めくるめく季節⑫ 疑心暗鬼
パトリシアは怒っている。
ムカムカしすぎていて、心の整理がつかない程度には腹が立っていた。
まるで、前世の記憶が蘇る前のような、モヤモヤとした不安が心に広がっている。
あのとき──謁見待機部屋で暗殺者に襲われた時──護ってくれた騎士が居たから、彼が倒れていたからパトリシアが誰かに襲われたことを父なら気付いたはずだ。
──なのに『近くで事故』!?
「…………嘘をつかれた……」
ポツリとつぶやく。
昨夜、こっそりとアル・アイ・ラソン城入りしたパトリシア。
バランスが取りにくいとギュッと縦抱きにされて数時間、父ジェラルドに密着した状態で空を飛んできた。
夜風はびゅうびゅうと冷たかったが、くっついていた父はとても暖かかった。力強い腕は絶対にパトリシアを落としたりはしない。知っている。
「……なのに」
翌朝、パトリシア付きの侍女サニーは王都に置いてきたので、城の侍女頭に朝食から朝の支度まで手伝ってもらって今、ひとり、私室でウロウロと歩き回っている。落ち着かず、くるくるくるくると私室の真ん中のソファとテーブルの周りを回っていた。
が、足を止める。
「王都に行ったのに。国王陛下に直接、婚約しないって、自分で言えって……お父様、言ったのに…………」
両手で顔を覆う。
「いつから、嘘をついてるの……?」
過去世の記憶が、こんな時に悪魔のように囁きかけてくる。嘘とは何なのか、と。
嘘は、羨ましがられたいとか、自分を守るために現れてくる。
プライドの高い人が侮られないように、心の弱い人がそれ以上攻撃にさらされないように、または逃れたい現実や自分があるときに、周りのみならず自分をも騙す時に用いる。
あるいは、隠したい何かがあるとき。
父が己の為に、またはプライドや弱さ故に嘘をついたとは考えにくい。
些細な嘘ならば、人と人との関わりをより良くするために誰もが軽く使っている。だいたいが、相手だったり誰かのための優しい嘘だ。
場を盛り上げてみたり、楽しいひと時を過ごすための幸せな嘘。
だが、嘘は嘘と気付かせてはいけない。ついていい嘘とついてはいけない嘘、ついていい時とついてはいけない時、相手が絶対的に存在する。
嘘は使い方次第で信頼にヒビをいれる。ヒビが増えればそれは砕けて元に戻せない。
そしてそれは……。
「私に言ったことは……嘘ばかりなの……?」
嘘ではなかった思い出さえ、本当の優しささえ砕いてしまう。
それを過去世の言葉で疑心暗鬼を生ずと言う。嘘はたやすく疑心を生み出す。
元々この世界は過去世の日本人の誰かが作り出した。この世界に無いエピソードが由来の言葉はいくらでもある。英語由来の言葉だって、あちらの世界の神話由来のあれやこれやだってモチーフにされてこの世界の人々の口から出てくる。
疑心暗鬼という概念だって、今パトリシアは過去世の記憶から知ることになったが、きっと父だって知っているはずだ。
パトリシアに嘘を囁くことがどんな意味を持つのか、父が気付いていないなんて、思いたくない。
嘘が今、鬼としてパトリシアの心を苛む。
嘘を嘘と見抜いて、その目的まで見据えて初めて信頼関係を自ら選択する……ということは、大人ならば日々やっている。小器用な子供ならば笑顔や涙の仮面を使いこなす。
それを知っていると他人の嘘にも寛容になる。
まさに、二周目を生きるエドワード王子などは人々の嘘と嘘と嘘の間をにやりと微笑って、あるいは他者と他者の嘘を繋ぎ合わせたりして己の利を見出すこともできる。
中身が大人である二周目王子は嘘を使いこなせるが、見た目も中身も八歳のパトリシアではまだまだ一喜一憂し、心を揺さぶられてしまう。
まして、この世で最も信じていた父親の嘘だから──。
だが、それだけがパトリシアの心にモヤモヤとした不安を広げているのではない。
