〃 8歳 雪の日の邂逅⑬ 悪役を肯定するとき
ハイファンタジー!
そこは、再び『闇の住処』だった。
やはり真っ暗闇で何も見えない。なにもかもから遮断されたような世界でパトリシアはまた、ポツンとひとりで立っている。
床の材質などわからない闇の中、高めの足音をさせて背後から近付いてくるのは──キィだ。
「……どうなってるの? キィ」
振り返るとさっきと同じで、色白に端麗な顔、印象深い赤黒い瞳でパトリシアを見下ろしてくるキィ・ティアの姿がある。
『キミの魔術……いま森全体を包み込んでいる闇の繭が内部を浄化中ってところかな』
「あれで魔獣を倒せるのよね?」
キィの説明はわかりにくい。パトリシアは聞き方を変えた。
『そういう言い方も出来るけど、それだけだったら森中みんなやっつけちゃうよ』
「魔獣用最強の闇魔術って教えてくれたでしょう」
先ほど混乱して闇の住処から早く出たいとだだをこねた時、キィは二つの魔術を教えてくれた。
出口──というよりも闇の住処への扉を開く魔術。
そして、闇の住処を切り出して『表』に具現化する闇の繭。
『だから、キミの、アレだから、その、ね? 魔獣の存在そのものを──』
うまく言葉に出来なかったらしい、キィは口を噤むと綺麗な眉をひそめ、視線を右上へ流した。
「…………魔獣の、存在を?」
先を促すパトリシアをキィは見下ろす。
『効果を言うと、範囲内の全てを闇に還す魔術で、魔獣は存在がアレだから消滅するし、人間とかには深い眠りを与えちゃうんだよ。キミみたいなのは眠らないけど』
「私みたい?」
『耐精神負荷が異様に高い人』
「──なら、お父様も?」
『いやぁ、属性が逆じゃさすがに無理だよ』
またしても理屈がわからない。説明が大幅に抜けているとパトリシアは感じる。
「……私はもっと、魔術にしろ何かにつけて知識が、勉強が足りないのね? 言ってもわからないっていう、諦めしか見えないわ」
『あ、すごい、よくわかったね。その通り』
馬鹿にされているような気がしてパトリシアは眉間に皺を寄せた。
だが、この手合いは教えてと頼んでも意地でも口を開かない。こちらが同じレベルでものを見れるようになるまでは──そんな認識も過去世の価値観の流入によってパトリシアは8歳ながら知っている。
「………………」
過去世がもたらす僅かな恩恵が通じない場面や『物語の記憶』にはない部分はどうしたって山ほどある。対峙するたび、パトリシア自身が選択肢を作り、選ばなければならない。
どうしたものかと考えていると、キィが言い訳じみた声で言う。
『だって、だいたい、キミには『表』が見えないよね』
「──表って、私がいつもいるところでしょう? 見えないわ。今見えるのは、あなただけ。キィだけ浮き上がって見えて、他は真っ暗」
呆れたように言えば、キィは曖昧な、困ったような笑みを浮かべた。
『見えるようになったらそれはもうアレだし──いや……それより、『表』に魔力が余っているよ。いま、命を繋いでいる彼らを治癒してあげればいいんじゃないかな? 今なら間に合う』
「うん……──」
『なんで躊躇うの?』
「誰かに頼めたらと思って……私は闇属性でしょう? 治癒術は光属性の得意分野で、うまく出来る気がしないわ」
『そうかもしれないけど、キミ、副属性、光じゃないか』
「──……え?」
『キミの父君、大物魔獣討伐でよく見かけるからボクも知っていたけど、あの人もというか、あれ、所謂稀代の二属性持ちでしょう? 強すぎるからか知らないけど、光属性の方を封印してるよ……』
人はそれぞれ相性の良い属性があり、その分野は得意になる。
主属性副属性があり、ともに同じでより強力な主属性を発揮することもあれば、たとえばクリフのように主属性が氷、副属性が火と相反するものが得意になる場合もある。
なお、属性は後天的に変化することもある。が、それは極めて稀だ。
属性相性は数値で例えるならば、主属性が十、副属性が七、その他が主属性の半分以下という構成が一般的だ。
この比率で割り振り上限値は魔力量で計算出来る。
