閑話37:推す女と侍る女。あるいはファンの在り方。
お待たせしました。
前年夏のドムルスブルク攻防戦に敗れて以降、カロルレン王国上層部は喧々諤々の議論――失敗の責任の押し付け合いをした後、年内の攻勢を諦めて全戦線の整理を始めた。
アルグシア東部を狙う北部戦線はニムハウゼン屈折部から防御に優位な地形まで後退。
アルグシア南部に展開した南部戦線も防衛に適した地域まで撤収。
こうして二正面を整理して搔き集められた戦力は後方の第三軍と合流し、A軍と名付けられた。
このA軍を再編成中、カロルレン上層部は戦略目標の決定に揉めた。大いに揉めた。
王叔父摂政シグヴァルトはアルグシア東部の奪取を求めた。
反カロルレンの急先鋒ブローレン王国を打倒することで、アルグシアに決定的敗北意識を与えると共に、東部地域確保に伴ってソープミュンデ自治領の宗主権を確保。ソープミュンデが密貿易で溜め込んだ金を分捕って財政赤字を解消したい。
軍は南で大攻勢を望んだ。北部戦線はドムネル=ニムハウゼン湖沼地帯の難地形に懲りていた。ザモツィアから広がる南部の平野部なら機動が易いし、装甲車輛や騎兵による運動戦も期待できる。南で敵野戦軍を撃滅すれば、アルグシアも降伏するしかない。
そんな折、アルグシアが協商圏と期限付き不可侵条約を結ぶ。
カロルレンは目を剥き、そして、アルグシアの真意を誤解しなかった。追報で西部軍主力の派遣情報が届くに至り、カロルレンの戦争方針が決定される。
現兵力では85年に受けた二正面攻勢の時のような防勢作戦はもはや難しい。アルグシアが動く前に仕掛けるしかない。
計画は第一軍の助攻の下、南部戦線から攻勢を開始。
主戦線を突破後、第一関門たるイーアランゲンを制圧後に攻勢方面を北へ転向、カレンハイム侯国にある連邦首都ボーヘンヴュッセルを落とす。
連邦首都を落としてアルグシアに決定的敗北意識を与え、外交交渉で講和終戦を迫る。
この攻勢で第三次東メーヴラント戦争を、否。アルグシアとの戦いそのものに終止符を打つ。
○
白雪が舞い散る冬。御国が決戦へ向けて準備を進める頃。
カロルレン王族ハーガスコフ家一門の若き女親方ルータ夫人は、王都の邸宅で白獅子財閥カロルレン総支配人のオラフ・ドランと面談していた。
実にラグジュアリーな応接室でドランを迎えたルータは、かつての可憐な美少女から美しい人妻に成長していた。栗色の艶やかな長髪を編みこみ、男なら肉欲を疼かせずに居られぬ肉体を高級なロートヴェルヒ製カジュアルドレスやクレテア製ジュエリーで飾っている。
「此度の骨折り御苦労じゃったな。ドラン卿」
オラフ・ドランはカロルレン王国の当代名誉騎士爵を下賜されているため、ルータはドランを騎士として扱った。
「感謝の極み。ですが、総支配人の職責の範囲ですので、お気になさらず」
四十路を迎え、ドランは口ひげを生やした小太り中年となっていた。双眸に宿る知性は深みを増しており、経済人/実業家として脂の乗りを感じさせる。
「一個旅団分の重装備と諸々を調達することが職責の範囲と?」ルータは面白味を覚えたように目を細め「大財閥の総支配人とは、およそ恐ろしい力を持っておるのじゃのう」
「いえいえ、これもルータ様の御助力あってのことでございます」
ドムルスブルクの戦い後、白獅子財閥は人員の入れ替えと称し、ラインハルト麾下のベルネシア傭兵――白獅子隷下民間軍事会社の現場要員を帰国させた。
この時代において、どんな宝物よりも貴重な機甲戦経験者だ。彼らの帰国には陸軍と政府の意向も強く働いている。
