わりとチョロい
早朝、双子は騎士団の訓練に参加している。パトリシアはこの時間、いつも基礎トレーニングに充てていた。いつものパンツスタイルの訓練服だ。
この日、居館前で柔軟体操をしながら、初めて待つ。
しばらくしてエドワードも居館から出てくると待っていたパトリシアに少しだけ目を見開いていた。
「おはようございます、殿下」
「トリシア……おはよう」
「その……案内します? 私のコースですけど」
「うん。頼むよ」
パトリシアはついに逃げるのをやめ、きちんと向き合って同じ時間を共有することを始めたのだった。
領城内の道なき道を駆け抜けること一時間。
「はぁ、なかなかきつい。……トリシアはすごいね。毎朝これをやっていて」
二人は居館前のガゼボに戻ると持ち出していたタオルで汗を拭っている。
皮袋水筒を用意していたのはパトリシアだけだったため、数口飲んだあとエドワードに渡した。彼も目を瞬いて戸惑ったのは数秒で水分補給にゴクゴクと飲み干していた。
「王都に行ったときや予定がたてこむ日はやりません」
「そうか」
口元を拭ってテーブルに水筒を置くエドワード。目線が降りてふと気付いたらしい。
「あれ? ……それ、え?」
その日のパトリシアはうっすらと虹色に煌めく魔力晶石のついたブレスレットを左手につけていて、エドワードには服の袖からちらりと見えたようだ。
「だって、殿下がおっしゃったんですよ。利用しろって」
パトリシアは左手首をブレスレットごときゅっと掴んで胸元まで持ち上げる。
エドワードの『利用してほしい』という言葉はパトリシアの『借りを作ってしまう』とか『関係性を見える化してしまう』とか、恩に報いなければならない焦燥、罪悪感にも似た気まずい引け目を実はサラリと消してくれたのだ。それによっていま、身につけることが出来ている。
双子の妹シャノンにもらったネックレスタイプの三連石は王城でのたった一度の、瞬く間にすぎなかった襲撃で空になっていた。あのときはキィが闇の住処に緊急収容とでもいうのか、パトリシアを取り込んでくれたから助かった。しかし、それが無ければ早々に魔力晶石は空で太刀打ちできないどころか、回避すらままならなかった。あの日、キィがいなければパトリシアは迫りくる二本の刃の前に死んでいたはずだ。
領城に帰った翌日には一度シャノンに渡し、彼女はその場で三連魔晶石ネックレスを満タンにしてくれた。おかげでいま再び首から下げている。
そしてさらに、エドワードにもらってもしまい込むだけだったブレスレット──使わない理由が無くなった国宝級の魔力蓄積量を誇る魔力晶石付きブレスレット──を身につけることにしたのだ。
「うーん……利用ってそういう意味ばかりじゃなかったんだけど……まぁいいか。嬉しいよ。空になったらすぐに教えて欲しい」
にこりと微笑むエドワード。
こうして改めてコミュニケーションを取ってみれば、エドワード王子は得体のしれない気味の悪いばかりの少年とも言いきれない。とてもウェルカムな姿勢でいてくれている。
婚約が既に内定してしまったという現実がパトリシアから恐怖心を取り去ってしまったのかもしれない。
「殿下、私は知りたいんです。なぜ私が襲撃にあったのか。殿下は何かご存知ないですか?」
チマっとエドワードの上着の端をつかみ、上目遣いで問うパトリシア。
「…………あー……うーーん……ジェラルド殿からは何も聞いていないんだろう?」
「……はい。だからもう……殿下しか頼れなくて……」
「…………あー……そう……そうくるかぁ……」
ワガママを言って無茶苦茶をふっかけてヒステリックに言うことをきかせることならパトリシアは得意だ。それはもう、この世界で悪役令嬢という宿命を背負って生まれたからにはナチュラルボーンセルフィッシュ、そもそも根っからの気質は目線一つでひざまづかせることも厭わない高慢令嬢なのだ。実際、五歳まではそういう子供だった。
むしろその高慢で我儘、人の心を揶揄って弄んで高らかに笑う姿の方が『素の顔』と言える。
前世の価値観のおかげでそれらは恥ずかしい黒歴史として封印しているが、産まれたての子鹿も生後一〜二時間で歩くように、パトリシアも本性を野に放てば脳死でサラリと自分勝手な傲慢令嬢をやってのけられる自信がある。
だが、それで失敗しているのが『物語』のパトリシアなのだ。
前世日本人の陰キャモードを加味しつつ、千倍マイルドに、相手もまんざらではない形に、幼くとも男心をくすぐってやる方向でパトリシアはアクションを起こす。役に立つ前世の記憶がコレというのも少々問題ありだが、パトリシアもなりふりは構っていられない。
正しく程よい『ワガママ』はみんなを幸せにする……はずだ。
「……」
