〃 7歳 正夢か悪夢か
※残酷な表現があります。
狩猟の後片付けを騎士十名とその下につく従騎士らに任せ、チャド団長とともにパトリシアは帰城した。もちろん騎士のミックやモーリスの馬に乗せてもらっているクリフやノエルも一緒だ。
魔獣狩りにまともに参加出来なかったことをパトリシアが騒いだり「もう一回!」などと我が儘を発動しなかったことに、クリフやノエル、チャドは逆に心配をしたほど。
パトリシアはただただ、静かだったから……。
だが、それは侍女サニーが一年半前から見ている横顔に他ならない。
城の前でサニーがパトリシアを迎えた時の、腹心の侍女の「心配無用」という言葉に双子も団長も顔を見合わせつつ、引き下がるのみ。
実際、パトリシアは数時間もすれば普段通りに戻ると昼食をとり、サニーに白紙の紙とペンを用意させて約束通りノエルの部屋に乗り込んで『魔術』についてたっぷり三時間は習っていた。そこにクリフもおまけでついて行っていたのはまた、余談の余談になる。
ただ、その夜、パトリシアは普通ではなかった。
それは過去世の物語をイメージしたのか、それとも現世のパトリシアの不安が呼び寄せたのか──……嫌な夢をみてしまう。
夢の中のパトリシアは十六~十七歳ほどで、王都にいて学園に通っているようだった。あの、処刑を間近にしている頃のパトリシアと思われた。
どんよりと曇った夢の中、パトリシアは寮ではなく別邸から学園に通っていこともあり、馬車で帰宅していた。その途中、パトリシアは街中で密やかに馬車を乗り換え、郊外の空き家へ移動する。
肌寒い季節に、みすぼらしい馬車に移る時、パトリシアは頭からつま先まで、フード付きの黒マントで全身をすっぽりと覆った。
王都とは思えないほどのボロの民家が並ぶ城壁の外へと馬車は進み、やがて、ごく小さな雑木林の脇な開いた洞穴の前で止まる。
供を一人も付けず、パトリシアは馬車を降りて洞穴へ進む。
入ってすぐのところに燭台と蝋燭、マッチが隠してあった。
魔力の無いパトリシアは灯りの魔術を扱えないのでこれらが必要だった。
低めの洞穴で、女性としては長身のパトリシアは少し屈んで土壁の洞穴を蝋燭の明かりを頼りに進む。
やがて、四十~五十人でもゆったりと入れるほどの空間に出る。ここは天井が三倍ほど高い。
「──ふぐっ! ……ふぅ!!……ぐくぐ!」
パトリシアがその部屋に入ると、中央でうずくまっていた少女が顔をあげ、何か喚く。喚くが、少女は猿ぐつわをかまされており、内容はわからない。
少女は目隠しもされている。もちろん両手両足はロープで縛られており座り込んでいる。
夢の中のパトリシアは、客観視している7歳のパトリシアにもわかるほど、ニイィィっと微笑んで、少女の正面にしゃがむ。
「──……ステキ……綺麗な肌……その血もさぞ……」
そう言うと立ち上がり、部屋に立てかけてあったボロい斧を手に取ると、刃を床にずりずりと擦りながら戻る。
「ふぐっ!! んくぐくく!!」
その音が何か察したのか、少女が暴れる。
しかし、手足を縛るロープは部屋の中央の鉄杭にしっかりと結びつけられている。
ガタガタと逃れようともがく少女を眺め、パトリシアはやっぱり嬉しくなって微笑む。ドキドキと胸の高鳴りを止められない。
──はやく、はやくそれをかち割って……。
無性に気がせく。
少女の前までたどり着くと、パトリシアは躊躇なく斧を振り上げ、少女の後頭部に叩きつけた。
ゴチュッと鈍い音が響いた後、少女は倒れ込み、動かなくなった。それから二度、三度と斧を振り下ろす。
甘い、甘~い香りがたまらない。
広がっていく血痕は、地面に掘られた溝に沿って広がり、描き出されるのは魔法陣。
