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お待たせしました。ちょい眺めでござる
問題だった流通上の問題をひとまず解決した今、ヴィルミーナはさして忙しくない。
ミランディア相手の戦争そのものは軍の仕事だし、鉄道工事のことは現地派遣したアレックスとニーナに任せても問題ない。2人にはそれだけの能力があるし、2人を支えて余りある人材が揃えてあった。
これでヴィルミーナ自身の出馬が要求されるとなれば、それはもう事業絡みというより、事業より上の次元――政治やマクロ経済のやり取りだった。
たとえば、ヴィルミーナはベルネシアのゼネコン業界から、とても熱い視線を向けられている。
ヴィルミーナはこれまでパッケージング・ビジネスで現地の開発と発展まで手掛けてきた。
カロルレンの天然素材資源地帯マキシュトク沼沢地のパッケージング・ビジネスは、現地総支配人オラフ・ドランの才覚と努力も相成ってマキシュトク市の再建に始まり、北東部周辺交通網からカロルレン北東部港湾まで整備し、ついにはカロルレン北東部経済の実質的な総元締めと化している(そこまでしてもなお、いつでも物理的撤退を可能とする備えを解かない辺りが、ヴィルミーナの病的性を表している)。
クレテアと聖冠連合に据えた地中海海路用に現地警備会社を据える際も、拠点だけでなく周辺地域まで丸ごと開発してしまった。
現クレテア王国フルツレーテン自治領の工場進出にしても、今や自治領そのものを白獅子財閥の御天領状態にしてしまっている。
トドメは地中海戦争で誕生したナプレ=ベルモンテ二重王国(後の南コルヴォラント王国)では、実質的に白獅子財閥がベルネシア系資本の中核として現地経済で猛威を振るっている。
そんなヴィルミーナが鉄道線を敷いて、産油地を開発するという。
こりゃ沿線と現地も当然ながら開発されるよなぁ!? とベルネシア・ゼネコン業界が目の色を変えていた。ぜひとも加わりたい。おこぼれを得たい。
誤解である。それも迷惑な類の。
ヴィルミーナは産油地の施設こそ開発を請け負うつもりだったが、産油地と沿線の都市開発なんて欠片も考えていない。
あくまで産油地をベルネシアのものとする。それ以外はどうでもいい。だからこそ、国営化前提の根回しをしたし、掌握する利権も最低限で済ませて他に分け与えたのだ。
黒色油さえ安定供給されるようになれば、動力機関技術を持つ白獅子は存分に力を発揮できるようになる。それで十分。
はっきり言おう。
ヴィルミーナは黒色油以外、ミランディアに一切の興味を抱いていなかった。
土地にも、現地に暮らす人々にも、何の価値も見出していない。
○
ベルネシア海軍大冥洋艦隊キンスベルヘム飛空戦隊は傲然とミランディアの空を飛んでいる。
時折、ミランディア軍の翼竜騎兵や呆れるほど古い型の飛空船が迎撃にやってくるが、そんなもん当代において世界最強格のベルネシア飛空船部隊に適うはずもない。彼らは旗艦コーニング・ロードヴェイクⅡの姿を目視することすら出来ず、緑の海へ落とされた。
飛空戦隊司令のキンスベルヘム中将はロードヴェイクⅡの戦闘指揮所の卓に広げられた地図と差し込まれた駒付きピンを見つめる。自軍部隊を現す駒付ピンは常時現在地が更新されて移動させられていた。
空の戦いはベルネシア軍が圧倒している。
一方、地上では――
翼竜騎兵とティプ86重装飛空短艇の群れによる傘の下、南小大陸方面軍団の陸軍部隊が幹線道路と開拓道路に別れて国境を越えていた。
海兵隊が確保した幹線沿い拠点で中継地を確保した後、二個諸兵科連合戦闘団の先遣大隊と騎兵連隊の捜索軽騎兵中隊が、本隊に先駆けてがんがん前進。
主攻部隊が幹線道路と開拓道路を進む中、南小大陸黒色油鉄道用地を確保するべく、一部歩兵大隊が徒歩で密林や高地の粗末な林道や山道を進む。
要地上の開拓村や冒険者拠点からは住民や冒険者の強制退去を行い、自軍の中継地として利用する(逆らった者はどうなったか、説明の要はあるまい)。
軍が鉄道用地を確保すると、民間軍事会社に警護された開墾集団がすぐさまやってきて、南小大陸黒色油鉄道の敷設予定地域を猛烈に啓開していく。
