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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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閑話38b:オストメーヴラント1786・デンバッハの戦い

大陸共通暦1786年:晩冬

大陸西方メーヴラント:アルグシア連邦:デンバッハ市

――――――――――――

 要衝イーアランゲンから20キロほど北上した辺り。

 南部閥ファルケンブルク伯国の平野農耕地域に、二次性徴前の少女の胸部みたく幾ばくかの起伏がある。

 広々とした農耕地の中に小集落や小村が散在し、灌漑水路の傍らに水車を伴った麦挽き小屋や工房が建っていた。

 そんな牧歌的な土地に、ファルケンブルク伯陪臣デンバッハ領主騎士が治める同名のデンバッハ市があった。まあ、市を名乗ってはいるけれど、実態は人口1000人ちょいの小さな町に過ぎない。

 ともかく、第三次東メーヴラント戦争のクライマックスはこの牧歌的な土地と小さな町で迎えることになった。



 冬の終わりと春の目覚め、その狭間。

 悪魔も泣き出しそうな寒気が注ぐ払暁時。

 ラインハルトは指揮装甲車のボンネットに仁王立ちし、吐息を白く煙らせながら双眼鏡を覗き込む。


 敵軍はデンバッハ市を重拠点化しつつ、その東側――右翼にある丘:作戦符丁『ガチョウ高地』(周囲からわずか4メートルほど高いだけ)を魔導術と資材で簡易堡塁化していた。この二つの陣地が相互支援して殺傷界(キルゾーン)を構成している。


 付近の小集落や小村も陣地化されており、デンバッハと『ガチョウ高地』の付近では灌漑水路を最前列の馬防壕代わりにした塹壕帯が広がっていた。水車小屋なども砲や銃座が潜んでいるかもしれない。

 町や村の付近にある薪炭林の影にどれほど兵力が隠されているかは不明だ。


 周囲に立ち昇る炊飯の煙、暖を取る焚火の明かりから判断するに、この戦域に10万は展開しているのではなかろうか。こちらとほぼ同数か、少し上か。空は雲が低く、厚い。両軍の航空戦力はそう多くないが、低空戦となる。高射部隊が肝だな。

 ラインハルトは双眼鏡を覗きながら、思案を続けた。

 正面から仕掛けるなら、砲弾を豪雨のように叩きつけなければならない。側面から仕掛けるにしても、当然対策がしてあるから、かなり厳しいことになる。


 惨劇を予感したところへ、

「そんなところに立っていると狙撃されますぜ」

 最先任准尉が心配そうに告げた。

「なんたって王子様が狙撃される御時世だ。旅団長殿も例外じゃありませんや」


 第二次東メーヴラント戦争において、ブローレン王国王太孫アドルフ・ハインリヒは戦場視察に赴き、狙撃されて死んだ。彼の死を契機にアルグシア東部閥はガッタガタになり、今次戦争の序盤において東部軍の瓦解を招いた。


 一発の銃弾と個人の死が地域大国の四分の一を回復不能な混乱に陥らせ、今次戦争の戦況を生むことになったのだ。

 そういう意味では、王太孫アドルフ・ハインリヒは軽率な振る舞いによって死に、東部閥と連邦に災厄を振りまいたとも言える。後世でどのような評をされるやら。


 ラインハルトは双眼鏡を下げ、ボンネット上から准尉を見下ろして告げた。

「准尉。朝飯は特配を出せ。出し惜しみは無しだ。美味いもんを食わせてやれ」

「――ヤバそうなんで?」と眉を下げる准尉。


「俺の勘が正しければ」

 ラインハルトは鈍色の曇天を見上げ、言った。

「今日は大勢死ぬ」


     〇


 日の出時刻を迎えても曇天のため、朝日を拝めない。

 朝食を済ませた後、カロルレンA軍は狙いを右翼『ガチョウ高地』に定めた。中核集団が正面と左翼を牽制しつつ、マクシミリアン公集団がガチョウ高地の側面へ延伸しながら攻撃を開始する。


 死闘は戦場の女神達の合唱で始まった。

 カロルレン砲兵が骨身に染みる寒気を吹き払うように、様々な口径の榴弾と炸裂弾をアルグシア軍陣地へ叩き込む。爆炎の花が咲き、爆煙がとぐろを巻きながら立ち昇っていく。巻き上げられた土砂がざあざあと降り注ぎ、不運な将兵が砕かれた血肉を飛散させる。


