22:5
大変お待たせ候。
諸君。歴史のお時間である。
西方圏諸国の外洋進出が始まって以降、南小大陸は西方列強の侵略に晒され続けた。先住民はウリエルス山脈以西に追いやられるか、白人の奴隷にされるか、化外の地で隠棲するしかなかった。
共通暦18世紀後半の御時世。
列強はいくつかの条約を重ねた末、植民地の国境を策定。貿易条件やら人の移動条件やらを取り決めていた。パラディスカ合衆共和国の独立戦争後、ボトルフ条約が結ばれて以降、列強の南小大陸領土は経済面でも安全保障面でも固い協力体制が取られている。
ちなみに、南小大陸北部を握るクレテアと東海岸を牛耳るイストリアと違い、ベルネシアは中南東部の一部を領有しているだけだ。
一方の旧エスパーナ植民地は……本国エスパーナ帝国の大乱と分裂に乗じ、四分五裂して独立したわけだが、その現状は春秋戦国時代みたくややこしい。
大乱後のエスパーナ帝国が正統王朝エスパーナ帝国、ガルムラント諸国連合、ルスタニオン大公国に分裂した結果、エスパーナ植民地の入植者達も出自と思想で揉めた。
つまり、旧エスパーナ植民地国家群とまとめているが、その内実は――
(い)本国と手を切った完全独立国
(ろ)正統王朝帝国とつながりが強い国。
(は)ガルムラント諸国連合とつながりが強い国。
(に)ルスタニオン大公国とつながりが強い国。
(ほ)協商圏側と仲良くしたい国。
――といった塩梅に別れており、ここに先住民族や逃亡奴隷の反抗勢力、人界の支配が及ばぬモンスターの支配領域が加わるわけだ。
カオスである。
ベルネシアが資源を狙って侵略を企てているミランディア共和国は、正統王朝派地域の出身が大勢を占める完全独立志向を持った国だった。
14家と呼ばれる入植貴族――元々は食い詰めたエスパーナ郷士や家を追い出された次男坊三男坊達からなる征服者と大地主や大富豪、宗教指導者などからなる約240家とその郎党達が支配層に君臨し、平民入植者や他国入植者が中間層に座り、先住民や奴隷が最下層に繋がれている。
まあ、この社会構成は他のエスパーナ植民地でも似たようなものだが。
ともあれ。
独立して間もないミランディア共和国を一言で称するなら。
弱小国だ。
大陸共通暦1786年:夏
南小大陸:ベルネシア南小大陸植民地ベルネス・スリネア:ゼーランディア総督府
―――――――――――
ベルネシア南小大陸領土ベルネス・スリネア――ベルネシア領スリネアは旧エスパーナ植民地のミランディア共和国と、旧イストリア領のパラディスカ合衆共和国と国境を接する。
ベルネス・スリネア総督府は煉瓦と木材で築かれたベルネシアン・コロニアル様式の建物が並ぶ瀟洒な街並みと、海賊が跋扈した時代に建てられた沿岸要塞群からなる港湾都市であり、ベルネシア外洋派遣軍・南小大陸方面軍団が駐留する軍都でもある。
ゼーランディア総督府郊外の飛空船離発着場に、ベルネシア国旗と白獅子紋を掲げる旅客飛空船が着陸し、
「意外と暑さを感じんな……大冥洋群島帯は酷く暑かったが」
開放甲板に立つ二十代後半のメーヴラント人貴婦人がサングラスの奥で目を細めた。
「内陸部に広がるスリネア高地から山風が降りてくる関係で、スリネアは気温の割に体感温度が高くないそうです」
一歩後ろに控える侍女がトリビアを披露する。
「ふぅん……まぁ、過ごし易いなら何でも構わん」
貴婦人は然程興味を示さず、不敵に口端を歪める。
「此度の件はアレックス姉様から委ねられた大任。なんとしても成功させねばならぬ」
貴婦人の名はイダ・ヴァン・リンデ=オッケル。
白獅子財閥総帥代理“侍従長”アレックスの実家ド・リンデ子爵家に連なるヴァン・リンデ=オッケル準男爵家長女。平たく言えば、アレックスの親戚だ。
「意気軒高なことは大変によろしいですが、くれぐれも御慎重に。御嬢様は張り切り過ぎるとポカをされ易うございますから」
「始める前から水を差すな」
