常闇の傀儡師② 三つの勢力──常闇の傀儡師/幽密族/ベュルガの赤鬼
室内が闇に呑まれるに従い意識が消えていく中、パトリシアは声を聞いた気がした。
──レディ、おいで……と。
~ ◇ ~ ◇ ~ ◇ ~
アルバーン公爵令嬢パトリシアの命を奪うこと、具体的には首と胴体を切り離す事が最重要任務だ。
黒長剣を構えた手に力を込める。
だが、経験豊富な黒装束の男は逡巡は命取りだと知っている。
男は踏ん張ると力の流れを無理矢理変えて体の方向を切り替えた。今までで一番の速度で侵入してきた天井へと飛びつく。故に、この染みこもうとする闇から逃れ得たのは二人──。
一瞬で暗いだけの天井裏で向き合うことになった黒装束の男と赤髪の大柄な女。
両者のギラリとした好戦的な視線が一瞬だけ絡み合い、すぐに離れた。
かの『闇』の前ではいかな歴戦の猛者であっても無力。それを互いに知っている。両者は衝突することもなく、その場を離れいく。
視界は完全に真っ暗闇に覆われているが感覚だけを頼りに天井裏へ舞い戻った黒装束の男。いま、あの赤髪に構ってはいられないし、あちらも同じはずだ。
迷っている暇はない。真実、正真正銘、この『本物の闇』はすべての感覚を飲み込むことを黒装束の男は知っている。
黒装束の男は天井裏をしばらく音もなく駆け、背後から迫るかの『闇』を振りきってしまう。瞬間的に発動したあの『闇』も、宿主を守護する為のものと考えれば範囲も広くはなかった。
周囲がただの暗闇にすぎないとわかると足を止め、白の広間待機部屋の方向を見やった。
『恐ろしい…………』
あとはひっそりと潜むのみ。黒装束の男が警戒は不要と思考するや、手にあった黒長剣は空気に溶けるように消えた。
『──主』
男の足元に二人、跪く。
屋根裏で遭遇した少女を追い払っていた部下二人だ。
一瞥して問う。
『殺ったか?』
『逃げられました。傀儡術を使われまして……アレは本家筋でしょう──厄介です』
『ふむ……主柱は死んだはずだが、跡取りめがしぶとく命を繋いだか。あるいは、傀儡術が残っているのなら主柱も生きながらえているやもしれん。最も痛みに鈍い奴らだ、堅忍さでは誰もかなわぬ』
『左様に存じまする。しかし、あっさりと鞍替えしておりますね』
『……わからなくもない。我らとて"誓約"さえ無ければ……我はしばらく様子を見る。お前たちのうち一人は戻り伝達、一人はベュルガの鬼の情報を集めろ』
『ベュルガの? 赤鬼はあの大戦で先の主じきじきに討たれたのでは?』
『先代も相討ちだったがな。赤鬼の称号はおそらく孫が継いでいる。女だったが宝杖を持っていた』
『──なんと、こちらに出ましたか……』
『目的まではわからん。かの娘を赤鬼が狙うなど、ますます解せん』
『……主は赤鬼ならばあり得ぬと?』
『……本来、修羅じみた武の才に反して真逆の気質を持つのが赤鬼だ……またぞろ“聖戦”へ名乗りを上げるとは思えぬ……』
『始まりますか……“聖戦”──』
『影たる我らの働きで済めば始まりはせぬ』
『赤鬼にしろ常闇の傀儡師にしろ……アレらは我が一族より真なる闇をよく知っている……』
コツン……と片隅で音がした。
気配に敏い三人が気付かなかったことに驚きつつ振り返れば、そう広くない天井裏の角で何かが蠢いていた。
それは小さく、大人の手ほどの熊のヌイグルミのようだった。
三人の鋭く見つめる前でそれはモゾモゾと立ち上がる。
が、頭が重すぎて倒れる。またコツン……。
ボタンで出来た目が床石にぶつかって音をたてたらしい。
黒装束の男──一族の主と黒鉄球の男は低く構える。部下の残り一人が黒長剣をするりと持ち直し、ヌイグルミに近づいた。
この場に動くヌイグルミ。あまりに怪しい物体。
するとヌイグルミは慌てたように両手をバタバタさせ、走って逃げようとする。が、小さなヌイグルミが逃走するにはあまりに不利ですぐに捕まり持ち上げられた。
ジタバタと暴れるヌイグルミ。
『……これは一体なん──』
その瞬間、熊のヌイグルミは眩い光と轟音をたてつつ小規模に爆発した。
主と呼ばれた男は目を見開いたが即座に黒鉄球の男に告げる。
『あれの亡骸を持ち帰れ……! 急げ!』
『はっ……』
やや力を失った黒鉄球の男は爆発地点に駆ける。
ゆらりと傾いでゆく……ヌイグルミを掴んだはずの左手から内臓の半分までをごっそりと失った同僚──肉塊を抱え、天井裏を走り去る。
『──ガキといえど傀儡師か……!』
主もまた潜む場所を変えるべく闇に紛れるように立ち去った。
そのほんの数秒後、通称七三部隊と呼ばれる隠密諜報を主任務とする特設第七七七騎士団が数名、その天井裏に駆けつけた。また、王室直属諜報部幻蝶の者も密やかに現場に到着する。