魔法陣に血が吸い込まれた頃、部屋の入り口で足音がして、パトリシアはゆっくりと振り返る。
「──ト、トリシア……君は……なんてことを……」
現れたのは金髪のナイスミドル──若い頃は、いや今もさぞかし多くの女性を魅力している事だろう、貴族服の男性が一人、口元に手を当てて驚愕に目を見開いている。
「あら、お父様……どうなさったの?」
まるでそこが自室で、お茶をしているときにふいに訪れた身内に問うような──とても軽い様子でパトリシアは尋ねていた。
ゆらりと父を見るパトリシア。目があった瞬間の父の悲愴な顔つきは、その美貌をひどく損なうほど歪んでいた。
コツコツと踵を鳴らして父はパトリシアの前まで来ると血まみれの斧を取り上げ、部屋の隅へ投げた。
そうしてパトリシアの両肩に手を置いて父は言った。
「トリシア……トリシア……なんで……なんで君が闇の──」
涙に潤む父の蒼い瞳には、キョトンとしたパトリシアが映っており──その瞳は赤黒く、闇の因子を強く示していた……。
「──……ふぅっ……っ!」
暗い寝室で飛び起きたのは7歳のパトリシアだ。
慌てて両手に返り血がないか確かめる。両頬をさすり、さらにぺたんこの胸を確認した。
全身から吹き出す汗が止まらない。
呼吸は荒く、短く刻んでいる。
「気持ち悪い──……」
パトリシアはベッド脇のベルを三度鳴らした。
待つ時間はあまりに長く感じられ、もう一度鳴らそうかと考えた時、寝室のドアがノックされ『失礼いたします』と聞き慣れた声が聞こえた。パトリシアはいつの間にか泣き濡れていた顔をあげる。
「サニー……! ……吐きそう……!」
「まぁ! すぐに……!」
サニーは部屋の奥、壁面収納の端の棚から嘔吐用の小さな桶を持ってパトリシアの顎の下に添えてくれた。
その後、胃の中が空になるまで吐いて、やっと落ち着いた。
口を濯いで、サニーには礼を言った後、パトリシアは「一人がいい」と彼女を半ば追い出した。なお心配するサニーを、何かあればまたベルを鳴らすと言ってパトリシアはドアを閉め、再び寝台の真ん中へあがる。横にはならなかった。
「──覚悟が必要なんだわ、きっと。もっと強く……私には……」
膝をかき抱き、パトリシアは右手の親指の爪をガリッと噛んだ。
魔獣に食い散らかされた哀れな羊から垂れ流される──甘美な血液……。
夢の中で、見も知らぬ少女を殺すのに感じた五感は、不気味に手に残っている。夢は完璧に、あの香りを再現してきた。
──生半可な覚悟ではきっと……、王都から逃げても、剣を覚えて冒険者になったって繰り返すんだわ。
逃れられない。
闇の巫女──…………それが自分であるという自覚がパトリシアの胸を締め上げる。
悪役などと簡単に言葉に出来るものではない。その『行動』の極悪な様を、その狂気が自分の中に確かにある恐怖を、誰も量れやしない。
心を入れ替えて、来るかもしれない運命を、入れ替わり立ち替わり現れるであろう主人公や彼女の周りの逆ハーレム要員をかわしても、逃れられない。
嘔吐して苦味の広がった口の中はもう、あの血を求めている。
──……こんなに嫌なのに……。
三角座りで膝に顔を埋める。
物語のパトリシアの描かれなかった幼少期も、今の自分と同じだったのだろうかと心が揺れる。自分ひとりだけがこんな苦痛を我慢しているのだろうか。
これから我慢し続けなければならないのだろうか。
──……血くらい……。
慌てて物理的に首を左右に振って昏い物思いをかなぐり捨てる。
7歳のパトリシアは、いつかその誘惑に負けてしまうのではないかという不安に苦しくなった。
それでも日中の疲れから睡魔は襲いくる。しかし、またあの悪夢をみるのではと思うと、パトリシアはカーテンを朝日が透けてくるまで眠れなかった。