侍女の諫言に顔をしかめつつ、イダはロングブーツの靴底を鳴らすように踵を返した。
※ ※ ※
「イダが南小大陸領土の総督府に到着したと連絡がありました」
アレックスが総帥執務室に入室し、白獅子の女王たるヴィルミーナに報告する。
立派な執務机で書類を決裁していた女王は手を休め、愛する姉妹を応接セットのソファに座らせた。キャビネットから飲み物を用意しつつ、口端を和らげた。
「今更だけれど、遠地に遣ってよかったの? カーラは貴女の重要な部下でしょう?」
いつか触れたことだが、白獅子側近衆もそれぞれ多くの部下を率い、自身の勢力を持つ。
総帥代理のアレックス、総支配人を務めるエリンやオラフ・ドランなどは一国一城の主に等しい。
白獅子の外交官たるデルフィネ、文化事業などを統括するリア、財務を担う大金庫番ミシェル、法務部の大頭目キーラ、技術部門の総奉行ヘティ、白獅子根拠地クレーユベーレの総督ニーナ、民間軍事会社の大首領エステル、彼女達もまた一大勢力の領袖だ。
特定部門を扱っていないマリサ、テレサ、パウラ、アストリードにしても、女王ヴィルミーナの意思を組織の末端まで巡らせるという重要な役割を背負っている(ヴィルミーナは耳目の届かないところで勝手な振る舞いをする輩を決して許さない)。
「イダにもそろそろ大きな務めを任せても良い頃です。それに」
アレックスは長姉が手ずから作ったアイスティーを受け取り、柔らかく微笑む。
「私達は十代の頃から大きな務めを任されていましたよ」
「それもそうね」
ヴィルミーナはアレックスの隣に腰を下ろし、アイスティーを口に運ぶ。
「私達が尻を拭ってやれるうちに色々やらせておくか」
白獅子財閥は既に正規社員の数が万に届く。年商は日本円換算で兆越えだ。商う事業も増えたし、財閥商圏も広がっている。本国。イストリア。クレテア。カロルレン。聖冠連合帝国。アルグシア。地中海。大冥洋群島帯。南小大陸。大陸南方。大陸東南方。
後進育成が必要だ。特に、信用のおける人材の育成が。
「それが良いと思います」
アレックスは小さく首肯し、
「話は変わりますが……ミランディア共和国の件です」
端正な顔立ちに若干の困惑を湛えて告げた。
「例の計画、本気でお考えなので?」
「あら。不満?」ヴィルミーナは妹をからかう姉のように口端を曲げる。
「不満という訳ではありませんが、」アレックスは眉を大きく下げ「だって、ヴィーナ様は“鉄道”を随分と忌避されていらっしゃったでしょう?」
ミランディア共和国の産油地奪取後、採掘した黒色油の運搬にいくつかの案が検討されていたが、ヴィルミーナは鉄道の利用を提案していた。
そう、鉄道事業を渋りまくっていたヴィルミーナが、だ。
これには側近衆も事業代表達も王国府の関係者達も『え、何この掌返し?』と目が点。
しかし、ヴィルミーナにすれば「それはそれ、これはこれ」。
白獅子のような企業財閥が鉄道事業を自前で商えば、確かに莫大な利益を得られる。鉄道事業だけでなく、沿線地域開発を前提にした不動産やらなんやらパッケージングで扱えば特に。
だが、戦火の絶えぬ大陸西方メーヴラントでは、戦禍を口実に召し上げられる可能性を無視できない。ヴィルミーナは根っからの政府不信の持ち主だから、なおのことだ。
パリ・ロスチャイルド家みたく、ナチから苦労して銀行を取り返したのに腐れ第四共和政府に奪われるなんてことになったら、ヴィルミーナは祖国に経済テロを辞さないだろう。
だから、ヴィルミーナは鉄道事業に消極的であり続けた。国家権力へ強烈な不信を抱くゆえに。
そんなヴィルミーナが鉄道を推奨する理由。それは――
「飛空船や機械化車輛で運ぶより大幅に安上がりなのよ」
コスト問題だ。
ロックフェラーは鉄道業者を囲い込み、輸送コストを抑えて価格競争でライバル他社を叩き潰したから世界最大の石油王になれた。この故事を考えれば、輸送手段は鉄道以上に輸送効率と経済性に長けた方法はあるまい。
