歩くぬいぐるみ
赤鬼はとにかく毛量の多い女性だった。
ふわふわの猫毛のように見えたが、それが爆発するとああなるのかという特徴的な髪の毛の持主──それがベュルガの赤鬼だ。
前頭部は細かい編込みのコーンロウでポニーテールの位置まで髪を持ち上げ、そこからはたてがみのように腰まで広がる真っ赤な髪。
女性にしては大柄ながらしなやかな体躯。全身凶器のような身体能力とその髪に多種多様の暗器、毒薬が仕込まれているとも言われている。赤鬼の接近は一般ターゲットにとっては即死に等しい。
そんなことを、パトリシアは知りもしない。だが、他の誰よりもわかっていることはある。
「……赤鬼は、息が出来ないくらいの……圧みたいな……もし私が体を動かす訓練しかしていなかったら、きっと固まってしまったと思います……あの人の感情のない緑色の目は何も読み取れなかった。私は多少なりとも対人戦の訓練をしていたからか、なんていうのかしら、こう……わっとかかってこられる時の圧? に対応出来たんだと思うの──あと……そうね。先端が曲がった薄い剣を使っていたわ」
思い出しながらゆっくり、たどたどしく説明するパトリシアに対して、エドワードはすっかり青褪めている。
「………………トリシア、聞いても?」
「……なんですか?」
「──どうやって無事に……??」
「どうやって……?? え……と……無我夢中で……そうしたらいつの間に気を失っていて、目覚めたらお母様が目の前に居たんだけど……」
キィと闇の住処に関する情報をごっそり端折ると話は途端に胡乱げなものになった。
「…………ふむ……いやでも」
考え込んでからエドワードはパトリシアを見た。
「無事で良かった」
「……あ、りがどうございます」
「おそらく、君が領城に戻るとともに警備は一層手堅くなっていると思う。ジェラルド殿は必ずそうする。君に気付かれないよう、君が以前のままの暮らしが出来るよう」
「…………」
パトリシアとしても容易く想像出来て頷く。
対してエドワードも頷き返し、腕を組む。視線を横に流して考え込み、当然の疑問。
「……赤鬼や王城深部に入れた隠密者が簡単に引き下がった理由はなんだろうな……」
「…………」
父に対してと同じように、闇の力については話せない。それを話すならばどこまでも遡らねばならない。五歳の頃に流れ込んできた他人の人生の記憶にまで。
過去世で、しかもそこで読んだ『物語』とこの世界が同じだと思われる──などと常人の理解の範疇を超えてしまう。
ふっと腕を解いてエドワードはパトリシアを見た。
「トリシアは知りたいと言ったよね」
頷いて見せるパトリシア。
「ならばどうだろう?」
身を乗り出すエドワードとパトリシアの距離は近くなっていた。
「私といっしょに真相を探ってみないか?」
「────……ぇ………」
パトリシアが無事だった真相は首と腹を切られそうな瞬間にキィが闇の中へ回収してくれたから──……である。
パトリシアが知りたいと言ったのは何故襲われたのか? 敵は誰なのか? であって、助かった理由ではない。
だが、エドワードはどうやら赤鬼らからは幼い令嬢など逃れられるはずがない、なぜ助かったのか真相究明して今後もそれで逃げきろうとでも言っているかのよう。いや、言っているも同然だ。
助かった理由の方はパトリシアが隠しておきたい過去世の記憶や闇の力が大いに関わっている。
エドワードへの忌避感が薄れたとはいえ、両親にすら話せていないことを言えるはずもない。
「ぁ…………その……」
「トリシアだけの護衛もしっかりしているとは思うが、私にも護衛はつく。それに、これは内緒の話だが、王室諜報部の一人を私の為に父上からかりた。彼はとても優秀だ。彼がいれば城の外、街に出るにしても安全だ。その上でトリシアにふりかかる災難をすべて取り払ってみないか?」
拳を作って力説してくるエドワード。
「──……どうして、そこまで」
ポツリと問えば、エドワードは困り眉で微笑んだ。
「君が私の婚約者だから……ではダメかな」
「……」
パトリシアは不思議なものを見たような気持ちになる。
前世の記憶の中のエドワードはどうしても『物語』開始後の彼であり、嫉妬におかしくなるパトリシアに辟易としている描写がほとんど。
もしそういったエドワードがこのように優しく接してくれるのなら……そこでパトリシアはイヤイヤと首を小さくふる。
確かに物語開始前の『設定』としての『物語のエドワード』も優しくパトリシアを救い上げていた──。
──これは正しいの……? どちらに?
