9.オアシス
昼も夜も砂漠を歩き、まる一日をすぎてふらふらになってやっとの思いでオアシスの水辺にたどりつき、剣士はその場にくずれるように座り込みました。
「姫さん、いま、水を飲ませてやるからな」そういって姫をおろして横たえ、姫の顔を見たとき、剣士はがくぜんとしました。
姫はもう、ほとんど死にかけていました。目は閉じたまま開かず、砂だらけの白いほほはひからびてかさかさになり、手足はぴくりとも動かず、冷たくなっていました。胸に手を当てると、心臓はとぎれとぎれで弱々しく、息もほとんどしていません。
いまさら水を飲ませても、どんな薬をあたえても、こうなってはもう絶対助からないことを剣士はよく知っていました。
剣士は不思議に、もう、あきらめたような気持ちになっていました。
(またか。人が死ぬときは、いつもこうだ)
剣士は戦いの中で、何度も友人を死なせていました。生きているときは何も言えず、死ぬときにはもう何をいっても遅すぎる。いつだってそうでした。
剣士が誰も友人を作らず、いつも一人で戦ってきたのはそのためでした。
しかし、今度は、今度だけは姫をつれてきてしまった。
断ることもできたし、自分がかわりに行くこともできた。
そのことが、とても悔やまれました。
(ごめん、姫さん。約束、まもれなかったな)
いまはただ、姫に対してすまない気持ちでいっぱいでした。
剣士はそのまま姫の横にごろりとたおれこみ、目を閉じました。
(おれも死ぬから、かんべんしてくれ)
剣士も気が遠くなりかけたとき、突然、声がしました。
「なにごとだ、まったくうるさいやつらだ」
驚いた剣士がぐっと身をおこすと、オアシスの緑をかきわけて、一頭の大きな馬が水辺にのっそり姿をあらわしました。
(馬? いや、ユニコーン?)
こちらへどしどしあるいてくる馬の頭には、するどい角が一本、生えていました。しかし、ユニコーンなら白馬のはずですが、この馬は茶色です。
もしユニコーンだったら、絶対に勝てません。なぜなら、ユニコーンは人の心を手に取るように読むことができるからです。どんな攻撃も、必ずかわされてしまうことは間違いありません。
ユニコーンの角はどんな病気も治してしまう秘薬として有名で、剣士も少年のころ、病気の仲間を助けるためにユニコーンと戦ったことがあります。しかし、手も足も出ないまま簡単に逃げられてしまい、結局仲間を助けられなかったにがい思い出があります。ましてや今は、剣士も体力を使いきって立ち上がることもできません。
(もう、勝手にしろ)
剣士は起こした身を、またどさっと倒してしまいました。
「ほう、あきらめがいいな。なかなかのやつだ」
(やっぱりユニコーンだ。こっちの気持ちを読んでいる)
ユニコーンは姫のそばによって、くんくんにおいをかぎました。
「この娘は、いったいおまえにどんな悪いことをしたというのだ」
(なに? 悪いことってなんだ)
「心の中で、おまえに、一生懸命あやまっているぞ」
(あやまるのはこっちだ)
「ふん、人間というのはわからんな。どれ、ひとつ話を聞いてみるか」
そういうと、ユニコーンはいきなり頭の角を姫の胸にぐさりと突きさしました。
「なにをするっ!」
どこにそんな力がのこっていたのか、剣士はいきなり剣を握って飛び起きましたが、そのとたんユニコーンの足蹴りがとんできて剣士は胸を蹴られ、ふっとんでしまいました。
「無駄なことをするな。この娘はほっといてももうすぐ死ぬ。おまえもそんな体ではおれに勝てるわけもない。だまって見ていろ」
体じゅうがばらばらになりそうな痛みにたえながら剣士がやっとの思いで身をおこすと、ユニコーンの隣で、姫が身を起こしてきょとんとしていました。
姫は目をぱちぱちさせ、ぼろぼろになっている剣士を見つけると、飛び上がって剣士に抱きつきました。
剣士はもうふらふらでなにがなんだかわかりません。
「ユニコーンの角は削って飲ませるぐらしか使い道がないと思うのか。これだから人間は無知でいかん」
「おねがいします。このかたを助けてください。おねがいします」
姫は泣きながら必死にユニコーンに頼みました。
「しかし、こいつを元気にしてやると、また面倒なことになりそうだ」
ユニコーンはそう言ってにやりと笑い、急に首を振って剣士の頭を角でおもいきりぶん殴ると、それっきり剣士は気を失ってしまいました。
剣士が目を覚ますと、姫にひざまくらされて寝転がっていました。
姫が「だいじょうぶですか」とにっこり笑って声をかけると、剣士は急にばっと立ち上がって油断なくまわりを見回しました。それは、剣士として戦ってきたくせのようなものでした。なんといってもさっきまで、ユニコーンがいたはずなのです。
すると、姫のすぐ後ろに、さっきのユニコーンが立っていました。
さっきまで死にかけていたはずの姫は、ほほに赤みがさし、にこにことうれしそうに笑って剣士を見上げていました。剣士もふらふらだった体が、いまは力が戻ってしっかりしています。ユニコーンの力に、間違いありませんでした。
「どうだ、まだかかってくる元気があるか」と、ユニコーンが言いました。
「姫の命の恩人に、そんなことするわけがあるか」
剣士はふてくされてその場にどかっと座り込みました。