それに、鉄道は存外に脅威に対して強い。装甲列車を用意すれば自前で防御できるだろう。
加えて言えば、現在ならイストリアの鉄道事業を参考に出来る。イストリア総支配人のエリンを通じてイストリアの鉄道関係者を引き抜くことも可能だろう。何もかも手探りでやるより楽だ。
「ですが、鉄道事業そのものは余所に任せるのでしょう? せっかくの大口利権を余所に与えてしまうというのは、ウチの中で反発が生じませんか?」とアレックスが憂い顔を作る。
アレックスが語った通り、白獅子はこの鉄道事業を扱わない。あくまで車輛提供や沿線の開発事業を請け負うだけ。鉄道そのものは新規の国営企業か政府出資の特殊法人が担うことで、話が決まっている。
ヴィルミーナは隣に座るアレックスを見つめる。
タカラヅカ的容貌なアレックスは四十路間近になっても依然美しく、物憂げ顔にも華がある。
私の姉妹達はいくつになってもかわええなあ。
「前にも言ったけれど、その点も考慮したうえよ」
手を伸ばしてアレックスのミディアムショートヘアを指で梳きながら、ヴィルミーナは続けた。
「おそらく、この鉄道の管理コストは恐ろしく高くつく。モンスターがうようよいる僻地を通すわけだし、環境的な事情から線路の管理維持も大変でしょう。ミランディア人の反抗勢力によるサボタージュやテロルもあるはず。いくら儲けが大きいとはいえ、厄介事が多すぎる。犠牲を伴わなければ維持できない利権など馬鹿馬鹿しいわ」
白獅子の女王は柔らかく微笑み、侍従長の頬を撫でる。
「何より、社員が犠牲になったら貴女が悲しむでしょう? 私の可愛いアレックス」
アレックスは頬に朱を差しながら頷き、グラスを両手で持って口に運ぶ。くぴりとアイスティーで喉を湿らせた。
「話が前後して恐縮ですけれど、本当にイダでよろしかったので? あの子は確かに優秀ですが、うっかりなところもありますし」
妹を案じる姉の顔つきでアレックスが言えば、ヴィルミーナは悪戯っぽく目を細めた。
「先んじて補佐役を送り込んであるわ」
※ ※ ※
「……なぜ貴様がここに居る」
イダが逗留先の高級ホテルに到着すると、広々とした正面エントランスホールで出迎えを受けた。
美貌を不満げに大きく歪めるイダへ、出迎えのメーヴラント人青年がにんまりと笑う。
「我らが総帥の御差配さ。君の補佐をしろってね」
イダと同年代のメーヴラント人青年。
彼の名はケフィン・デア・カーレルハイト=ホル。カーレルハイト侯爵家一門の出で――
学生時代、イダが蹴り飛ばすようにフった男だった。
〇
イストリア人は傲慢で貪欲。クレテア人は高慢で業突く張り。ベルネシア人は狡猾で欲深。
そんな連中ががっつり手を組んで陰謀を巡らせたら、そりゃろくでもないに決まっている。当事者達にとっては、従来の植民地拡大事業を共同歩調で行いましょう程度の認識だったが。
ベルネシア王国府や貴族界の一部には、ミランディア共和国侵略に伴う汚れ役をヴィルミーナに押しつけ、政治的に完全排除し、その莫大な資産や巨大な財閥を没収/強奪を図る者達が居た。
が……彼らの大半は方々の派閥的な暗闘で叩き潰された。ごく少数が白獅子財閥の隠し爪たる北洋貿易商事の脅威判定に引っ掛かり、排除されている。
たとえば、オーステルガムの売春宿で、ある貴族が痴情のもつれからチンピラに刺殺された。
死んだ貴族が反ヴィルミーナ派の連絡役を担っていたことを、世間は知らない。
件の貴族が正確に肝臓と腹腔動脈を刺されたことを、世間は知らない。
逮捕されたチンピラが獄中で自殺した後、彼の妹一家が西部に引っ越して裕福に暮らし、亡き兄のために立派な墓を作って私費でミサを上げたことを、誰も知らない。
高級官僚の一人として、このろくでもないやりとりに関与しているマルク・デア・ペターゼンは疲れ顔だ。