当初、機械化車輛兵器の評価は散々だったが、ラインハルトの戦果により『確かに現状の機械的信頼性は低く、魔導術に対して多々の弱点はあるものの、現段階で見切りをつけることは惜しい』と向上した。
加えてベルネシア軍技術部もこの新兵器を再評価し、強い関心を抱いていた。
ベルネシアは列強内にあって人口と国土が中堅規模だ。
大国と渡り合うだけの人的資源が絶対的に足りない。機械化車輛兵器は人的資源を補う戦力として期待を寄せている。
むろん、こうしたベルネシアの事情など、戦時国家のカロルレンには与り知らぬこと。唯一無二の機甲部隊員を引き上げられることは人材的に厳しい(たとえ機甲部隊そのものが壊滅していても、だ)。当然、ラインハルト麾下のベルネシア傭兵引き上げに難色を示した。
そこへ今や北東部閥の大物貴族となったハーガスコフ侯爵家が横車を押してくれた。ドランは人員を引き上げる代替として一個旅団分の重装備と武器弾薬を調達し、加えて食料や医薬品、衣類まで取り寄せている。
取引量は諸々合わせて1000トン単位と“微々たる量”だが、安くはない。
カロルレン宮廷と北東部閥へ執拗に掛け合い、何とか資金や利権を捻出させたうえで、ドランは徹底的に本国へ値切り交渉を行った。『オラフ・ドランはいつからカロルレン王国人になったようだ』と揶揄されるほどに。まぁ、今や人生の大事な物の多くがカロルレンにあるドランにとり、この誹謗は何の意味もなさないけれど。
話を戻そう。
ドランが調達した一個旅団分の重装備は新編の第41機動旅団に配備された。この第41機動旅団はニーヴァリ戦隊の将兵が基幹となり、第23歩兵師団の残余で構成されている。
当たり前ながら、その指揮官はラインハルト・ニーヴァリであった。
「大事な部下達を再び麾下に収め、さらに新編旅団の長となるのだ。ラインハルトも喜んでおろう」
お気に入りのためにひと働きして満足げなルータ夫人。
そうかなあ、と内心で疑問を覚えつつも、ドランは「さようですな」と営業スマイルを崩さない。
「しかし、ルータ様。私の知るところですとラインハルト君は先の抗命容疑で野戦任官を取り消されたとか。貴国の旅団長はたしか最低でも中佐でなければ就けなかったかと……」
「問題ない。わらわが野戦任官を認めさせ、此度の旅団長拝命に合わせて大佐へ昇進させておいたわ。旅団を率いて武勲を上げたなら、戦後にいよいよ将官の末席に連なるであろう」
ふふん、と微笑むルータ。
王族に連なる由緒正しい一流の貴婦人たるルータは男との付き合い方を心得ている。
たとえば、今の夫は血統と条件で選んだ種馬だ。ハーガスコフ家を継いでいく胤を得るための相手に過ぎない。たとえば、眼前のドランは完全なる実利。その利は御家のためだけでなく、ルータ自身の知識や教養、権力にも反映される。
そして、正統派的貴婦人にとって恋愛とは結婚と出産という義務を果たした後に行う、娯楽だ。男遊びは貴顕淑女の嗜みと言っても良い。
男と恋愛ごっこで満足する女は3流。男を跪かせ、かしずかせて満足する女は2流。1流の男遊び方とは、男の人生そのものを望むままに扱うこと。
一流の貴婦人であるルータにとって、ラインハルトは理想的な“推し”だ。
神秘的と言っても良い繊細な美貌。
苛烈な戦場にあって己の才覚と実力で全ての危機と苦難を踏破してきた精強さ。
不撓不屈の精神。従順なようで硬骨の志を持っていることも大いに好ましい。
また、ラインハルトと関わりを持ったことで転がり込んできた実利も、ルータがラインハルトを推すに値するものだった。