「助けたのはおまえもだ。もっと感謝しろ」と、ユニコーンが言うと、「そうですよ、このかたのおっしゃるとおりです」とめずらしく、姫が剣士に怒りました。
「わたしからも申し上げます。助けていただいて、ほんとうにありがとうございました」
ユニコーンは目を細めて笑い、言いました。
「この娘はおもしろいぞ。頭の中で考えていることと口に出して言うことがおんなじだ。人間のくせに嘘をいわない。こんなやつはめずらしい」
剣士はユニコーンみたいな魔物に助けられたのがどうしても気にいりません。それに、今こうしてユニコーンと面と向かっていても、急にユニコーンがおそいかかってきたときに、どう戦うか、魔物退治を続けてきた剣士として考えずにはいられませんし、また、そういうふうに考えていることもすべてユニコーンにわかってしまっていることがまた、ますます気に入りません。
剣士は、なにも考えるのをやめて腕を組んでふんっ、とむこうをむきました。
ユニコーンは思いがけないことをいいだしました。
「旅をしているわけは姫から聞いた。ここにきたわけも、おまえを見ればわかる。砂漠を甘く見たのは感心しないが、サンドレイダースを倒したことはほめてやる。おれも退屈してたところだし、これからはおれが旅についていってやろう」
「よろこんで、おねがいいたします」
「だめだ、冗談じゃない」
姫と剣士は、一緒になって叫びました。
「つれていって損はないぞ。おれはこの砂漠のオアシスの場所を全部知ってるし、ラクダもなしで姫をつれてどうやって砂漠を渡る。第一、姫がいいといっているのだから、おとものおまえには断れないじゃないか」
ユニコーンにそう言われてしまうと、剣士はなんにも言えません。
「勝手にしろ」
「よし、きまった。それじゃあさっそく、準備しろ」
その日から数日姫たちはそのオアシスにとどまり、砂漠の旅の用意をやりなおしました。元気になった剣士はサンドレイダースの現れたあたりをもう一度歩き回って、落とした水を入れる袋や、荷物をできるだけひろい集め、姫は、毎日オアシスの木の実をとって集めたり、ラクダにあわせてあった荷物をつくろって、ユニコーンにあわせたりしました。
オアシスを立った後の砂漠の旅は順調でした。口が悪かったはずのユニコーンはどういうわけか文句もいわず姫と荷物を乗せて力強く次のオアシスをめざして歩きます。剣士は歩きですが、荷物は全部ユニコーンが背負ってくれているのでつらいこともありません。
それに、砂漠の日差しの中ではたちまちへとへとになってしまうはずの姫が、ユニコーンがともをするようになってから、不思議に体も疲れずに平気です。
姫は気がついていませんが、実はユニコーンがときどき角の力で姫の疲れをとってくれていたのです。
姫はユニコーンの背にゆられながら、どうしてユニコーンが自分たちの旅についてきてくれたのか不思議に思いました。すると、ユニコーンが何も聞いていないのに答えてくれました。
「カラアの魔法石というのが本当にあるのなら、おれもさがしてみたい」
「どうしてですか?」
「ユニコーンというのは、普通は白いんだ。それなのにおれは、うまれつき茶色で、角がなければ普通の馬と見分けがつかない。そのためにほかのユニコーンから仲間扱いされず、いつもばかにされていた」
姫は、このユニコーンが自分に似ていることがわかりました。
「仲間を離れて、一人でおれは生きてきた。砂漠のオアシスを一人でまわっていたのも、めんどうな仲間がほかにいなかったからだ。しかし、オアシスのまわりにサンドレイダースがでるようになって、おれはオアシスからでられなくなっちまった。あいつらはなんにも考えずにおそってくるから、おれにもどうにもならないのさ。だけど、あいつがやっつけてくれたからな」
そういって、後ろから歩いてついてくる剣士をちょっと振り向きました。
「だから、これでもおれは、ちっとはあいつにも感謝しているんだぜ」
姫は剣士がそれを聞いたら、どんな顔をするだろうと思ってくすくすっと笑いました。
「このことはあいつにはないしょだぜ」
「はい、ないしょにします」
ユニコーンはうなずいていいました。
「姫さんにも、不思議なところが一つある」
「なんでしょう」
「姫さんは、ほんとにカラアの石がほしいのか」
姫の顔は、真っ赤になってしまいました。
考えてみれば、この旅をつづけてきて、色が白くても悪いことばかりでもありませんでしたし、いいこともたくさんありました。いろんな肌の色の人にも会ったし、広い世界の中では肌の色のことで悩むなんて、小さなことのような気がして、カラアの石をほしがる気持ちは、以前よりずっと、弱くなってしまっていました。今はそのことよりも、剣士と一緒に旅をしていることがとても楽しく、このまま旅をつづけていられたらどんなにいいだろう、という気持ちも、どんどん大きくなっていました。
「わたしにも、よくわからないんです」姫は、正直にそう答えました。
「人に心を読まれるというのは、とても恥ずかしいことなのですね」
姫がそういうと、ユニコーンは大笑いして言いました。
「わかったわかった。もうあんたたちの心は読まない。約束するよ」
次回「10.黒い肌の村人」