パトリシアはポフっとソファに腰をおろす。
「……でも、私も嘘をついてる……」
小さくつぶやいて頭を抱えた。
昼食は、パトリシアがあまり好きではない軽く煮た川魚。骨が多いのが嫌い。
下げさせると別の魚が出てきた。赤身の魚のソテー。パトリシアが好む魚は白身魚だけ。他はパサついていて嫌い。
ソテーも下げさせてサラダだけを食べていると、ノックもなく私室の扉がバンっ!と開いた。
「おおっ! ほんとにいた! トリシア、一緒に食おーぜ!」
片手に盆、もう片手には紐付きの縦に大きいズタ袋を持ったクリフが入ってきた。
「ノック! あと足で開けるなって! ごめんね、トリシア。入るよ」
ノエルは片手に盆と左手に大きな籠と水差し、さらにはマグカップ二つを指にひっかけて入ってきた。
「いや、見ろよ、荷物多過ぎて無理だろ。な? トリシアもわかるよな?」
そう言いながら昼食──パトリシアが下げさせた川魚をメインにしつつもアレコレ積まれたスタミナ山盛りランチ──の盆をテーブルに置いた。
「そんなことを言ったら僕の方が多いから。お前のカップも持ってきてやったんだぞ。忘れていくな」
「はぁ?? この土産袋がどんだけ重いかわかってねぇだろ??」
「重さの話はしてない。手の空きの話」
ノエルもランチトレイをテーブルに置きながらクリフに応戦している。
パトリシアは慌てて立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待って? どうしたの?? えっと……何が……??」
フルーツジュースたっぷりのピッチャーをテーブルに置くとノエルがパトリシアにニコッと微笑みかける。
「今朝、トリシアが帰ってきたって聞いてさ。今日の討伐をサクッと終わらせてきたんだ」
「そしたらよ、トリシアがアレ食わないコレ食わないってワガママばっか言ってるって言うから見に来たんだよ、な?」
「僕はそんなイジワルなこと言わないよ、トリシア。気分じゃなかったんだよね?」
ノエルの生温かいフォローも黒歴史を刺激していたたまれない気持ちになるパトリシア。長めに溜息を吐き出してこの話題から離れることを最優先にする。
頑張った結果、コメカミを少しばかりヒクヒクと揺らしつつ笑顔を見せた。
「お昼を一緒に、ということでいいのね?」
そうすると双子は先程までの喧嘩寸前の空気もどこへやら、後ろを向いてコソコソと話し出す。
「ほら、やべーって、やっぱかなり機嫌悪いぞ」
「……思ったより、昔のトリシアだな」
パトリシアはバンっとテーブルに手を置く。台パンというやつだ。
「で、二人は討伐に戻る? 部屋を出てく? さっさと選んでくれる??」
「いやもう、トリシア、それ出てけって言ってるようなもん……」
「ごめん、ごめん」
冷や汗垂らしつつクリフとノエルはテーブルについた。勉強会の時と同じ配置で慣れたものだ。
腕を組んで鼻息を吐いて、だが、パトリシアは柔らかく微笑んだ。
「それで? トリシア、王都での用事は終わったの?」
「そうね……終わったというか、やれることがなくなったというか」
「てか、何しに行ってたんだ?」
それぞれおとなしく食事をとりつつ始まる会話。
「それが……よくわからないわ」
「よくわからない?」
「きっと──うーん……大人……が、教えてくれていないんだと思うの」
「……あ〜、そういう? あるある。言ってもわからないと思ってたり、危険だからって話してくれないこと」
「ノエルも経験あるの?」
「え? そんなのしょっちゅうだよ?」
「チャドも騎士団の連中もすぐやるぞ。この先は危険です、迂回しますっつって。何が危険なんだよ? 聞いても答えてくれねぇからノエルとあとで調べるんだよな? その時期、そのルートで危険なことは何かとか。そしたらちょっと強めの魔獣の獣道なんかがあったんじゃないか?ってわかったりすんだよ」
