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転生令嬢ヴィルミーナの場合  作者: 白煙モクスケ
第3部:淑女時代

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306/336

21:8b

色々あって、一日で書けました。

長めですが、ご容赦ください。

 燦々と降り注ぐ陽光を浴び、夏の花々が艶やかに煌めく。

 リュッツェン市の中央広場に19台の蒸気自動車が並び、レース開始に備えて最後の点検と調整を進めている。


 ちなみに参加予定車輛は21台だったのだが、スタート/ゴール会場の中央広場に運ばれる道中、車軸がへし折れたり、エンジンが始動不能になったりで開始前から2台リタイヤしていた。歴史的レース参加を目前で逃した二チームの関係者が人目を憚らず号泣している。むべなるかな。


 マシンに搭乗する運転手(ドライバー)と(メカニック)は皮革製乗馬服に似た運転服姿をまとい、硬皮革製ヘルメットと昆虫系モンスターの眼膜を用いた防護ゴーグルを付ける。人によっては顔を守るマスクも装着するようだ。


 マシンや運転服にはゼッケンと共にチームやスポンサーの名前やマークが縫い付けられており、現代地球のレースマシンとレーススーツの萌芽を感じられる。ただし、流石にセクシーなレースクイーンはまだ居なかったが。


 豆知識を書いておくと、地球史において1960年代にFIAが安全義務を導入するまで、ワークジャケットとパンツにロングブーツやロゴ入り作業ツナギというスタイルが主流で、50年代のF1で24勝の記録を持つ“エル・マエストロ”ファンジオ選手のように、ポロシャツとスラックスといった軽装で参加していた者も少なくなかったようだ。当時のマシンが出火し易いにも関わらず……


 話を進めよう。

 大会運営の記録員と新聞社の記者達が普及の進んだ銀塩写影器で、各車両と参加者を撮影して回っている中、

「ベンソンの代わりがあんな可憐な乙女とは」

 白獅子のレースドライバー:俳優ルーク・ブレイシー似の美男レクス・ヴァン・ハウブルトは微苦笑を湛え、数台隣で最終チェックを行っている黒いスチームマシンを窺う。


「気を抜かんでくださいよ、レクス。なんでも、ステラヒールの社長はマリサ様へ、女の子だからってナメるな、と大啖呵切ったとか。油断できません」

 宮崎アニメに出てきそうな髭面親父の機関士ヴァンダーカムが、白獅子製スチームカー:モデル84Rのエンジンの調子を確認しながら言った。


「ほう……それは期待できそうだ」

 レクスの整った顔立ちが引き締まり、双眸が翼竜騎兵らしい勝負事を好む強気に輝く。

 白獅子の製作したモデル84R“シンギング・エリー”はとても高性能で、かつて翼竜を駆っていたレクスでも“速い”と認めるマシンである。


 はっきり言ってしまえば、レースに参加したマシンの中で、麗しき“シンギング・エリー”と戦える車輛は、ステラヒール社のストロミロMkⅡ“ドンダー”と、イストリアの大手蒸気機関メーカー『トレビシック・パーソンズ』が持ち込んだタンデム式スチームカー:タイプ1“ウォーチーフ”くらい。


 クェザリン郡のマッド達が持ち込んだ前二輪後一輪の単座式スチームカーは侮り難くはあるものの、イロモノな雰囲気を隠せていない。

 最終点検に当たっている技術者達が『エンジン回りヨシッ!』『駆動系ヨシッ!』『足回りヨシッ!』『安全対策……多分ヨシッ!』『ガハハハッ!』と盛り上がっている脇で、ドライバー兼メカの若い青年が真顔で『神様、どうかボクをお守りください。お願いしますホントにお願いします』と祈っている辺り、御察しであろう。


 他の車両やクレテアやフルツレーテンが持ち込んだ車輛は完走できるかどうか、と言ったところだろう。

 それだけに、レクスはステラヒール社とトレビシック・パーソンズ社の2社が楽しみだった。


「このワクワク感は翼竜騎兵で初めて実戦に臨んだ時以来だ」

 にやりと笑うレクス。


 年齢と世代的にベルネシア戦役未経験者だったが、優秀な翼竜騎兵だったレクスは外洋派遣で賊や反ベルネシア勢力との小競り合いを経験していた。狩りの愉しみと血の味を知っている。