単純に魔力が『多すぎる』と副属性が主属性と同等になり、とても珍しい二属性持ちになる。ジェラルドはこれで、キィ曰わく、大きすぎる力を封じているのではないかという。
パトリシアが過去の記憶に照らすならば正しく『チート級』と言える。
「……そんな話、知らないわ」
『そう? いつか話してくれるんじゃないかな。とにかくボクが見るに君の副属性は光っていう、なんだか珍しい取り合わせだけど、入ってるよ。あ、氷は才能無さそうだから、あんまり練習しなくていいんじゃない?』
バンフィールド家は氷属性の家門と言われている。さらにパトリシアも氷の妖精姫と言われているほどなのに、氷属性魔術の才能が無いと言われるのは少なからず寂しいものがあった。
『過剰に魔力余りが出てるから、ほら、あのキミを庇って腕が千切れた人も、全身の骨が折れちゃった男の子も……ね? 治してあげればいいよ』
「で、できる!? 本当に?? 私でも治癒できるの?? 私、どうすればいいの!?」
属性相性は頭の片隅に追いやり、パトリシアは思わずキィの上着を掴み、彼の赤黒い目を見上げた。
『どこにいるか見えないだろうし、座標はボクがあわせてあげる。だから、キミは詠唱すればいいよ、何度も何度もね。……呪文わかる?』
「あ……初級なら……」
『そうだよね……』
そう言ってキィは小さなため息を吐いた後、少し長い上級治癒術を教えてくれた。
『──二人とも重傷だから。余った魔力を全部、キミの副属性の光で治癒に変えればいいよ。いま、キミの闇属性魔術で浄化の術が展開したままだから、みんな意識をなくして痛みも感じずに闇の中をたゆたってる……体の疲れもきっと魔力も回復するよ。何たって闇属性は安らぎの属性なんだから。その間に、治してあげよう』
「──うん……」
返事をしつつ、パトリシアはじぃっとキィを見上げた。
『…………なに?』
「なんで、いろいろ良くしてくれるの?」
『──へ?』
「助けてくれるの?」
『…………そういえば、そうだね……なんでかな?』
とぼけている風でも、何かしら隠している風でも、説明が面倒くさいという風でもない。本人もわからず釈然としない様子なのがパトリシアにも見て取れた。
「──…………なんで……?」
『…………んー……いや、んんー…………これは、宿題でもいいかい? ほら、キミはやらなきゃいけないことがあるだろう?』
今この場で答を出すことを放棄するキィ。
パトリシアとしても、ミックが助かるというのなら、あのぐったりとしていたクリフを治癒出来るのならと早速習ったばかりの詠唱を始めるのだった。
延々と、パトリシアの体感時間で言うならば二時間あまりお経のように治癒術を唱え続けていたが、目の前でキィががくりと膝ついた。
「キ、キィ!?」
詠唱を中断して駆け寄れば、キィは肩で息をしていた。
『──はぁ……はぁ……さすがに疲れる……こんなの暴走させない方が無理だよ……』
「疲れる? 暴走?」
両手も床について、四つん這いで息を整えたキィは、しゃがんで覗き込むパトリシアを見た。
『…………なんでキミは元気なのかな、腹が立つよ……』
「そ、それは……ごめんなさい?」
突然苛立ちを向けられるが恩もあってつい謝るパトリシア。
『……あー……『表』に出ればわかるけど、生きてた人達の怪我は一通り治ったと思うよ』
「本当に!? ……すごい!」
『……キミの力だよ』
パトリシアはすぐに首を横にふる。
「キィが助けてくれたのでしょう? それに、魔力自体は血や魔獣からもらった魔力だもの……」
『──……それでもいいけど』
キィは四つん這いから、床に腰を下ろす。しゃがんだままのパトリシアを見下ろした。
『もうすぐ闇の繭も縮むよ。あぁ、トリシア──』
そう言ってキィはパトリシアの左頬にそっと触れ、すぐに放した。
『キミの瞳も蒼色に変わりそうだ……色がもう、混ざって紫かピンクみたい……』
「……え? 戻るの?」
自分では確認出来ないので、パトリシアは不必要にまばたきを繰り返した。
『うーん──見た目だけ……? もう闇の住処と繋がってるし。それから、キミは出たときの呪文でいつでも闇の住処に来れるよ?』
「…………いつもあなたに覗かれるの?」
