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お待たせしました。ちょい文字量多めです。
作中表現に誤謬有りと御指摘を受けましたので修正しました(8/18)
大陸共通暦1785年:王国暦267年:夏
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:リュッツェン市。
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魔導技術文明世界初のモーターレース大会は、ベルネシア王国の北西部にあるリュッツェン市で催された。
理由はリュッツェン市がちょーど良い具合の地方都市だったこと。宿泊施設やイベント用地等々がそれなりに揃っている。
もう一つの理由はリュッツェン市側が熱心にイベントを誘致したこと。そもそも市長が大会に参加する気満々だった。
さて、このモーターレース大会は3日開催だ。
参加車輛や団体を紹介する初日。
二日目はトラクター部門の開催で休耕地に設置されたコースをガンガン突っ走る。
最終日の三日目に蒸気自動車のレースだ。
レースは公道開催である。
この時代にサーキットなど存在しない。流石に半年でサーキットなど開設不可能だった。サーキットは路面用骨材が一般道と違うし、舗装に高い平坦性と排水性が求められる。さらにはタイヤカスなどを除去する路面清掃車も開発しないといけない(人力で出来なくもないが、人件費が、が、が)。
というわけで、自転車競技同様に公道レースと相成ったわけだ。
現代地球のモータースポーツの公道レースは市街地道路をサーキット化したもの、郊外道路をコース化したものになる。前者はF1など。後者はラリーなど。いずれも安全対策に細心の注意が払われている。
此度大会の安全対策は、コースに規制線を張って警備員を置き、要所要所に衝突時の緩衝材に水入りの樽や疑似ゴム製古タイヤを置いて救護員を配しただけだ。良くも悪くも近代であろう。
今回設置されたコースはリュッツェン市の中央広場から市内大通りを抜けて街道を通り、郊外にある修道院跡地を回って再びリュッツェン市中央広場を目指す。という総延長20キロほどのコースだ。
ちなみに、会場や公道の警備には国家憲兵隊と冒険者組合が動員されている。白獅子の民間軍事会社は東メーヴラントでドンパチしているから無理もない。
長々と説明したが、それでは現場に視点を移してみよう。
○
――第1回スチームモービル・レース大会:初日
黒々とした夏の蒼穹に雄大な白雲達が悠然と泳いでいく。
陽光が燦々と降り注ぐ好天に恵まれた地方都市リュッツェンは、朝からお祭り騒ぎだった。
近世的な木と石で作られた街並みは綺麗に清掃されており、モーターレース場のメイン会場となったリュッツェン市庁舎前には、レースに参加する団体のテントブースが居並ぶ。
記録によれば、この世界初の機械車輛レース大会に参加した車両は全64台。
うち21台が蒸気自動車で、残りがトラクターだ。
なぜこれほどトラクターが多いのか? と首を傾げる諸兄諸姉も居られよう。しかし、思い出していただきたい。そもそも大会開催の発端はトラクターを所有する富農や豪農、農業会社の連中が『うっとこのトラクターで競争ごっこしたい』と言い出したからなのだ。
自動車やトラクターの移送は飛空船業界が嬉々として請け負った。なんたって『俺達ぁ機械化車輛より上だぜ』と示す格好の場だったし、イベント主催者の白獅子財閥が大会参加者用に補助金を出したからだ。
白獅子の補助金供出は諸々で観客から小銭を徴収して補填するから問題ない。ベルネシア商人は狡猾である。
話を進めよう。
大会参加者のテントブースには、レースに参加するトラクターやレースカーが展示されており、観客が車輛を間近で見物し、参加者と触れ合うことも可能だった。
白獅子やステラヒールなどベルネシアのメーカーを始め、イストリアのメーカー、フルツレーテンやクレテアにあるライセンス工場などがここぞとばかりに自社車輛を展示し、観客に営業を掛けている。
またそこかしこに屋台が立ち並び、軽食や菓子に飲み物、雑多な小物や玩具、果ては地元で採れた野菜まで売られていた。
まさしく大賑わい。