ルータの最終目標は、自らの手で“推し”を英雄に至らしめること。
プリンセスメーカーならぬヒーローメーカー。
ある意味で、ラインハルトの内縁の妻エーデルガルトと同方向の嗜好であり、両者の違いはアプローチの仕方だろう。エーデルガルトは最前席で英雄の生きざまを観覧することを望み、ルータは英雄を育てることに楽しみを見出していた。
いわば“同志”であるから、ルータは私生児として誕生したラインハルトとエーデルガルドの間に生まれた子の後見人となる“善意”まで示したのだ。いやはや。
「ラインハルト君ならば、ルータ様の御期待に必ずや応えるでしょうね……」
ドランはこうした事情を察していたが、決して深く関わろうとしなかった。賢者は地雷原にヘッドスライディングしたりしない。
「うむ。ラインハルトがわらわの期待に背くなどあり得ぬ」
満足げに微笑むルータに、ドランは思う。
ラインハルト君は貴女の“期待”を望んでないだろうなあ。
窓の外では白雪が粛々と降り注いでいた。
〇
雪化粧が施されたカロルレン王国北東部――某軍司令部。
第41機動旅団の編成表を前に、ラインハルトは頭痛を覚える。
「後方の閑職に送られたのに、なんで半年もしないうちに機動旅団を任されることになったんだ?」
ぼやく夫を横目にエーデルガルドはポットを傾け、カップに熱い珈琲を注ぐ。
エーデルガルドは夫の疑問の答えを持っていたけれど、開陳するつもりはない。一流の貴顕淑女たるエーデルガルドは奇怪なる友情と打算で結ばれた同志を売ったりしないのだ。
オラフ・ドランが本国から調達した白獅子財閥装甲トラクター第二ロット――正式に『蒸気機関装甲車』と名付けられた装輪式装甲車WL84が84輌(当時の生産力で考えれば十分な数)が新たにカロルレンへ送り込まれた(なお、装甲ロードトレインの提供は謝絶された模様)。
同時に、イストリアとクレテアから技術将校の観戦武官も正式に派遣されている。
まるでスチームパンクの戦争やわ。とヴィルミーナは呆れていたが。
このWL84装甲車は戦訓を元に応急改修されており、装甲トラクター部+4輪戦闘室の8輪仕様となった。特に火砲搭載型と大口径機関銃搭載型はベアリングを用いた手動式砲塔が採用された。
またドムルスブルクの戦いで手榴弾や対モンスター用大口径銃などに苦しめられた経験から、現地改修として簡易防御用の鎖網が溶接されている(ただし、出入りの邪魔になることから搭乗員からは不評だった)。
後に報告書に添付された写真を見たヴィルミーナは『アフガンで見た覚えがあるわ』と思ったという。おそらくはフランス軍のAMX10RC装甲戦闘車であろう。
さて、ラインハルトが不機嫌の理由は他にもある。
「如何に旅団長殿が卓越した指揮官でも、一個旅団の実戦化には時間が足りませんな」
第41機動旅団参謀長オスカー・フォン・オーベルハイン大佐が冷笑する。
同格(ただし先任)の参謀長。通常はあり得ない。これはルータの横車にイラッとした軍が意趣返しに厄介者を押し付けた結果だ。
この四十路手前の痩身男はオーベルハイン子爵家当主であり、万事に対して斜に構えた冷笑家であり、人の神経を逆撫でにする類の男だった。
ただ……有能である。ドムルスブルク撤退戦において、ラインハルト麾下の脱出行を縁の下から支え続けた手腕は称賛に相応しい。
「不要な訓練を全て省き、基幹要員を主とした統制運用で一応の体裁を取れるのでは?」
エーデルガルドが珈琲を注いだカップを渡しながら指摘する。
礼を告げつつカップを受け取り、オーベルハインは淡々と言葉を紡ぐ。