魔導術と重機と手作業で木々を切り倒し、藪を切り開き、抜根し、岩石を除去し、整地。切り倒した木々を移送し、刈った藪を焼き払い、岩石を砕く。
漫画やアニメみたいに魔法で森をドカンと吹き飛ばす、なんてバカな真似はしない。南小大陸産樹木には高級木材も少なくないし、商品価値の乏しいものにしても資材として使える(促成の丸太道路とかね)。藪だって天然素材の草花も含まれるから、無暗に焼き捨てられない。
土木作業は鉄道用地だけではない。
幹線道路や開拓道路をばんばん補修して拡張して補強して。制圧した道路沿い拠点や集落をてきぱきと整え、物資備蓄所や野戦病院を設置。輜重連隊がさっそく大回転を始める。
侵攻軍陸上部隊の鉄拳たる装甲大隊、騎兵連隊の主力はまだ運動を開始しない。密林や高地地域では彼らの武器たる機動力を活かせないためだ。
そして、ミランディア公国軍は主力が動いていない。
現状、先遣部隊が交戦した相手はほとんどがミランディア東部諸侯の用意した私兵部隊――義勇兵達や地元民兵で、正規軍は国境警備隊などの少数だけだった。海軍を襲った翼竜騎兵や飛空船もやはり正規軍のものではなかったという。
ベルネシア領スリネアの白獅子財閥スリネア支社
本国からやってきたニーナは、会議室の一つを自身の臨時オフィスにしていた。
ニーナはケフィンに目を向ける。戦争に関して無知ではないけれど、専門的な教育を受けていない以上、素人の域を出ない。
だから、カーレルハイト家の係累として王立学園で予備士官課程を修めているケフィンに意見を求めた。
「彼らの狙いは? 二線級部隊を前哨線に置き、密林地域へ引き込んで遊撃戦ということ?」
俳優リチャード・マッデン似のケフィンは思わず背筋を伸ばす。
ニーナ・ケーヒェルは白獅子の女王ヴィルミーナが“姉妹”と呼ぶ財閥最高幹部達の一人だ。
40代が迫るが容貌は若々しい(生得的に魔導適性が高い貴族は、年齢に比べて外見が若々しいことが多い)。栗色の髪は両サイドを編みこんだハーフアップがよく似合う。洗練された物腰と垢抜けた服飾の趣味。兄がケーヒェル家当主となったため、貴族籍は抜けたが、その存在感は紛れもなく貴婦人そのもの。
「常識論で言えば、森林戦や密林戦は補給が困難です。ベルネシア戦役では十分な備えをした我が国ですら、数週間で補給部隊が疲弊しました。ミランディアの国力と軍の規模で、負担の大きな密林戦に臨むとは考え難いかと」
森林や密林は補給や部隊運動が難しい。
通信機の無い時代、見通しの利かない森林や密林内では部隊統制や作戦運動が困難であり、道路と村邑(現地徴発先)の不足によって補給が困難であることから、結局は拠点や要地を奪い合う点と線の戦いになってしまう。
たとえば、近現代最大のジャングル戦が展開されたベトナム戦争。米軍は濃密な密林内に潜む北ベトナム軍の拠点や道路を狙い。北ベトナム軍は米軍の戦略村や基地を狙い。そして、密林の中で鎬を削り合う戦争だった。
「なるほど。では、君の予想は?」
ケフィンは少し考えてから、ニーナの諮問に答える。
「ミランディアはイストリア植民地の独立戦争を間近で見ていましたし、彼らの独立戦争の経緯を考えますと……我が軍を奥深くまで引き込み、補給を断って弱体化を図るかと」
「我々がクレテア相手にやったように、か」
「はい。もちろん我が国ほど上手くやれるとは思えませんが……地勢とモンスター系はベルネシア南部より過酷です。補給線が伸びた際の負担はベルネシア戦役の比ではありません。彼らに勝利の可能性があるとすれば、そこでしょう」
ニーナはケフィンの意見に頷く。ベルネシア戦役でも、第一次東メーヴラント戦争でも、数的劣勢の側は忍耐強く我慢強く粘り強く戦うしかない。多くの犠牲を払いながら。
ただ、2人は誤認していた。いや、2人に限らない。ベルネシア側は誰も彼も誤解していた。
ベルネシアは武力闘争でクレテアから分離独立した国だ。辺境民族と侮辱され、宗教的異端として迫害され、多くの犠牲を払いながら独立を保ち続けてきた。この史観からミランディアも“当然”、国土と同胞を守るために全力で戦うと思っている。勝利を目指して死力を尽くして戦うと考えている。
