望する市民も帯同を許す。それで交渉しよう……」
難民の中にいた準男爵とエル・パチョに逃げ込んだ軍人達の中で最高位の少佐が、代表としてベルネシア軍に交渉を求める。
しかし……ベルネシア軍は交渉を認めなかった。
『降伏するか否かだ。他の選択肢はない。逃げたければ、勝手に逃げれば良い。我が軍は捕捉次第、しかるべき対応をするだけだ』
この回答が前述の男性原理に加え、エスパーナ的尊厳の逆鱗に触れた。特に難民達の。
こちらを一方的に貶めた宣戦布告。暴虐的な侵略。そして、この武力的優勢を笠に着た傲慢。
土地や家財を泣く泣く捨てて逃げて来た彼らにとって、ベルネシア側の対応は許されざる侮辱であった。
「戦いじゃあっ! 卑劣な異端共にミランディア人の死に様を見せてくれるわっ!!」
準男爵が拳骨を握りしめて叫ぶ。男達が続いて拳を振り上げて雄叫びを上げ、そんな男達を女達が囃し立てる。完全に火が点いてしまった。
逆に軍人達は頭を抱えた。
難民達の気持ちは分かる。しかし、無茶だ。あまりにも。
なんたって武器は歩兵用小火器と冒険者達の対モンスター装備だけ。大砲一門無い。弾薬は兵士の手持ち分だけで予備は一切ない。残るは刀剣類と少数の魔導術遣いのみ。
中近世の頃ならともかく、銃砲全盛のこの時代では無謀に過ぎる。しかも、相手は火力主義と航空戦力重視のベルネシア軍だ。
少佐は額を抱え、部下達に言った。
「ここが俺達の死に場所になったぞ」
○
難民達は夜を徹して街の守りを固めていく。なけなしの資材や家具でバリケードを築き、土系魔導術で壕を掘る。銃の形をしているなら、骨董品のマスケットまで引っ張り出した。
武器が足りないので、農機具や包丁を加工して長柄にし、花瓶や酒瓶に油を詰めて火炎瓶に。
幼子を始めとする戦えない者達は街の教会へ避難させた。教会が狙われない保証はないが、他に避難所になりえる場所がない。それに……神の御加護を得られるかもしれない。
仮眠の猶予すら与えられなかった夜が明けていく中、ノラスコ中尉は暗澹たる顔つきで、人目をはばかりながら少佐へ言った。
「こんな備え、昼まで持ちませんよ」
「分かってるさ。だが、他に選択肢があるか? 彼らを見捨てて生き延びたところで、敵前逃亡者として銃殺刑にされるだけだ。汚名を被って死ぬくらいなら、ここで無謀な戦いに臨んで死ぬ方がいくらかマシだろう?」
少佐の顔は達観と諦念に透き通っていた。曲がってしまった細巻を伸ばして口にくわえ、魔導術で火を点す。
紫煙を吐きながら、少佐は苦悩顔のノラスコ中尉へ微笑みを向けた。
「朝食を摂ろう。最後の飯だ」
○
朝日が優しく陽光を注ぎ、バルマ河の水面がキラキラと柔らかく輝く。
小さな河港町は一晩かけて守りを固め、雑多な得物で戦う構えを見せている。街のあちこちから朝餉の煙が昇っていた。
エル・パチョの偵察に赴いていたベルネシア軍斥候小隊は、町に近い密林に潜みながら肉体強化魔導術で増強した肉眼で街の様子を窺い、溜息をこぼす。
「後詰無しで籠城戦をやる気か。無謀だな」
「大人しく降伏させてやりゃあ良いのに。上は何を考えてるんだか」
「難民の扱いは面倒だからな。民兵として処理しちまいたいんだろう。どこの誰だか知らないが、エグいことを考えやがる」
ベルネシア軍は元々河港町エル・パチョを無事に残す気はなかった。
なんせここは鉄道敷設予定地であり、後々架橋地点として大工事が行われるのだ。“地権者”が居ては後始末が面倒になる。もちろん、この辺の事情を現場将兵は知らない。命令書などの記録も一切ない。
小隊長が懐中時計を出して時間を確認。
「そろそろだな」
東の空から翼竜騎兵と飛空短艇に守られた飛空貨物船が数隻やってきた。
小さな町へ爆弾と焼夷弾をばら撒く無差別爆撃が始まるまで、あとわずか。
これから起きるだろう惨劇を思い、小隊長は胸元で聖剣十字を切った。
「神よ。我らの罪を赦したまえ」
○
国境城砦とラ・ペルメの町で体験したことの焼き直しだった。
