『人』ではなく『世界観』
「──“烈激の幾星霜、岩礁の吐息、猛爆をも弾く忍苦の鎖を編め”っ!」
力ある言葉にゴッと大地が揺れ、風が吹き荒れる。
パトリシアはすぐ目の前にいたエドワードの腕に引き寄せられ、倒れ込んだところを抱えこまれていた。エドワードのもう一方の腕は犬のぬいぐるみ方向に差し向けられており、詠唱も彼の声だ。
風にあちこち乱れる髪の向こうで、どこから現れたのか波しぶきのような膜が二人を包み込んだ。
膜──半透明の障壁──の向こう側、三体の犬のぬいぐるみをまとめて空へ蹴り飛ばす黒い背中が見える。
次の瞬間、上空でボボボンっとくぐもった爆音が響く。すぐに火炎が吹き荒れるも障壁は全てを弾く。燃え広がるかに見えた火炎は波飛沫が飲み込んで一瞬で消してしまう。障壁は全方位展開しているようだが、指定方向での強度調整が行われている。これは詠唱時の力配分で決まり、エドワードの場合、差し向けた手が決定している。
「オリー! 左前方、路地!」
頭上でよく通る声。犬のぬいぐるみを蹴った黒い背中に指示を飛ばすのもエドワードだ。
黒い背中の誰かは軸足を緩く曲げるとそのまま左へ駆けていった。
その後、バタバタと足音がして私服姿の見慣れた騎士たちの顔ぶれに囲まれていた。
いつもエドワードの周りで護衛にあたっていた王国騎士団の面々だ。
「トリシア、大丈夫?」
はっとしてエドワードを見上げる。
いつの間にか爆発を完全に防いだ風と水の障壁も消えていた。地面にはいくつか穴が開いていて、水は地下から引き寄せたものだったのかもしれない。
おさえておくべき魔術に関する知識として、種類が五つ、属性が九つあるという点がある。
五種類の魔術とは、一つ目は基本の変異魔術……生活魔法などと通称されたりもする。その上位に攻撃魔術と防御魔術があり、予知魔術と支配魔術は別系統にあって単独習得になる。
そこに複雑に入り込むのが属性でこれは九つある。火水土風の原始四属性と雷木氷の発展三属性、さらに光闇の神聖二属性の合計九属性で成り立つ。
今パトリシアの目の前で展開した魔術は──変異魔術の上位にある防御魔術、さらに複属性を同時に扱う多属性魔術……いくらエドワード王子には家庭教師がついているのだとしても高レベル過ぎる。
一般的に学園入学の十三歳から魔術を習い始め、多属性魔術を扱えるようになるのに早くても二年以上かかる。すでに数年学んでいる双子のノエルとクリフでも多属性魔術はまだ使えていない。ちなみに、分類としては存在しないが、治癒魔術と通称される魔術は光を基本にしつつ複属性用い、変異魔術と支配魔術を同時発動させる超高難度魔術にあたる。
「………………ぇ……?」
「トリシア?」
パトリシアは勢いでエドワードの胴にしがみついたままの姿勢だった。抱きついたそのまま、彼の顔を見上げる。
「……──」
「……ん? 大丈夫?」
それからパトリシアはゆっくりと周りにも目を向けた。被害らしい被害も怪我人も誰もいない。
また顔をあげると近距離のせいで大きく見えるエドワード。その背後、遥か彼方、空は変わらず青く爽やかだ。
被害とは言えない程度──近くの植木の緑だった葉は黒焦げで枝は炭になっている。今にも折れて落ちそうだ。その通りそのままに、焦げた煙の匂いがあとから鼻をついてくる。
日常のようで、非日常のど真ん中。
たった今、何かに襲撃された気がする。爆発した。ぬいぐるみが、犬のぬいぐるみが勝手に歩いてやってきて、爆発をした。
理解が追いつかない。訳がわからないままで、だが、どうやらエドワードに庇われたらしい。
パトリシアはゆるく下唇を食む。
エドワードは、混乱したまま沈黙するパトリシアを先程まで座っていたベンチに促してくれる。その所作は丁寧で優しい。
「…………」
パトリシアだけを座らせ、エドワードは正面に立った。片手の指先は揃えて握られたままで。そのベンチの周辺に私服騎士たちがズラリ。
余剰の騎士は公園内に集まる野次馬に『子供の火遊び、手持ち花火の暴発』などと適当に誤魔化している。とはいえ、咄嗟のことに爆発音を止めることは出来なかった。さらに騎士がこれだけいてはいぶかられても仕方がない。それをゴリ押しして住民を安全な場所、方向へ誘導する。まだ危険が完全に去ったわけでもなく、巻き込まないための処置だ。
中年の王国騎士団の騎士がエドワードに耳打ちする。
「コード・アサギ、ジャコウの両名が追いました」
「わかった……ん? ジャコウもいるのか?」
「優秀とはいえアサギは新人です。団長殿の計らいでしょう」
「……ありがたいが、ジャコウね──やりすぎなきゃいいけど」
「──殿下はジャコウと面識が?」
「あー……そうか。そういえばないな、まだ」
その時、騎士達の合間を『んしょ、んしょ』とかき分けかき分けベンチをよじ登ってくるくまのぬいぐるみの姿がある。サイズは先程の犬のぬいぐるみと比べて半分ほど、子供の手の平より少し小さな大きさ。
「──ひっ」
パトリシアが息を飲むのに、エドワードは手を繋いだまま空いた手でくまを拾い上げた。
「…………」
「……トリシア、怖い?」
「それ、爆発……」
「これはしないよ。大丈夫」
「……なぜ? どうして?」
「うん。先にこれを渡しておけばよかったね」
そう言ってエドワードはくまを差し出した。
「……“くま”?」
「傀儡師を知っている?」