リュッツェン市民はもちろん近隣市や外国からも観光客が訪れており、平民だけでなく貴族も多い。イストリアやクレテア、聖冠連合帝国など外国の貴族がちらひら。
そして、まさかの国王陛下御夫妻の御巡幸と御天覧である。
カレル3世曰く「陸上競技大会や自転車競技大会は息子達が見に行ったのだから、これは俺が行く」とのこと。おかげで会場には近衛軍団の精鋭警護隊がうろちょろしている。なお、この御巡幸にはちゃっかり孫達が帯同していた模様。
むろん、主催者たる白獅子財閥の総帥ヴィルミーナも家族を連れてこの場を訪れている。
ただ、元々お偉いさん達の相手をせねばならなかったし、予期せぬ国王御巡幸の対応もあったため、レーヴレヒトとユーフェリアが子供達を伴って会場巡りさせることになった(なんで私だけ省かれてるのっ!? おかしいっ! こんなこと許されないっ!)。
「父上、御婆様。僕アレを運転してみたいっ!」「私も私もっ!」
乗り物好きなウィレムと御転婆なジゼルが嬉々としてはしゃぐ一方、次男坊ヒューゴは車輛に乗り物としてではなく工芸物として惹かれていたようで「僕もあんなの作ってみたいなぁ」と呟いている。
暢気な観客と違い、運営側は忙しかった。
大会参加者達はレース本番に向けた最終調整。レースコースの下見。関係者への挨拶回り。あれやこれや。運営の現場は例によって生じる大量の細々とした問題の対応に追われているし、運営の上層部はお偉い御客人達の接待に忙しい。
ヴィルミーナは国王夫婦の相手をしつつ、見物に来た各国大使や総領事、外交官へ挨拶し、国内外の資本家や実業家、商売人と顔を合わせていく。
「おかしい。今回の私はお客の一人だったはずなのに」
「これだけの祭りを開いておいて、財閥総帥のお前が遊んでいられるわけなかろう」
市庁舎内の応接室。ぼやくヴィルミーナへカレル3世がにわかに呆れ顔を浮かべた。
傍らのエリザベスがよく冷えたハーブティーを口にしてから、姪に尋ねる。
「ねえ、ヴィーナ。あのトラクターや機械車輛に乗ることは出来ないの?」
さらっととんでもない提案をしてくる王妃陛下にヴィルミーナは絶句しつつ、
「トラクターはいわば馬車馬やロバです。国王陛下御夫妻を馬車馬やロバにお乗せするなんて、出来ません。それと機械車輛ですが、事前に御連絡いただけていれば、専用の御車を制作していたんですけどね。流石にレース車は危険ですからお乗せ出来ません」
ちくりと皮肉を混ぜて答えた。
「まったく。伯父様もおば様も急に来るんだから。大騒ぎですよ、大騒ぎ。リュッツェン代官様の顔を見ました? 特に奥方。緊張で顔が真っ青でしたよ? 可哀そうに」
王妹大公嫡女の指摘に対し、国王は苦笑いで、王妃はテヘペロな微苦笑。
「ところで、ヴィーナ。気づいたか?」
カレル三世は言った。
「クレテア大使が連れていた御令嬢達。あれは」
「待った! 待ってください、伯父様。私は知りたくありません。聞きたくありません。大会開催中は知らなかったことにさせて下さい。お願いします」
ヴィルミーナは全力で耳を塞ぎ、目を閉じてまくしたてた。
そう。知りたくなかった。まったく知りたくなかった。
クレテア国王の長女テレーズ王女と妹のアンリエッタ姫がお忍びで来ているなど、知りたくなかった。
○
大会初日。
午後を迎え、レーヴレヒトは妻と合流してお偉いさん達の接待に参加(不満顔)。王妹大公ユーフェリアは周囲など知らんとばかりに愛犬+愛狸を連れ、街角のカフェで優雅なアフタヌーンティーを楽しんでいる(店主が緊張して泣きそうだった)。
王妹大公家の子供達は侍女と護衛を連れて思い思いに会場を散策している。
ウィレムは王立学園の友人達と共に体験乗車会で歓声を上げていた。
ジゼルも仲良しのロートヴェルヒ家や側近衆の子達と出店を巡り歩いている。
お祭りに参加する兄と妹と違い、ヒューゴは侍女と護衛を連れて再び参加車輛のテントブースを回り、トラクターやレースカーを熱心に見ていた。
「若様。体験乗車会や出店に行かないんですかい?」
筋骨隆々の中年護衛が尋ねる。かつてカロルレン大災禍へ参じた元冒険者だ。
「乗車会の方はそのうちまた乗る機会があるから。出店は後で回れば良いよ」
ハンカチで汗を拭いつつ、ヒューゴは目を輝かせながらレースカーを見て回る。
そんなヒューゴの様子を眺めて侍女は思う。私の若様、超可愛いっ!!