 アルグシア砲兵も負けじと演奏を開始した。野砲を撃ち、平射砲を撃ち、軽砲を撃ち、ロケット花火のお化けみたいなロケット弾を次々と発射していく。


 カロルレン軍の複層散兵線が鉄と炸薬に飲まれた。弾殻片や炸裂弾子が柔らかな人体を引き裂き、砕く。爆圧衝撃波が人体を潰し、千切り、壊す。爆炎が軍服も体毛も皮膚も肉も骨すらも焼く。散兵線の兵士達はわずかな起伏や雪土が抉られて生じた砲撃孔へ飛び込み、軍用スコップや手で狂ったように硬い地面を穿ち、少しでも深い掩体を作る。


 両軍の砲火が凄まじい。塹壕のアルグシア兵はとても頭を上げられず、カロルレン兵はとても進めない。対砲兵射撃が時折、火砲や準備弾薬を捉え、ひときわ大きな爆炎を生む。


 中央で鉄と炸薬の殴り合いが行われる中、両軍の銃兵戦列が移動を開始する。鼓笛隊と大勢の軍靴が行進の音色を刻む。


 右翼ではマクシミリアン公集団はガチョウ高地側面へ向かって。アルグシア軍は延翼するマクシミリアン公の攻撃を迎撃するため。


 左翼ではアルグシア軍が比較的薄いA軍側面を殴るために前進し、タイクゼンの中核集団の銃兵戦列が防御戦の構えを取る。


 騎兵はまだ動かない。砲弾が届く届かないギリギリの距離で待機している。

 両軍の魔導術兵が工兵として塹壕の再建や掩体の製作に大汗を掻いていた。


 マクシミリアンはまだラインハルトとミッテルホフを投入しない。騎兵の打撃力を発揮する場面はまだ先だ。今は鉄と炸薬の殴り合いと、歩兵が血を流す場面だから。


 人間的に極めて短所の多い男であるし、軍人としての才能はそれほど高い訳ではないが、マクシミリアンは取り巻き達にそれなりに優秀な人間が居て(こちらも人柄に難があるけども)、参謀長ランズベルク伯が胃痛を抱きながら調整していたから、彼自身の能力はさほど問題にならなかった。


 むしろマクシミリアン公集団の指揮官達は、こうした隊形戦術同士の殴り合いに長けていた。

 中でも、又従妹のザビーネ・フォン・リッテンシュタインは“姫騎士”の名に恥じぬ闘将振りを発揮している。魔鉱合金製の軍刀を指揮棒の如く振るい、女優的美貌を輝かせながら美声で兵士達を鼓舞し続けた。


 ただし、今次戦争の銃兵戦闘は従来のような戦列の殴り合いに多大な犠牲を要求する。

 両軍が使用している銃器は樹脂補強紙薬莢式の遊底駆動式小銃だ。大口径の弾丸は最大射程が数百メートルに達しており、その威力は恐るべき殺傷力を発揮する。挙句、慣れた兵士なら精確性を問わねば一分間に10発以上射撃できる速射性能があるのだ。


 また、従来の擲弾銃も性能が向上した手動式機関銃も恐るべき殺傷能力を発揮する。

 十分な射界と十全な配置を採った機関銃は単独で歩兵中隊を壊滅出来るし、擲弾銃は密集隊形なら一発で数人を殺傷し得る。


 これらの小火器で殴り合えば、戦列など中隊単位で溶けていく。

 将兵は頭蓋を砕かれ、手足をもがれ、胴を抉られ、命を貫徹される。雪土に骸を晒し、湯気をまとう血が大地を濡らす。敵も味方もバタバタと倒れていき、死神から後回しにされた者達が苦痛に泣き喚き、命が失われていく中で朦朧と呻く。家族や恋人の名を口にして、あるいは神に助けを求めながら、彼らはその人生を雪泥の中で終えていった。


 それでも銃兵達は前進する。

 仲間の屍を置き去りにし、傷ついた戦友を跨いで前進する。

 下士官の怒声と将校の金切り声に背中を押され、手の中の銃が放つ熱を頼りに前進する。

 恐怖に顔を引きつらせ、目尻に怯懦の雫を滲ませ、体中から冷汗を流し、場合によっては小便すら漏らしながら、前進する。

 一歩。一歩。また一歩。兵士達は前進する。


 縦隊戦列の先頭大隊。射撃戦を生き延びた少尉が拳銃を高々と掲げ、中隊長に代わって残存する兵士達へ叫ぶ。

「総員、突撃ィッ!! 我に続け―――っ!!」

『フラァアアアアアアアアーッ!!』

 カロルレン兵達がヤケッパチの怒号を響かせながら、銃口に装着した白刃を構えて一斉に駆けていく。


「斉射ァッ!」

 中尉の指揮でアルグシア銃兵の先頭戦列が迎撃一斉射を放ち、軍刀を突き上げた。

「これより逆襲に移るッ! 突撃せよ―――――ッ!!」

『ワァアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 アルグシア兵達がヤケクソな雄叫びを轟かせながら、銃剣をつけた小銃を槍のように構えて駆けていく。


