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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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311/336

21:10+

長めで申し訳ない。

 ドムルスブルク外縁陣地を放棄し、ラインハルトは第23歩兵師団陣地内へ合流すると、その足で師団長無き師団司令部へ乗り込んだ。完全武装の擲弾兵一個小隊を連れて。

「脱出作戦について話し合いたい」

 ラインハルトの独断による陣地放棄を咎める者はおらず。


 閉ざされた鉄環の中。見捨てられた第23歩兵師団とニーヴァリ戦隊の将校が集合し、自らの運命について話し合いが行われた。


 ラインハルトは端正な顔を険しくし、強く告げる。

「ここから撤退すべきだ。今ならまだ間に合います」

 脱出に賛同する第23歩兵師団麾下の将校達が大きく頷く。有力貴族とつながりを持たぬ下位貴族の子弟や平民出の者達だ。


「総司令部が出した命令は死守だ、中佐」

 環の中で最上位者であるブラスコヴィチ大佐が苦悶顔で応じた。


 ブラスコヴィチ大佐は軍人としての個人と御家の名誉を守るため、命令不服従と敵前逃亡の汚名を被ることを恐れていた。王政下の貴族にとって不名誉は子々孫々の人生にまで影響をもたらすのだから。

 似たような事情を抱えた貴族将校達も大佐と同じく苦悩を露わにする。


「抗命罪、最悪は敵前逃亡を問われかねんぞ」ブラスコヴィチは苦しげに「貴官がこれまで多くの武功を重ねてきたとて、この独断専行はただでは済むまい」

「今、我々が気にすべきは軍紀違反の可能性ではなく、部下の命に対する責任です」


 美丈夫の冷厳な眼差しから逃れるように、ブラスコヴィチは唯一同格の大佐へ問う。

「……どう思う、オーベルハイン」

 長身で痩せぎすの40手前男に視線が集まる。


 オスカー・フォン・オーベルハイン。第23歩兵師団の参謀大佐でオーベルハイン子爵家の当主だ。彼の御家と頭脳に収められた様々な情報を考えれば、包囲下から脱出させて然るべき人材だった。

 しかし、現に彼は包囲の中に留められていた。彼が捕虜になって生じる問題より、出来れば戦死して欲しいと願う人間が多いために。つまり、そういう男だ。


 オーベルハインは神経質な冷笑を浮かべた。

「私はただの参謀だ。師団長や他の連中のように脱出させて貰えなかった程度の出自の。それに、参謀は師団諸部隊の指揮権を持たない。今、師団の指揮権限を持つのは君だ。ブラスコヴィチ大佐」

「諧謔に付き合う気分ではない」とブラスコヴィチが毒づく。


「……私は中佐に同感だ。組織論において上の無能を下が補うことは珍しくもないが、こんな補い方は馬鹿馬鹿しい」

 オーベルハインは冷笑を消し、金壺眼で全将校を見回す。

「現在の我が軍は、貴重な兵力を無為に失う贅沢を許される状況にない。今後の戦いを考えれば、一兵でも多く生還させるべきだ」


 水銀のように息苦しい沈黙。鉛のように重苦しい静寂。

 数時間にも感じられる苦悩の数分を経て、ブラスコヴィチ大佐は決断した。

「わかった。私は残って後衛部隊の指揮を執る。オーベルハイン、脱出の指揮を執れ」


「御推薦ありがたいが、私は参謀だ。指揮権を持たない。であるから」

 参謀大佐は痩せぎすの相貌に似合いの目付きを美丈夫中佐へ向けた。

「脱出の指揮はニーヴァリ中佐に委ねる」


「ニーヴァリは野戦任官だ。本来は少佐に過ぎまい。師団の指揮を委ねるのは如何か」

 ラインハルトと同世代のボアテング中佐が不満そうに言った。同様の気分にある数人の大尉や少佐が頷く。


 ラインハルト・ニーヴァリは軍内の有名人だ。北方少数民族出の速成任官将校でありながら第一次で赫赫たる武功を重ね、南小大陸派遣にあっては他国軍から『黒騎士』と讃えられ(本来の意味では称賛にならないが)、ハーガスコフ侯爵家やベルネシア資本の覚えが良い。


