特別閑話6:ヴィルミーナは餅米を手に入れた。
新年あけましておめでとうございます。
思いつきのやっつけなので、かなり雑で短いですが……新年のご挨拶代わりに。
本年も拙作にお付き合いいただければ、幸いです。
また、北越の地震に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
ヴィルミーナの趣味は仕事である。
人。金。物を思うままに動かして事業を行うことが大好きな女だ。世間一般に抱かれている東方趣味は、一言で言って『誤解』である。
が、例外は東方の食物だ。
前世日本人の嗜好が未だ只ならぬ影響を持っているため、ヴィルミーナは現代日本的料理の再現に妥協しない。
醤油や味噌といった調味料から、米などの穀類に様々な俵物、日本原産野菜(の種苗)など大枚をはたいて調達している。
全ては記憶の中にしか存在しない日本食のために。
前世日本人の魂が発する獰猛な欲望のため。
ヴィルミーナは日本食を諦めない。
それは、地中海戦争が終わった頃のこと。
「モチ米か」
その日、ヴィルミーナの許へ持ち込まれ、応接室の卓上に置かれた献上用皿に盛られている米は、もち米だった。
「もちごめ?」
しれっと同席している長女が素朴な眼差しで説明を求める。
「お餅を作ることが出来るお米よ」
「オモチって何?」
耳にしたことがない単語に、ジゼルが目を瞬かせる。可愛い。
ヴィルミーナは娘の頭を優しく撫で、東方貿易商へ微笑みかけた。
「買うわ。量は如何ほど用意したの?」
「さほどは……300キロほどでしょうか」
貿易商の回答に、ヴィルミーナは笑みを大きくした。小鹿を見つけた獅子のような笑みだった。
「全部買うわ」
かくして、ヴィルミーナは餅を食うべく動き始めた。
〇
モチ……なんて心躍る響き……っ! あーモチなんて転生以来初めてやんっ! はーぁ楽しみ過ぎる……っ!
小豆は以前調達したもんがあるし、大豆と黒糖があるからキナ粉も黒蜜もイケる。食べきれへん分のもち米は白玉粉にしてまお。ひひひ。これでしばらくは和スイーツに困らんわ。
「……どうやら楽しみはモチだけじゃないみたいだな」
レーヴレヒトは愛妻の百面相を読み解く。
「分かる?」とヴィルミーナがニマニマすれば。
「食い意地をこれでもかってくらい突っ張らせた顔してるぞ」
夫の指摘は容赦がなかった。が、ヴィルミーナは気分を害さず、それどころか笑みを大きくする。
「そりゃ食い意地も張るわよ。前世の思い出が詰まった食べ物だもの」
「どんな思い出?」
「正月に家族親戚が集まって餅つきしたり。つまらない正月番組を眺めながら一家団欒で雑煮を食べたり……」
語りながら、ヴィルミーナは言葉に詰まる。うきうきしていた笑みが翳る。
今生も既に40年。
前世の父も母も弟妹も甥姪も友人達も同僚も上司も部下も……もう皆の顔がはっきり思い出せない。不思議なものだ。学習内容や経験はしっかり覚えているのに。一番忘れてはいけないものが褪せている。一番覚えておくべきものが薄れている。
「おいで」
そんな愛妻の心境を察したのか、レーヴレヒトは両腕を広げた。
ヴィルミーナは夫の気遣いに甘えて身を寄せた。鍛えられた胸板と両腕に抱かれ、大きく大きく息を吐く。
「今生の家族や友人達を愛してる。前世の家族や友人も、今でも愛してるわ。なのに、」
レーヴレヒトはヴィルミーナの背中を優しく撫でながら、頭に口づけする。
「何も自責することはないよ。人は少しずつ忘れていくものさ。良いことも悪いことも。だから、生きていられる。だから、新しく得られる良いことや悪いことに一喜一憂できる」
「坊さんみたいなこと言うのね」
くすくすと笑う妻に夫はちょっぴり不満顔。
「そこは哲学者とたとえて欲しかった」
「ありがとレヴ」ヴィルミーナは顔を上げて微笑み「愛してるわ」
「お礼はキスで」
夫のおねだりを叶えた。
40間近に迫っても……胸焼けしそう。
〇
モチ作り用の杵と臼の制作依頼を出し、その間にモチ米を挽いて白玉粉を作ることにした。なぜかって? 我慢できなかった。
お団子。あんみつ白玉。大福。前世から約40年ぶりの和スイーツだ。我慢できるわけねェ!