 両軍の銃兵が激突する。

 狂気に猛り、殺意と戦意に滾り、闘志と恐怖に奔りながら、銃兵達は銃剣で似たような姿の相手を斬りつけ、刺し突く。銃床を叩きつけ、殴りつける。がむしゃらに小銃を振るい、ひたすらに軍刀を振るい、一心不乱にスコップを振るい、躍起にナイフを振るい、狂ったように拳を振るう。


 血反吐に塗れた敵を容赦なく殺し。涙と小便に塗れた敵を無慈悲に殺し。死んだ者を踏み越え、生きている敵へ襲い掛かる。

 白兵戦は続く。どちらかが戦意を失うまで。


     〇


 最初の騎兵投入はアルグシア軍だった。

 タイクゼンの中核集団が予想より兵力と砲の門数が少ないことに気付き、騎兵連隊で左翼から迂回強襲を図った。これを迎撃するためにタイクゼンも騎兵を投入。それも、人馬共に鎧った重騎兵大隊を含む虎の子の騎兵旅団を。


「ここで我々の騎兵を見せておく。質と練度に優る騎兵が側背を守っていると分かれば、軽々に裏取りを図れなくなる」

 タイクゼンの策は当たった。


 アルグシア騎兵連隊は一方的に大損害を被り、後退。側背展開を諦める。ただし、タイクゼン自身も気づいてなかったが、中核集団も側面防御のために騎兵旅団というカードを切れなくなった。


 戦線右翼でもいよいよ機動戦力の投入が命じられた。

 ――目標『ガチョウ高地』。銃兵部隊の突撃に先駆け、敵堡塁へ突入せよ。

「装甲車は機動兵器だぞ。歩兵に合わせたら意味がないだろうが」

 毒づきつつ、ラインハルトは活火山の如く砲煙を立ち昇らせる『ガチョウ高地』を窺い、次いで自身の装甲車隊を見回す。手元に残っている装甲車は52輌。おそらく半数も残らないだろう……

「エーディ。降りる気はないんだな?」


 車内で作戦地図をクリップボードに挟んでいたエーデルガルトが顔を上げ、美貌に似合った柔らかい微笑を返す。

「当然でしょう? これほどの戦いで貴方の傍以外のどこに居ろと?」

「弾の飛んでこない所で俺の無事を祈るという選択もある」

「そんなの選択肢にも入らないわ」

 夫の提案を即座に一蹴し、エーデルガルトは通信手から魔導通信器の通話具を受け取り、旅団長へ差し出す。


 ラインハルトは副官から通話具を受け取り、

「パパ・グリフォンより全車へ。楔隊形で高地へ突入する。敵魔導兵の罠に注意しろ。落とし穴にでも擱座したら集中攻撃を浴びるぞ。砲車は砲火点と機関銃座を優先しろ。機関銃車は敵歩兵を牽制だ。装甲馬車隊は騎兵砲部隊と協働して車輛隊を支援。細かい判断は各隊の指揮官に任せる。以上」

 命令を発した後、乗降口から身を乗り出した。旅団本部中隊と共に進発点に残るオーベルハインへ告げる。

「残していく連中のことは任せた」


「御武運を」とオーベルハインはどこか他人事のように返した。見送りの敬礼すらしない。

「そっちもな」

 冷笑で応じ、ラインハルトは右手を高く上げて二度大きく回した。

「全車、前へっ!!」


 52輌の蒸気機関装甲車WL84がロスリング蒸気機関を猛々しく吠えさせ、盛大に排気煙を吐き出して発進。楔隊形を形成しながら真っ直ぐ進んでいく。

 地獄へ向かって。


       〇


 現状、世界唯一の機械化車輛兵器は大きな疑似ゴム製タイヤで雪土を巻き上げ、地面の起伏をもがくように踏み越えながら緩慢な『ガチョウ高地』を昇っていく。


 砲手がハンドルをぐるぐると回して砲塔を旋回させ、銃座と火点に砲弾をぶち込み、肉薄攻撃を企てる敵兵を機関銃や擲弾銃で撃ち払う。運転手は狭い除き穴を頼りに巨獣を走らせ、憐れな敵を大きな車輪で踏み潰し、塹壕の上で空吹かしして排気煙で窒息させる。


