11:0:二十歳の冬はサスペンスチック。
大陸共通暦1768年:ベルネシア王国暦251年:冬。
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム。
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ギイ・ド・マテルリッツは麒麟児である。
マテルリッツ家は代々宮廷魔導術士の要職を担う名家だった。ギイの両親も4人の兄姉も優秀な魔導術士だし、一族内にも優れた魔導術士は多い。その中にあって、ギイは別格だった。
魔導適性は歴代最高。魔導術に対する先天的な素質、才能、才覚、全てを備えていた。ゲームならば強キャラ間違いなしだ。
問題があるとしたら、ギイ自身だろう。
彼は幼い頃から自らの才能と素質を自覚していた。兄姉達と比せば、間抜けでも気づく。自分は『特別』なのだと。ごく自然に彼は増長し、驕っていった。無理もない。どんな魔導術も魔導術書を斜め読みするだけで術理を理解し、2、3度と練習すれば体得できてしまう。これでは両親の説教説得や周囲の諫言苦言も届かない。
加えて、彼は容姿にも秀でていた。精悍さと力強さには欠けるが、弟系カワイイ美少年として成長していった。女装させれば、絶世の『男の娘』となっただろう。こうした優れた容姿で周囲の女性から大いに可愛がられ、もてはやされ、チヤホヤされたことも、彼の自尊心を大きくした。
その彼が想いを寄せたのが、アリシア・ド・ワイクゼルだった。時に図々しく厚かましく、時に純真無垢で、まるで気ままな蝶のようなアリシアに惹かれた。アリシアの笑顔を見る度、胸が高鳴り、アリシアが他の男と親しくする様を見る度、胸がざわついた。
ただし、気になることもあった。魔導術関連の授業で見せるアリシアの魔力。やたら出力が高い。制御もへったくれもないが、放出量だけなら自分より上ではないか……?
その疑念は“やらかし”――エンテルハースト宮の諸侯御機嫌伺いではっきりした。
自分より上、どころか比較することも馬鹿馬鹿しい破格の魔力放出量。周囲に敗北感と劣等感をもたらす存在だったギイは、初めて自身が敗北感と劣等感を味わった。
しかし、井の中の蛙が知ったのは大海の広さではなく、天の高さだった。
この日以来、ギイは人が変わったように魔導術と真摯に向き合った。“やらかし”に激怒して罰を与えようとした父母が困惑するほどだった。
この時期のギイは、少々思いつめ気味ながらも、一魔導術士として強大無比な魔力適性を持つアリシアに勝ちたい一心で、鍛錬し、研鑽し、学習し、努力した。素質と才能に胡坐を掻いていた麒麟児が本気になったのだ。
卒業する際、アリシアに魔導術の勝負を挑み、そのうえで勝利して愛を告白したい。ギイはそう考えていた。美姫を手に入れる魔導術士は最強でなければならないからだ。
だが、その機会は戦争で台無しにされた。その挙句ワーヴルベークの戦いでは、ギイが王立学園高等部の3年間を費やした努力を、アリシアにあっさりと吹き飛ばされた。
神々しいまでの圧倒的な魔力放出。
奇跡そのもののような光景を目にした時、ギイの中で何かが明確に壊れた。
絶対的敗北感はギイの自尊心を決定的に歪め、鮮烈な劣等感が魔導術士というある種の超越的個の価値観を刺激し、貴族的思考が仕上げをした。
自分の才能や素質は結局、“人間の範疇”でしかない。アリシアのような規格外に決して到達しえない。それでも自分の血は“魔導術士として”最高峰だ。その自分と人智を越えたような力を持つアリシアが子を作ったなら、きっと新たな大魔導師の血統となるはずだ。
こうして、ギイ・ド・マテルリッツは見事に『闇落ち』した。
実のところ、魔導術士の暗部を紐解けば、ギイのような思考展開は“珍しくもなんともない”。そもそも魔導技術文明世界の貴族思想は古今東西、強固な血統主義だ。
たとえば、ある高名魔導術士一族は血統の純化を図って近親相姦に励み、逆に潜性遺伝子の発露で自滅した。
魔導術の歴史にはこうした愚蒙愚昧の極致みたいな例が世界各地で山のように築かれていて、しかも、現在も量産中なのだった。
さて、ギイの現状に話を戻そう。
戦勝パーティでアリシアが幼馴染の青年の胸に飛び込んだ光景は、多くの者に驚愕と衝撃を与え、同時に王太子エドワード達へ自分達の恋が独り善がりな思い込みだと突き付けた。エドワードもマルクもカイもユルゲン(彼は既にリザンヌ嬢という現実に叩きのめされていた)も、夢から醒めた。
一方、ギイにとってこの衝撃は『闇落ち』のダメ押しになった。アリシアを横から掠めとる存在の登場に、激しく動揺し激しく焦燥した。このままではアリシアを奪われてしまうっ!
