めくるめく季節② はじめてのおしのび
カーティスの良すぎる耳は、この時期増加する路地裏の奥の奥から聞こえてくる数種類の嬌声をとらえている。星降り週間ばかりは昼夜関係なしだ。
「──姫さんには見せらんねぇだろが……」
こっそり小さく呟き、先導する。
崩れた石畳も混じる薄暗い路地裏から日差しの眩いきれいなレンガ敷きの大通りにでると、パトリシアは手庇で目を細める。
パトリシアにとって、普段は城から見下ろしていた世界。
はじめてまともに入り込み、頭身大で眺めている。心が一気にふわりとやわらかく膨らむ。
冬の大討伐以降は母に叱られたり、エドワードにつきまとわれたり、新年祭で引きこもっていたせいで気持ちが萎んでいたことを否応なく実感してしまう。
わくわくして口元が緩むのを頑張って引き締め、カーティスの背中を追う。
一番大きな広場は、城下町の南正門、東西門をつなぐ馬車道の大通りに面している。
大通りは途切れず商店が建ち並んで普段から賑やかだ。
たくさんの商業事務所がテナントとして入っている時計塔、町一番の五階建ての宿屋──カーティスが宿泊していたらしい──が広場の道路向かいに建っていて、パトリシアの踏み入れた区画は領都最大の繁華街だ。
大通りは星降り祭りということもあって、封鎖されて歩行者天国になっている。ぱっと見でも目の前の広場を500人をくだらない人がひしめきあっていそうだとパトリシアにもわかる。
馬車は通っていないが、いつもの10倍以上の人が行き交っている。領城や茶会などで貴族や多くの騎士達の前に立つ時とは異なるドキドキが湧き上がってきている。
カーティスの背中を追って歩きながら、パトリシアはふと自分の髪が視界に入るのを見た。
変装魔術で茶色に見えているはずなのに、カーティスは迷いなくパトリシアと認識していた。顔の半分はスカーフで隠れてもいるし、衣類も普段よりずっと質素で地味だ。
──どうしてカーティスにはすぐにバレたのかしら……。
普段なら馬車の走っている道路を、人混みを避けつつ広場へ出た。
広場の中心では音楽が奏でられ、人々は大きな輪を作って踊り、笑いあっている。
「まぁ……普段の市よりたくさんの屋台があるのね」
気になっていた変装バレより、城の部屋から普段見ていた数より何倍も並ぶ屋台にパトリシアの胸はさらに高鳴った。
「新年祭な上に領城で婚活やら結婚するってー領民が集まってるからな。治安は年間で一番悪化、騎士の兄ちゃんたちが一番休めない時期だぞ」
「そ、そうだったのね……」
一番だめな時にはじめてのお忍びをやらかしてしまったようで、さすがに反省した。
カーティスはちらちらと屋台を見ながら進む。商品内容を確認してはずんずん進んでいく。パトリシアには目的の場所があるのかもしれないと感じられた。
「なぁ、姫さんはいくつだったっけ?」
ずんずん歩きながら話しかけてきた。
「八歳──……ねぇ……」
ついっとカーティスの服の裾を引っ張った。
「ん?」
「──その呼び方はお忍びだからやめてくれる?」
「お?」
突然の上目遣いにカーティスは戸惑う。
パトリシアはかまわず続けた。
「シア、お忍びの私はシアって呼んで」
「お、おお……。シアか、シアな。うん、シア?」
カーティスが名前を呼んで、パトリシアは小さくアハと呼気を吐いて「──はい!」と元気よく返事をした。
──したのだが、あまりにいい笑顔だったためにカーティスは慌てて顔を背ける。耳まで真っ赤にして。
結局、髪色が変わったくらいでパトリシアの希代の美少女っぷりは隠せなかったというシンプルな理由だったのだが、知らぬは本人ばかり……。
「ぇあ~、なんだ、なんだった……おう、そうだ! そんじゃ、子ども受けのいい屋台エリア行こうぜ。ここらは大人向けの酒につまみ、そこそこな値段のアクセサリーや土産がメイン」
カーティスは手の甲で口元を隠しつつ、どうにか話を繋いだ。
「子ども受け? あるの?」
「あっちの大樹の方だ。大樹にゃヒモぶら下げてでかいブランコ作ってたり、的あて屋台やら子ども用がそれなりに並んでる」
「よかった。子ども用もありますのね」
「甘い焼き菓子も出てるぞ。俺は甘いのは果樹飴が好きだけど、でもやっぱ肉かな! 塩焼き肉!」
「カーティス、行きましょう、私、見てみたいわ」
「おう、はぐれんなよ」
少し話せばすぐに調子を取り戻し、三歳年上のカーティスはパトリシアの手を取るとお兄ちゃんよろしく人並みをすいすい抜けた。
広いスペースをとってある大樹の横では、領都にこんなにもいたのかと思われる子供たちが走り回っていた。即席木組みの滑り台など遊具がこしらえてある。
それこそ数百人単位の10歳以下の子ども達が走り回っている。
その遊び広場を囲むように甘そうな香りを漂わせる屋台がいくつも並んでいた。
「カーティス、私、大丈夫かしら?? 見かけない子だって思われたり……」