ヒューゴが見て回るレース車輛は、自動車黎明期というか萌芽期というか、ノウハウがまったく無いためか、半数以上が馬車型や貨物車型の車体に蒸気機関を据えた形態をとっており、概ね運転手と機関士の2人乗りだった。現代地球人からすると思わず『それでレースするんか!?』と言いたくなる。
そうした未成熟な車輛の中で、ゼッケン1の先進的な形態の白獅子製レースカー・モデル84R“シンギング・エリー”はやはり目立つ。
ゼッケン13のクェザリン郡マッド集団『クェザリン・ワーケン』が持ち込んだ三輪式レースカーも存在感が凄い。
白獅子製蒸気機関を除けば、フレームも足回りも全てモンスター素材や天然素材の加工品。前二輪/後一輪で動力系を全部後方に据えた単座式だ。操縦から動力管理まで一人でこなすらしい。
イストリアから参加した3台はいずれも人目を引く。
1台めは機関車を小型化したようなもの。車体の鼻先にデカい煙突をそびえさせている。前が見えるのだろうか?
2台めはイストリア製蒸気機関を車体中央に据えてある。車体最前方に運転手。車体後部に機関士が乗るようだ。似たようなスタイルの車両はいくつかあるが、このイストリア車は蒸気機関が乳酸飲料のお化けみたいな形状のため、なんとも印象深い。
3台めは大手蒸気機関メーカーが手掛けたもの。グリーンの車体はスマートな長方形をしており、車高も低め。タンデム型複座でフロントシーターが機関士。一段高いリアシーターにドライバー。
「イストリア大手ともなると技術的に洗練されてますね。白獅子のものと通じるところがあります」と侍女。
ちなみに、クレテアの理工科学校が持ち込んだ蒸気自動車は前一輪/後二輪の三輪車形態で単座式。鋳掛け溶接の鉄骨フレームに白獅子製蒸気機関を乗せた簡素なもの。ただし、軽い。車両技術に乏しい点を軽量性――パワーウェイトレシオの優位性で補う気らしい。
面白い、とヒューゴ。蒸気機関という一つの条件の下、これほど多様性が生じることに面白味を覚える。
特に、ヒューゴは参加車輛内で唯一、既存の蒸気機関ではない車輛に強い興味を惹かれていた。
ステラヒール社のテントブースには、鮮やかな青色に塗られたレースマシンが座っている。車体両側面に銀の兜とフクロウの社章が描かれ、与えられたゼッケン7番が貼られていた。
『ストロミロMkⅡ・ドンダー』
新型ストロミロ・エンジンを搭載した外燃機関車輛だ。車体は縦長の平行四辺形を思わせる低車高でボンネットからぽっこりと二列のシリンダーヘッドが頭を覗かせている。
蒸気圧ではなく気筒内に封入したガスの加熱膨張/冷却縮小で駆動し、加熱/冷却機構が魔導術理で行われる関係から蒸気機関のようなボイラーや水タンクを必要としない。ただし、この世界の蒸気機関よりも大量の魔晶を食う。
加えてスターリング・エンジン的構造上、大出力化にはエンジン自体の大型化を余儀なくされる。
製作段階でカーヤ・ストロミロが設計したダブルアクティング式V型4気筒エンジンの出力は想定より小さく、シリンダー部分をより大型化せざるを得なくなった。結果、先に制作したカウリング内に収まらなくなり、左右二気筒のシリンダーヘッドがボンネットから顔を覗かせていた。
その姿はなんとも武骨で厳めしい。白獅子製レースカーがしなやかな柔軟さを感じる女性美的マシンなら、ステラヒール製レースカーはたくましい力強さを感じる男性美的マシンだった。
はぁ……格好良い……っ!