「一応は一応でしかないよ、ノイベルク少佐。実態はどうであれ、我々はベルネシア製新兵器を持つ虎の子部隊だ。投入される戦場は間違いなく激戦地だろう。その時、練度不足は恐るべき結果となって返ってくる」
むろん、とオーベルハインは金壺眼に面白味を湛えた。
「旅団長殿が幾度も寄せ集め部隊を率い、武勲を重ねてきたことは存じているがね」
ラインハルトは年上で同格の部下の視線を疎ましげに受け止めつつ、珈琲を一口飲んでから編成表へ視線を落とす。
装甲車大隊二個。機甲連隊一個(装甲馬車含む)。砲兵大隊一個。捜索烏竜騎兵中隊一個。補給大隊・整備中隊・通信中隊・旅団本部付き中隊が各一個ずつ。
「輜重が細すぎる。とても旅団を支え切れるとは思えない」
「同感ですな」オーベルハインは首肯し「別個の支援部隊が無ければ、継戦能力が乏しすぎます」
「ということは、どこかしらの上級部隊隷下になるでしょうか?」エーデルガルドが小首を傾げる。
「おそらくマクシミリアン公の麾下になるかと」
オーベルハインの言葉にエーデルガルドが一瞬、身を強張らせた。
マクシミリアン公は第一次東メーヴラント戦争時の国王ハインリヒ4世の倅で、先君ヴォルフガング7世の弟。現幼君ヘルムート・ヨーゼフの摂政シグヴァルド同様、王叔父に当たる。
さらに言えば、『卑賎の出自』であるラインハルトの活躍を快く思わない王侯貴顕将校の一人であり……エーデルガルドが士官候補生だった頃、愛妾として侍った男だ。
ラインハルトはエーデルガルドの機微に気付かぬふりをして呟く。
「ハーガスコフ侯爵閣下の麾下ではなく、か?」
「ええ。ハーガスコフ侯爵は攻勢時、北部戦線の抑えに回されます。ドムルスブルク攻防戦で示されたように件の地は機甲部隊の運用に適しておりません。間違いなく他の軍団に麾下へ回されるでしょう」
オーベルハインは冷淡とも取れる声音でラインハルトの疑問を解いていく。
「マクシミリアン公は兄君のシグヴァルド摂政閣下と不仲と言うほどではありませんが、宮廷での優劣に大きく差がついております。戦後を踏まえて大きな武勲を上げたいところでしょうから、旅団長個人への好悪は別として、決定的打撃力を持つこの旅団を隷下に置きたがります。
そして、ハーガスコフ侯爵家の奥向きを取り仕切るルータ夫人の夫君は、マクシミリアン公御細君の従弟に当たります。貴方を麾下に収める伝手をお持ちだ」
「くだらない」ラインハルトは忌々しげに吐き捨て「この戦いに宮廷と縁故の都合を持ち込む余裕があると思っているのか」
「ニーヴァリ大佐が愛国の情に篤かったとは驚きですな」
口端を陰湿に歪めるオーベルハイン。性格の悪さが滲み出ている。
ち、と鋭く舌打ちし、ラインハルトは珈琲を口に運ぶ。美味かった珈琲がやけに苦く感じられた。
窓の外で白雪が踊っている。
〇
魔力の高い貴婦人は老いが緩い。大陸北方ノーザンラントでは齢90を過ぎても少女のような姿を保っていた魔導術士がいたと語り継がれている。
エーデルガルドも若々しく美しい。
齢30を過ぎたが、眉目秀麗な細面には皺の類が皆無に等しい。出産を経験しても、すらりと引き締まった肢体を保っていた。色気の欠片もない軍服越しでも、張りのある乳房、くびれた腰、かすかに割れた腹筋、締まった尻、綺麗な鎖骨とうなじ、と彼女の優艶な肉体美が窺える。
それに、日焼けこそしているものの肌は艶やかで、うなじ上で結いまとめられた栗色の長い髪も潤いを湛えていた。
そんな正しく麗しいエーデルガルドは、雪足が穏やかな冬の午後。ラインハルトと共に王都の総司令部へ出頭していた。