「はぁ? ねぇから安心しとけ。この時期は領内はもちろん外からも人が集まるからな。大半知らねぇ見ねぇやつだ。特に大掃討で城下町に避難してきてた連中、まだ村に帰ってねぇしよ。アルバーン領は金持ちだよなぁ、大掃討の被害拡大っつって村人だけじゃなく城下町の連中にまで補償金払ってんだよ。しかも1月中は滞在費まで。そりゃみんなこのお祭りをたっぷり楽しんでから帰るだろ。去年までよりずっと賑わってるぜ。この街からすりゃ見覚えねぇヤツだらけの新年祭、星降り祭りってとこだろうな」
「そうなのね……カーティスはそういうこと、誰に教えてもらうの?」
「俺? んーー、本拠点で誰かしらしゃべってるからな。声もでけぇし」
「本拠点……闇の虚蝕者の本拠点ってどこにあるの?」
「…………」
目ん玉を真ん中に寄せて困ったような、戸惑ったような顔をするカーティス。
「カーティス?」
「いや、聞く?」
結局、そう言ってカーティスは笑った。
「──まぁ、知ってるやつは知ってるけどな。ビレリッツ渓谷に沿って谷の中だ。岸壁削って作ってあんだ。活動拠点ならあちこちあるし、この城下町の郊外にもあるぜ」
「そんなに……!」
「所属冒険者は五百人はいるし、負傷して冒険者引退済みの拠点管理班やらひっくるめてその家族やら、自給自足で畑も牧畜もやるし……ギルドで買った鉱山もあるしな。全部で二千人とか三千人はいたと思うぜ。なんせこの国で三本指に入る大規模ギルドだからな」
「そんなギルドの跡継ぎなの?」
「──んえ?」
「ほら、カーティスはギルドマスターの息子なんでしょう?」
「あー……それ。ギルド長試験とかクリアしたら継げるだろうけど、それってあれだからな、ギルド内トーナメントで優勝、基本的には一番強いやつが継ぐから、俺が跡継ぎとは限らねぇよ」
「そ、そうだったんですのね。思ってたよりも過酷のような……」
手を口元にあてて驚くパトリシア。一方カーティスはにかっと笑う。
「おう! まず親父に勝てねぇ。副団長にもトップ十人にも届かねぇ。俺はまだまだだ。だからまぁ、楽しいんだけどな!」
「楽しい……」
「上がいるのは、なんだ、ワクワクするだろ!? あの意味不明な強さ、わかりたい。近付きたい。全く違う景色が見えてんだろうなぁ。ほら、姫さ……シアの父親、ジェラルド様も。うちの親父もジェラルド様は異次元の強さだって言ってるからな」
「……あ……うん」
そんな父親を、未来、殺してしまうかもしれないことが恐ろしい。
確かに再現夢では闇魔術で父の動きを奪ってから、刺していた。熟練の騎士だから、今と違って鍛錬もしていなかった物語の令嬢パトリシアではそうでもなければ……。
だが、そもそも相手が娘でなければ、父ジェラルドは拘束の魔術にかからなかったのではないか。娘のパトリシアだったから不意打ちでその胸に剣を突き立てられた……。
カーティスが覗き込んでくる。
「…………」
「…………なに?」
「んー、やっぱり不思議な気配だ」
「え?」
「姫……シア、前会った時と気配が少し変わってんな? 何かあったか? 気配とか、そうそう変わるもんじゃねぇけど」
「──そんなことを言われても、わからないわ」
パトリシアにはそもそも『気配』に分類があるというのが理解できない。
城で働く侍女たちの気配、通りすがりの人の気配、怒っている人泣いている人、訓練中の双子の鬼気迫る気配……そういった区別ならつくが、以前の自分と今の自分に違いがあるとは思えない。
「だよなぁ」
判然としない様子でカーティスは顔を遠ざけた。
その後、子ども向けの屋台を順番に巡り、パトリシアはお祭りを大いに満喫した。
年相応のパトリシアの笑顔が惜しみなく振る舞われ、大量のファンを生み出していた。が、パトリシアは気付かず、つかの間の庶民のお祭りを楽しんだ。
数日後、広い騎士団演習場にたくさんの新郎新婦カップルが集まって、集団結婚式が行われた。領主主催で費用はすべてバンフィールド家がもっている。経済的であり、それぞれ生活も異なり忙しい民が一斉に集まって祝え、様々な分野で好循環を生んでいる習慣だ。
領主一族も出席して祝いの言葉をかける。もちろんパトリシアも参列した。
料理の乗った白いテーブルや椅子がたくさん並び、参列者もまるで観客のように演習場のまわりに駆けつけている。普段は無骨な演習場も飾り付けをされて見違えている。
昨日までの街中での寄せ集めの音楽演奏と異なり、アルバーン騎士団音楽隊の壮麗な背景音楽が流れる中、厳かに結婚式は執り行われた。
1月の大きな行事である新年祭、星降り祭りが終わるとあっという間に2月が目前になる。
普段通りの生活に戻ったパトリシア。
昼過ぎに魔術について学んでいると、同席していたクリフが声をあげた。
「はっ!! 仮面舞踏会だ!」
「──かめんぶとうかい?」
夜の星降り祭り、流星はまた、パトリシアが大きくなったら見られると思います。