パトリシアは嫌ぁな顔をした。『表』にいた時は声も聞こえていたのだ。キィのいる闇の住処と繋がって筒抜けになるのかと思ったから──。
『そんなわけないよ。今回はボクも頑張り過ぎたし……しばらくは眠ることになる。だいたい、余剰魔力が暴走しなかったのはボクのおかげだからね? 闇の繭だって詠唱が短いのは使用者限定魔術だからだし……そうそう使ったらダメだよ?』
「──言われなくても二度と使わないわよ……!」
パトリシアは腕を組んでぷいっとそっぽを向いた。
血を魔力に変えることは『悪夢』がよぎって、あの未来を引き寄せそうで絶対にしないと決めていた。
不本意にもほどがあると言いたいのだ。だが、その憤りもすぐに萎んだ。
「──……みんなには言えないわね……」
『せっかくたくさんの人を助けたのに?……トリシアが助けたんじゃないって言って、騙すの?』
「騙すって……言葉が悪いわ……もとは私が視察に参加してなければ魔獣も増えなかったのでしょう? 被害だって………だから、騙すっていうのはおかしい──でも、そうなるのかしら……だます」
──騙すなんて……本当に悪役みたいな……。
唐突に、パトリシアの脳裏にイメージが浮かんだ。それは、まるで『映画』のように……。
普段は寝ている時に見ることの多い過去世の記憶──。
前世の自分はどこか、事務所で働いていた。
分厚いファイルを何冊も持って、上司の元を訪れていたのだ。
何事も波風たてず、ひっそりと生きることを望み、帰社後、趣味の時間を大切にしていた。会社はクビにならなければいいという勤務態度だったのに、このときばかりは……どうかしていた。
製品管理で数値をごまかしていた商品を制作、大々的にパッケージに嘘を並べていた。
そこそこ売れている程度なら黙っていようと思っていたが、ヒット、大ヒットと階段をのぼりゆくと、前世は耐えられなくなっていた。
外部へ告発する勇気はなかったが、上司には客を騙すようなことは良くないと証拠を山ほど集めて伝えた。
──過去世の大人の時代は、8歳のパトリシアでは理解しきれないことが多く、流していた。だが、いまこのとき、わかる……。
上司は言った。
「売るために必要なのだ、きみ、お給料下げたいのかい? クビになりたいのかい? 大人しく、虚偽の数値を受け入れなさい」
「でも! お客様を騙すことになります!」
食い下がれば、上司は机をドンっと叩いて怒鳴った。
「我々が儲け、会社が残り、生活するためには売らなければならない! だまされる方が悪い! 我々は生きるため、社員の暮らしを守るために売らなければならない! その為の少しのウソなど、たいしたことはないんだ! みんなやってる! さっさとその証拠とやらを渡したまえ! 処分する!」
五十人はいる事務所でこっぴどく叱られ、前世は萎縮し、渋々真実を破棄すると同意したのだった。
鮮明に思い出される、ニヤリと笑った上司の顔と、言葉──。
「──これで君もただの共犯者だ」
脳裏に浮かんだ映像が、静かに消えていく。
──過去の誰かさん、それはあなたの後悔? 騙したくなかったのね……自分の為に多くの人を騙したことが心苦しかったのね……。
パトリシアは嫌悪感を示していたのに、さらりと肯定する。
「──騙したっていいのよ、キィ。今回は、悪い我が儘じゃあ無いんだもの……きっと……それに──」
──私は悪役令嬢だもの、いくら騙したっていいでしょう?
心の中で呟いて、ふふふっと笑った。
パトリシアの様子にきょとんとしつつ、キィは気だるげに立ち上がる。
『──キミが元気なら、なによりかな。はぁーあ……ボクはそろそろ……限界だよ……』
キィは背伸びをし、大きくあくびをした。
パトリシアも立ち上がり、キィを見上げると頭をポンポンと撫でられた。
『ボクは眠るよ……話したいことはまだまだあるから、必ず聞いて? 闇の繭が消えたらキミは勝手に表に放り出されるから、ここで待てばいいよ……あとたぶん、あっちは朝だ』
それだけ言い残し、キィは姿も気配も、周囲の闇に飲み込まれるように消えてしまった。
次話、7~8歳編エピローグ!
ありがとうございました!