 他方、その有能さによって王族将校達から嫉妬と僻みを買っていた。

 いや、ラインハルトの武功と名声に嫉妬や僻みを抱いている者は王族将校に限らない。ボアテングのように『自分だって機会に恵まれていれば』と考える将校達からも、筋違いな反感を買っていた。


「俺は師団の指揮を取らなくても構わない。だが、戦隊の行動権を譲る気は一切ない」

 意訳すれば『テメェの指揮下には入らねえ』とラインハルトはボアテング中佐達の粘っこい目線を蹴り飛ばすように言った。


 睨み合う両者。


「元気があって結構だが」オーベルハインは冷笑し「こうしてはどうかね? 師団を三つに分ける。一つはブラスコヴィチ大佐の後衛部隊。一つはニーヴァリ戦隊の指揮下に。一つはボアテング中佐が担う」

「ついでだ。策も言え」とブラスコヴィチ。


「二手に脱出だ。ニーヴァリ隊が先行して包囲突破を図り、敵の目を集める。ボアテング隊はニーヴァリ隊の誘引に合わせて別ルートで脱出」

 オーベルハインはラインハルトとボアテングを交互に窺う。

「ニーヴァリ隊は機動戦隊で高い突破力があると同時にどうしても目立つ。逆にボアテング隊は歩兵部隊だ。浸透突破で脱出すれば追撃の手も遅くなろう。不満がある者は?」


 誰も口を開かない。無言の承諾。


 そして、部隊の振り分けと脱出の段取りが話し合われた後、解散が決まる。


 ブラスコヴィチは退室しようとしたラインハルトを呼び止め、懐剣をラインハルトへ渡す。

「これを私の家族の下へ届けてくれ」

「自分で良いので?」訝るラインハルト。


「貴官だからこそだ。私は貴官が如何にタフな男か知っている」

 ブラスコヴィチは微笑んだ。どこか懐かしそうに。

「私もツァージェ会戦にいた。君の後衛戦闘のおかげで脱出できた一人だよ」


      ○


「脱出後の後衛戦闘は全て俺の隊が引き受ける。拙い連携で交互後退を図るより、俺の隊だけでやる方が確実だ。君らの隊はひたすら歩け。全将兵に落伍すれば後衛戦闘に参加させると伝えろ。死にたくなければ休まず歩けとな。屈折部主戦線に到達後は友軍と協力して戦線を超えるだけだ」