ヒューゴがうっとりと実家のライバル企業のマシンを眺めていると、
「良い顔で見物しているね、少年。このマシンが気に入ったかい?」
テントブース内から、高級な着衣の上にワークスジャケットを羽織った初老男性が話しかけてきた。
侍女と護衛が男性の素性に気付いて驚きを浮かべるも、何も知らぬヒューゴは素直かつ元気に答える。
「はいっ! とても格好良いですっ!」
「これは嬉しいこと言ってくれるねぇ」
男性は本心から微笑み、うんうんと頷く。
「少年。この社章が何か分かるかい?」
目が覚めるような青いレースカーに描かれた銀の兜とフクロウ。
読書家のヒューゴは得意げに微笑んでいった。
「分かりますっ! 古代レムス帝国の戦女神の兜と従者のフクロウです!」
「おお。少年は博識だな」
男性は吃驚を上げ、さらに嬉しそうに笑う。
「少年の言う通り、レムスの戦女神は千の仕事を司り、特に戦争、商業と工芸、魔導の四守護女神ともされている。その従者のフクロウは知恵の象徴だ。これはまったく我が社に相応しい紋章なのだよ」
男性は自身が見出した女性技術者を脳裏に浮かべながら得意満面の笑みを浮かべ、胸元の社章バッジを取り、ヒューゴへ差し出した。
「博識な少年にこれを上げよう。是非とも我が社の活躍を応援してくれたまえ」
「ありがとうございますっ!」
素直に受け取り、元気いっぱいに御礼を言うヒューゴ。
「うむ。元気で良い返事だ。それではな、少年」
御機嫌に笑いながらブース内に去っていく男性を見送り、ヒューゴは貰ったバッジを太陽に翳し、見るものを幸せにしそうな笑顔を浮かべた。
傍らで侍女と護衛がこの件をどう報告したものか、と頭を悩ませていたが。
○
時計の針を少し戻し、第三次東メーヴラント戦争の情勢を説明しよう。
カロルレン王国軍はアルグシアの春季攻勢に対し、計画通りに第二軍がアルグシア北部軍を押さえている間、第一軍は南部軍を撃破した。ただし、長年に渡って聖冠連合と戦い続けた南部軍はしぶとく、カロルレン側の逆襲から主力の撤退を成功させている。
とはいえ、戦況自体は芳しくない。旧領奪還に成功したが、アルグシア領内へ侵攻後は激戦続きで軍も国家経済も手痛い損害を重ねている。
幼君を抱えてカロルレン宮廷を牛耳る王叔父摂政シグヴァルドは、この状況に頭を抱えていた。
シグヴァルドにとって、今次戦争はカロルレン宮廷内の権力基盤強化が目的であり、先々王と先王の二代に渡る悲願――旧領奪還を遂げた時点で充分過ぎる成果だった。
ところが、貴族や平民の報復感情を制御できず、そのままにアルグシア領内へ侵攻してしまっため、戦争の落としどころが定まらなくなった。
そもそも、大災禍以前に策定されたアルグシア侵攻計画では、侵攻に晒されたアルグシア連邦内の小国や都市国家は所領安堵を条件に容易く降伏するという見込みだった。しかし、蓋を開けてみれば、アルグシア人達は降伏どころか死に物狂いで抵抗している。
考えてみれば当然の話であろう。
地獄の9年戦争、凄惨な神聖レムス帝国崩壊の動乱、加えて第一次東メーヴラント戦争の惨劇を知るアルグシア施政者達は、怒れる復讐者がどれほど凶暴な群盗山賊集団に化けるか、良く知っていた。事実、カロルレン軍の制圧地域内では略奪、強姦、虐殺が吹き荒れている。
現状、交渉による講和は不可能に近かった。カロルレン国内もアルグシア連邦も、現状で妥協する気が一切ない。
そんな情勢の中、シグヴァルドは日々激増していく戦費と死傷者の報告に恐怖しており、一ダースに達する女――妻と愛人+兄嫁と側妾達、宮廷内の重臣その他、怒れる民衆達の突き上げに疲れきっていた。
シグヴァルドは軍と外交筋へ泣きつくように命じた。
なんとしても、年内にアルグシアを講和交渉のテーブルへ引きずり出せ、と。