困惑で胸がささやかにドキドキとするが、パトリシアは息を飲み込む。
正規ルートとでも言うべきか、『物語』に沿った言葉なのだろうか? それとも、ここまで『物語』に逆らうパトリシアの行動に対してのエドワードの心からの答えなのだろうか?
そもそも『物語』通りの『正しさ』はパトリシアにとって避けなければならないもの。『物語』上、悪役にとっての『正しさ』や正義は叩きのめされるもの……。
悪役令嬢でもあり、正しさとは? などと考えるのは愚。
パトリシアにとっての辿り着きたい未来において、今、味方として動いてくれるのならばエドワード王子と交流を続けることは是だ。将来、冒険者になりたいからとカーティスと交流を続けることとあまり変わらないはずだ。
パトリシアはただコクンと頷く。
すると、すぐそばで小花がいっせいに咲いて舞ったかのような笑顔を見せるエドワード。
上目遣いに見れば、改めてにこりと微笑みをくれる。
──どちらかはわからない。けれど『物語』のパトリシアが依存してしまうのもわかる……。
少しだけ困って、だがパトリシアもほんのりと微笑みを返すのだった。
それからの数日……。
早朝の走り込みにはパトリシアとエドワード揃って取り組んでいる。
アルバーン領の主要冒険者ギルド黒の虚飾者らの多くが大型討伐で定位置にいないことから騎士団の出動は増え、双子が実地訓練として同行する日はほとんど毎日に。パトリシアはまだ、いつぞやのリベンジを胸に見送りまで。
大掃討による負傷団員はパトリシアの闇の繭と大規模治癒術のおかげで多くはなかったが、魔術以前の死者数は変わらない。
応援の王国騎士団は地理地形や地域性魔獣特質の把握が十分でないため領城近辺にのみ派遣されている。
好き勝手をして迷惑をかけるのは悪役令嬢のすること。パトリシアは騎士団が多忙を極めるいま、お忍び等外出を諦めていた。
にもかかわらず、エドワードは息抜きをとパトリシアを誘い出す。
遠慮をするのに理由も必ず話すが、『私達の護衛はアルバーン騎士団の通常、または臨時任務とは別枠だから大丈夫』と言って聞かない。
二人で出かけるのを不思議がる双子とシャノンには肩をすくめて見せるしかない。クリフなどはこっそりと「殿下もデートしたかったか……」と苦笑していた。
そうして季節はポカポカと温かい、花が咲き乱れる春へ。
エドワード王子のアルバーン領の領城滞在は六月までとなっており、残すところ二ヶ月ほど。
そのすぐ後、内定しているパトリシアとエドワードの婚約についての正式発表が行われる。
王都の社交自体は年始一月頃からゆったりと始まっていたが、三月には準備が進み、四月から六月頃は最盛期。この頃は毎日毎夜あちらこちらで夜会が開かれている。
社交シーズンの終わりは八月だが、多くの貴族が王都のタウンハウスに残っている間──つまり七月初旬には締めとして王家主催の大規模な茶会か夜会が催されるはず。そこで婚約発表があるだろう。早々に、タウンハウスに出てきた貴族らは順に招待状を受け取っていることだろう。
平日のとある日。薄い薄い雲がたまに見える程度の快晴で、風さえ吹かなければとても温かい。
領城の城下町の中心街には高木中木低木さまざまな街路樹が多く、花の甘い香りで満ちていた。
昼過ぎだ。
パトリシアはストールを頭にゆったりとかけて残りを首に巻くフーディッド巻きをして、爽やかな新緑色のワンピースで中央広場を歩いていた。
隣には特徴ある銀髪を大きめのブレトンベレー帽で隠したエドワード王子。子供なのにジャケットに膝下丈ズボンにロングブーツと、いいとこの坊っちゃんスタイルは否めない。
下級貴族か成金金持ちという変装でお忍びに出てきた二人。幾度目かのお散歩。
場所は仮装大会もあった広場だ。
さらりとエドワードがハンカチを取り出してベンチに敷き、パトリシアに座るよう促していたりする。
可愛らしい子供たちのデートを、まわりの通行人も微笑ましく見守っているのだが、その内外でしっかり変装した騎士やら隠密が紛れている。少し離れれば武装した騎士が総勢二十名はウロウロしているのだから、どんな重要人物が来ているのかと、腕のたつ冒険者が通りがかればドン引きしたことだろう。
