めくるめく季節⑤ 春祭りの頃…/王都へ
三月になって、パトリシアはごく普通の庶民の娘のようなワンピースとコート、スカーフの代わりにスヌードを首に巻いて広場のベンチに腰をおろしていた。
休日ではない上、双子が騎士団と魔獣討伐に出ていること、村の受け入れ体制が整っていないためパトリシアは山や領内近隣各地の集落ヘ視察に行けないことから暇を持て余してもいた。
──そんな平日、昼食を終えてすぐ城を抜け出してきた。
大通りは人も多いが、広場の公園となると歩く人はまばら。
カーティスとは春祭りに会う約束をしたが、都合があわなくなり何もない平日に変更していた。
変更してしまっては目当てのお祭りを楽しめない。意味がないと思いつつも冒険者になる道を探したいパトリシアはお忍びに出てきている。
場所を決めてまで待ち合わせていないが、カーティスならばどこにいても来てくれる──と、勝手に思い込んでいた。
事実、ベンチで数分と待たないうちにカーティスが駆けてけてきた。
「よっす! 先月ぶり」
カーティスは相変わらずの褐色肌の顔に健康そのものな笑顔を浮かべている。会うほど笑顔が自然になっていることを考えると、お姫様な自分との時間にも慣れてくれているのかもしれないとパトリシアは嬉しくなる。
「こんにちは、カーティス」
「今日はヘンテコな仮装じゃないんだな?」
「当たり前でしょう? 前は仮装大会もあったしお祭りだったし。今日は本当に正真正銘、普通の日なんだから」
「わりぃな、都合あわせてもらってよ」
「ううん。いいの。私も丁度、予定が開いていたから」
「そうか?」
この日のパトリシアは領都の平日、庶民の日頃の営みを見ることになった。
大通りから何本か東西に伸びる通りには飲食店街や各種商店が軒を連ねている。
お祭りではみんな賑やかに笑顔が多かったが、平日のど真ん中では書類束を抱えて走り回る人や大八車を引いて荷運びをする人、先日パトリシアが仮装した煙突掃除の少年スタイル──その本職の十代の男の子達がススまみれの顔で路地と路地の間を歩いていたりする。
そこにあるのは紛れもなく日常。
貴族令嬢としての暮らしからは程遠いが、人々のせっせと働く姿は前世と重なる。
パトリシアの前世も趣味に現実逃避しながら毎日毎日飽きもせずに電車通勤を繰り返して何にせっつかれていたのか、考えることをあえて避けて日々の糧の為に働いていた。
やや曇天の、わずかな春の足音が聞こえそうな季節。
街のあちこちを見たあと、公園の噴水前でパトリシアは空を仰いだ。
空は、前世もよく見たありきたりの曇り空。
「…………」
すとんと、カーティスが噴水の縁に立った。
ちらちらと周囲の様子を伺っているようだ。
「どうしたの?」
「いや……さすがアルバーン騎士団」
「なにが?」
「いいんだよ、シアは気にすんな」
頭をぽんぽんと撫でられた。
パトリシアが8歳で、お嬢様だからきっと何もわからないだろうと思ってカーティスは話しを省くのだ。ちょっとムッとしたが、パトリシアは表情に出すのはやめた。
カーティスは腰の革ポーチから大きめの清潔な手ぬぐいを引っ張り出すと噴水の縁に敷いた。
「どうぞ」
「あら。気が利くのね」
「俺は冒険者だけど別に戦闘狂とかじゃないんだぜ? 日々ちゃんと学んでイマス」
言い方がカタコトに寄っていて、パトリシアはフフフと笑った。
パトリシアがお忍びを重ねて、この世の人間が王侯貴族だけなんてわけもなく、むしろ庶民のほうがずっと数が多かったり、世界はどこまでも広く連なっていることを思い知っていくように、多種多様な人が暮らしている事を知っていっていくように、どっぷり冒険者のカーティスも令嬢のパトリシアと会うことで何かを得てくれているのかもしれない。
一方的ではないのがうれしい。
そのまま日暮れが迫るまでパトリシアはカーティスと話した。オープンカフェテラスでも良かったが、二人は十一歳と八歳の子供なのだ。あまりに似合わない。
「今回、春祭りに来れなくなったのも蟻のせいなんだ」
「──蟻?」
「シアが想像してるみたいな爪の先くらいのちっさいヤツじゃねぇよ? 魔獣の蟻だ」
「魔獣……?」
「そもそもシアはまだ知らないかもしんねぇけど、獣ってのはほんといろんな種類がいてな?」
「獣ね」
「ああ。特にほら、ワニとか鳥やら偶蹄類やら……餌の都合、季節の都合、あいつらの気分の問題で群れて大移動する種類がいるのはわかるか?」
「………鳥が、群れて飛ぶ練習をしているっていう話は侍女から聞いたことがあるわ。糞が落ちてくるからその季節は外出をひかえましょうって」
「はははっ、そりゃご令嬢はな! 避けるよな!」
「むぅ……地面も糞だらけになって使用人達の清掃も追いつかないんだもの。仕方がないでしょう??」
「庶民は傘さして出歩くぞ?」
パトリシアは片頬をぷくっと膨らませた。
「まぁ、それのな? 魔獣バージョンだ。魔獣はだいたい厄介なんだけどな? 魔獣が大移動かますと大体、村とか人の集落も踏み潰してくんだ。人的被害だけじゃないぞ? 家畜にデッカい畑もグチャグチャになる」
パトリシアがウンウンと頷くとカーティスは続けた。
「んで蟻だ。魔獣のはデケェよ。1匹の大きさが6頭立ての幌馬車くらいある」
「ぇ……」
パトリシアは思わず通りを行き交う馬車に目を向けた。
あの大きさで真っ黒で体は3つくらいに別れていて細長い足がニョキニョキ出て……ワサワサ動かして駆け抜ける。それも大群??