 作戦開始前、ラインハルトは合流した第23歩兵師団の不安そうな若い将校達へ微笑みかけていた。

「俺はこういうのが得意だ」


 そう告げるラインハルトは滴るほど男性的魅力に溢れており、傍らのエーデルガルトが蕩けそうな顔をしていた。


 ラインハルトは赤鉛筆で矢印とペケマークが描き込まれた作戦地図を広げ、戦隊の部下へ語り掛ける。

「包囲突破後は隊を三つに分ける。

 装甲隊は先行して、第一伏撃点で待機。

 擲弾兵隊は第二伏撃点で牽引砲を据えろ。

 装甲隊は敵追撃を捕捉次第、迎撃。頭を押さえた後、速やかに後退。第二伏撃点の援護を受けながら第三伏撃点へ移動だ。

 第二伏撃点は援護射撃後、砲を遺棄して撤収。第一、第二伏撃点でも敵の足が鈍らなかった場合、装甲隊は第三伏撃点より機動打撃を図る」


 教科書的な交互後退。奇をてらう必要はない。手持ちの札で確実なことを確実にやるだけ。

「各伏撃点の持久期間は?」しれっとニーヴァリ隊に加わったオーベルハインが合いの手を入れる。

「友軍の戦線まで二日の距離だ。各伏撃点で粘る必要はない。手持ちの弾薬を使い切って良い。とにかく敵の足を鈍らせろ」

 ラインハルトが部下達を見回したところへ、オーベルハインがおもむろに言った。

「第一と第二で予定通り時間を稼げば、第三まで敵が来ることはないだろう。そこまで近づけば屈折部主戦線だ。無理はすまいよ」

 オーベルハインの見解にラインハルトも同意する。


『悪知恵の働く敵』なら恐らく第二伏撃点で追撃を打ち切る。むしろ、ボアテング中佐の方を狙うだろう。ブラスコヴィチ大佐が包囲部隊を引き付けてくれたなら、追撃部隊の数も限られる。アルグシア側の戦力はしょせん二個旅団に過ぎない。戦術原則――強い敵を避けて弱い敵を狙う――を無視するまい。


 ラインハルトはちらりとオーベルハインを窺う。

 この痩せぎすな男は部隊再編の際、若手将校の大半をラインハルトの下へ割り振っていた。経験不足の若造達をラインハルトへ押し付けたとも言えるし、将来有望な若者を生還させるためラインハルトに預けたとも見做せる。

 食えない奴だ、とラインハルトは内心で舌打ちした。


「この脱出が成功裏に終わっても、貴官は難しい立場に置かれるだろうが」

 不意にラインハルトへ顔を向け、オーベルハインは薄笑いを浮かべた。

「まぁ銃殺刑にはなるまい。貴官や貴官の部下が無体な扱いを受けることは無かろうさ」


「まだ無事に生還できると決まったわけでも無いのに、随分と余裕ですね」

 ラインハルトが嫌みを吐くも、オーベルハインは冷笑を大きくするだけだった。


     ○


 そして、迎えた深夜。

 第23歩兵師団隷下の砲兵部隊が大演奏会を開始した。


 命中精度は決して高くない。コンピューターの無いこの時代、砲兵諸元の算出は手作業であり、少なくない時間を必要とする。だが、精度を無視した大まかな砲撃ならば。


 カロルレン砲兵の深夜演奏会は砲弾を全て打ち切らんばかりに激しく、短かった。

 わずか一時間の集中砲火。寝込みを砲弾で叩き起こされたアルグシア軍が混乱する中、ラインハルトは指揮車輛から身を乗り出し、大きく腕を回した。

「前進っ!」


 夫の号令を受け、エーデルガルトが魔導通信器を通じて全隊に命じる。

「戦隊。前へ。繰り返す。戦隊、前へ」


 今や10輌にも満たない装甲トラクター隊がロスリング蒸気機関を吠えさせた。

「女神の御声だっ! 発進っ!」

 ベルネシア傭兵達の駆る機械仕掛けの怪物達が夜闇に排気音を響かせる。


 装甲トラクターの背に軽砲を牽引する装甲馬車(ウォーワゴン)隊の擲弾兵達が続く。戦隊の側面を数少なくなった烏竜騎兵偵察隊が守り、第23歩兵師団から合流した3000名余の銃兵や軽傷者が行軍を開始した。


 撤退戦の始まりは『極めて順調な滑り出しだった』とエーデルガルトの手記に残されている。


 当然といえば当然だった。

 ニーヴァリ戦隊の強襲を受けたアルグシア軍包囲線部隊は、深夜の弾幕砲撃で混乱しているところを恐ろしげな排気音を奏でる鋼の巨獣に襲われ、大混乱に陥っていた。そこへニーヴァリ戦隊の戦い馴れた擲弾兵と高練度のベルネシア傭兵が襲ったのだ。包囲線突破というより、一方的な蹂躙に近い。


 アルグシア側は包囲が成功して奢っていた、とも言えるだろう。

 実際、アルグシア軍総司令部はこの戦いの後、憤懣を露わにして幾人かの現場将校を懲戒的に罷免している。『敵の配置移動などの兆候を視認し、警戒命令を受けていながら漫然と敵の夜襲を許すなど、現場指揮官として不適格』というわけだ。


 もっとも、包囲を台無しにされた『悪知恵の働く敵』はさほど不満を抱かなかった。連日の激戦。包囲の勝ち戦。司令部がどれだけ気を張れと命じても、疲れ切った現場将兵の弛みは抑えきれない。主攻を担ってきたコルヴォラント人義勇兵達も疲弊が大きかった。司令部が口喧しく言っても現場の綱紀粛正は難しい。