それから、ギイは宮廷魔導術士の仕事をサボり、アリシアのストーキングを始めた。実戦経験豊かなアリシア父やワイクゼル家の家人達に気取られぬよう長距離で。もはや導火線に火が点いた爆弾状態。
そして、3か月前の秋口にギイは見た。見てしまった。
アリシアとラルスとかいう“混ざり者”が口づけを交わす光景を。
ギイの導火線が燃え尽きた瞬間だった。
アメリカの負け犬が学校やショッピングモールで乱射するように、ギイは魔導装具で身を固め、アリシアの家を襲おうとした。強引にアリシアを攫い、孕むまで犯し続ける気だった。
薄ら恐ろしいことに、この時のギイはそれが自分の使命であり行使するべき権利だと、これがアリシアにとっての最高の幸せになる、と心から信じていた。やだマジ怖い。
が、陰険で性悪な運命の女神はギイに本懐を遂げさせるより、より深みに沈めることを望んだらしい。
魔導装具で身を固め、屋敷を出ようした直前。仕事から帰ってきた次兄とばったり出くわしてしまったのだった。
次兄は物騒ないで立ちの弟を問い詰める。仕事をサボっていることにも、何やら怪しげなことをしていることにも触れ、ぎゃんぎゃんと厳しく激しい説教を始めた。
地雷の上で爆発してくれと頼みながらブレイクダンスを踊るようなもんだ。
「うるせぇんだよ、才能のねえクズがぁっ!」
爆発したギイは本気で次兄を殺すべく、攻撃魔導術を発動させる。
宮廷魔導術士とは総合職である。魔導術の研究者であり、王宮その他の魔導防護障壁や技術を管理する技師であり、古くは近衛騎士と並ぶ精鋭であった。実際、先の戦争でも宮廷魔導術士達の半数が戦場へ行った。
次兄も行った。地獄の国境防衛線に。
辛く苦しい塹壕戦に身を置き、血みどろの死闘を生き抜いた経験があった。
だから、ギイが攻撃魔導術を放とうとした瞬間、次兄は咄嗟にギイを“ぶん殴った”。白兵戦でそうしたように一切の手加減なく思いっきり。
顎を打ち抜かれたギイはヨレてしまい、次兄と駆け付けた家人達に取り押さえられ、封具で魔導術を抑え込まれてしまった。
魔導術士としての才能は確かにギイの方がはるかに高い。しかし、練度と経験という面でみた場合、ギイはワーヴルベークで暴れただけで、次兄は戦争期間をずっと最前線で過ごした。
そして、格闘技を例にとると、どんな才能があろうとも素人が玄人に勝つことは、絶対に無い。
かくして取り押さえられたギイは、父と母と長兄と次兄と長姉と次姉による厳しい厳しい追及の末、実家押し込めと相成った。
宮廷魔導術士の職は依願退職として処理され、自室で禁固状態になった。
この冬を迎えるまで、ギイはガチで部屋から一歩も出られなかった。常時封具を付けられたまま、食事は自室で食わされ、排泄は“おまる”でやらされ、入浴もタライを使って部屋でやらされた。
ギイは毎日のように喚き飛ばし、幾度か暴れたし、係の者を襲って脱出しようとさえした。が、そうして暴れた晩には、父か長兄に激しく殴られるか、長姉から魔導術を使った苦痛が与えられた。
そんな生活がひと季節も続き、ギイはすっかり落ち着いた。緊張症を患った囚人みたいに。
次姉と母親の取り成しで押し込めが解消された翌日。
ギイは実家から逃げ出した。
〇
大港湾都市である王都オーステルガムはここ数日、雪に見舞われていた。
雪が降れば、物流を維持するために道路の除雪仕事が生まれる。貧民層の日雇い労働者達は夜も明けきらぬうちに芯まで冷えるような寒気の中、木製スコップで苦労しいしいに雪掻きをする。
この日も、まだ暗いうちから日雇人達が王都の方々で除雪作業をしていた。幸い、降雪自体は夜半に止んでいたが、それでも泣きが入るほどに寒い。
数人の日雇人達が、王都旧市街区東区の小路を進んでいく。
この辺りは3、4階建ての石造り製集合住宅や建物が数多く並ぶ。中の中から下くらいの市民が暮らしている地域で王国独立前から存在する都市内住宅地だ。
建物の多くは古典主義的で重厚的だった。雪に覆われた石畳もかなり年季が入っている。街路樹も随分前に葉を落としていて、鋭く伸びた枝木が死霊の手や腕に見えた。