まさか敗北と領土失陥を前提にしていて、余剰の民や奴隷の処分を計画し始めているなど、想像の範囲外だった。
ふむ。ニーナは肩口に垂らした髪を弄り、少し考え込む。
「南小大陸黒色油鉄道の建設は格好の的になるわね」
「おそらく」ケフィンは苦い顔つきで「言葉はアレですが……元々戦線の移動に付随して工事を進めるという行為自体が無茶です」
ケフィンの言葉はまさにその通り。
後世の軍事研究者が『無謀を無茶で括った行い』と表した工事計画である。
「君の私見で構わない。現状の警備戦力で工事を守り切れるか?」
「物資の運搬は装甲ロードトレインで守り切れるでしょう。ただ、広域化する工事範囲を全て守ることは難しいと思います」
ニーナの諮問に答え、ケフィンは少し考えた後、提案する。
「航空戦力がいくらかあれば、より安全性が増すと思います」
「海軍の手が空かないと無理だな」と難しい顔のニーナ。
ケフィンは再び思案顔を作り、別案を告げた。
「デズワルト・アイギスの飛空船部隊はどうです? 地中海方面からいくらか引き揚げたと聞いています。そちらを回せませんか?」
地中海方面の海上護衛は現在、聖冠連合、ナプレ王国、クレテアの三国が主体となっており、白獅子の民間軍事会社の飛空船は徐々に減少させていた。
が、ニーナは首を横に振る。
「弊社の武装船は大冥洋の航路警備に参加している。余裕はない」
大冥洋は今や協商圏の海だが、海賊やモンスターも出る。そのため、大冥洋航路の警備に付いていた。ちなみに勇名高き“竜殺し”アイリス・ヴァン・ローも大冥洋航路で小銭を稼いでいる。
「そうですね……では、鹵獲した飛空船を用いるというのは?」
「? そんなものが?」
訝るニーナに、ケフィンは卓上に広げられた地図を示す。
「海軍が緒戦で撃墜したミランディアのボロ船が三隻ほど、国境付近に落ちています。これを回収して再利用しては如何でしょう?」
「それらはもう使えそうにないから、海軍も回収してないのでしょう?」ニーナが怪訝そうに反問する。
「いえ、回収するほどの価値がないので、放置されているだけです。こちらを」
ケフィンは書類の山から撃墜後の調査記録を引っこ抜き、ニーナに渡す。
書類は撃墜後に船を調査した報告書だ。撃墜場所と日時。航海日誌等や物資等の回収。生存者の捕縛。死者の確認。船の状態――船体、気嚢、浮遊機関、損傷は中破から大破程度。密林内から回収してまで鹵獲運用の価値無し。
「まずは現物を調査に向かわせても? 冒険者の護衛付きで技術屋に調べさせます。そのうえで、再利用可能と判明した場合、引き揚げ、移送、修理、改修、運用。諸々のコストを計算して提出します」
ニーナは頭の中で計算尺を使い、小さく頷いた。
「まあ……いいでしょう。やってみなさい。ただし、あまり時間が無いわ」
「かしこまりました。手早く済ませます」
ケフィンが腰を浮かせようとした矢先、ニーナが新たに問う。
「それと、イダは? 工事現場の視察に行ったと聞いているけれど」
「あー……」ケフィンはバツが悪そうに端正な顔を曇らせ「それがですね。その、」
言った。
「最前線で現場管理を手伝ってます」
「は?」
ニーナは深青色の瞳を瞬かせ、イダがアレックスの親族で白獅子の次代最高幹部候補の一人という事実を思い返した。ゆっくりと眉目を吊り上げ、顔を赤くする。
「―――さっさと連れ戻してきなさい……っ!」
「つ、墜落飛空船の調査のついでに連れ戻してきますっ!」
ケフィンが逃げるように会議室を後にし、ニーナは大きく息を吐く。
連れ戻しに向かったケフィンがイダに言いくるめられ、2人して最前線に留まることを、ニーナはまだ知らない。
○
地球世界において、森林山河は人間から手籠めにされるだけだが、魔導技術文明世界は違う。
魔導技術文明世界の濃密な森林地帯や峻険な山岳地域――要するに自然が豊富な地域は、基本的に化外の地だ。
小鬼猿や鷲頭獅子などのファタンジーな奴らに、某有名狩りゲームに出てきそうな大中小の竜。食虫ならぬ食獣/食人植物。モンスターすら食っちまう獰猛な猛獣や虫。
この世界の自然豊かな土地とは、人間を容易く凌駕する者達の支配地である。
スリネア-ミランディア間に広がる濃密な密林地帯も、同様に。