「エリーの機嫌は俺がしっかりあやします。存分に走らせてください」

 ヴァンダーカムも不敵に口端を緩めた。

 白獅子の2人は自信に溢れている。


 一方。

 優勝候補の一角、ステラヒール社のレースドライバーとなったイネス・バラーサは、美容と服飾関係で高名なロートヴェルヒ社の女性用運転服をまとっており、仄かな薄褐色の肌が白くなりそうなほど緊張していても、とってもキューティ。


 朝方に突然話を持ち込まれたロートヴェルヒ社は困惑しつつも、同社経営者のメルフィナ・ロートヴェルヒが『世界初のモータースポーツレースに出場する世界初の女性ドライバーが私達の衣装をまとう。これほどの栄誉を朝っぱらに持ち込むなんて、酷い話ですね』と笑いながら、展示衣装の提供だけでなくイベントに参加していたデザイナーや御針子さんを貸出し、時間が許す限り衣装の改修と改善と改造を施した。


 おかげで、イネスのしなやかな肢体を包む運転服は体の曲線を強調するタイトな作りに改修され、手元足元はロンググローブとニーブーツに。高皮革製ヘルメットはうなじ傍を少しカットし、うなじでまとめたポニーテールを垂らせるように。会社のマークやロゴなどは下品にならぬよう慎重に配置してある。


 なお、イネス嬢の装いを目にしたヴィルミーナは『チキチキマ○ンにあんな格好した女の子キャラがおったような……』と思ったり。


「マシンの制御はミトが上手くやる。バラーサ嬢は運転にだけ集中すれば良い」とシモン・フランソワ・ディメが諭すように告げる。


「気軽に言わないでください……っ!」

 イネスは唸るように答えて下唇を噛む。拗ねる顔が可愛い。


「心配するな、嬢ちゃん。レースを楽しめ」と機関士のヨハン・ミトニックがぐりぐりとヘルメットを被ったイネスの頭を弄る。親戚の娘をからかうオッサンそのものであった。


「全然楽しめませんっ!」とイネスが抗議した。

 大金と大勢の時間と労力が費やされたマシンを突然預けられて、組織と皆の期待を背負って戦え、と。この状況を楽しめる奴は心臓が毛皮をまとっているか、頭のネジが決定的に足りてないに違いない。

 かといって、外聞憚らず泣き喚いて『無理ですぅ許してくださいぃ』と搭乗拒否をするには、イネス・バラーサという人間は少しばかり自尊心と誇りが強かった。

 まぁ泣こうが喚こうが周りが認めないけども。酷い大人達だ。


「うう……壊しても修理費を背負わせないでくださいよっ!!」と憤慨するイネス。可愛い。


「社長はそんなケチ臭くないし、俺らも狭量じゃないぞ」

 シモンは苦笑いし、強面を引き締めて言った。

「とにかく、往路は運転と速度に慣れることだけ集中しろ。勝負は復路だ。ぶっ飛ばせ」


「簡単に言わないでくださいよぉ」

 イネスが半ベソを浮かべたところで、カーヤ・ストロミロがずいっと顔を近づけ、イネスの薄紫色の瞳を真っ直ぐに見つめ、

「何も怖いことはない。イネスは試験場でアレやトラクターを運転したでしょう? 同じことをすれば良い。大丈夫。私が作ったエンジンを信じて。私が調律したエンジンを信じて」