 それに『悪知恵の働く敵』はある程度、この展開を読んでもいたし、望んでもいた。

 腹を括ったカロルレン兵のしぶとさは第一次東メーヴラント戦争で証明されている。包囲下で徹底抗戦する敵と戦うより、撤退していく背中を追撃する方が楽だ。


 ただし、包囲下に残ったブラスコヴィチ大佐の率いる残置部隊が、脱出する戦友達のために義務を果たしていた。

 一兵でも多くのアルグシア兵を抑え込むべく、手持ちの砲弾を全て使い切るまで包囲部隊へ砲撃を加え続け、ドムルスブルク方面へ攻撃にすら出た。


 文字通り最後の一発まで撃ち、銃剣すら折れるまで戦った後、ブラスコヴィチ大佐は降伏した。自決や部下諸共玉砕などという“甘えた”選択肢は採らなかった。彼は指揮官として部下に対する責任を決して放棄しなかったのだ。


『悪知恵の働く敵』はブラスコヴィチ大佐の降伏に敬意を示した、と両軍に記録されている。


 ブラスコヴィチ大佐の後衛戦闘により、ニーヴァリ戦隊とボアテング隊の追撃に回された戦力は臨編旅団の一部に限られた。

 加えて距離の問題もある。ドムルスブルクからニムハウゼン屈折部のカロルレン軍の線までたった二日の距離。

 限られた追撃部隊と短い距離。どれだけ敵兵を仕留められるか。


『悪知恵の働く敵』は少しばかり思い出す。そういえば、と。

 ドムルス=ニムハウゼン湖沼地帯の主要産業の一つがモンスター素材の収集だったことを。


     ○


 日が昇り、いよいよ追手との戦いが始まる。

 アルグシア軍は少なくとも増強連隊規模の戦力を街道から主攻させつつ、運動力に長けた軽歩兵大隊による迂回追撃を仕掛けてきた。


 戦術そのものは追撃のセオリー通り。しかし、包囲下に残ったブラスコヴィチ隊の抵抗、別ルートで脱出したボアテング隊への追撃を考えれば、こちらに回せる戦力はそう多くないはずだった。

 ところが、投入された戦力は想定よりもずっと多い。


 前哨の報告を受け、エーデルガルトは大きく困惑した。

「こちらにこれほど兵力を振れば、ボアテング隊の追撃はほぼ不可能です。敵はいったい何を考えてるの?」


「敵の都合は後回しだ。第23師団の連中の移動状況は?」

 自問するように呟くエーデルガルトはラインハルトに問われ、慌てて自身のクリップボードを確認する。

「予定の二時間遅れ。落伍兵も多く、遅れは拡大する見込みです」


 ラインハルトは即断した。待ち伏せ陣地で防御戦闘による敵の足止めは無理だ。数の差が大きすぎる。

「計画を変更する。待ち伏せ陣地で敵の頭を押さえたところへ、俺が車両隊を直率して攻撃尖兵を叩く。敵迂回戦力は烏竜騎兵に装甲トラクター二輌を随伴させ、鼻先を叩かせろ。エーディ、君は先に第二伏撃点へ――」


「お断りします。戦隊長」エーデルガルトは最愛の男を睨み返す。「私は貴方の御傍を離れません」

「……頑固者め。わかったよ」

 取り付く島もない愛妻の様子に、ラインハルトは小さく頭を振り、苦笑いしている部下達へ向き直る。装甲トラクターの汚れ切ったボディに指先で簡単な図を描く。

「この伏撃陣地で敵の頭を押さえ、地面の固い左翼から襲撃して蹴散らす。訓練でやった通りの機動打撃だ。燃料と弾をケチるな。それと、機動は慎重に行え。足が止まったら敵兵に群がられるぞ」