「全員、動くな。音を出すな。息をするな。バカをやらかしたらぶっ殺すぞ」
ねっとりとした暑気の漂う好天の昼下がり。密林啓開の工事現場は急遽作業を停止していた。民間軍事会社の対モンスター班が全力の警戒態勢を取っている。
なんせ工事現場で巨鬼猿と獣竜が大喧嘩しているのだ。
鬼猿種の中で最大種である巨鬼猿は14メートル級(モビル○ーツ並みだ)。一年の大半を寝て暮らし、目が覚めれば『破壊の化身』と呼ばれるほど凶暴で、たらふく食らい、まぐわうという人間に対するカリカチュアみたいなモンスター。
対する獣竜はバイソンとティラノサウルスを悪魔合体させたような姿のスリネアン・ジャングルドラゴン。別名は大角密林竜。
小山のような体躯と巨大な双角、あるいは破城槌みたいな尾で木々をへし折り、楔や擂鉢染みた歯でごりごりと食物繊維を摂取する怪物だ。
互いに体表が苔生した巨大怪物達が、恐ろしい雄叫びを上げ、大地を揺らすように暴れながら、ガッコンガッコンと殴り合っている。
事の始まりは工事現場に大角密林竜がぬぅっとやってきたことに始まる。
草食といえど大型竜種はヤバい。民間軍事会社は大角密林竜を刺激せず、お帰りになるまで工事を停止することを提案し、作業員達も了承した。誰だって命は惜しい。
と、そこへ巨鬼猿が乱入。どうやら朝飯代わりに作業員達を食いに来たらしい。そこで狙いを大角密林竜に変更。現在に至る。
人類からは『破壊の化身』と恐れられる巨鬼猿も、竜の前では分が悪い。大飛竜や大海竜ほどではないにしろ、大型種の竜は基本的に生態系の頂点種だ。たとえ、草食性であろうとも。
大角密林竜は雷鳴のような雄叫びを上げ、突進。さながら大型SUVがシカを轢くように、巨鬼猿を“撥ねた”。
宙を舞う全長14メートルの巨躯。何トンあるのか分からない体躯が木々をへし折りながら撥ね飛び、巨木に叩きつけられた。
そこへ大角密林竜が追撃の体当たり。巨大で頑健な双角と大質量に速度――運動エネルギーが加わり、ぐしゃり。巨鬼猿の硬い頭蓋骨が砕け、砕け割れた頭蓋から灰色の脳細胞が混じった脳漿が勢いよく流出。眼窩から飛び出した金色の瞳から生命が失われる。
怒れる大角密林竜は息絶えた巨鬼猿を更に何度か踏みつけ、破城槌みたいな尾を叩きつけてオーバーキル。憤慨したまま、どしんどしんと足踏み荒く去っていった。
「人間はちっぽけなもんだなあ」と工事の作業員がしみじみと呟く。
決戦が終わった後、民間軍事会社のオペレーター達が大急ぎで巨鬼猿の死体を解体し、処理していく。急がないと死臭や血の臭いに誘われ、肉食の中小型モンスターや動物が殺到しかねない。
大自然相手の工事はこういう不測のトラブルが絶えなかった。
鉄道工事の最前線指揮所――安普請の前で美貌を作業服に包んだイダが、回収されてきた巨鬼猿の素材を見分し、唸る。
「こんな調子では時間がいくらあっても足りんな」
「仕方ありませんよ」秘書が宥めるように「開墾工事は人間と自然の闘いですから。そして、人間とモンスターどちらが強いかといえば」
「モンスターの方が強いか」
イダは鉄路の計画書を思い返す。
計画では、鉄道線の両側50メートルに有刺鉄線と防護柵を敷いて侵入不可能にする予定だが、50メートルで足りるか? 中小型モンスターには充分らしいが、大型モンスター相手では……
「装甲ロードトレインや列車の装備で何とかなるか?」
「現状では、神のみぞ知る、です」秘書がどこか投げやりに応じる。
イダは鼻息をつくと、頭上から影が差した。見上げてみれば、戦争鯨の群れが青空を西へ向かっていた。
○
時計の針を少し戻す。
空襲で無力化された各城砦や野戦陣地から撤退し、第3ウルダネタ義勇兵旅団第2連隊本部があるラ・ペルメの町へ集結した将兵は総勢1000人足らず。そのうち三分の一が重傷者だ。重装備は両手で数えられるほどもなく、食料と飲料水と医薬品が全く足りない。そして、誰も彼も酷い恰好でまさしく敗残兵の群れだった。
連隊本部に辿り着いたノラスコ中尉は、糊が利いた軍服に身を包む太った連隊長とその参謀達に帰還を報告し、知りたくなかった戦況を聞かされる。
「――では、旅団本部との連絡線が途絶えた、と」