 告げる。

「愛する貴女のために万事を尽くした私を信じて」


「ぅぅ……ずるいです、カーヤ様」

 イネスは目尻に滴を滲ませながら上目遣いに年上の恋人を睥睨し、目元を拭って大きく深呼吸してから、やけっぱち気味に叫ぶ。

「やってやりますっ! 白獅子も他のクルマも皆ぶっ飛ばして勝ってやりますっ!!」


 その叫び声に他チームが反応した。

「小癪なことを宣いよってからに……っ!」

「可愛い子ちゃんにお仕置きが必要なようだな」

「ふははは、その意気やよしッ!!」

「優勝候補のマシンだからって女に負けっかよっ!!」

「マシンの性能が全てでないことを教えてやろう」

「劣等人種の混ざり物が調子に乗りやがって……っ!」

「ムカつくぜェ……女如きが吠えやがって」

「面白れェことになってきたなぁオイッ!!」

 挑発されたと不快に思う奴、興が乗った奴、鼻息を荒くする奴にやたら声がイイ奴。差別意識を漏らす奴やレースをより楽しみ始める奴。


 ともあれ、奇しくも参加者の中で唯一の女性ドライバーとなったイネスの存在は、良くも悪くもレースを盛り上げていた。


 そして、スタッフがマシンから離れていき、各車エンジンスタート。ボイラーの暖機運転が始まり、排気音の合唱が広場に響き渡る。19台分の排気煙がもうもうと立ち昇っていく。


 暖気が完了するまでの間に、レースの諸注意などが説明される。

 コースはリュッツェン市の中央広場から市内大通りを抜け、街道から郊外にある修道院跡地を回って再びリュッツェン市の中央広場へ。総延長約20キロだ。


 ルールは単純。卑劣な真似はするな。世界初のモーターレースに身を投じ、モーターレースの歴史に名を刻む誉れを自覚せよ。


 歌姫デルフィネのベルネシア国歌斉唱が終わる頃、暖機運転完了。

 スターター役はリュッツェン市代官の長女。礼装をまとった少女が緊張顔でチェック柄の旗を掲げ、


『5』

 各車のドライバー達がスタートに備え、環状操(ステアリング)縦器(ホイール)操縦(ハンドリング)(レバー)を握りしめた。


『4』

 各車のメカニック達が計器盤を凝視し、吸気系や燃焼系などの制御機構を弄ってボイラー温度やアイドリング回転数などを注意深く管理し、スタートに備える。


『3』

 クェザリン・ワーケン製単座式前二輪後一輪スチームカーに乗る若い青年が、聖剣十字の印を切る。天におわします聖王様。どうか僕をお守りたまえ。あのロクデナシ共に天罰を与えたまえ。


 クレテアの理工 (エコール・)科学校(ポリテクニーク)製単座式前一輪後二輪スチームカーに乗る歳若い青年が、恋人の肖像画が入ったロケットペンダントに口づけした。このレースを終えたら僕は君にプロポーズするんだっ!


 大手蒸気機関メーカー『トレビシック・パーソンズ』製タンデム式四輪スチームカーを駆る2人のイストリア人達は自信満々にカウントへ集中する。


『2』

 優勝候補筆頭の白獅子製複座式四輪スチームカーに乗車するレクスは口元を覆うマスクの中で舌なめずりし、ヴァンダーカムはシンギング・エリーの計器盤と歌声に意識を注いでいた。


『1』

 稲妻の名を冠したステラヒール社の複座式四輪スチームカーでは、機関士のミトニックがエンジン制御に集中している隣で、唯一の女性ドライバーであるイネスが腹をくくった目つきでスターター役の握る旗を凝視していた。


『スタートォッ!!!!』


 リュッツェン市代官の御令嬢が『えいっ!』と旗を大きく振り下ろした瞬間。

 19台の蒸気車輛が盛大に排気煙を吐き出し、猛々しく排気音を轟かせ――人類初の自動車レースが始まった。


      ○


 レースが長距離を走行するため、空中観戦用飛空船が用意されていた。

 ただ安全対策上の都合と問題から用意された飛空船は限られており、乗船者はもっぱらレース開催スポンサーか参加チームの関係者、招待貴賓客の一部だけになっていた。


 当然ながら、この貴賓に国王と王妃が加わるなどと誰も想定していなかった。

 通常、玉体を乗せる飛空船は王室御用達の御召飛空船だ。しかし、カレル3世とエリザベスは『そこまでせずとも好い』と寛大な配慮を下賜し、用意された飛空船に搭乗していた。


 むろん、今この時、両陛下を乗せた飛空船の周囲を海軍の飛空短艇と陸軍翼竜騎兵一個中隊が警護している(緊急動員された飛空短艇部隊と翼竜騎兵中隊はレースを“タダ見”出来ると喜んでいたが)。ちなみに、飛空船の船員達は予期せぬ重責に顔を蒼くしていた。


