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 〃 8歳 禁忌

 前回の魔獣討伐は春の終わりだった。

 対象も10匹程度と聞いていたところ、騎士団員とともに行けばその十倍おり、襲撃されていた羊達がすでにボロボロに食い荒らされていた。

 パトリシアはその場で気を失った。


 大人達がそのあとすぐまたパトリシアを魔獣狩りに連れて行くことはなく、双子だけが数日おきに騎士達と出掛けた。

 そんな日には、パトリシアも暇をするのかと思えば、チャド団長直々に近隣の農村に連れて行ってくれた。夏も盛りになっていた。


 ネズミやヘビなど、農作物を荒らす害獣用の罠を見に行った。それらを締めて、食用に出来るものは血抜きするところまで。

 ついでに食べられる野草や薬草まで教えてもらえた。


 魔獣狩りで負傷したりはぐれた時は、仲間が回収してくれるまでサバイバルになることがある。剣や教養以外にも騎士には必要な技能だと説明があった。

 冒険者達は魔獣出現を待つのに、準備も最小で簡易に野宿を続けることもある。彼らのその場にあるもので生きていく知恵は騎士より豊富なのだとか。


 ある時、罠にかかって気絶していた害獣がいた。

 川辺にぶら下げ、首を切って血抜きをしているという。そろそろ命の失われた獣や狩猟時の血にも見慣れつつあったパトリシアは一人で赴いた。とはいえ、その時の護衛──チャド含め五名の騎士は皆、10歩の距離で馬を撫でたり、村人達と談笑していた。


 角のある草食獣で、体重はパトリシアの倍以上と思われる。茶色の被毛は草原を走っている姿を見かけた事があるものだった。

 しっかりと血抜きして食用として頂くのだという。


 ──やっぱり、無駄に甘い。お菓子を作っている最中のキッチンより甘い……。


 不意打ちではなく、覚悟を決めて見ていたので眺められた。

 最初の一回目二回目はチャド団長も心配しながら見守ってくれていたこと考えると、血に慣れさせようとしたのだろう。今は冷静に見られる。

 水辺にしゃがみ、そっと川に手を入れた。薄まっているとはいえ、まだまだ赤い水の流れに指先を入れる。

 次の瞬間、じゅわっと指の周囲の水が透明になった。

「──っ!?」


 慌てて川からぴっと手を引き抜いた。

 丸くくり抜かれたように透明な水面。すぐにまた赤い水で流れていく。

 浸した指先を裏、表、爪の間と見るが透明な水に濡れているというだけで、血のついた様子はない。


 ──なにこれ……。


 今度は左手を丸くすぼめて赤い水を少しすくいとる。

「…………」

 赤いままだ。

 相変わらず血は甘い匂いで、気を抜いたら口をつけて飲んでみたいなどと考えてしまう。


 ──魔獣の血は魔力。人や獣の血は魔力じゃない……血は……。

 頭に考えを浮かべた時、左手ですくい上げていた赤い水が一瞬で透明に変わった。


「なに……? なんで」


 顔を上げたとき、目の前に『透明』の何かがふわふわと浮いているのを見つける。

 ぶよぶよしていそうな何か、100パーセント向こうが透ける透明な何か──。大きさはパトリシアの頭の大きさと同じくらいだ。


 その『透明』に手を突き入れてみたが何も変わらない。温度も肌触りもない、ただの空気。


 ただ、パトリシアは無意識のように小さな声で呟く。

「……きよら、にして──」

 言葉に呼応して、透明はうっすらと光ったように思えた。小さく「はぁ」と息を吐く。


「……さとき(まなこ)の……」

 透明は少しずつ半透明に変わり、縮んでパトリシアの手に膜のように張り付きはじめる。同時に、薄く、ほんのわずか、手ごと白く輝いた。

 パトリシアはごくりと唾を飲み込む。

 透明はもうないが、どうやらパトリシアの手に吸い込まれたらしいことはわかる。


 胸がドキドキとして痛いほどだった。

 ゆっくり、ゆつくりと手を返す。手のひらを上にした。


「ささやかな……恵みを……我が手に……」

 ごく小さな、キンっという音ともに、光はパトリシアの手のひら一点に収束。白色蒸気がほんの少し流れた。

 ──そこには、小さな小さな『氷』がひとつ、生まれていた。


「……………………うそ……」

 パトリシアの親指の先ほどの大きさしかなかったが、キレイにカットされた宝石ののような──氷。


 左手が勝手にぶるぶると震えて、氷はポチャンッと赤い水面へ落ちた。


 ──いま、わたし、何をしたの?


 午前のみの視察を終えて、一行は帰路につく。

 パトリシアは背筋を伸ばし、やっと一人で乗り回るようになっていたポニーに揺られる。先頭にチャド団長、前後左右に一騎ずつ護衛にと騎士も馬を進めている。


 燦々と輝く太陽は空のど真ん中、一番高いところにいて、地面の影は一番少ない。この光からは誰も逃れられない。


 ──血を、魔力に変えて、魔術にする。

 パトリシアは黙ったまま、なにもなかったかのような顔で馬を進める。

 午前の風は柔らかく、さわさわと心地良いばかりだ。


 なのに、パトリシアは居心地の悪さに顔が歪みそう……。

 ──してはいけなかった……あれは、やっちゃいけないことだった……!


 帰路、途端に大人しくなったパトリシアの様子にチャド達は心配はしたもの、父ジェラルドへ何かしら報告をしたという様子はなかった。

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