 車長達は車内から引きずり出されて嬲り殺される様を想像し、げんなりした。

 ラインハルトは部下達へ言った。男性的魅力が滴る不敵な顔つきで。

「追撃戦がどれほど危険を伴うものか、連中を教育してやろう」


     ○


 偽装を施した応急野戦陣地のニーヴァリ戦隊擲弾兵は、クラウン部分の小さなシャコー帽と青灰色の軍服に枝葉を括りつけた網を被っている。樹脂補強紙薬莢弾薬の遊底駆動式小銃を構え、30連保弾板を用いる手動式機関銃や同じく保弾板式の擲弾連発銃を敵追撃隊が進む林道へ向けていた。

 砲はない。騎兵砲や小中口径平射砲などは全て第二伏撃点に回されている。


 林道の両端を二列縦隊で進むアルグシア軍先遣偵察中隊は、擲弾兵達の偽装を見抜けない。

 ピッケルハウベとバッフェンロックをまとい、弾盒帯とランドセル型背嚢を装備した兵士達は、銃剣を装着した遊底駆動式小銃を握りしめている。どの顔も緊張と不安で強張っていた。


 勝ち戦の追撃隊がする顔つきではない。

 アルグシア兵達はこの追撃が気楽な背中打ちや落ち穂拾いでは済まないことを悟っていて、その理解はまったく正しかった。


 先遣偵察中隊が擲弾兵陣地の前哨線距離300に達した時、森に銃声が響き渡り、鳥達が梢から逃げ惑う。


 キツツキのようなテンポで奏でられる連射音。小気味よく重ねられる炸裂音。号令の度に繰り返される斉射の合唱。


 アルグシア軍先遣偵察中隊のすばしっこい者達が路肩の藪や木々の物陰に頭から飛び込み、鈍い者達が銃弾の餌食になっていく。彼らの怒号と悲鳴が戦闘交響曲に彩を加える。穴が開き、血に汚れたピッケルハウベを拾う者はいない。


 先遣偵察中隊の指揮官が魔導通信兵のデカい魔導通信器から通話器を取り、追撃部隊の本隊へ怒鳴り飛ばす。


「“イタチ”より“ティーアガルテン”ッ! 敵後衛部隊と接敵っ! 繰り返す敵後衛部隊と接敵っ!! 敵兵は100名前後、重火器類は無しなれど、火力高しっ!」

『敵車輛兵器は確認したか?』

「確認ならずっ! 我が隊は死傷者多数っ! 後退許可を求めますっ!!」

『後退は許可できない。増援を派遣する。現着までその場を死守し、敵を拘置せよ』

「……了解っ!」通信を切り、指揮官は毒づく。「ちきしょうっ!」


 アルグシア軍先遣偵察部隊が接敵したことで、追撃部隊の指揮官フォン・マルヴィッツ大佐は先遣偵察中隊への増援一個大隊以外を一旦停止させた。地図で接敵場所を確認しつつ迂回部隊と連絡を取る。


 偵察部隊が接敵した相手が後衛部隊の全てなのか。それとも時間稼ぎの捨て駒なのか。それに、脅威度の高い機械化車輛部隊はどこにいる?