 鉄の巨獣は無敵ではない。砲弾の直撃を浴びて爆発炎上する。敵魔導術で築かれた落とし穴や障害物に擱座し、砲や肉薄攻撃に仕留められる。ボイラーが大爆発し、魔晶油が燃え盛り、砲弾が殉爆して砲塔がコルク栓のように吹き飛ぶ。

 被弾の衝撃波や飛散した破片を浴びて死ぬ者。燃え盛る車内で生きたまま焼かれる者。火達磨になりながら車外へ飛び出し、そのまま息絶える者。何とか脱出を試みるも集中射撃を浴びて崩れ落ちる者。幸運に恵まれた者達だけが随伴の擲弾兵や後続の銃兵と合流できる。

 生死を分ける条件を知っているのは、性悪な運命の女神だけ。


「怯むなっ!! 進めっ!」「第三中隊、左翼の穴を塞げっ!」「歩兵は何をしてるっ!! さっさと進ませろっ!」「全力射撃だっ! 弾を惜しむなっ!」

 ラインハルトは戦闘交響曲に負けじと通信器の通話具に吠え続けていた。渇いた喉が痛みを発しているが、構ってなど居られない。

「特火点を―――」


 頭蓋を砕かんばかりの轟音と衝撃に、ラインハルトの意識が飛ぶ。


 指揮車輛が被弾する光景に機動旅団の兵士達は凍りついた。

 第一次東メーヴラント戦争に従軍して以来、祖国の関与したあらゆる戦争の最前線で戦いながら、ただの一度も戦傷を負ったことがない不死身の男。ラインハルト・ニーヴァリ大佐が乗る指揮車輛が被弾した。爆発したボイラーがどす黒い黒煙が墓標のようにもうもうと立ち昇っている。


 旅団将兵の戦意が砕ける間際。

 魔導通信器から罵声が響く。

『パパ・グリフォン被弾、これより脱出するっ! グルーレ、車輛隊の指揮を代われっ!』

 生きてるっ!! 旅団将兵は驚愕しつつ、安堵と納得を抱く。やっぱりあの人は不死身だ。


 ラインハルトは破片で額を少しばかり切っただけで、大破した装甲車内から負傷した副官で妻のエーデルガルトと射手を引っ張り出し、戦死した運転兵と通信兵まで車外へ連れ出した。


 薄ら恐ろしいことに、ラインハルトは救助にやってきた擲弾兵中隊を率い、自身も『ガチョウ高地』を目指して前進を続けた。デカいランドセルみたいな魔導通信器を抱えた通信兵達を従えて旅団全体の指揮を執り、

「旅団長っ! 敵銃兵中隊規模っ! 逆襲、来ますっ!」

「総員、白兵用意っ! 押し返せっ!」

 挙句は自ら小銃を撃ち、手榴弾を投げ、軍刀を振るう。その姿は麗貌と合わさって神話の英雄のようだった。


 血みどろの死闘を重ねた末、記録では午前10時半前後、第41機動旅団は20両の装甲車と機甲連隊の三分の一を失った代わりに、丘の頂上へ到達。カロルレンの旗が『ガチョウ高地』に翻る。


 わずかな合間に幾ばくか補給を行い、ラインハルトは部下の車両へ移乗。煤と泥と汗に塗れた顔で旅団将兵に命令を発する。

「これより敵後方の砲兵陣地を強襲するっ! 一門でも多く潰せば、それだけ味方の犠牲が減るっ! 戦友を救えっ! 前進っ!」

 部下達は「旅団長殿と一緒に居たら命がいくつあっても足りねえや」と呆れ、「ニーヴァリ大佐は骨の髄まで戦争が大好きだ」と笑った。


 かくて、後続の銃兵部隊に『ガチョウ高地』を預け、ラインハルトと鉄獣の群れは次の地獄へ進んでいく。


 もっとも、ラインハルトの『ガチョウ高地』制圧は軍事的意味を持たなかった。交代した銃兵部隊がアルグシア軍の反撃によって丘から叩き出されたからだ。

『ガチョウ高地』を巡る死闘は続き、カロルレン軍とアルグシア軍は幾度も幾度も丘を取った取られたを繰り返した。


     〇


 戦闘の激化に伴い、現場指揮官はおろか将官までも戦死し始めると、両軍は情報の混乱と命令の錯綜に苦しみもがく。


 確保したはずの村落に敵が居たり、全滅したはずの味方部隊が健在で移動を阻んだり。

 砲兵の移動を命じたのに騎兵砲が運ばれてきたり、機関銃の弾薬を要求したのに擲弾銃の弾が送られてきたり。

“甲”へ行けと命じたのに“丙”へ行ったり、待機を命じたのに現場指揮官が勝手に前進を始めたり。


 戦場の全てが画面上で表現されるゲームとは違う。むしろ、戦場では不明な状況の方が多い。上がってくる情報が正しいとは限らないし、命令が正しく届くとも、必ず実行されるとも限らない。『ンな無茶なことできるかボケ』と命令を実行しない現場指揮官や兵士などいくらでもいる。