ベルネシア軍の大きな空飛び鯨達が編隊を組んだままエル・パチョの上空へ進入し、安価な樽型の爆弾と焼夷弾をばら撒いていく。
小さな町はたちまち爆煙と粉塵に覆い尽くされた。
爆弾を浴びた石造りの建物が積み木のように倒壊し、焼夷弾によって木造家屋が燐棒のように燃え上がる。急造バリケードは破壊され、俄作りの塹壕が焼き払われていく。
爆発の衝撃波で吹き飛ばされる者。飛散する瓦礫片を浴びて肉体を砕かれる者。倒壊した建物の中で圧し潰される者。生き埋めにされる者。火災に呑まれて焼け死ぬ者。燃え盛る建物内で燻られて窒息死する者。火に包まれた厩舎から牛馬の悲鳴がつんざき、吹き飛ばされた畜舎から恐怖に発狂した家畜達が逃げ惑う。
空飛び鯨達が街を通過するわずかな間に、死が大量生産される。
そこに難民達が求めたような侵略者へ抗う戦いも、誉れある死も存在しない。ただ一方的に爆撃され、命を落とし、傷つけられるだけ。
彼らの悲鳴と断末魔は空爆の轟音で誰にも届かない。
エクトルは仲間達と同じく急造塹壕の底で亀のように丸まっていた。塹壕内に爆弾が落ちてこないことを祈りながら。
将兵達が塹壕や拠点で神に祈る中、教会を直撃した爆弾が大勢の女子供や老人を聖王の身許へ連れ去っていく。運悪く生き延びた司祭が聖剣十字へ向け、血反吐をぶちまけながら叫ぶ。
「神よっ! あの忌まわしき異端共に天罰をっ!!」
一方的なまでに鉄と炸薬と炎の雨を浴び、難民によるニワカ戦士達の闘志は、瞬く間に恐怖へ塗り替えられる。
武器も荷物を放りだした難民達が焼け出されるように町の外へ逃げていく。が、ベルネシア軍の飛空短艇と翼竜騎兵が緩降下襲撃を開始。銃砲弾と魔導術で掃射していく。
飛空短艇の両舷に装着されたロケット弾架からロケット花火のお化けが斉射され、備え付けられた手動式機関銃や擲弾連発銃が難民達を薙ぎ払っていった。
翼竜騎兵達は弾道特性の扱い易い氷系魔導術と面攻撃に適した炎系魔導術で、難民達を打ち倒す。
町の外に逃げられないと分かるや、難民達はパニックを起こしたようにバルマ河へ飛び込んでいく。
江戸の大火でも関東大震災でも東京空襲でも、炎に追い立てられた人々は河へ飛び込み、溺死したという。エル・パチョの難民達はそんな日本人達より悲惨だった。少なくとも、日本人達は飛び込んだ川で人食いの獣に襲われなかったのだから。
爆撃を終えた空飛び鯨達がお守り達を連れて去っていく。
空爆は時間にしてわずか一時間足らず。
その一時間足らずで、エル・パチョは壊滅した。
しかし、戦いはまだ終わらない。
町の延焼が鎮まらないうちに、ベルネシア軍歩兵大隊が仕上げの制圧戦を始めた。
黒煙に包まれたエル・パチョ内では、数少ないミランディア軍将校達が命令をがなりちらし、下士官達が塹壕の底で縮こまっている兵士達を蹴り飛ばして立たせる。冒険者や難民の“義勇兵”達は姿を消していた。逃げ出したらしい。
ノラスコ中尉が軍刀を手に、エクトルを始めとする怯え切った兵士達へ叫ぶ。
「迎撃だっ! 総員、射撃用意っ! 弾込め急げっ!」
エクトルは後装式小銃のケツにある尾栓を開けて紙薬莢式弾薬を詰め、尾栓を閉じて撃鉄を起こす。
「構えッ!」
中尉の命令と下士官達の号令に従って兵士達が塹壕の縁から銃口を並べる。
もっとも、空を覆う黒煙と町を焼く煙と立ち込める粉塵が酷すぎて、周囲は夜のように暗く、敵の姿どころか何も見えない。
エクトルは緊張と昂奮と恐怖に手が震え、銃口がカタカタと揺れる。他の兵士達も同じだった。
暗闇の先からメーヴラント語が聞こえた、気がした。
「撃てっ!!」
号令一下、エクトルは他の兵士達と共に引き金を引く。魔素炸薬特有の甲高い銃声と青い発砲光が群れを成す。暗闇の先から怒号と悲鳴が聞こえた、気がした。
「次弾装填、急げっ!」
斉射の勢いと銃の発砲熱に奮い立ったのか、兵士達の顔から恐怖が薄れていた。エクトルも冷汗が停まり、手の震えを止んでいた。機関部を弄って装填作業を進める。
やれる! 僕たちも戦えるっ! ベルネシア人をやっつけてやるっ!!