この摂政と宮廷の命令に対し、外交筋はベルネシアを通じて協商圏に仲裁交渉を打診した。本来なら聖王教会総本山の法王国を頼るところだが、法王国は地中海戦争後の混乱で動きがまったく取れない。敵である聖冠連合を利用するという発想はなかった。
一方、軍の中央総司令部は頭を悩ませた。間違ってもカロルレン軍にアルグシア全土を制圧する戦力も能力もない。
さらに言えば、侵攻軍の三個軍が春の戦いの疲弊から休息を要求している。
中央総司令部と侵攻軍は喧々諤々の議論の下、最終的に『自分達が苦しいなら相手も苦しいはず』という希望的観測が通り、カロルレン軍は予備戦力を用いた夏季限定攻勢を決定した。
夏の戦いで橋頭保を築き、秋に休息を終えた主力軍の大攻勢で決定打を加える。
照準は北部戦線のアルグシア側突出地『ニムハウゼン屈折部』。
そして、白羽の矢が立てられた不運な部隊は、旧領の復興/再建や占領地域の治安維持、第一・第二軍の後方支援に従事していた第三軍隷下のクロブコフ伯爵/少将率いる第23歩兵師団。
例によって王族に属するクロブコフ少将は伯爵家の政治力(シグヴァルドの愛妾の一人がクロブコフ一族の出)を駆使して増強部隊を掴み取った。
一つは伝説的撃墜王“リボン”を要する第117翼竜騎兵大隊。
もう一つは北東部利権を抱き込んだハーガスコフ侯爵家が持つ虎の子部隊――ベルネシア人傭兵団を含むニーヴァリ独立機動戦隊。
斯くて、ハーガスコフ家とオルコフ家、白獅子財閥カロルレン支社の抗議と苦情申し立ては退けられ、ラインハルトは再び戦場へ送られた。
人類初の機甲部隊を率いて。
性悪な運命の女神が嗤う。
○
西メーヴラントで人類初の機械車輛競技大会の前夜祭が催されている頃。
東メーヴラントでは人類初の機械化車輛部隊が出撃準備をしていた。
ニーヴァリ独立機動戦隊の装甲トラクター群がボイラー暖気中、部隊の兵士達は武器弾薬や燃料、整備部品などの最終点検が行われている。
兵士達が出撃準備を進めている中、指揮官のラインハルトは麾下の将校達へ作戦を説明していた。
限定攻勢目標である『ニムハウゼン屈折部』は、ドムネル=ニムハウゼン湖沼帯と呼ばれる地域に生じた突出地で、複数の湖沼と湿地林から作戦運動が限られる土地柄だ。
この戦争に不向きな地域にアルグシア軍約8000、後方には大都市ドムネルブルクが控えている。
ドムネルブルク市は北部戦線のアルグシア軍策源地であり、何よりブローレン王国へ通じる大街道に接している。カロルレン側から言えば、ブローレン王国侵攻の重要拠点とも言える。
エーデルガルドが概略説明を終え、ラインハルトは将校達へ告げる。
「軍団司令部は俺達を露払いと進路確保程度に考えているようだが、実態は違う。任務の主題は“競走”だ」
エーデルガルドや古参将校達が頷く中、まだ10代終わりの若い将校が小首を傾げていることに気付き、ラインハルトは優しげに問い質す。
「ヘイヴリンク少尉。競走の意味が分からないか?」
「……申し訳ありません、戦隊長」と少年少尉は気恥ずかしそうに頷く。
ラインハルトは首肯し、説明を始める。
「ノイベルク大尉が言った通り、目標のドルムスブルクは策源地であり、交通の要衝だ。我々がここを奪えば、少なくともニムハウゼン屈折部の全アルグシア部隊が敵中孤立し、ドルムスブルクからの補給に頼っている周辺部隊も後方遮断により作戦能力を喪失する」
「同時に、ブローレン王国に対する重要な橋頭堡にもなるわ」
ラインハルトの説明とエーデルガルドの補足を聞き、ヘイヴリンク少尉は頷いた。
「ドルムスブルク防衛に敵が増援を送ってくるより速く到達しなければならない、ですね」
「正解だ」
にやりと微笑みを返し、
「任務の成否、いや、この攻勢の成否は我々が敵の増援より速くドルムスブルクへ到達できるかどうか。そこに全てが懸かっている」
ラインハルトは厳しい顔つきで言った。
「この競走の勝敗が戦争の行方を左右するかもしれない」