 マルヴィッツの疑問はすぐに解決した。

 本部天幕の外から怪物の雄叫びみたいな排気音が轟き、砲声と爆発音がいくつも響いてきたから。


      ○


 6輌の装甲トラクターが藪を踏み潰して林道へ突入していく。

ロスリング蒸気機関(スチームエンジン)が猛々しい駆動音を奏で、雄々しい排気音を轟かせる。排気管から盛大に吐き出される白煙。

 戦闘室の平射砲が金属的な砲声を叫び、機関銃や擲弾銃が銃声を歌う。


 複数縦列のまま小休止中だったアルグシア歩兵は、次々と散弾の暴風に薙ぎ倒され、小銃弾の雨に薙ぎ払われ、擲弾の嵐に打ち倒され、榴弾の爆発に吹き飛ばされていく。


 燃えあがる天幕。パニックを起こして暴れる軍馬。横転する輜重馬車。銃も持たずに逃げ出す兵士達。


 そして、アルグシア兵の大群に突入した装甲トラクターはその巨体と速度を以ってアルグシア兵を撥ね飛ばし、大きく分厚いタイヤで轢き潰していく。


 暴れ回る機械仕掛けの猛獣を前に、アルグシア兵達は完全な恐慌状態に陥り、逃げ惑うことしかできない。


「絶対に速度を落とすなっ! 敵に当たれば良いっ! とにかく撃ち続けろっ!」

 ラインハルトの怒声が車内に響く。

「敵に立ち直る時間を与えるなっ! 踏み潰せっ!」


 少数の勇敢なアルグシア兵の放つ銃弾が車体を叩く音色も運転席や戦闘室に響く。人間を撥ね飛ばす衝撃と人間を踏み潰す振動が装甲トラクターの巨体を揺すった。


 ラインハルトは興奮と恐怖の汗で濡れ染みを作りつつ、戦闘室上部の視察孔から周囲の状況を冷徹に観察し続ける。

 これは想定外だ。敵の前衛行軍をしっちゃかめっちゃかにしてやるつもりが、追撃隊本部へ突入してしまったようだ。

 この蹂躙劇はいつまでも続かない。引き際を誤れば、撃破される。


 エーデルガルトはラインハルトの横顔を蕩けきった面持ちで見つめ、下着を熱い蜜で濡らしていた。いやはや。


 大きな爆発が連続し、森が大きく震える。弾薬運搬車か何かを吹き飛ばしたらしい。

 ラインハルトは即決した。ここまでだ。この爆発の衝撃で呆けている間に退く。

「マイスターよりクリーガー、全車転回っ! 機動不能になった奴は置いていくぞっ! 死にたくなければ突っ走れっ!!」


 指揮車輛に追従し、装甲トラクターの群れは林道をUターンして第一伏撃点へ向かって駆けていく。

 道中に行軍中だった一個大隊が居たが、これを背中から襲って容易に突破。


 憐れなアルグシア軍先遣中隊は味方の増援の代わりに、背後から鋼鉄の猛獣に襲われ、全滅することになった。


 ラインハルトの急襲により、追撃隊主力の連隊本部は壊乱して指揮能力を喪失。追撃部隊主力は再編成と死傷者の収容のため、動けなくなった。


 一方、迂回部隊を迎撃に向かった装甲トラクター2輌は、敵軽歩兵の群れを長射程砲撃で牽制していた。アルグシア軽歩兵隊は無理をする気が無いようで砲の射程外に下がっていった。


「これでしばらくは寄ってこないぞ」

 装甲トラクターの車長を務めるヘイヴリンク少尉はホッと息を吐き、後退を命じた。


 ニーヴァリ戦隊はこの日、完璧な勝利を得た。

 戦局にまったく意味をなさない勝利ではあったけれど。


      ○


『悪知恵の働く敵』は報告を聞き、呆れる。

 たった6輌で敵追撃隊本部を強襲し壊乱させ、さらに一個大隊を蹴散らして後退する? こんなことが可能な兵器だったとは……認識が甘かったようだ。


 もっとも、翌日『悪知恵の働く敵』は再び目を瞬かせた。

 ラインハルト・ニーヴァリは前線を越えて味方と合流する際、燃料切れになった装甲トラクターをあっさり戦場遺棄し、徒歩で戦線を越えて脱出したという。

 他国から貸与された新兵器だというのに、なんと踏ん切りの良いことか。


 ニーヴァリ隊の捕捉には失敗していたが、ブラスコヴィチ隊を降伏させることは出来た。

 そして、別ルートから脱出したボアテング隊には大打撃を加えることに成功していた。


「古典的手法とおっしゃっていましたが……ここまで上手くいくとは」

 ボアテング隊の報告書を持ってきた尉官が蒼い顔をしていた。


『悪知恵の働く敵』が採ったボアテング隊追撃の手段は、魔導技術文明世界では古典的な戦術――モンスターを敵陣へ誘導してけしかけるというものだった。ゲームのトレイン行為やMPK行為を想像して貰って良い。