さて、異世界系グルメ作品だと最強の戦闘力を誇る日本食であるが、食い物の好みは個人の主観と文化的背景に依拠するから、日本食がどこでも無敵なんてありえない。
いんたーねっつでちょっと検索すれば、日本食に拒絶反応を示す外国人なんて、いくらでも見つかる。
たとえば、ヴィルミーナの母親もその一人。
「ヴィーナの東方趣味は筋金入りね……」
母ユーフェリアは呆れを隠さない。
ユーフェリアは基本的に愛娘の全てを肯定しているが、東方趣味――特に東方食品へ掛ける情熱だけはさっぱり理解できない。娘の東方料理に付き合わされ続け、ショーユには慣れたが、未だにミソは駄目だ。あの臭いがどーしても受け入れられない。それと、アンコなる豆を甘く煮た甘味。あれもダメだ。
なぜ豆を甘く煮るのか。ユーフェリアには理解できない。
甘い豆料理がある大陸南方北部の文化を知っている者達には、意外と好評だったが。
なお、レーヴレヒトは平気だった。ゲテモノを食わされる特殊部隊員は、ナメクジを齧るよりマシなら、文句を言わない。
「それで、今度はどんな奇怪な食べ物を作る気なの?」
塩味が利いた口調の問いかけに、ヴィルミーナは微苦笑をこぼす。
「オモチです。米の練り物ですね」
「練り物、ねえ……」ユーフェリアは何とも言えない顔つきで繰り返す。「まあ、食べられるものなら、少しだけ試しても良いけれど……美味しいの?」
「そうですね。東方では年始や寒い時期によく食べるそうで、出来立てや熱したものは柔らかくて甘みがあります。ただ」
「ただ?」
合いの手を入れてきた母へ、愛娘はにっこり。
「よく噛んで食べないと、のどに詰まって命を落とします」
「は?」ユーフェリアは目を瞬かせた。
「年間300人前後がモチによる喉の詰まりで命を落とすとか」
「は?」ユーフェリアは円熟の美貌を引きつらせた。
「……そんな危険な食べ物を作る気なの?」
娘の正気を問う母に、ヴィルミーナは期待通りの反応を見たと笑う。
「まあ、小さめにしますし、よく噛んで食べれば大丈夫ですから」
「……大陸東方人はそんな危険なものを食べてるのね」
驚異と偏見が大いに混じった慨嘆。
「美味いと分かれば、致死毒を持つ毒魚すら食べる民族ですからね」
ヴィルミーナの大雑把な説明は、ユーフェリアの東方人に対する偏見を大いに助長した。
それはともかく。
ヴィルミーナは手ずから白玉団子を作る。
基本的に白玉団子はムニムニモチモチした食感やコメの風味を楽しむもので、味は外に――タレなどに依存する。口内調味が前提の食い物であり、基本的に欧州圏は口内調味という食い方をしないため、白玉団子の評価に『味がしない』というものが出てくる。
この対策として、ヴィルミーナは白玉団子自体に甘みを持たせた。色味も大事なので食品着色料で紅くする。
余談だが(司馬御大風)――食品着色料の歴史は古代まで遡る。
梅干しのシソ。赤飯の小豆。ずんだ餅の枝豆。パエリヤのサフラン。紅麹菌を使った紅酒や漬物。ベニバナは染料や化粧品としてだけでなく食品着色料としても古くから用いられてきたし、うこんも染料と並行して食品着色料として利用されてきた。ロシア圏でのビートも有名だろう。アメリカ大陸で発見された昆虫系着色料はその発色の鮮やかさと美しさから、爆発的に普及した。昆虫スゲー……
どうでもいい話はここまで。
紅色の白玉団子にベリーを添え、練乳をかけて。
白玉ミルクの出来上がり。
日本人的価値観で言えば、ここにアンコか黒豆を加えたいところだが、アンコ嫌いなユーフェリアを慮りナシで。
「ムニムニしてて面白い」「美味しいよ」「私、これ好き」