まあ、疲れ顔の原因は業突く張り達を相手にしているからではなく、家庭生活にある。
ここ数年、マルクの家庭生活は悩みが深い。
マルクはひょんなことからアルグシア連邦北部閥の領袖メイファーバー王国の姫君を娶ったわけだが、第三次東メーヴラント戦争が勃発して以来、10歳以上離れた若妻との関係は非常に難しくあった。特に、白獅子財閥のカロルレン支部経由で最新装備の傭兵部隊が派遣されるようになってからは、マルクにメイファーバー王家の婿として振る舞うことを求めている。
『旦那様! ベルネシアはアルグシアを背後から刺すおつもりなのですかっ!?』『旦那様っ! 旦那様は婚家に協力する気は無いのですかっ!?』『旦那様っ!』『旦那様っ!』
これに妻の侍女や護衛女騎士も加わるわけで。
暢気な弟は『親父みたいに家を追い出されないだけマシだろ』と笑っていたが、マルクはまったく笑えない。
なんせ、政府高官であるマルクは、アルグシア西部閥の連邦離脱を前提にした秘密外交を知っていたから。
事が現実になったら、妻に刺されるかもしれない。マルクの疲れ顔は癒えない。
夏の日差しが採光窓から注ぐ王妹大公屋敷の書斎。
ヴィルミーナは左手で頬杖を突きながら、コルクボードに貼られた大判の世界地図を眺めていた。
足元では愛犬ガブが寝息を立てていて、そのガブの大きな体躯を枕に愛狸ポンタが腹を晒して寝ている。野生はどこに行った。
紺碧色の瞳が地図の南小大陸に向けられる。
アレックス配下のイダには現地関係者や有力者との折衝に加え、諸々の調査を命じてある。彼女の報告次第では計画の修正が必要になるだろう。
頬杖を突く左手の人差し指でこめかみを撫でつつ、思案する。
方面軍の侵攻に合わせ、鉄道線の開墾と敷設を行いたい。民間軍事会社 (アイギス)だけでは足りない。胆の飛空船隊は北洋と地中海で手一杯。陸戦要員は未だカロルレンに派遣中。鉄道開発業務の現場要員、機材も諸々揃えねば。
「傭兵だけじゃなくて土木工事に長けた技師と重機も山ほど要るわね……経費を考えると頭が痛いな」
後者はともかく、前者の手当ては難しい。それに……
「軌間規格とか言われても知らんがな」
鉄道の軌間規格が揉めに揉めている。
この時代、鉄道は黎明期。標準規格など定まっていない。レール幅に関しては技術者の間で議論が交わされている(それも激戦だ)。地球鉄道史においても、各鉄道会社が自社軌間を標準規格にしようとして揉め、広軌と狭軌で揉め、そこに機関車技師やら製鉄会社やら運送会社やら御上やらが加わり、大乱戦。
ベルネシアでは鉄道技術で先行するイストリア規格に準じようという話が大勢を占めていたが、そのイストリア規格にしても国営鉄道と民間鉄道で規格抗争が続いている始末。
挙句、ベルネシア鉄道利権に少しでも食い込もうとイストリア企業が暗躍しているし、本国での戦いに敗れた鉄道技術者達がベルネシアやクレテアで復権を企み、何が何だか。
前世、数々の迷惑行為を起こしていた鉄道マニア達が脳裏をよぎる。まあ、彼らは今回の話に関係ないけれど。
「鉄道ってホントに面倒臭い」
頬杖を解き、ヴィルミーナはサイドボードから汗を掻いたグラスを手に取る。果実酒の炭酸割りを口に運ぶ。冷たさと発泡の刺激が心地良い。
ヴィルミーナはフッと息を吐き、気分を変えて再び地図を見つめる。
南小大陸植民地で揃えられるもの、本国から持ち込まねばならないもの。工場を建てるか? それとも集積場で済ませるか。ベルネシア戦役のように本国が危うくなった時、外洋領土で諸々生産できれば大いに助かるけれど、外洋領土の自立は分離独立を促しかねない。
「精々が組み立て製造工場を作るくらいかしら」
ぽつりと呟いた時。不意にガブが頭を上げた。次いでコンコンとドアがノックされ、ヴィルミーナが「どうぞ」と応じれば、御付き侍女メリーナが顔を覗かせる。
「御嬢様、大冥洋群島帯より報せが届きました」
群島帯から?