夜明け前の闇と静寂。骨身に染みる寒気。重苦しい街並み。なんとも陰鬱な気分を掻き立てる光景だった。
「この辺りぁ随分前から再開発の噂があっけど、ぜんっぜん実現されねーな」
「ここらは魔導術理を使って作られたモンだから解体にも魔導術が要る。再開発するには金が掛かりすぎるのさ。御上はもちろん民間も銭は計画拡張区域に使いたいのが本音だろう」
「ほえー……オメェ、学がねェくせ物知りだな」
「誉め言葉になってないぜ」
そんな会話をしながら、日雇人達は東区大通を目指して近道に脇道へ入っていく。街路樹の梢の先に、うらぶれた小さな教会が見え隠れしている。
「こんなところにも教会があったんだな」
「ああ。でも、司祭様が病気で入院しちまってな。今は暇人共が溜まり場に使ってるよ」
脇道を進み、教会に近づいた時、日雇人達は気づく。
教会前の小さな階段に何か転がっている。
訝った日雇人達が足を止めて教会に近づき、その“何か”を見た。
「うわあああっ!?」「け、憲兵っ! 憲兵を呼べっ!」「誰かあっ!!」
そして―――日が昇った頃には、小教会近辺は大騒ぎになっていた。
王立憲兵隊の武装憲兵達が小教会の近辺を封鎖し、野次馬共を遠ざけて現場保全に努めている。そこへ王立憲兵隊犯罪捜査部の馬車が数台到着し、捜査官達が下車した。
やたら近代化されている経済機構や軍制同様、ベルネシア治安当局もそれなりの近代機構だった(ただし、この時代における最先端の警察機構を持つ国はクレテアだったりする。国情が不安定なため、警察がしっかりしてないといろいろ危ういからだ)
現場に到着した捜査官達は、教会前の小階段に置かれた“それ”を目にし、思わず呻く。中には胸元で聖剣十字の印を切る者もいた。
たしかに、“それ”はあまりに惨たらしく、あまりにおぞましかった。
小階段に置かれた”それ”は、女性の全裸遺体だった。
大の字に置かれた亡骸は両手足と乳房の間からヘソに掛けて奇怪な紋様が刻み込まれていて、ヘソから性器に掛けて切り裂かれていた。顔から鎖骨まで覆い隠す黒い布には、赤い塗料――おそらくは血――で蝶羽型の魔導術式が描かれている。死体の置かれた場所から一段上に、赤い花と小鬼猿の頭骨が並ぶ。
絵に描いたような悪魔崇拝的事件現場。
この時代の信仰意識は社会規範にまで根付いている。それは開明派世俗主義を採るベルネシア人とて例外ではない。教会を冒涜するように築かれた犯罪現場を前に、誰もが強い嫌悪感と忌避感と不安感を刺激される。
当件の捜査責任者である憲兵大尉サミュエル・ヴァン・キネも例外ではない。
陰鬱な鉛色の曇天の下、うらぶれた小教会の正面玄関前に作られた儀式的事件現場。あまりにも不気味な光景だった。
王立憲兵隊犯罪捜査部・王都本部捜査一課の係長キネは、50を過ぎて髪だけでなく髭にも白いものが多いが、体つきはがっしりしていて老いを感じさせない。人生の大半を犯罪との闘いに費やしてきた彼でも、この陰惨な光景を前に顔を大きく歪めていた。
キネは大きく深呼吸し、頭の芯まで冷気を取り込んでから、部下達に告げる。
「記録担当は隅々まで逃さず記録しろ。それから調査通路を作れ。そこ以外は歩くな。この階段近辺は全て捜査対象だ。遺体の検証と移送はその後だ。急げよ」
命令を受け、部下達が動き出す。
最初に現場へ駆け付けた巡邏憲兵達がやってきて、キネに報告する。
「第一発見者の日雇人達はあっちで押さえてあります」
キネは怪訝そうに、
「この教会の司祭は?」
「先の戦争前から重病で入院中です。今は教会信徒グループが管理してます。代表者を迎えに行かせてます。我々が到着した時には全ての出入り口が施錠されていて、足跡や痕跡の類はありませんでした」
「そうか。それで被害者の身元を示すようなものは見つかっているか?」
「目に見えるところには何も。現場保全のために亡骸の近くには行ってません」
「わかった。ありがとう」
巡邏憲兵達に礼を言い、教会敷地入り口から記録担当達の作業と遺体を見つめる。