「き、気持ち悪い……」
口元に手を当てるパトリシアに、カーティスはフッと微笑んだ。
「んだから、冒険者が討伐やら進路誘導するんだ。大群は大規模ギルドか複数のギルド連合があたる。今回、蟻の行進が原因不明なんだが、早まってる。いつもは春祭りの後、四月から六月にかけて断続的にアルバーン領に入ってくるのが、三月の今、もう第一団が見えててな」
「…………カーティスもその蟻討伐? 行くの?」
「おう。当然!」
「そうなのね」
「んだからよ、六月の終わりくらいまでは領都には来れねぇ。蟻討伐はギルド一軍二軍メンバー総出だからよ。稼ぎ時ってヤツだな」
そう言ってニカッと笑うカーティス。
冒険者の暮らしを聞けるのは嬉しい。けれど落差に驚く。三ヶ月も巨大蟻と戦うのなら、その準備はどれほどのものだろう。
アルバーン領の冬の大掃討数日分だって圧倒されるほどたくさんの数の騎士従騎士に歩兵が軍隊となって動いた。
もはや、言葉でしか知らない『戦争』みたいなものになるのではないだろうか……。大陸指折りの大規模ギルドの主力が当たることも……パトリシアには想像しきれない。
貴族令嬢のパトリシアにとって、四月から六月と言えば社交シーズンだ。
四月に多くの貴族が各領地から王都へ移動する。五月六月は最盛期を迎え、七月になると再び各領地に帰っていく。
アルバーン領でも同じで、双子の両親もその時期には王都のタウンハウスへ行き、社交に勤しむと聞かされた。
抱えている事業が多くあるため、パトリシアの両親、双子の両親、祖父母すらも総動員で日々夜会に顔を出すのだという。
「シア」
「……なに?」
「蟻の大移動中、俺はここには来れん。騎士団も領内全土の守備を広い範囲で固くする時期だ。騎士が足らなくなる。城下町のお忍びは俺がいるときがいいし、ちょっと控えろ?」
いつの間にカーティスがいないとお忍びをしたらいけないことになっているのだろう……?
そんな疑問が沸いた。けれどパトリシアは8歳で、いかに騎士団の精鋭が護衛として張り付いていると言っても、距離が数歩以上ある。手を繋いでくれるカーティスはパトリシアにも護衛にあたる騎士団の面々にも貴重なのだ。
話せば話すほど胸の中を寂しい気持ちが押し寄せて埋めていく。
息抜きが出来ないことも、カーティスと会えないことも……。
結局、春祭りをパトリシアはひきこもって領城の自室から眺めおろした。
蟻に冒険者は駆り出され、その分、他の魔獣討伐を騎士団が補った。
もちろん双子の出撃頻度は日増しに増えていった。
城に取り残され、窓に手をあてて祭りを見る。
現実はまれに見る青天なのに、パトリシアの心はひどいグレーの世界だ。たまに雷なんかも落ちているんじゃないかという気分になった。
春祭りから数日とたたず、父母から短期間でいいから王都へ戻るよう指示があった。
双子の父シリルとともに王都タウンハウスへ向かうことが決まる。
魔獣討伐に忙しい双子は引き続きアルバーン領に残り、子どもで王都へ行くのはパトリシアのみだという。
五歳のときに逃げ出して以来の王都だ。
父母に会えるのは嬉しい。
そろそろ弟ジェイミーとも交流しておかなければ疎遠な身内、実の姉弟だというのに顔見知りレベルになりかねない。
パトリシアもそれはよくわかっている。
けれど、王都はあの物語の舞台で、パトリシア破滅を暗示するものがあちこちある。
「…………はぁぁぁぁぁ……」
出発の朝、年に似合わない重い溜め息を吐き出した。
パトリシアは双子とシャノン、さらにはエドワード王子に見送られて馬車に乗り込んだ。
「五月には僕も王都に行くから待っててね」
ニコやかなエドワード王子にトドメを刺された気分で泣きそうになるパトリシアだった。
──私、逃げ場なし……なの……?
家庭内感染吹き荒れておりました……皆様予防と、保健所パンクしておりますので「かかった時」想定の備蓄をぜひ…!(2022/02/03)