クリフに頷くノエル。
「話せば僕らがそいつらも狩りたいって言い出すと思ってるんだね。僕らだって危険なら危険って言ってくれたら引き下がるのに黙っちゃうからね」
「トリシア、魚ぜんぶ下げさせたんだろ? 肉焼かせたんだ、ほら、俺の皿から取れよ」
「いいの?」
「おう」
「ありがとう。お腹すいていたの」
「籠のパンも焼きたてだよ、トリシア」
「ノエルもありがとう。いただくわ」
「それでどうしたの? 伯父上辺りになにか秘密にされた?」
「……ええ……たぶん」
「あ〜……な!! 伯父上は誰の目から見ても秘密だらけらしいからな!」
「……そうなの?」
「エッ!? トリシア本気で言ってる? まずあの強さは秘密以外ないでしょ? なんでぴゅんぴゅん飛び回るワイバーンをバスバス斬り落としていけるのかわけがわからないよ僕は。目の前で見たけど頭の中ハテナでいっぱいになったね」
「あ、それ俺がデッカい奴に捕まってた時だろ? 見たかったなぁ」
「おまえ……死にかけてたくせに何言ってんの。──それで、トリシアさ、記憶にある? 伯父上、いつ身体鍛えてるの? 最近なんて副宰相なんてやってて事務仕事ばかりのはずなのに」
「そうだ、俺もそれ気になってた! 一日何時間くらい鍛錬してんだ?? 俺らくらいの歳の時は??」
「えっと……その、知らないわ。私が王都に居た六歳くらいまででも、お父様が修練の為に何かというのは……見たことも聞いたことも」
「ほら! な!? あの強さを維持するなら有り得ないんだよ。あんなの一日中鍛錬してる奴でも追いつけっこないのに!」
「そういえばトリシア、昨日は伯父上のあの飛行術で領に戻ったんでしょ? どうだった??」
「えっと……どう? ……暗くて何も見えなかったわ」
「景色じゃなくて……」
ノエルが苦笑いをしている。
「え……んーと、とっても早かったわね」
「トリシア……」
結局ノエルはふふふと微笑ってしまった。一方、クリフがガタンと椅子を鳴らして立つ。
「だー! どんな詠唱してたんだ?? アレって伯父上のオリジナルだろ?? トリシアは魔力が無いから流れとか精霊はわかんないだろうけどさ、詠唱! 詠唱は魔術攻略の一番のヒントなんだぜ!」
「あ、そっか! そうね! ええ、お父様は何も詠唱していなかったわ」
「ぐっっ! 無詠唱かよ……」
クリフは両手をテーブルに置いて目を閉じてしまった。
「──と、いうことだよ、トリシア。チャドも言ってなかったっけ? 伯父上は秘密が多いし、話してくれないことなんてザラなんだよね」
「……そうね……」
ふっと顔を上げて椅子に座り直すクリフ。
「なんだ? トリシアがイライラしてんのは伯父上が原因か?」
「そういう……つもりはないけど」
「ふーーん」
横目でパトリシアを見ながらクリフは揚げ芋をぱくり。
「ねぇトリシア」
ノエルがフォークを置いてパトリシアに声をかける。
「僕ら午後は時間があるよ。何かしたいことある?」
「……したいこと」
「そう。たぶん、伯父上のことは考えても仕方ないからさ、気晴らしでもした方が楽じゃないかな?」
「……そうね。そういう考え方…………」
「調べ物とかでもいいぜ。俺、今日は存分に暴れてきたから。そこの土産袋にもあれこれ積めてきたんだ、後で見せてやるな」
「……何かが残ってるっていうことは魔獣討伐ではなかったの?」
魔獣は倒されると消えてしまう性質がある。
「魔獣が暴れた副産物だよ。でもまぁ、貴族令嬢へのお土産とは言えないけど」
ノエルはまた微笑っている。
クリフも「トリシアだからいいんだよ」と笑みを浮かべてロールパンを一口。
モヤモヤと沈んでいた気持ちが、ふわりと浮上してくるのをパトリシアは感じた。
「じゃあ、知りたいの──『魔王』のこと」
──きっと、お父様は『魔王』についても嘘をついている。




