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14歳の冬の終わり。レーヴレヒトが士官学校へ入学するために実家を出る日のこと。
母であるゼーロウ男爵夫人フローラは軍人貴族セーレ男爵家の出で、良くも悪くも武家女性気質の持ち主だった。
「レーヴレヒト」
荷物を馬の背に積み、出発の準備を整えた我が子へ、母フローラが姿勢を正して真正面から向き合う。隣に立つ父ゼーロウ男爵も背筋を伸ばした。レーヴレヒトも居住まいを正して母と父へ向き直る。
母フローラは告げた。
「レーヴレヒト。士官学校を出れば、間違いなく戦に送られます。あるいは、国難が生じて士官学校を出ることなく戦場へ送られるやもしれません。こうして顔を合わせる機会を持てずに戦場へ赴くかもしれません。ゆえに、母はこの場ではっきりと申し渡しておきます」
「承ります、母上」
ゆっくりと深呼吸した後、母フローラは腹を痛めて産み、慈しみ育てた我が子へ毅然と告げた。
「家名を汚すことは決してまかりなりません。家名に泥を塗るくらいならば、見事に討ち死になさい。御国へ御奉公し果てるは、貴族の誉れと心得るのです」
余りにも苛烈で峻厳な物言いだったが、父ゼーロウ男爵もまた厳しい面持ちで首肯した。
生き恥を晒すくらいなら死ねと言う実母と、その発言を良しとする父。啓蒙思想家なら時代錯誤と失笑しただろう。現代的価値観で言えば、親失格と断じられるかもしれない。
しかし、レーヴレヒトは両親の面差しと瞳から、2人の巨大な心痛と憂慮と強い愛情を確かに感じ取った。人格面に病質傾向がある彼は、なぜ自分が家族を大事にするのか、再認識できて満足げに頷いた。
「はい、母上。お言葉を胸にしっかり刻みます」
両親と家人に見守られながら騎乗し、レーヴレヒトは護衛を伴って代官所の正門を出ていった。一度も振り返ることもなく。
その背中が見えなくなってから、母フローラは初めて涙を見せた。
〇
王立士官学校は王国西部の古都ケテルバークにある。
両親から厳しい言葉で送り出されたレーヴレヒトは、護衛と共に五日ほどかけてケテルバークへ向かった。道中にあれこれ見物しながらのちょっとした小旅行となった。
街道の先にケテルバークが見えてくる。
目的の王立士官学校はケテルバークの東外縁街区にあった。煉瓦と石で造られた道路を進んでいき、王立士官学校の傍にあるカフェの店外テラス席に予期せぬ人物がいた。
「やぁ」
テラス席から手を振るヴィルミーナを目にし、レーヴレヒトは目を瞬かせた。
「ヴィーナ様。なんでここにいるんです?」
「お言葉だこと」
ヴィルミーナは不満そうに眉根を寄せ、言った。
「士官学校へ入る我が盟友を見送りに来たのに」
「はー……そのためにわざわざ王都から」
レーヴレヒトは感心とも呆れとも取れる面持ちで、思わず言った。言ってしまった。
「よぉやるわ」
「そこは私の心遣いと行動力に感動して涙ぐむか、歓喜するところでしょ。ほんっとにあんたは昔っから期待を悪い意味で裏切る反応をするわね」
ヴィルミーナの悪態にレーヴレヒトは破顔した。
思えば、前世のことを打ち明けられた時もこんな調子で怒られたっけ。懐かしいな。もう十年近く前だ。
レーヴレヒトは馬を降りてヴィルミーナの前に立ち、騎士のように一礼した。恐ろしく優雅で美しい所作に、周囲にいた者達が――主に女性が感嘆の吐息をこぼす。
「御無礼をお許しください。ヴィーナ様の御高配、誠にありがたく」
「ん。良いわ。許してあげる」
ヴィルミーナは鷹揚に頷き、傍らにいた御付侍女に目配せする。
御付侍女が何やら手元のトランクケースを取り出した。
思えばこの人とも付き合いが長いよな、とレーヴレヒトは御付侍女を一瞥する。未だに独身みたいだけど、結婚しないんだろうか。
侍女がトランクケースから小さな包みを取り出し、ヴィルミーナへ渡す。ヴィルミーナは受け取った包みを開いて、レーヴレヒトへ差し出した。
銀色の小さな懐中時計。蓋を開けると、文字板が透明な水晶製のため、精密なムーブメントの駆動を見ることが出来る。ムーブメントの中には高純度魔晶石が組み込まれていて、いざという時は魔導術の触媒にも使えるようだった。
素人目にも、高価な品だと分かる。これはもはや時計というより芸術品だ。
「軍隊は時計があると便利らしいから」
「こんな高価な物はいただけません」
「上げないわよ。貸してあげるだけ」
ヴィルミーナは懐中時計をレーヴレヒトの首に掛け、そのまま抱きしめた。耳元に囁く。
「長期休暇の時はちゃんと連絡を寄こすこと。手紙も可能な限り書くのよ。それから、無茶なこともバカなこともしないこと。変なもの食べたり飲んだりしないで、怪しい女には引っかからないように」
それから、とヴィルミーナは最後に告げた。
「必ず生きて帰ってきなさい」
「わかりました」
レーヴレヒトは即答した。さらりと。ヴィルミーナの無茶振りや無理難題に応えるように、いつもと同じく。
その回答に満足したヴィルミーナが身を放そうとした時、レーヴレヒトはヴィルミーナの額に軽く口づけた。
「ふぁっ!?」
素っ頓狂な声を上げ、顔を茹蛸より真っ赤に染めて目を真ん丸に見開いたヴィルミーナへ、レーヴレヒトは恭しく一礼した。
「御礼です」
レーヴレヒトは驚愕と動揺から立ち直れないヴィルミーナをからかうように微笑み、颯爽と騎乗した。
「では、いずれまた」
見事なイケメンムーブをごく自然にこなし、レーヴレヒトは王立士官学校へ向かった。
その顔に照れの類はまったくなかった。
「やっぱり、レヴ様をお婿に取るべきですよ」
レーヴレヒトを見送りながら御付侍女メリーナが言った。
「あの方を逃がしたら、必ず後悔しますよ。ベッドに突っ伏して枕に顔を押し付けながら、身もだえします」
やけに具体的なことについて理由は問うまい。
「高等部の四年間にイイ男がいなかったら、まあ、うん」
未だ真っ赤っかな顔をしながら、ヴィルミーナは回答を濁す。クソ、忌々しいイケメンめ。ときめいちゃったじゃないのよ。中身ウン十歳のババアをときめかせるとか、誑しめ。
レーヴレヒトの背中を見送りながら、ヴィルミーナはどこか寂しげに呟く。
「ちゃんと、無事に帰ってくるのよ」
小さくなっていくレーヴレヒトの背中を見送るヴィルミーナは想像もしなかった。
この後、レーヴレヒトの消息が忽然と絶え、諸々の伝手を使っても方々に人を走らせても軍に尋ねても、その行方が分からなくなるなんて、想像のしようもなかった。
今日は閑話も上げます。