思い当たることが特にないため、ヴィルミーナは怪訝そうにメリーナから書簡を受け取る。最高級羊皮紙。封蝋の印章は白獅子財閥のものではなく王家の獅子紋だった。
ぞわり、と背筋に不穏な感覚が走る。
ペーパーナイフで封蝋を外し、ヴィルミーナは書簡を開いて目を通し――眉間を押さえた。
「凶報ですか?」とメリーナが不安顔を浮かべる。
「あー、うん。どうだろう。まあ、吉報ではないわね。ただ、凶報というほどでもない。一言で言うなら……面倒な報せね」
ヴィルミーナは眉を大きく下げ、従妹からの書簡を執務机に放った。目を覚ました愛狸ポンタが器用に膝の上へ登ってきて仰向けに寝転がる。
狸は小気味良いほど図々しかった。
〇
ベルネシアは少しずつ医薬品と弾薬と食料と消耗品類の備蓄を増やし始めた。あまり急激に進めると、国情が不安定なアルグシアを誤解させかねないので、あくまで少しずつ、だ。
大冥洋群島帯と南小大陸で港湾設備や主要街道の整備が進められていく。
外洋派遣軍も南小大陸方面軍団と大冥洋群島帯方面軍団の再編を始めた。
妻帯者は二線級部隊に回され、独身者が第一線部隊に送られる。優先的に最新兵器が与えられ、入念に操典教育と完熟訓練が施されていく。
また、各地に分散配備されている特殊猟兵戦隊の中核部隊がひっそりと大冥洋群島帯に集結し、長距離浸透偵察作戦や非合法隠密作戦を訓練中だ。
本国でも歩兵師団と装甲車旅団が実戦を考慮した教育と訓練を行っている。
海軍も同様で、飛空艦コーニング・ロードヴェイクⅡを中心とした艦隊演習が実施された。
計画の主導権を委ねられている情報統括局により、ミランディア共和国に諜報員達が送り込まれて地形や道路、市町村の位置や街並み、高価値標的等々の情報収集が進められている。
白獅子財閥の使者として南小大陸へ派遣されたイダもまた、精力的に活動していた。
イダ・ヴァン・リンデ=オッケルはリンデ一族譲りの華やかな容姿――さらさらの栗色ロングストレート。目鼻立ちの整った綺麗な細面。意志の強さを窺わせる吊り気味の双眸。脚線美の眩しいスレンダー系モデル体型――を持つ美女である。
もっとも、彼女は自身の美貌を武器にするタイプではない。というか、むしろその手の方法論を忌避している。
なんせ、イダは“親戚のお姉さん”アレックスに強く強く憧れて白獅子財閥に入社したクチだ。オンナであることを利用せず、自身の能力や才覚で戦うと決めている。
そんなイダは深青色の瞳をサングラスで覆い、緑と黒のカジュアルフォーマルドレスに身を包み、ブーツをカツカツと鳴らして歩く。
「俗物共め」
名優・榊原良子の声で聴きたいセリフを吐き捨て、イダは馬車に乗り込む。
この地における方々との折衝は、狐狸貉を相手にポーカーをしているようなものだ。どいつもこいつも腹黒の業突く張りで、煮ても焼いても食えぬ輩ばかりだ。
「ここの連中は欲深だけれど、目端も利く。一筋縄ではいかないよ」
続いて乗車した補佐役のケフィンが気遣うも、イダは『その口を今すぐ塞げ』と言わんばかりに睨み据えた。
背もたれに体を預け、イダは腕と長い脚を組んで口をへの字に曲げる。
「説教は要らん。それより案を出せ」
「案?」
「貴様、私の補佐役だろう」イダは目を瞬かせるケフィンに「この不快な状況を打破する案を出せ。私の無能を晒すだけならばともかく、アレックス御姉様のお顔を潰すような事態は許容できぬ」
これだよ、とケフィンはげんなりと肩を落とす。昔、俺をフった頃と全然変わってない。
「ここでは白獅子とヴィルミーナ様の威光はさほど効力を持たないんだ。組織ではなく、君自身の有能さを認めさせないと、ここの連中は君を使い走りの小娘としか見ない」
「……僻地の成金共を思い知らせればよい訳か。なるほど、よろしい。大いによろしい」
イダは不敵に嗤った。ネコ科の猛獣みたいな笑みだった。
ケフィンは思う。
言い方を間違えた、と。




