王子様の日々② 『物語』の内側で
時系列は『王子様の日々①』の続きになります。
アルバーン領アル・アイ・ラソン城でパトリシアが二度も襲撃されたと聞いてエドワード王子は急遽王都へ戻った。
報告を受けた翌日になる。馬車に揺られ、早朝に出て夜間に着く距離を腕を組んで耐えた。
パトリシアの父親でありこの国の英雄ジェラルドは攻撃魔術の応用技を用いてわずか数時間でアルバーン領領城と王都を移動するという。
エドワード王子はいまだ馬車を使わねばならない。魔力量は莫大、一周目の知識と経験で魔術の力量も高い、だが子供レベルなのだ。周回前と同じだけの魔術を使おうとすると全身が痛み、未成熟の身体は術に耐えられなかった──。
小さな身体で剣も魔術も十分に使いこなせず、己がただただ護衛対象であるという事実がもどかしい。焦るとなおさら脳が焼ききれてしまいそうな気分だった。
報告によると一度目のパトリシア襲撃事件はまさに、今エドワードが移動している道程で発生した。
──王国騎士団の護衛三十騎に、気をまわしたアルバーン領領城の執事長とチャド総団長の計らいから副団長率いる百騎というそれなりの大所帯での王都帰還になった。
チャドは言った。
『アルバーン領と王都を繋ぐ街道はこの短期間に何重にも討伐隊が出たので安全ですが、念の為、我らがアルバーン騎士団もお連れください』
つまりチャドも知っているのだ。
王都へ出発してそうそう、パトリシアの乗る馬車がこの街道で襲撃されたことを……。
一周目のエドワードは新聞を社交界デビューの十四歳まで読んでいなかった。ほとんどのことは複数いた教師がつきっきりで話して教えてくれていたからだ。
だが、二周目のエドワードはそれらがもどかしく、八歳にして自ら毎日主要紙に目を通していた。
新聞の報道によると王国騎士団側は『街道の襲撃は盗賊団によるもので、すでに全員捕らえ、拠点もつぶした』というものだった。
が、チャドの警戒ぶりを思えば、ただの盗賊団ではなかったという話にとどまらず、もしかすると犯人全てを捕らえきれていないのかもしれないとわかる。権力者や大人は隠し事が大好きだ、一周目に王にまでなったエドワードはよく知っている。
無事、何事もなく王都に着いた時の時刻は夜の九時を回っていた。
二度目の暗殺未遂はこの時点から一昨日前の午前。
場所は王城内、城の奥と表の間──拝謁待機部屋。
警備が緩い場所では決してない。
とはいえ、呼び出し用のベルはあっても待機部屋は来訪者のみになる。その時、パトリシアは室内に一人残されていたとか……。
王城でありながら少し離れた場所で爆音があり、念の為にと令嬢を馬車からそこまで案内した騎士らが安否確認のため室内に入り状況を確認した。
倒れたテーブル、ずれたソファ、部屋の中央には血を流して倒れる男。
屋根裏──『影』に対する『影』たる第七七七騎士団の徽章を付けた騎士だと察して身体をおこしてやる。
負傷騎士は血濡れた手で護衛騎士の胸近くの衣服をガシッと捕み、食い気味に報告したという。
複数の敵にパトリシア令嬢が狙われ、守ろうとしたが自分は斬られてしまったとのこと。倒れて動けず周囲が見えない間に侵入者は離脱し、パトリシア令嬢の気配は唐突にかき消えていたという。
侵入した『影』は二派。
男を斬ったのは黒装束で強者であるというほかには目立った特徴のない侵入者──故にどこの手の者かは不明。もう一派は豊かな赤髪と両刃の三日月刀使いだったことから数年未確認だったドュルクの赤鬼だろうと告げた。言うべきを言い終えた負傷騎士は意識を失い、治療を受けた。
すぐに方々へ報告が飛び、パトリシア令嬢の捜索が始まる。
その時、謁見の白の間では国王、王妃、先行して来ていた宰相と副宰相、そこに公爵夫人が集まった頃だった。
拝謁していたのはパトリシアにとって祖父と父母。保護者三人が近くに揃っていながら、パトリシアは行方不明になる。
結局、表向きはなぞの爆音の調査としてパトリシア大捜索が始まる。
だが、夜になり、拝謁待機室に残って床に膝をついて青い顔で祈る公爵夫人の前で、正面のソファにポンと──。
夫人の証言が正しければ、パトリシアはまさに突然、いきなりソファに寝そべっていたのだという。
爆音に関しては位置が随分異なるというのに大厨房の魔道具の不具合ということで片付けられる。
同時に王室居住区域への王国第一騎士団である近衛騎士の配置が大幅に増えた。もちろん騎士団内の『影』も増員が急ピッチで進んだ。
疲れ果てた公爵夫人、目覚めないパトリシアは別室ながら王室居住区域内の客間に数日泊まることになった。
エドワード王子が王城へ戻った日もパトリシアは王室居住区域内の客間で眠っていた。
馬車置き場からこれらの報告を聞きながらパトリシアの元へ急いだエドワード。