「良い街だね。窮屈さもなく、静か過ぎることもなく、人と人との距離も丁度いい賑わいな気がする。王都は少し、狭い」
「…………」
ハラハラと舞い落ちるピンクの花びらは紛れもなく桜で、こういうところは過去世異世界の世界観──日本産のゲーム原作小説だったのだなとパトリシアは感じ入ってしまう。
ひらひらひらひら、花びらは揺れて一片、エドワードの手のひらに落ちる。
「今のトリシアは何色が好き?」
「……色?」
「うん」
「…………柔らかい、青緑」
過去世の記憶が蘇って以降、パトリシアの服は青や緑、またはパステルカラーばかり。その中でもやはりパトリシアは緑が好きだ。もちろん、父の瞳の蒼色もたまらなく焦がれる。
結局、緑と青の混ざり合う優しい色が好きだ。血の赤を、闇の黒を拒絶するパトリシアが好んだのは、奇しくもエドワード王子の瞳の色。
過去世の『物語』のパトリシアが美しいと褒め称え続けた、心の底から魅了されていた色──。
「──い、いいえ……! き、黄色! 黄色が好きです……!」
困った結論になりそうで慌てて別の色に訂正した。
「……そう……? うーーん……」
エドワードはブツブツ『その色なら独占欲丸出しは避けられるか……?』と呟くもハッと顔を上げ、ニコリ。
「黄色もとてもいいね。でもトリシアの髪は綺麗な金髪だ。肌も白いから青系か……モノトーンやワインレッドなんかの深い赤が似合うと思うが……」
「え……あ、服の話ですか?」
「父上とも相談したんだが、婚約発表のパーティーでのドレスを」
「え!?」
パトリシアは特段ぼんやりしていたワケでもないのに話がどんどん進み、外堀が埋まっていることに一瞬驚きを隠せなかった。
「……ん?」
「え……いえ」
「いや、母上達がどうやら私の分も含めて既にデザインを仕上げにかかっているらしくて」
「…………ぇえ??」
「そう、母上達。私の母上と君の母君が……どうやらかなりその……激しくその……お揃い? ペア? カップルコーデ? とかで仕立てようとしているらしくて。発表時からそれはやり過ぎだと父上に相談したら、割り込めるのは私達が決めたデザインや色の場合くらいだろうと」
「…………ぇー……そんなことに?」
「仕立てる時間を考えたら今もうギリギリだから、私の方で落ち着いた感じでオーダーしようと思っているんだが、トリシアにも好みがあるだろう?」
こくんと素直に頷くパトリシア。
「それってドレスですか?」
「うん? もちろん」
「…………ええと……赤系は嫌です」
「そうか。わかった。どうにか母上達に勝てるよう頑張ってみるよ」
エドワードがこう言ってくれるのも、婚約についてパトリシアの意志が反映されていないからだろう。
「それから、丈は引きずる長さは嫌です」
「ん? 膝丈がいい?」
「はい。領に来るようになって動きにくい服が苦手になったんです」
「ははっ! なるほど。確かにあの早朝訓練をこなすのにロングドレスは煩わしいね」
「…………」
交流を取り始めて気付かされるエドワードの気遣い。思いやりに溢れる受け答えは、どうしても『物語』でどんどん素っ気なくなって最後にはギロチンの刃を落とすほどにパトリシアを嫌がる人と同一人物に思えなかった。
パトリシアはやはり口元に人差し指を当てて首を傾ける。
「殿下って、こんな方です?」
「前も言っていたね」
「はい。失礼を承知で……その、申し訳ありません」
恐縮して言えばエドワードは微笑っている。
「このくらい構わないよ。そもそも失礼や無礼を言うならばトリシアからの手紙は多分ギリギリアウトだったし」
「あっ……それはその……も、申し訳──」
「いいんだ。いいんだよ、そんなことは」
「そんなこと……」
「あまり信じてもらえている気がしないからもう一度言うけれど──」
エドワードがパトリシアの手を取って真剣な眼差しをした時のことだ。
ベンチに腰掛ける二人の足元に小さな影が三つ。
右左、左右と歪つな二足歩行でひょっこひょっこと歩く小さな犬のぬいぐるみ。
雑な作りで縫い方は荒く、両足のサイズが異なるのか布製の体を左右に揺らしながら近付いてくる。
目の前で止まるとぬいぐるみの顔が揃ってぐんと持ちがり、木製ボタンの鈍い目がパトリシアとエドワードに狙いを定めた。