司令部内を進む2人は衆目を集める。
エーデルガルドは絵に描いたような美人将校であるし、ラインハルトは生来の繊細な美貌に成熟した精悍さが加わり、無駄のなく鍛えられた長身と軍服の組み合わせは、婦女子はおろか同性すら『かっちょいい』と羨望を禁じ得ないほどだ。
加えて言えば、ラインハルトの軍服には多くの略綬や略章が並ぶ。
第一次東メーヴラント戦争以来、祖国の関与した全ての戦いに身を投じてきただけに、武功に不足はない。
そして、軍において最も敬意を集めるものは、出自でも経歴でも階級でもなく、武功に他ならない。年若い士官候補生などラインハルトの答礼に感激し、顔を真っ赤にしていた。
当のラインハルトはどうでも良さそうにしていたけれど、エーデルガルドは誇らしさで頬が緩みっぱなしだ。
もっとも、エーデルガルドの機嫌が良かったのは、司令部の会議室に到着するまでだった。
会議室にはA軍麾下マクシミリアン公集団の総司令部参謀団と麾下部隊指揮官が集合していた。
A軍参謀総長のフォン・ゴルツ中将が諸々の説明を始める。
まず、A軍は第三軍に第一第二軍の一部を加えた軍団であり、タイクゼン大将が率いるA軍総司令部の下にA軍中核集団、ヴァレンスキ中将集団、マクシミリアン公爵中将集団の3集団から成る。
ラインハルトが日頃世話になっているハーガスコフ侯爵中将はA軍中核集団麾下であり、ノエミ・オルコフ女子爵を頭目とする北東部閥の軍勢もA軍中核集団に含まれる。
逆に言えば、北東部閥でラインハルトだけがマクシミリアン公集団に配属されていた。
マクシミリアン公集団は一個重歩兵師団、一個烏竜騎兵旅団、一個機動旅団、捜索翼竜騎兵大隊から成る約3万5千の軍勢である。
長々とした会議が終わり、懇親会が催される。洒落た軽食と上等な酒が振る舞われ、各将校達は挨拶回りをしたり、親しい者と談笑したり。
ラインハルトはエーデルガルドを伴って挨拶回りをしていく。
挨拶回りの相手には旧い知己も居た。
たとえば、烏竜騎兵旅団を率いるミッテルホフ大佐は、ルビニツァ攻防戦で轡を並べた野戦指揮官だ。当時の彼は大隊長代理に過ぎなかったが、今は『韋駄天ミッテルホフ』の異名を持つ練達の指揮官だった。
「お久しぶりです、ミッテルホフ大佐。相変わらずお元気そうですね」
「やあ。そちらも御健勝で何よりだ」
ヴォルフガング・ミッテルホフ騎士爵大佐はやや小柄ながら筋肉質な体つきの三十路男性で、誠実そうな顔立ちに栗色の髪を中分けにしている。さっぱりした性格の好男子であり『騎兵は30まで生きられない』という評に対し『そいつは指揮官が能無しだからさ』と嘯く名指揮官だ。
ちなみに、『韋駄天』の二つ名を持つ勇敢なミッテルホフだが、5つ下の奥方にプロポーズする時は酷く右往左往したらしい。
「貴官は相変わらず変わった兵科を扱っているらしいな」
「ええ。砲兵将校として任官したはずなんですが、純粋な砲兵部隊を指揮したのは、少尉の頃だけですよ」
ラインハルトがぼやけば、ミッテルホフはカラカラと気持ちの良い笑顔を返した。
むろん、気分良く過ごせる相手だけではない。
ラインハルトは少数民族の土豪(名ばかりで決して豊かではない)の倅という出自ながら武功を重ねたことで、『卑賎の出が身の程を弁えろ』と王族や貴族の将校に嫌われがちだった。
自身の上官となるマクシミリアン公もその一人。
マクシミリアン公はけっして醜男ではない。漁色家の国祖以来、美男美女の血を取り込んできた甲斐もあり、王家の子女は大抵が美麗な容貌をしている。マクシミリアン公も例外ではなかった。