大きな両開きの扉の前の近衛二人の静止を無視してパトリシアのいる客間の奥にある寝室に入った。
ベッドサイドの照明以外は落とされている。
肌にヒンヤリとした違和感を感じつつベッド横へ足を進めた。
違和感は十中八九、強めの守護結界による認証だろう。エドワード──というよりも、王族は弾かれないものだ。
ベッドサイドまで足を進めてパトリシアを見下ろすエドワード。
パトリシアの白い頬をほのかな照明が照らしている。
「…………」
記憶に鮮明なのはやはり、ギロチンを落としてしまう直前のパトリシアの完成された美しい面差し。同じ歳だから、あの時のパトリシアは十七歳だ。
九年後の未来。
いや、大きく運命が動くのはきっと英雄ジェラルドが死ぬ時だろう。そうして、ならば予兆もきっとあるはず。
予兆よりも先に手を差しのべたい。
そうでなければ、エドワードを待っている未来も悲惨な死で変わりがない。
──そもそも予兆なんてあったか? だいたい、そうだ、だいたい学園入学が良くない。
それはわずか六年後。十四歳になる年、十三歳のうちにある出来事だ。
そっとベッドの縁に腰をおろして手を伸ばした。
大人の腕の長さなら容易に届いたであろうパトリシアの頬に、精一杯近付けた。
手の甲側の指がパトリシアのすべすべの頬に触れるか触れないかの力加減で撫でる。
一周目を含めても、そうやってパトリシアの顔に触れるのは初めてのような気がする。
記憶は年々、思い出してまた仕舞う度に少しずつ少しずつ形が歪んでいるような、激情が薄まっているような不思議な拡縮を繰り返している。
──十三歳までにすべきことがある。
決意を込めつつ、エドワード王子は静かに呼吸を繰り返して眠るパトリシアの長いまつ毛を見つめた。
その瞼が持ち上がったなら、どんな宝石よりも美しいアイスブルーの瞳があることを知っている。
前回、その瞳は常にずっと、彼女が死ぬその時まで、エドワードへの慕情を湛えていた。
現状、エドワードの知らぬことで、パトリシアが胸に秘める過去世の『未来』を示す『物語』が告げる──十三歳の時に学園への入学式があり、肝心の『物語』はそこから始まるのだという事実。
その意味では、いま、エドワード王子が定めようとしているXデーは概ね正しい。
──より具体的には五年と六ヶ月以内。
「…………………………」
どう変える、何を変える?
その思考をわずかばかりの呼気を吐いて止めた。
──暗殺者だって? それも二度も。
前回のパトリシアはそんなものに狙われたり、何か被害があったということなど無かったはずだ。
そもそも六歳から領に引きこもる今回のパトリシアと、王都に居て何度も城に会いに来てくれたり、エドワード自身も彼女の邸にまで会いに行っていた前回のパトリシアとでは状況が全く異なる。
前回ではとっくにエドワードの婚約者として内定していたパトリシア。
いまのパトリシアは……──。
エドワードは三歳の頃に一周目の人生に気付いた……ものの、その意味を理解してはいなかった。
五歳の時にパトリシアと出会った時、はっきりと覚醒した。
その後、実を言うとエドワードの行動と記憶は部分的に不鮮明になる。
顕著なのはバンフィールド家の稚竜と呼ばれる双子に会いにアルバーン領領城を訪ねた時だ。
パトリシアに直接、面と向かって、思わず執着を口にした。
あとで慌てて誤魔化したが、実際に喋っていると止められない。
振り返る度に何かに──『物語』に乗っ取られ、またただの歯車に成り下がってしまったのかと暗い気持ちになるのだ。
実はその頃、父母である王や王妃にも同じようにパトリシアが気になっているという趣旨の事を何度も口にしてしまっている。
強く意識していないと思ってもいないことがポロリとこぼれ出てしまう。
エドワードはパトリシアと婚約するのが正解か不正解か答えを出せていない。
なのに『パトリシア嬢は可愛らしい』だの『一生一緒にいられたらいいのに』などと周囲に漏らしてしまっていた。
後で気付いて愕然とすることのなんと多かったことか。
これが子供に戻ったせいで自制が効かない証なのかと考え込んでしまって眠れなかった日もある。
──だが、それらは正しかったのかもしれない。
前回のパトリシアが襲撃らしい襲撃を受けなかった理由は推測できる。
──警備がそもそも……俺の婚約者の扱いだったから…………。
周囲は察していた。認識していた。
パトリシア・ラナ・バンフィールドをエドワード王子はとてもとても気に入っていていずれ婚約の運びになるだろう……と。
今回発生した盗賊団に偽装した暗殺未遂……。
護衛は次期王太子妃の乗る馬車ならば三倍はついていてしかるべきだった。