「そうだ、中尉」太った連隊長は神経質そうにこめかみを揉みながら「敵は既に幹線道路と開拓道路を押さえ、旅団本部の置かれていたラ・クリオネラを制圧している」
「ラ・クリオネラを? そんな―――ここより後方じゃないですか。開戦して3日ですよっ?!」
目を剥くノラスコ中尉に、参謀が憔悴した顔を向ける。
「空からだよ、中尉。君が居た城砦を潰したように、ベルネシア軍は空から我が軍の拠点や集落を片っ端から潰したが、幹線道路や開拓道路沿いの一部町村は空挺制圧されたんだ」
太った連隊長は暑さ以外の理由で流れる汗を拭う。
「ここが無事なのはな、幹線道路や開拓道路から外れていたからに過ぎん。それと、おそらくは意図的に見逃された」
「それはどういう……」戸惑うノラスコ中尉。
「分からんかね?」連隊首席参謀が自虐的な顔で「貴官達のように、この町には前線から後退してきた諸部隊が集結しつつあるだろう? 君がベルネシア人ならどうする?」
「――一網打尽にするため、ですか」
ノラスコ中尉は絶句する。
国境周辺――特に幹線道路や開拓道路から外れた城砦や陣地に居たミランディア軍敗残兵集団はラ・ペルメのような後方の町に後退、集結していた。
これらの町は、村に少々毛が生えた程度の規模で、国境付近の各城砦や開拓集落などのハブに過ぎない。まあ、ハブと見做すには小規模に過ぎ、通っている道路も粗末。だから、ベルネシア側も初期制圧対象から外していた。
しかし、前線策源地に変わりはないので、放置しておくわけにもいかない。
そこで、敗残兵が集結したところを一網打尽にすることにしたわけだ。
「連隊長殿の御方針は……?」ノラスコ中尉が蒼い顔のまま問えば。
「ここを守る」太った連隊長は苦りきった顔で「というより、他に選択肢がない」
主戦線から切り離された今、この町を守る意味はない。似たような状況にある部隊と合流し、戦線を突破して友軍の許へ向かうか、敵中の遊軍として敵後方に攻撃を加えるなり、圧力を与えるなりすべきだろう。
ただし、どちらの選択をするにせよ、物資が足りない。武器弾薬に医薬品に食料はもちろん、馬も烏竜も糧秣も足りない。否。集結した兵士達を収容する建物すら足りない。町内外の空き地にテントを張れた者はまだマシで、切り出した枝葉を編んで雨風を凌ぐ者すらいる。
食料が足りないから『食料調達中隊』が編成され、密林内で可食野草を採取し、動物やモンスターを狩猟している有様だ。
この状態では動けない。この町に留まり、自活しながら防御と隊の維持に徹するしかない。戦略的に無意味だとしても。
連隊長も参謀達も降伏という選択肢を迷っていたが、現状で降伏してしまうと戦後に責任問題となりかねない。降るとしても時と場と状況を整える必要があるのだ。少なくとも、ベルネシア側から降伏勧告が欲しい……出来れば、自身と軍の名誉が守られる体裁で(特に自身の)。
「とにかく、だ。中尉」
太った連隊長は汗を拭いながら言った。
「別命あるまで、他の部隊と協力して防御態勢の強化工事に勤しめ。それと軍規を徹底させろ。住民に暴行や略奪を働いた者や脱走を試みた者は出自が何であれ、絞首刑だ」
連隊長はおよそ軍人らしからぬ風体の男だったが、組織の統制については気を揉んでいた。この状態で規律を失ったら終わりだから。
最後に、連隊首席参謀がどこか気の毒そうに言った。
「ここにいる間の食事だが……」
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・・
・・・
連隊本部を出たノラスコ中尉は、成り行きで自身が指揮官に収まってしまった部隊へ戻り、エクトル達へ訓示を与える。
別命があるまでラ・ペルメに留まり、その間、防御態勢の強化工事に勤しむこと。
「それから、当分の間、食事は一日に一度だ」
兵士達から大ブーイングが上がった。エクトルも他の少年達もブーイングを上げた。
もっとも――飯のことを気にしていられる時間はそう長くなかった。
二日後の払暁、ベルネシアの重武装飛空短艇の群れがラ・ペルメにロケット弾の弾幕掃射を浴びせた後、ベルネシア軍歩兵大隊が急襲してラ・ペルメのミランディア軍部隊は再び壊走したのだ。