「くぐつし……人形使いとかのことですか?」
パトリシア自身の知識に傀儡師はない、存在しない。
だが、過去世にはそういった単語が出てくるようなジャンルの小説だとかゲームなどの創作世界があり、パトリシアの前世は王道的な勇者などより好んでいた。特にゲームではその嗜好は顕著だった。
傀儡師……操り人形を何らかの方法で操って影響を及ぼすキャラクターまたは職業。──時に食屍鬼や霊を操る死霊術士なども傀儡師に分類されることがある。
そういったキャラクターは敵であったり味方であったり、様々な立ち位置で登場するが、戦士だ勇者だと人気のあるものと並べるとあまり一般的ではない属性の職種。
前世はどうにも、前線に出て戦うタイプではなく後方支援に徹してチームまたはパーティ全体を支配したがる考えの持ち主だった。
傀儡師タイプのジョブは大抵中間距離からの補助攻撃、前線を乱すデバッファーなどでトリッキーなスキルでのバトルスタイルが多い。前世はこの手のキャラクターも非常に好んでいたのでパトリシアの知識も小説漫画ゲームなどのエンタメ系に汚染されつつ刻まれている。
前世は現実で引っ込んで目立たないように生きた反動からか、ゲーム内では『無くてはならない唯一無二の立ち位置』を好み、また得意にしていた。チーム対戦のあるゲームでは所謂IGLを名乗り出ていたほどだ。
素のままだったり現実を知られた相手にはモゴモゴと言葉が出てこないのに、役になりきってのコミュニケーションはまったく問題が無いどころか積極的かつ前向きな性格になりきれたところは、パトリシアにとっては摩訶不思議なところだ。
脳内にある前世の記憶には、大人になって働くようになった後、自宅にいる時間はほぼ読書かゲームで占められているわけだが、FPSゲームや仮想現実ゲームなどでのバトル疑似経験が山ほどある。そのことにパトリシアは気付いている。実はそれらがパトリシアの中で少しずつ紐解かれつつあることにも。
パトリシアが現実で体を動かしたり魔術を使って立ち回ると、シンクロするように過去世のゲームが脳裏をよぎる事が出てきている。いかに戦い攻略するのかというバトル構築シミュレーションが立ち上がるのだ。
だからこそ、今の爆破攻撃を回避出来なかった自分と記憶内で予測と経験を糧にゲーム内で無双していた過去世を比べてしまう──過去世のゲーム内キャラクターならば難なく避けていた事だろう。
──どうにかうまく過去世を使いこなしたい……。
「そう。この“くま”はね──」
エドワードはくまのぬいぐるみを掴んでいたパトリシアの手を開かせて乗せ、もう一方の手も引き寄せて両手で包ませた。
「この“くま”は真心のこもった“くま”だから、大切にするといい」
「…………“くま”」
「…………私には一度も得られたことがないものだ」
パトリシアの指の間から輪になった紐が垂れている。
「ああほら、これ、ちゃんと身につけられるようになってる」
ぬいぐるみの頭のてっぺんから根付けのように紐が出ていた。
とはいえ、ベルトもないワンピースのお出かけ仕様の為、身につけられるところがない。今日のところはポケットに入れることにした。
はじめにエドワードは『傀儡師』について話した。
ならば、先程の犬もこのくまも──傀儡人形である可能性が高くはないだろうか。
乙女ゲームのエドワードルートのノベライズを過去世は熟読していた。
乙女ゲームはつまるところ、人間関係を疑似体験する遊びで、キャラクターロールプレイングゲームと言える。そのことからも、パトリシアも特に攻略キャラクター基準で思い出そうとしていた。
だが、一歩正規ルートから逸れようとすると目の前には『世界観』という壁が立ちはだかっている。
そもそも結局のところ悪役令嬢としてのパトリシアが目指すのは『乙女ゲームという枠組み』からの脱出。そうなると必然的に未知の領域へ飛び出すのは当然だ。
この傀儡人形には操る傀儡師がいるだろう。先程爆発した犬のぬいぐるみにも。
このように過去世の記憶と照らして当てはまらない見知らぬ世界観は『乙女ゲームの枠組み』から離れられている証拠に他ならないだろう。
とはいえ、世渡りの難易度は上がる。
「これは、誰のくまですか?」
「うん。私からは言わないでおく。他意も悪意もないよ? たぶん、持ち主は自分で名乗り出て交流したがると思うからだ。君の事が大好きなようだし、きっとすぐに仲良くなれる」
にこっと微笑むエドワードは、ウソに紛らわせた父ジェラルドとは違った隠し方をした。
「……私が好き?」
「いや。バンフィールド家かな。それで、きっと会ったことはない」
「…………ぇ?」
「いつか会えるから、楽しみにしておくといい」
にっこりと微笑んでパトリシアの頭を軽く撫でていくエドワード。
──誤魔化されたくない。
「殿下、誰かを追跡につけましたよね? 何かわかったら教えていただけますか?」
「……構わないよ。だけど、トリシア、約束をして? 君も一人でこっそりとどこかに行かないこと。あとは護衛をちゃんとつけて、そのくまを必ず身につけること」
「……わかりました」
パトリシアが神妙にうなずくと、エドワードは緩やかに微笑んだ。
今回はエドワード一人勝ちってとこですかね。
新年度、バタバタしました…更新遅くなってすいません。またペースに乗せていきたいと思います。