「こんなの、見たことがない」
武装憲兵達の隊長がやってきてどこか自問するように言った。キネと似た年頃の武装憲兵隊長は吐き捨てるように続ける。
「戦争が終わったと思えば、コレだ。泣けてくるぜ」
「激しく同感だ。何人か回して周辺2ブロックを捜索してみてくれ」
「分かった。すぐにやらせよう」
武装憲兵隊長が部下達の許へ戻っていき、キネは倦み疲れた溜息を吐き、捜査官達の作業を見守る。
記録担当達が無残な事件現場を手早く緻密にスケッチし、事細かく記録していく。
この時代、写真撮影機具はまだまだ稚拙で撮影に時間が掛かるため、観察眼と技術に優れた者によるスケッチの方がまだマシだった(実際、現場記録技能として研修まである)。
科学捜査技術なんてろくすっぽない時代である。しかし、証拠の大切さ大事さは既に十分把握されている。30年ほど前に起きた貴族令嬢殺人事件が大冤罪事件に発展して以降、犯罪捜査体制が刷新され、ベルネシア王立憲兵隊犯罪捜査部は極めてロジカルに事件を捜査する。
記録担当者達が現場のスケッチを終えると、亡骸を中心に事件現場の捜査と証拠採集が行われる。捜査官達が現場を調べて回り、魔導術士が現場に魔導反応が残っていないか探り、現場記録官達が現場の様子を記録しながら慎重に証拠品を採取する。
キネは敷設された捜査用通路を使って死体の許に近づき、屈みこんで死体を観察した。
小階段の斜面へ仰向けで大の字に寝かせられた亡骸は、雪をまったく被っていない。血の気が抜けて真っ白になった肌は汚れがない。両手足と胴体に刻み込まれた奇怪な紋様と、裂かれた下腹部の傷に出血痕が見られない。
つまり、犯人は被害者を殺害後、死体を念入りに洗ったのだ。
頭から鎖骨まで覆う黒い布の下から被害者の長い髪が放射状に広がっている。亡骸の体勢。供えられた黒い花と小鬼猿の頭骨。これらと併せて考えると、証拠や痕跡を隠すためだったとは思えない。おそらくは儀式的演出。あるいは、当局へ対する『お披露目』。
――クズが。
キネは密やかに深呼吸し、胸の奥に湧いた強い怒りを抑え込む。
「ハーベイ。記録は取ったか?」
「はい、大尉」
傍らのマリア・ハーベイ憲兵中尉が記録用クリップボードから青い顔を上げ、頷いた。
「よし。テニソン。手を貸してくれ。この布を剥がすぞ」
キネは男性捜査官と共に亡骸の頭を覆う黒い布を慎重に剥がす。氷で貼りついていたのか、ペリペリと音を立てた。
露わになった被害者の顔に、
「ヒデェ」と男性捜査官が呻き、
「……くそったれめ」
キネも抑えきれなかった怒りを吐露した。
被害者の面立ちは二十代前半くらい。
そして、両目が抉られていた。
死後にやられたことだと思いたいが、この手の犯罪を起こすクズがそんな“ぬるい”ことをするわけがない。
どれほど怖かっただろう。どれほど苦しかっただろう。どれほど痛かっただろう。どれほどの絶望の中で息絶えたのか。
キネは自然と大きな手を強く握りこむ。正義感と倫理観と道徳心がぐつぐつと煮えたぎっている。憲兵隊捜査官としての使命感と義務感と職責意識が強く燃え上がっている。
「首元に絞めたような痣がありますね。死因は下腹部の傷ではなく、絞殺でしょうか?」
ハーベイ憲兵中尉が真っ青な顔で記録を取りながら、誰へともなく問う。
20代半ばのマリア・ハーベイ憲兵中尉はこうした惨たらしい現場が苦手だった。自身もそのことを重々承知しており、殺人課を希望したことはなく、詐欺や高額品窃盗などを扱う知能犯罪対策課を望んでいた。
ところが、戦後の人員再配置に伴い、ハーベイは殺人課へ放り込まれた。彼女の洞察力と観察眼、素早く正確な記録技能を評価しての“抜擢”だった。有難迷惑である。
「現状では何も特定できんさ。何より最優先はこの娘さんの身元確認だ」
亡骸の搬送作業を見つめ、キネは力を込めて言った。
「必ず犯人を捕まえる」
キネは、いや、この時はまだ誰も知らなかった。
これは始まりに過ぎないことを。
迷走は続いております。
プロットはきっちり作っておくべきだったと痛感する……