「おば上。あの蒸気車輛に乗る機会をいただけませんか?」

 王太子エドワードの嫡男にして王位継承順位第二位の第一皇子ライナールが、ヴィルミーナに期待たっぷりの眼差しを向けた。歳の頃はウィレム少年と同じ。ただ生まれが半年ほど早いため、王立学園の学年は一期上だ。


 正統派イケメンの父とベルネシア随一の美女を母に持つだけあって、ライナール王子はそりゃあもう美形の極みである。


「ライナール様に御搭乗いただくには些か安全面にまだ不安があります。ですが、そうですね。ライナール様が大人になられる頃には、王室へ御献上するに相応しい物が出来るかもしれません」

 ヴィルミーナが微笑みながら、いとこの息子へ答えた。


「大人になるまで待つのかぁ……ウィレムはもっと早くに乗れるのでしょう? 良いなぁ」

 羨ましげに呟き、ライナールは親戚の子へ目線を向けた。件のウィレム少年はとんでもない美少女2人のホスト役に勤しんでいる。

「……おば上。あの御令嬢方。ひょっとして」


「ライナール様」ヴィルミーナは怖い微笑を湛えて「世の中には気づいてはいけないこともございます」

「あ、はい」ライナール王子は一つ学んだ。


 技巧高い表情筋がアルカイックな面持ちを作り、ヴィルミーナは告げた。

「レースも始まりました。さ、御観戦くださいな」


 第一王子の意識を眼下のレースへ向けさせたものの、

「おば上。レースが始まりましたけど、半数くらい動いてませんよ?」

 超絶美少年の指摘通り、レースが開始したにもかかわらず、参加車輛の半数がスタートにしくじり、スタートラインの辺りで大騒ぎになっていた。


「性能的にどれほど優れていても、機械的信頼性や作動安定性に難があれば、あのように問題が発生します。現状、私の白獅子やイストリア大手が蒸気機関市場を寡占しているのも、我々の蒸気機関が信頼性と安定性……つまるところ『確実に動く』からなのですよ」

 ヴィルミーナはいずれ玉座に就く少年へ丁寧に語って聞かせる。

「ですが、こうして技術を競う大会が繰り返されれば、業界全体の技術力が向上していくでしょう。いずれ白獅子に並び、あるいは、追い抜くところが現れるかもしれませんね」


「それはおば上の商い事に不利益なのでは?」

「かもしれません。他社が伸びることで我が財閥の売り上げが落ちるかも。しかし、市場そのものは拡大し、様々な需要形態を生むでしょうし、機械化車輛の発展を招じさせます。それは白獅子に大きな利益と新たな可能性をもたらします。それに何より」

 ライナールの疑問に答えつつ、ヴィルミーナは悪戯っぽく口端を緩めた。

「ベルネシアそのものの発展と向上を生むかもしれないでしょう」


「大きな観点に立つことが大事なんですね」

 ライナール少年はおばの薫陶に感嘆をこぼす。育ちが良いせいか素直であった。


 さて、西方圏屈指の怪物が超絶美少年王子と交流している傍ら、魔女の倅はアングレーム公御係累の美少女2人に挟まれ、その様子を周囲からガン見され、ちょっとばかり居心地が悪い。


 2人をエスコートして乗船した時など、ベルネシア王家の御姫様や他の高位貴族令嬢から、あの小娘共は誰だ、と問い詰められてえらく難儀したものだ。ウィレム君は女難の気があるのかもしれない。

 きっと父譲りであろう。


 そんなウィレム君の心労を余所に、

「姉様! クレテアの選手が先頭を走ってますよっ! 凄い凄いっ!」

 クレテアの三輪車が疾走する様に、アンリエッタ姫が大いにはしゃぎ、


「父上の、こほんっ! 国王陛下の肝入りで創設された理工科学校(ポリテクニーク)の優秀な生徒達が作った車輛ですもの。当然です。学生と言えどベルネシアの、こほんっ! 市井の車輛などに負けませんわ」

 自国選手の活躍に得意満面のテレーズ王女。澄まし顔を作ろうとしているけれど、笑顔を隠しきれていない。

 お二人とも実に可愛い。


 市内大通りをクレテアの三輪車がトップを走り、クェザリン・ワーケンの三輪車が続く。少し遅れて白獅子の白いマシン、イストリアの黒いマシンが続く。ステラヒールの青いマシンは遅れているようだ。