王城内で、第一位王位継承者エドワードの婚約者だったなら、一人で待機部屋に残されることなどきっとなかった。
──失策だったのか……!? 前回のパトリシアには俺の婚約者という理由で護衛は多かった……。成長していくとさらに常闇の傀儡師の長サムが決して離れず護り抜いていた。暴虐になるパトリシアすら守ろうとする為、絞首台に上げるのにも苦労したものだ。だが、後に赤鬼さえ退けるサムも今はまだほんの十二か十三歳あたり。一方で今の赤鬼は二十歳前……勝てる時期ではないだろう……。
客間の方で足音がして寝室の扉に数人近付いてきている。
エドワードはベッドから立ち上がると扉に近寄った。
ガチャリと開いた扉から父王と副宰相ジェラルドが現れた。
「やはりこちらに来ていたな、エディ」
「申し訳ありません、父上」
「帰城したなら……ああ、いや、もういい。パトリシアはまだ目覚めていないのか」
「……」
エドワードと同じ銀髪を後ろで一つに束ねる父王リチャードは貴族服姿で現れた。一方でジェラルドは騎士服だし、本来ならば王族居住区域での王族以外の帯剣は許されないのだがしっかりと二本の長剣をさげている。
挨拶などこの期に及んで必要だろうかとエドワードは考えてしまう。
ここにいる三人の男の中でエドワードだけが真実、滅びを体験している。
失われることの意味を現実味をもって知っているのだ。
一歩退いた前を父とジェラルドが歩いてパトリシアへ近づく。その後ろ姿にエドワードは言葉を投げかける。
「父上、ジェラルド殿。やはりパトリシア嬢を私の婚約者とする話は進んでいませんか?」
薄暗い室内でリチャード王とジェラルドがエドワードを振り返って見てくる。
「パトリシア嬢が嫌がるならいずれ婚約を解消してもいい」
「…………殿下はそれほどトリシアをお望みですか?」
ジェラルドの問いかけに、エドワードは小さく首を左右にふって見せる。
「王都へ戻る間、戻って最も警護の厚い王城でこのような目にあうなんて……魔力もなく自衛も難しいでしょう。ですが私の婚約者ならば、父上、我々王族同等の扱いをしてやれますよね?」
「…………」
「…………」
「ジェラルド殿、書面にしても構わない。パトリシア嬢が嫌がる限り婚約の解消は約束する」
「…………」
「だがいいのか? あれほど……」
言いかけてリチャード王は口を噤んでジェラルドを見た。
ジェラルドはエドワードとじっと視線を交えている。
エドワードは思い返す。
確かに五歳で出会ってすぐ、婚約するか否か悩んだのにうっかり洩らしたのは『あのように可愛いらしい姫と一生一緒にいたい』という無邪気な言葉だった。
少し年がかさんで『パトリシア嬢との婚約は出来そうですか? あのように美しい令嬢、他の令息に取られやしないか心配です、父上』とにこやかにおねだりをしたこともある。
鮮明に思い出せる。
二年前にアルバーン領に稚竜ノエルとクリフを訪ねた折り、つい無意識で口からこぼれ落ちた言葉。
『ジェラルド殿は君が愛しくはないのかな。私なら、側に置いて離したくはない──』
側に置いて離したくなかったのは前回のエドワード。
今のエドワードは彼女を見守りたい。望みを知りたい。
たまにぽろりと勝手にこぼれ出てしまう前回と同じ言動の数々。それらは今回においては本音とは言えない。
前回、彼女が王子の婚約者になり、にもかかわらず魔力が無いとそしられ、孤独に堕ちていった。闇に飲まれることを知っている今、どうして直接彼女の首にギロチンの刃を落としたエドワードの本音が前回のままでいられようか。
──だが、いま、はっきりとわかる。
「父上、ジェラルド殿。四ヶ月近くアルバーン領で同じ時を過ごし、私はパトリシア嬢をとても好ましく思っております」
──ほらみろ。抑止しなければ、意識しなければスラスラと出てくる。経緯は異なるが、前回と同じだ。俺という道化はパトリシアを求め、捨てる役どころだ……この流れはどうやら『正しい』ようだから、こんなにもスラスラと。
口は心と裏腹の言葉を流れるように再生するのだから、エドワードの強く握りこんだ拳の内側は容赦なく爪が食い込む。
リチャード王は王妃に、ジェラルドは公爵夫人に事後報告のような相談のために部屋を出て行った。こうしてパトリシアが眠る間にエドワードとの婚約は内定する。
再び寝室ではエドワードとパトリシアのみになる。
実際のところ、部屋の入り口には侍女に近衛騎士複数名、天井裏には王室諜報部幻蝶の数名が警戒を強めている。
エドワードは眠るパトリシアを静かに見下ろす。
話し声にそっと寝返りでもうったのだろう。頬に残った髪を横へ流してやる。
──トリシアは嫌がっていた……今回のトリシアはあからさまに俺を避けているんだ……。
「……ごめん……」
今回はちょっとスマートな感じに直したい…