「総員、構」
ノラスコ中尉が数名の兵士諸共に吹き飛ばされる様を目の当たりにし、エクトル達は悲鳴を上げてその場に屈みこむ。
湧きかけた勇気は一瞬で挫け、誰もが怯懦に蹴散らされた。幾人かの兵士が銃を投げ出し、塹壕から飛び出した瞬間、全員の士気が崩壊した。
下士官達が押し留めようと拳銃や軍刀を振りかざすが、恐慌状態に陥った兵士達はもう止まらない。
エクトルの視界の端で、ルドルフォやイヴァン達がベソを掻きながら、塹壕を飛び出していく様が見えた。ヒビの入った眼鏡を握りしめたマルティンが何かを喚いている。
「何やってるっ! 逃げるんだっ!」
向こう傷を持つ伍長がエクトルの襟首を引っ掴み、無理やり塹壕から引きずり出す。
エクトルは伍長に引きずられるように河港へ向かって駆けていく。
小銃を握りしめる手が真っ白に染まっていた。
○
ベルネシア軍を止めたのは、皮肉にも彼ら自身の空爆だった。
エル・パチョ外縁にある小さな農場を接収した大隊本部では、
「町の延焼が酷すぎてこれ以上は進めません」
大隊首席参謀が各部隊からの報告をまとめ、大隊長の中佐へ進言していた。
「現在までこちらの損害は戦死8名。負傷者は40名。負傷者の大半が町の火災に巻き込まれて、です。火災が鎮まるまで作戦の中断を提案します」
「派手に焼きすぎたな。敵の残余はどれほどだ?」
中佐の問いに首席参謀はメモ帳に目を走らせ、答える。
「正規兵は300以下でしょう。住民と難民を含めて1000人強、多めに見積もっても2000人はいないかと。河港施設周辺に集結しています。降伏勧告しますか?」
「火が鎮まるまでは様子見だ。消火や救助なんぞやらされても面倒だからな。向こうから何か言ってきたら、無条件降伏以外は受けつけないと言っておけ」
「大隊長もお人が悪い」
首席参謀は苦笑いをこぼし、了承の答礼をした。
ベルネシア軍の悪意通り、河港周辺に立てこもったミランディア軍将兵と難民達は憤慨する。こんな状況にあっても金目のものをありったけ抱えている者は居たし、名誉にこだわる者も残っていた。まぁ……マジョリティはもう何でもいいから死にたくない、という気分だったが。
エクトルは煤塗れの顔で茫然と雄大な川面を見つめていた。
大勢の難民達が炎に追われてバルマ河へ飛び込んだが、パニックのまま水中に飛び込んでそのまま溺れてしまったり、捕食性の水棲モンスターに襲われたりして、5キロにも満たない対岸はおろか、手を伸ばせば届きそうな中州まで辿り着けた者すら皆無だった。
河港やその付近は今や獣達の宴会場だ。
肉食性のモンスターや動物や魚達が無数の死体を食い荒らしており、川辺に打ち上げられた死体や肉片を鳥や虫達が齧っている。魚竜とワニが幼子の死体を奪い合い、裸に剥かれた若い女性の骸を小動物と鳥が解体していく。獣達の咀嚼と水飛沫の音色が絶えない。
この場に人間の価値観は一切存在しない。老若も男女も区別なく、食物連鎖の道理のみが存在する。
聖王教的価値観で言えば地獄絵図。しかし、自然の理では普遍的光景。
「本物の女の裸を見たのは初めてだ」
ヒビの入った眼鏡を掛けたマルティンが食い荒らされていく全裸女性の屍を眺めながら、言った。
エクトルは友人の正気に関し、もはや考えることをやめていた。
煤煙に覆われた空の隙間から覗く太陽。もうじき昼近くだろうか。
そんなことを考えた矢先。
水面が静かになった。大勢の亡骸に群がっていた獣達がいそいそと去っていく。
土色の水面から獣達が去っていく光景に、エクトルは連中もやっと満腹になったのかと思った。が、近くにいた煤塗れの冒険者が顔を蒼くしていた。
「大変だ……」
エクトルが訝り、冒険者がこれから起きるだろう事態を叫ぶより早く、それは水面から姿を現した。
鋼色の鱗に身を包み、巨大な口を持つそれは、バルマ河水系の頂点種。
大型両生竜種の鱗甲泥竜。
別名マンディブラ・デ・バルマ。
バルマの大顎。
地図はいつも通りにいいかげんです。申し訳ござらぬ。




