王子様の日々① 溜め息
──過去世の物語では闇属性の持ち主は世界で唯一パトリシアだけだと書かれていたのに、現実現世で話を聞くと数少ないながら闇属性の持ち主はポツポツいるらしいと知った。
冬の大掃討終盤、パトリシアが作り出した闇の繭の調査にも退役済みの闇の術士が調べに来ていたらしい。
パトリシアが馬車に揺られながら物語と現実の違いに首をひねり、闇の術士には会ってみたい、王都にいるのかしら──などと物思いにふけっていた頃……。
~ ◇ ~ ◇ ~ ◇ ~
アルバーン領最大領都にあるアル・アイ・ラソン城の人払いを済ませた客室で、パトリシアの知り得る『物語』と同姓同名登場人物でありながら全く違う思考を持っているエドワード王子は、手にした手紙をパンッと弾いた。
「──くだらない。やはり八歳ではとことん舐められているな。馬鹿馬鹿しい」
エドワード王子には前世の記憶はない。ただ、エドワードとしての生を再度辿っている。そう、彼は二周目の人生を生きているのだ。
エドワード・アエリオ・エストリークとして二十三歳で人生の幕を下ろし、再び二周目のエドワード・アエリオ・エストリークの人生を現状八歳まで送っている真っ最中。
奇異なことに、二十三歳までの記憶が残っている。その事に気付いた五歳の頃から三年あまり経つ。
実際は三歳頃に違和感を覚え始めたのだが、そもそも三歳児の頭脳では受容しきれなかった。五歳でパトリシアと面会した折り、天啓のように気付けたと言える。
──あの美しさは神だって惑わせる……仕方がない……。
五歳児のパトリシアだったが、あえて美しいと評して差し障りない。
白い肌にピンクの柔らかな頬、金色のまつ毛に縁取られた透き通るような蒼色の瞳は宝石よりも輝かしいものだった。少し潤んで光を照り返す様はどんな奇跡や魔法でも再現できないだろう。
一周目、幼いながらひと目で恋に落ちた己の審美眼は一つも間違っていなかった。何なら、今回もコロリと落ちた自覚がある。
前回の記憶があるいま、無理強いをする気持ちはさすがに無い……無いが、パトリシアは美しい。
手紙を畳んでしまいながらエドワードはうんうんと一人頷く。
一周目でパトリシアをギロチンにかけた時も、酷く複雑な気持ちだったのだ。出来得る事ならば生かしてやりたかった。いや、やはり処刑するしかなかった……いやいや、いや……。
結局のところ、本性である面食いなところは『物語』の時の一周目のエドワードと何も変わっていない。
当人も銀髪碧眼──瞳は緑寄りの美しい蒼──の麗しの王子様なのだが、いや、だからこそ、紛い物や雰囲気に惑わされず、真に美しいものに惹かれる。
──……と、俺も思っていたのにな。なんで前回、『偽物』を掴んだのやら……。
一周目を思えば、後悔と疑念しか沸かない。
手紙は婚約者選定が始まるエドワードへ探りを入れる高位貴族からのものが半数を占めていて、子供だましのように物で釣ってきていたのだ。
これらはもうパターン化しているのだが『アレコレがあるのでお会いしたい(娘も連れてゆきます)』、『是非にご覧いただきたい宝物が云々』などなど。
先日、エドワードがパトリシアの為に魔道具を父王に強請ったのだが、それが噂として広まったらしい。
こんな魔道具あんな魔道具献上したいのでお会いしたい、娘も一緒に……と文末は結ばれている。
「なんだってこんなくだらない文を俺のところまで回してくるんだ。こんなもの刎ねて構わないというのに……補佐官にはちゃんと…………いや、まだ居ないな?」
一周目では即位もして王としての執務さえこなしていたのだ。あの頃は大勢の側近に仕事を割り振っていたが、今はすべて真っ直ぐエドワードまで届いてしまう。
改めて、どうにかしなければならない問題だと考え直す。