そして、ラインハルトの士官学校三期先輩に当たるマクシミリアン公は、第四皇子として少女時代のエーデルガルドを愛人達の輪に加えていた男だった。
もっとも、戦争が始まった頃にはマクシミリアン公曰く『ベッドで退屈だったから捨てた』関係だったらしいが。
エーデルガルドの名誉を守るべく語るなら、彼女は決して退屈な女性ではない。エーデルガルドは快楽と愛の満足感をラインハルトと共有するためなら、女の技をいくらでも披露する。退屈だったとするなら、それはエーデルガルドが意図的にそう振る舞ったに他ならない。
ラインハルトは新たな上官――マクシミリアン公の自分へ向ける侮蔑の目線とエーデルガルドに向ける好色の視線を見て取り、妻を寝取る算段でもしているのだろう、と察して思う。
こいつ、死ねばいいのに。
マクシミリアン公の取り巻き達――能力ではなく出自と縁故で出世したボンクラ野郎共とケツを差し出して実利を貪る女達――もラインハルトとエーデルガルドを嘲笑っている。
例外はマクシミリアン公集団の実質的な指揮官である集団参謀長ランズベルク伯少将だろうか。諸々の苦労を背負わされているらしく、まだ40にもなっていないのに50を半ばすぎたように老け込んでいた。噂では幾度か胃痛で休職したことがあるらしい。御気の毒に。
挨拶にやってきたラインハルトへ、マクシミリアンは驕慢な態度で応じる。
「卿の武勇はいろいろ聞いている。我が麾下でも存分に手腕を振るってくれたまえ」
手柄は全て頂くが、という言葉が続きそうな言い草。
「閣下の御期待に応えられるよう尽くします」とラインハルトは応じながら思う。
死ねばいいのに。
「久しいな、エーデ」とマクシミリアンはラインハルトから視線をエーデルガルドへ移し「元気にしていたかな?」
「はい、閣下。ニーヴァリ大佐殿のおかげで数々の武功を重ねさせていただいております」エーデルガルドは棒を呑んだような態度で応じる。
「それはよかった」
かつての妾の硬骨な態度に、マクシミリアンは一瞬不快げに眉をひそめたが、すぐに薄く笑った。
「エーデ、決戦を前に旧知を温めたく思う。少し席を外して話さないかね?」
意味は『“摘まみ食い”させろ』。
――よし、こいつはいつか殺そう。
ラインハルトはこの王叔父公爵を抹殺することを決めた。もちろん、ニタニタと薄笑いを浮かべる取り巻き共もまとめて。胃のあたりを押さえたランズベルク伯には同情するが。なお、エーデルガルドも『こいつら殺そう』と決断していた辺り、おしどり夫婦であろう。
そこへ、若い少尉がやってきた。
「御歓談中失礼します。ニーヴァリ大佐殿、ノイベルク少佐殿。タイクゼン大将閣下がお呼びです」
「……大将閣下の御召では仕方ないな」
マクシミリアンは不快そうに顔を引きつらせながらも、要求を取り下げた。
「またの機会としよう」
「御配慮感謝します、閣下。では失礼します。行くぞ、ノイベルク少佐」
「はい、旅団長殿。失礼します、閣下」
ラインハルトはエーデルガルドを伴ってマクシミリアン公の元を離れていく。
「ごめんなさい、ラインハルト。私のせいで不愉快な思いを……」
「気にすることはないよ、エーディ」
顔を俯かせるエーデルガルドに、ラインハルトは優しく微笑み、端正な顔を引き締めた。
「豚共め。弾は前からだけじゃないぞ」
その冷たい声色の呟きは誰の耳にも届かない。
窓の外で雪足が再び強くなり始めていた。
なんかもう構成と物語がまとめられなくて草も生えない。