 少し脇に逸れるが説明しておこう。

 魔導技術文明世界において、モンスターをけしかける戦術はそれこそ古代から採られてきたが、決して主流にならなかった戦術でもある。


 仮に成功しても後始末が大変だから。ゲームと違って血肉の通う現実において、作戦終了後もモンスターやその死骸は消えない。作戦後にモンスターを駆除し、死体を掃除しないとならない。その手間たるや面倒の一語に尽きる。


 それに、相手はケダモノ。こちらの思い通りに動く保証は一切ない。モンスターの誘導を測ったところ、逆に自軍側が襲われたというマヌケな例は少なくなかった。


 さらに言えば、モンスターの誘導は予期せぬ事態を招くこともある。小鬼猿(ゴブリン)魔狼(ワーグ)の群れを動かすだけだったはずが、小鬼猿を食おうと尾蛇(バジリスク)など中型種が現れたり、巨鬼猿(トロール)のような大型種まで出没してしまったり、なんて事例もあるのだ。


 本質的に実務主義的生物である軍人達はこうした不確定性と博奕的な要素を嫌厭し、モンスターをけしかける戦術は苦肉の策程度として扱われていた。


『悪知恵の働く敵』にしても、せいぜい『敵の指揮統率を混乱させられたら上々』程度で仕掛けた一手だ。本命の手はニーヴァリ隊に向けなかった騎兵部隊による襲撃だった。


 これが上手く行き過ぎたらしい。


 どうも魔狼や小鬼猿の群れをけしかけた結果、猪頭鬼猿(オーク)の小群を誘い込んでしまったようだ。これにより、ボアテング隊は大いに混乱したところへ騎兵襲撃を受け、壊乱。

 ボアテング隊約4000名のうち、戦死1000余名、捕虜/行方不明2400余名。戦線を越えて脱出できたのは、わずか500名超。ボアテング中佐の生死は定かでない。


「完勝、とは言い切れませんが……ここでの仕事は終わりましたね」

『悪知恵の働く敵』は報告書を閉じ、別の書類を手配した。

 その書類は、ラインハルトが爆砕遺棄した装甲トラクターの移送命令書だった。


      ○


 蛇足だが記しておこう。

 軍上層部は死守命令を無視したラインハルトに憤慨し、抗命罪と敵前逃亡で逮捕した。

 が、ハーガスコフ侯爵家や北東部派閥、少数ながらベースティアラント系軍人がラインハルトを強烈に擁護し、処罰を下すことへ猛烈に抵抗した。


 結局、不起訴処分となったものの、命令不服従を問題視され、野戦昇進は取り消し。さらに部隊を取り上げられ、後方の閑職に回された。左遷である。


 もっとも、ラインハルトは戦争から足抜け出来たことにほくそ笑んだ。安全な後方で内縁の妻とイチャコラし、我が子達と過ごせることを内心で大いに喜んでいた。


 が、そうは問屋が卸さない。

 ハーガスコフ侯爵家の若き女親方(マトロン)ルータ夫人は、年若き頃に出会って以来、ラインハルトを“推し”と見做し続けているのだ。

 推しを再び表舞台で活躍させるべく、既にルータは方々へ働きかけ始めていた。



 曰く――地獄への道は善意で舗装されている。

 底意地の悪い運命の女神が高笑いしていた。

ひとまず今章終了。


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― 新着の感想 ―
[良い点] これ程迷惑な推し活、見たことねぇ(笑) ところで、悪知恵の働く誰かさんって、おさまりの悪い黒髪だったりしてな。
[良い点] おおっ!関ヶ原の鬼島津の本隊ぶち抜きして帰還+桶狭間みたいな断首。有能な働き者、ラインハルトが魅せたよ!戦で寡兵で勝つのは本当に難しい。地球の歴史でも余り例がない。まあ、局所的な勝利では意…
[一言] どこにも革命の動きが無い 時代設定的にはそっちがそろそろ来るかと思ってましたが… ラインハルト君が皇帝になる日は来るのか?!
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