実はエドワード、八歳にして既に書類仕事までこなしている。
冬の大掃討で大幅な戦力減となったアルバーン領へ派遣された王都からの騎士団を動かしているのは、名前だけ、形だけと思われているエドワード王子だ。しっかりと実務レベルで、エドワード王子は全権をもって隊を監督、采配にまで口出ししている。
新聞を見ても国民の反応という報告を聞いても、派遣されてきた王国騎士団の団長が実権を動かしていると思われているが……王子様、ちゃんと頑張っている。
エドワード自身、世間の勘違いを正すつもりはないと思っている。
自分でやると言ったものの、八歳のエドワードへ本当にこの仕事を割り振った父王の頭がおかしいだけで……。
が、煩わしい。エドワードが対応する必要のないものは終わらせておいてもらいたいと心底感じた。
手紙を封筒に戻し、立ち上がる。
これで今日の二十三通はすべて確認した。
間借りの客間なのでやりにくいが、インク壺を引き寄せ封筒を一つ一つ取り上げ返事を書いていく。
返事用の紙はわざわざ王城から持って来させた。王室の人間は皆これを使うという紙があるからだ。先代国王にして祖父のフィリップが決めたらしいどこぞの領地の肝いり製紙事業の賜物なのだとか。
今のエドワードにはどうでも良かった。
「──煩わしい……」
一通書き上げ、右から左へ、文箱へぽい。
二通目をとりあげユラユラと揺らして内容を決めたらサクサクと書きすすめていく。
「……」
半分近くを書き終えた後、ペン立てにペンを戻し、年齢に不釣り合いな重たい溜め息を吐き出した。
──なんでこんなことをしているんだ、俺は。
パトリシアは今朝、領主シリルとその夫人とともに王都へ立った。
そもそも、新年を迎え、王都からの増援部隊にわざわざ同行したのは少しでもパトリシアの近くに居て状況を正確に掴みたかったからだ。
何せいま、パトリシアはエドワードの知る一周目のパトリシアとは異なる行動ばかりをとっているのだから。
さすがに避けられ過ぎていてエドワードも参っている。
いかに中身が二十三歳+約三年(自覚時五歳から現在八歳までの時間)の通算二十七年の人生経験値があっても少々、へこむ。
──いや、すこし、いや、かなり……。
一周目で誤りを犯してしまったことは間違いないが、それと同じくらい紛うことなくパトリシアは初恋の君だ。
避けられた挙句、冒険者の男に会いに行かれては、それも何度も何度も……しかも祭りとか…………。
立ち直るのにもうちょっとエネルギーが欲しい。例えば何か、甘い思い出とか…………。
テーブルに両肘をついて組んだ手に顎を乗せ、エドワードは死んだ目になる。
「…………無いな……」
無い。二周目のパトリシアは五歳の時の初対面の笑顔を除いてすべてよそよそしい。
手紙はひどく素っ気なく、贈り物はすべて遠慮がち……いや、認めるしかない……むしろ、迷惑そうに受け取られている。
王国騎士団の派遣期間は六月末までで、五月入ってすぐの半分は公務で王都に戻らなければならない。
──あとどれだけパトリシアと接触を計れるのやら……。
この半年あまりで判明したことが『めちゃくちゃ距離を置かれている』とか『むしろ嫌われている説まである』だけで終わってしまうわけにはいかない。
──なにをしているんだ、俺は……こんなだから一周目……。
あまりに上手くいかない二周目の日々にエドワード王子は頭を抱えた。
その僅か数日後、王都でパトリシアが二度も暗殺者に狙われたという話を掴む。
侍女数名が室内に残っていたにも関わらず、エドワードはテーブルを拳で打った。茶器が軽い音をたてて揺れる。
──なにをしているんだ、俺は……!?
エドワード王子は温かい気候である五月を待つことなく王都へ向かった。