 この混沌とした戦況の中、ラインハルトの後方侵入にミッテルホフの烏竜騎兵旅団が続くことで、戦況が大きく動く。


『ガチョウ高地』でマクシミリアン公集団とアルグシア軍の銃兵が消耗していく傍ら、ラインハルトとミッテルホフがアルグシア軍の後方砲列や補給所をいくつか潰したことで、戦場全体の火力バランスが変わった。


 砲の圧力が減少したことで戦場中央の均衡が崩れた。タイクゼンの中核集団がいよいよ前進に成功し、デンバッハ市外縁にしがみつく。


 アルグシア側はタイクゼンの進撃を止めるための兵力をガチョウ高地の死闘に費やしていた。そのため、アルグシア軍は後方に控えていた西部軍ハイデルン王国軍団の精鋭旅団と、先のドムルスブルク攻防戦で勇名を馳せたコルヴォラント人義勇兵部隊を前線へ投入する。


 ハイデルン王国軍団の精鋭部隊は期待に応え、事実上、彼ら自身が壊滅するまでタイクゼン中核集団を手酷く痛めつけ続けた。

 一方、コルヴォラント人義勇兵部隊は悲劇に見舞われた。彼らは前線へ移動中にミッテルホフの烏竜騎兵旅団に捕捉されて大損害を被り、任務遂行が不可能になった。


 そして、この切り札の早期投入が趨勢を決した。


『ガチョウ高地』の消耗戦。後方で受けた打撃。切り札の喪失。デンバッハ市に突入を始めたタイクゼンの中核集団を止める手立てがない。

 アルグシア軍司令部は決断した。


 日没時に冷たい雨が降り始め、戦闘は自然と終結に向かうと、アルグシア軍はデンバッハ市に動かせぬ重傷者と後衛部隊を置き、デンバッハから撤退していった。


 ラインハルトとミッテルホフや他の騎兵部隊は追撃を求めた。今叩けるだけ叩かなくてはならない。この雨は雪解けの始まりだ。泥濘期が訪れたら、もう機動戦はできない。


 しかし、A軍司令部は追撃をしなかった。というより、出来なかった。

 わずか一日で終わったデンバッハの戦いは、参加した両軍将兵の4割を死傷させた。カロルレンもアルグシアも大勢の将官と将校を失った。再建不可能な連隊や旅団、一人残らず全滅した大隊や中隊。追撃の余裕はどこにもない。

 それに、20万発の砲弾と300万発の銃弾を使っていた。医薬品は山のように用意してあったが、それでも足りない。食糧だけは余裕がある。食う者が減ったから……


 後世の歴史家の言葉を借りよう。

『デンバッハの戦いは勝敗よりもその損害によって、戦争の趨勢を決定した』


     〇


 デンバッハの戦い後、雪解けが始まった。

 両軍は泥の海に足を取られて動けなくなり、ハインリヒⅣ作戦はなし崩しに終結する。


 気温が上がり、大地が乾くまで戦争は進まない。が、戦争はそれ自体が莫大な金と物資を食う。兵士達を食わせるために、装備を維持するために金と物資が溶けていく。

 両国政府が日々増大する戦費に青息吐息となっていた間、両国の軍総司令部は軍の状態に頭を抱えていた。


 カロルレン軍は既に限界を迎えていた。これ以上の徴兵は国内経済を回す労働者の枯渇を招く。特に農村部の成人男性の減少は食糧生産量に直結する。機械化農業以前の状況で農夫の不足は“致命傷”になってしまう。


 アルグシア軍ももはや限界だった。全てを期待された西部軍主力はデンバッハの戦いで半死半生に成り果てていた。領邦にこれ以上の戦力抽出を求めれば『血の搾取を許すな』と造反を招きかねなかった。


 すなわち、戦争はフィナーレを迎える。

 第三次東メーヴラント戦争の、アルグシアとカロルレンの長きに渡った戦争に幕が下りる。




 もっとも、その事実が平和を意味するとは限らなかったけれど。

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― 新着の感想 ―
[一言] ラインハルトは強運?悪運?が具現化したやつだわ笑笑
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