幼い頃から母の東方趣味を味わってきた子供達は特に忌避感を示すことなく、『こういうもの』と受け入れた。
基本的に食えるものなら文句を言わないレーヴレヒトは内心で、幼虫とか虫の卵に似た食感だな、とか思っていたが、言葉にはしない。賢者の彼は沈黙の値打ちを知っている。
東方料理に少なからず偏見を持つユーフェリアは恐る恐る白玉を口に運び、難しい顔で上品に咀嚼。ごくりと嚥下した後、娘と孫が注目する中、感想を表明した。
「まあ、これなら……」
赤点は免れた程度の反応だった。
曰く――味はともかく、慣れない食感をどう解釈すれば良いのか分からない。とのこと。
なお、家人達にも振る舞われたところ、年長者ほどユーフェリアの反応に近くなり、若年者ほど『また若奥様の御趣味か』程度でさらっと受け入れた。
最年長者の執事長と侍女長は揃って「生煮えの肉みたいな食感」と眉をひそめた。
文化が違ーう。
○
そして、いよいよ本命の餅である。
ヴィルミーナ以外、餅つきなんて見たことも聞いたこともないので、杵でぺったんぺったん突き、手を止めて餅をひっくり返し、再びペッタンペッタンとえらくスローテンポ。
餅つきを知る唯一の人間であるヴィルミーナがひっくり返し役を務めようとしたところ、周囲が『ヴィーナ様にそんな下女みたいな真似はさせられません!』と家人達に止められたことも、スローテンポ化の一因だった。全くの未知の作業だからね、仕方ないね。
なお、作業を見ていた御付き侍女メリーナが『要するに、米を潰して捏ねて、粘度を高めれば良いんですよね?』と言い出し、魔導術で木臼上に高圧の竜巻を作り出して捏ねくり回すという、絶技を披露。
周囲がやんややんやと喝采に沸く中、「風情が、風情が台無し」と渋面を浮かべるヴィルミーナ。
そうして完成した餅を、皆どこか不安顔で食べる。
ユーフェリアが『東方で年に三〇〇人前後の死者を出す食べ物』という風評をばら撒いていたから、誰も彼もドキドキだった。中には食べる前にお祈りを口にする者さえいたし、『これも忠義のため』とか悲壮な覚悟を抱いて食する者さえいた。
ヒデェ絵面である。
「味は良いけど、ちょっと柔らかすぎる。もうちょっと固い方が良い」
「僕はこれくらいで良いかなぁ」
「私、甘い方が良い」
我が子達が餅の論評を交わし合い、
「うーん……これに似たようなのをどこかで食べた覚えがあるんだが……なんだっけな。大陸東南方の郷土料理? いや、大陸南方のゼリーみたいな奴だっけ? うーん……」
「若旦那様は本当にいろんな体験をされてますね……」
小首を傾げるレーヴレヒトとズレた感心をするメリーナ。
そして、ユーフェリアは餅を食し終え、
「悪くはないわ。悪くはないけれど……」
哲学的な面持ちで呟いた。
「命懸けで食べる価値があるかと言われると、ちょっと理解できない」
そんな一同と違い、ヴィルミーナは前世以来となる餅に、泣きそうだった。
米の香り。醤油の風味。柔らかな食感。色褪せていた前世の思い出が鮮やかに蘇る。
正月に揃って雑煮を突く家族。祖父母や親戚一同と和気あいあいと行った餅つき。初詣の帰り、屋台の磯辺焼きと一緒に食べた友人達。正月振舞いで出された雑煮が酷い味で、同僚達と愚痴りあったこと。
皆の顔が鮮明に思い出せる。彩り鮮やかにはっきりと目に浮かぶ。
もはや味や出来栄えなどどうでも良い。このささやかな食べ物が与えてくれた感動の前では、このつつましい食べ物がもたらした”奇跡”に比べれば、あらゆることが些事だ。
ヴィルミーナは密かに目元を拭い、満足そうに呟いた。
「美味しい」