「クレテアの三輪車。あんなヒョロヒョロスカスカなのに、なんで速いの?」

 ジゼルが辛辣な評価と共に小首を傾げる。


 理工科学校の生徒達が手掛けた三輪車は、鋳掛け溶接フレームに白獅子製蒸気機関を載せた簡素な構造だ。素人目には、白獅子やトレビシック・パーソンズのマシンより速そうには見えない。


「軽いからだよ」レーヴレヒトが娘の疑問に答える。「車体が軽いほど、機関の出力が活かされ易いんだ」


 いわゆるパワーウェイトレシオ。もちろん自動車の速度能率はそんな単純ではないけれど、諸賢の中でミニ四駆を速くしようとしてシャーシに穴を開けた方々には、軽量化の重要性を御理解いただけよう。

 ただし、軽い車体が必ずしも良いとは言えない。車に限らず全ての機械は『あちらを立てれば、こちらが立たず』という矛盾性を内包している。


 先んじて煉瓦舗装された市内大通りを駆け抜けた理工科学校の三輪車が、砕石舗装の街道へ突入。市内の道路に比べて路面状態が悪い。凸凹。起伏。轍。そうした路面から伝わる負荷にどこまで耐えられるか……


 ヒューゴ少年は先頭集団より後続集団でもがくように走るステラヒール社のマシンを注視していた。一昨日に“気の良いおじさん”から貰ったステラヒールの社章バッチを握りしめ、『がんばれっ! がんばれっ!』と心の中で応援している。


 次男の様子を横目にし、ママは密やかに溜息をこぼす。

 私のチームを応援して欲しいわぁ……くそぅ、道楽者め。ウチの子を誑しよってからに。


『あっ!!』


 その時、船内観戦席に大勢の吃驚が響いた。

 地上で、理工科学校の三輪車が『へし折れた』のだ。


     ○


 溶接は産業社会において極めて重要な技術である。

 金属の接合技術自体は紀元前3000年頃には存在していた。メソポタミアで発見された銅板にはロウ付けが用いられていたことが証拠だ。


 もっとも、近代に到るまでの溶接技術は鍛接・鋳掛け・融接・ロウ付け・リベットなどに限られる。現代人が思い浮かべる『溶接』は19世紀の第二次産業革命――電気技術の到来を待たねばならない。


 電気に関する学術的発見と技術的発明が進み、アーク溶接が開発されたことで、溶接技術の近代化と工業化が一気に進んだ。溶接技術は造船技術や車輛製造技術と密接な関係となり、勢い軍事技術的な側面も持つようになった。二度の大戦では溶接技術の優劣や高低が軍艦や軍用車両、航空機の生産性から性能にまで影響を及ぼしている。

 現代でも溶接法の発展と開発が絶えず進められており、重工業に大きな影響を与えている。


 長々と語ったが、要するに……

 鋳掛け溶接の軽量車体である理工科学校製の三輪車は……溶接部が剛性不足だった。

 つまり、シャーシが脆い。


 荒れた砕石舗装の街道に突入し、接地面から伝わる衝撃と負荷に足回りやシャーシが悲鳴を上げていたところで、曲がり角で遠心力と荷重が加わり、


 ぼきっ。


「うわあああああああああっ!!」

 シャーシが真っ二つに破断し、ドライバー兼メカの理工科学校生が社外に投げ出される。速度域はさほどではなかったものの、人間死ぬ時は時速10キロ程度の事故でも死ぬ。


 まあ、幸い街道路肩の植え込みがクッションとなって勇敢なクレテア青年を受け止めた。打ち身と擦り傷を負っただけで命に問題はない。


 青年は救護員と観客達の手を借りて身を起こし、真っ二つとなって路肩に横転するマシンを目にし、

「くそぅっ!!」

 悲嘆を挙げた。そんな青年に観客達は健闘を讃える拍手を惜しまない。


 そんなクレテア青年の眼前を、クェザリン・ワーケンの前二輪後一輪式三輪車が駆け抜けていく。

「うぁあ、うぁあ、真っ二つになってたっ! 真っ二つになってたっ!」


 クェザリン・ワーケンのドライバー兼メカの青年ハンス・ノルマンは悲鳴を上げる。マッド共がこさえたこのマシンだって剛性面が怪しい。不安が恐れと怯えを増大させていく。


 そんな現場の事情を知らぬ、マッド共は実況と解説を聞きながら、暢気にビールやシードルを傾けていた(現代のレースシーンでは考えられないことだが、この時代はこんなもんである)。