「……」
エドワードは自分の顎を掴んで視線をわずかばかり左下へ向ける。
パトリシアの過去世の記憶の中に『視線をそらす先が右上は未来、右下は感覚、左上は過去、左下は思案中』といった豆知識がよぎる。
つまり、エドワード王子はパトリシアが襲撃された理由=過去を思い出しているのではなく、それを言うべきかどう言うべきかを考えている……可能性があるということになる。
「どう言ったらいいんだろうな……」
「…………」
相手が何か考えてくれているならば急かすところでもなく、パトリシアはゆるーく首を傾げて上目遣いに待つ。
それがまた面食い王子には効くのだが、この時のパトリシアは無意識。
パトリシアをちらりと見てエドワードは片手で顔を覆って「っハァーーっ」と重めのため息を吐き出した。
指の間の緑の瞳と目が合うとパトリシアは声にならない「ん?」という吐息で問い返す。
そうなるとエドワードはもう目を逸らすではなく、ぎゅっと瞑ってしまった。
「……なるほどなぁ……そうかー……これは、思ったより両刃だったなぁ……」
「──……どういう意味ですか?」
顔から手をおろし、エドワードはパトリシアを見て力なくヘラリと微笑って見せてきた。
「いや……その、頼ってくれて嬉しいよ」
パトリシアの髪をそっと二撫でしてエドワードの手はさがっていった。
「ジェラルド殿が伝えていないことを私が教えてしまうことには少し抵抗がある──けど」
目が合う二人。
「いまの君が並の貴族令嬢ではないことはよくわかったし、危機感を持っていて欲しい気持ちが私にはあるから…………」
そこまで言ってエドワードはまた「うーん」と考え込む。
腕まで組んでさらに「うーーん」と……。パトリシアはエドワードを見たままじっと静かに待つ。
そのパトリシアの両目にエドワードは手をかざして遮ってきた。
「…………殿下?」
「……──いや……」
エドワードが小さすぎる声で「見すぎ」と言った言葉はパトリシアには聞き取れなかった。
エドワードは咳払いをして仕切り直すと、ちゃんと声の音量を戻して続ける。
「トリシアは跳んだり走ったり、王都の同年齢の令嬢達と比べてあり得ないくらい動ける子だと思う。ただそれでも貴族令嬢にしては、八歳にしてはという話だ。襲撃を仕掛けてくる敵というのは八歳の子供ではなく成熟した大人で、人を殺すことが仕事なんだ。力が違う。体格が違う。技が違う。スピードも違う……それに、君は傷ひとつついてはいけない」
すっとエドワードの手が降りて、再び目が合う。
「君は護られなきゃいけないんだ。おそらくジェラルド殿が伝えないのも怖がらせたり護りにくくしない為だ。だから私から言うことはできない」
「…………」
パトリシアはゆっくり小さく頷いた後、エドワードを見上げた。
「そうなのですね……。ではやっぱり殿下はご存知なのに教えてくださらないと──そういうことですか?」
「──ンッ!? ……んん……えーと、だから、私にわかる範囲とそれが正しいのかどうかもはっきりとしないから」
「殿下は嘘つきですか?」
「え?」
「利を見つけて欲しい、利用して欲しいとおっしゃったのに、いざ殿下にお尋ねしても教えて頂けないなんて……」
「う、嘘ではない! 利もその、こういう方向性ではなく……!」
「──私、婚約というものはいつか家族になるという約束なのだと思っていました」
「……それであっていると私も思うが?」
「私、お父様に隠し事をされて泣いてしまいそうになりました。立ち直るのにも時間がかかりましたし……」
視線を逸して続ける。豊かな金髪がパトリシアの横顔を隠すが、たまたまである。
「家族に秘密にされるのは、悲しい…………」
「…………」
「…………」
「そ……の……」
エドワードの手が申し訳なさそうに、しかし身動きが取れないかのようにパトリシアの肩の近くで揺れている。
「…………」
「…………」
わずかばかりの沈黙の後、エドワードは結局パトリシアに触れず、ぎゅっと握りこぶしを作って引っ込めた。
「す、少なくとも……! ベュルガの赤鬼とどこかからの刺客集団だ……!」
手とともに顔をパトリシアから背けるエドワード。今度はパトリシアが追うように顔を上げてその後頭部を見る。
「赤鬼……!」
それは弱々しく強請っていた哀れな声音から一転、強めに、確信を得ているかのような発声だった。
パトリシアの方は遠慮を失ってエドワードの服の袖をぎゅっと掴んだ。
「赤鬼ですか!? それって、髪が赤いから??」
エドワードは様子の変わったパトリシアに気付いて顔の向きを戻した。
「──……トリシアは見たのか?」
パトリシアは頷くとエドワードと目を合わせる。
長くなったので一回切ります。