ほどなく、白の広間待機部屋の異変とアルバーン公爵令嬢が行方不明になったことが周知となった。
爆音が響けば王城奥はにわかに騒然とした。
そのスキにひっそりとお堀を泳いで王城敷地から抜け出る少女サマンサ。
騒動があの妖精のように可愛らしいご令嬢を守ってくれたことを祈るほかない。
隠密世界側からすれば、令嬢を守ってくれるであろう存在は騎士団の特設諜報部か王室諜報部幻蝶の二派くらいしか期待できない。
とはいえ、あの場の侵入者は自分を含め三者いた。
令嬢を狙っていることが判明しておりサマンサが阻止すべく追っていた対象の黒装束の連中、自分の属する常闇の傀儡師……さらにもう一人いた事には気付いたが何者かまでは把握出来なかった。
──この国の隠密諜報レベルってちょっと低いんだよなぁぁぁああああ……はぁ、心配。
人目の少ない日陰を選んで凹凸のほとんどない堀を器用に登り切る。
そのままサマンサは人のいない裏路地で得意の風魔術を全身に巡らせ衣服も髪も体もあっという間に乾かしてしまう。温風ではないため、体温は戻らない。
そそくさと駆け出すサマンサ。足が早い分、冷たい風が全身を打つ。
「ぁぁあああ……寒っ! 寒い!」
走りながら両腕で身体を抱き込んで擦る。仮面の下で声を震わせた。
「……──初見でバレてたぁ……あたしが誰か……さすがさすが。だから傀儡術も惜しまず使えたんだけど。そっちもさぁ、よくある黒装束で隠したって戦い方であたしにバレバレなんだけど~! 同じ主家に代々名を連ねて仕えた仲は伊達じゃないですね、にこっ」
寒さを誤魔化そうと聞き手もなく、笑顔など浮かべもせずに独りごちる。
「んにぃ……幽密族…………あれって主じきじき来てた気がする。息子じゃねーのかよ。来んなよボスが、部下まで引き連れて……! ぬぅぅ〜ん……ワンチャンあったのに。もう最悪……」
足は緩めずにブツブツとつぶやく。
街の住民の声が聞こえ始めるとサマンサはとんとんと建物の突起に手や足をひっかけながら屋上へ出る。屋根の端に立って距離をとった王城を見上げた。
背景に薄い白雲をひいて、青空の下にそびえる巨大な王城。
歴史を思わせる重厚な佇まいは堅牢さを叩きつけてくるようだ。実際、奥までは半分しか侵入出来なかった。
──いやいや、城の警備だけなら王室居住区域まで抜けられたぞ、アレはー。
「単に運が悪かった……のかぁ……?」
左手は腰に、右手で手庇を作った。
その背後、屋根の反対の端に誰かが立ったことを察して振り返る少女。仮面は付けたままだ。
仮面を外すのは真っ黒の任務服を脱ぐ時だけだと徹底的に教えこまれている。
「あ、第三勢力」
四階の屋根なので風も強く、サマンサの束ねた黒髪が空へ巻き込まれるように揺れる。
対面した誰かももちろん、その赤髪が大いに揺れていた。
「──常闇の傀儡師も……」
「うちも?」
「誰を敵とした」
「誰を」
サマンサは意味がわからずオウム返し。
「返答次第では生きて帰せん」
顔を隠した赤髪の女は腰からスルリと三日月刀を引き抜く。
サマンサも即時両手に黒短剣を魔術によって生み出している。
「ベュルガの赤鬼はせっかちだぁ……、ちっとは話あわない?」
声色を変えることもなく、しかし『正直に言えば勝てる気がしない』という内心を隠しつつサマンサは『赤髪』の三日月刀使いが同業者だと察しがついた。
不明だった第三勢力が、かつて近隣諸国で単独行動ながら無敵を誇った強者──ベュルガの赤鬼と悟ってしまった。
対してゆるりと構える赤鬼。
「子供が持たされている時間稼ぎの情報になど興味はない」
「あっそ」
その言葉が終わる前に、手の平ほどの小さな塊が屋根から飛び上がって赤鬼の腰に張り付いた。
赤鬼もほぼノータイムで反応して塊を払い飛ばす。
音もなく殺気がない、生気のないものへの反応はいかに強者とはいえほんの僅か遅れた。
塊はポンポンとボールのように跳ね……何かに操られるようにサマンサの手の中へ。
「おわっ、これあたしでも知ってるっ、宝杖キルティアム! 宝剣ルクラゾンやら神槍グレンディアードに匹敵する神聖力盛り盛りの神聖遺物! この世に一点限りのっ!」
塊は小さな熊の形のヌイグルミ、全身で短杖を抱えていた。それはたった今まで赤鬼が腰に差していたものだ。
目を見開いて緑の瞳に強い感情を乗せる赤鬼。
サマンサはペラペラと話した後、瞬きほどの間で眼前まで詰めてきた赤髪を見る。
──はっや! やれるかな!? やるしかないよね!? うわぁああああ、オヤジぃっ、あたし、やれるよね!?
先に傀儡師サマンサをキリの良い次回までやります。
サマンサまわりはパトリシアの知る『物語』にはなく、パトリシアもまだ気付いていない世界観なのですが、いずれズブズブに関わるのでちょっとだけお待ちくださいませ。