「クレテアのガキ共は駄目だったか」「あんだけ細くしちゃあ、そらそうなるわ」「その点、俺らのマシンは車体のほとんどがモンスター素材製っ!」「剛性や靭性が鉄や鋼より高いっ!」「だからどれだけぶん回しても、ヨシッ!!」「勝ったな、ガハハハッ!!」

 酒の入ったマッド共が高笑いをした矢先。


 どぉおおんんん……と遠雷のような轟音が響き、街道の方から灰色の煙がもくもくと昇っていた。


『ああああっ! ゼッケン13のクェザリン・ワーケンっ! 横転っ! 横転しましたっ!!コースを外れて防護水樽に突っ込んだ―――っ!!』

『トップに躍り出て快調に飛ばしていたんですが……おそらく、速度超過に操縦系が応答限界を迎えたんでしょう。三輪構造上の弱点が出ましたね』

 昂奮する実況と唸る解説。


 クェザリン・ワーケンのマッド達は目をぱちくりさせ、

『――っ! クェザリン・ワーケンのハンス・ノルマン選手が横転したマシンから這い出てきましたっ! 無事ですっ! よかったっ!!』


 実況の報告を聞き、クェザリン・ワーケンの親方がごぶりとビールを呷り、言った。

「……まあ、なんだ。ハンスが無事だったし……とりあえずヨシッ!!」


 横転時に土砂と粉塵を浴び、防護水樽の水を被り、横転爆発したボイラーの煤煙に塗れたクェザリン・ワーケンのドライバー兼メカ、ハンス・ノルマン青年は茫然自失状態で呟く。

「あいつら、何を見てヨシって言ったんだよ……」


 茫然とするハンスの眼前を、真っ白なモデル84R“シンギング・エリー”と黒いタイプ1“ウォークライ”が甲高い蒸気排出音を奏でながら駆け抜けていく。

 優勝候補の2台はなんら不安を感じさせぬ力強い走りで、ハンスの視界から遠ざかっていった。


「……どうして、ああいう真っ当なマシンを作らなかったかなぁ」

 ハンスの疑問に答える者はいない。




 ステラヒール社の青いマシン・ストロミロMkⅡ“ドンダー”はシンギング・エリーとウォークライから数台分遅れていたが、徐々に速度を上げていた。


 環状操(ステアリング)縦器ホイール)を強く握りしめるイネスは、運転が思ったより怖くないことに拍子抜けを覚えつつ、エンジンの発する獰猛な駆動音と不穏な振動に若干の怯えを抱いていた。


 イネスが怖がっていない理由は、マシンの速度域が魔導強化馬の最高速度とさほど違いが無かったこと。操縦性と応答性が適切に調整されており、ハンドル操作自体に難が無かったこと(まあ、パワーステアリング機構がないので大変と言えば大変だが)。


 それに、同乗しているメカのミトニックが『大丈夫だ、スロットルを踏みこめっ!』『曲がり角が近いぞ、直前でブレーキッ!』『上手いぞっ! ハンドル操作に集中しろっ!』とナビゲーター役もこなしていたからだ。


 偉大なる金言『女は度胸』ではないけれど。

 イネス・バラーサは今、持ちえる度胸を全てぶち込んで、年上の恋人と信頼できる大人達が作ったマシンを思いきり走らせる。


 ぎゅっと環状操縦器を握りしめ、イネスは決意を呟く。

「絶対、勝つんだからっ!!」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 何というか、男性陣の老いも若きも雌狼に振り回されて胃潰瘍になりそう…www
[良い点] クェザリンのマッド達の血晶、敢えなくリタイア。スタート、即爆発しなかっただけマシか? [気になる点] ブレーキは自転車のワイヤー・挟み込み式?ディスク型?摩擦熱で溶けたりするか心配。エンジ…
[良い点] みんな楽しそうだなぁ。
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