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誘拐 打破


「夏姉ッ」


 姉が乾いた音と共に突如倒れ込む姿が扉の隙間、その奥に見え、思わず声をあげる冬美。それに舌打ちをし即座に口を塞ぐ絵馬。

 幸いな事にまだ自分たちの存在は認識されていない。冬美の口を塞いだまま無理矢理木の影に引きずり込む。


「落ち着いて。まだ生きてるかも。今飛び込んだら助けられない」


 絵馬の震えた声に何とか冷静になろうとする冬美。


 秋子から、相手が明らかにヤクザだと言われ「詩季君だけを助けろ。須藤香奈は捨ておけ。詩季君が無事であるよう最良の行動を取れ」との非道な指示を受けていた。その言葉の裏には『お前らが死のうが生きようがどうでも良いから詩季君を助けろ』という意味が込められていた。勿論その『お前ら』には夏紀や冬美は含まれていない。


 どこまでも他人には自分勝手で非情に見える秋子だが、絵馬は反感を覚えることはない。


 そういう極々近しい身内以外は何の興味もないとでも言うかのような言動を取る人間は居る、と理解しているからである。


 そして人心を掴むに長ける絵馬だからこそ解る。


 これは秋子の苦肉の選択だと。


 欲張って本命以外に手を出して、不測の事態への対応力と瞬発力に難が有るという己の欠点によって判断が鈍るのを、遅れるのを恐れている。それを防ぐため、あらかじめ切り捨てられるものを切り捨て打破しようとする、それが秋子の弱さだと絵馬は見抜いている。


 己の欠点とぶつからずに、向き合わずに進歩する訳がない、と。


 平常時であれば無駄に反感を生みかねない物言いをする人物ではないのである。絵馬は本能で秋子のランクを下げた。人間的に弱い。脆過ぎる、と。


 そして、そんな秋子とは対極的に夏紀が耐えられなかったのは、絵馬には納得した。


 その判断は明らかに愚かであった。だが、だからこそ、夏紀の無事を祈らずに居られない。


 まだ助かるかもしれない。ならば助けねば。一刻も早く助けねば。


 助けようとする人間を助けたい、それが伊達絵馬という人間の、新たな生き方である。


「肉っち、消火器確保」

「う、うん……えぇ?」

「良いから早く」

「お、おい?」


 指示を出すと絵馬は、残った武闘派二人をにらむ。何はともあれ肉山は言うとおりに動いておこうと周りを見渡すと幸いなことに校舎の非常階段下に設置されていたのをこそこそと隠れながら確保へ向かった。


 夏紀が倒れている、という異常な状況においても何故ここまで冷静に会話が出来るのかと針生は宇宙人を見ているかのような気持ちに襲われた。


 だが残りの二人は既に闘志が剥き出しであったことにさらに息を飲む。


「暦君が最優先」

「ん」

「解ってるよ」


 姉を見捨てるような話ぶりだが冬美は葛藤を見せず、今この状況を何とかせねば兄も姉も助けようにも助けられない、と前を向いた。その切り替えの早さの根元は、元々の冬美の精神力の強さと、過去に兄を強盗に襲われた時の惨状を目の当たりにした経験からである。本来小学生が持ち得る判断力と冷静さの範疇に納まらない。


「冬美ちゃんは向こうの下の窓から中に入って、詩季君を外に連れ出して逃げるか隠れて。夏紀先輩は私たちが何とかする」

「ん」


 今は信じるしかない、と冬美は納得する。見れば確かに人一人がなんとか通れるであろう小窓が詩季の後方にあった。


「智恵子」

「なに」

「私の後ろについて突撃。全力で走るけど、智恵子より遅いから。何があろうと構わず、とにかく相手を倒して」


 自分が銃弾を受け止め戦力(ちえこ)を舞台に投げ込むための盾になる、そう暗に告げていた。


「消火器で見えないかもしれないけど」

「解った」

「ちょ、ちょっと」

「待て待て待てッ」


 やっとここで絵馬、智恵子、冬美の普通ではない言動に待ったを掛ける針生と消火器を抱えた肉山。常識人二人組。


「時間が勿体ない。もしかしたら暦君だけじゃなく夏紀先輩や須藤さんが助かるかもしれない。時間が経てば経つほど二人が危ない」


 高校生の判断ではない。夏紀も須藤香奈もすでに事切れているのではないか、このまま警察が到着するのを待つのが最善ではないか、と肉山も針生も口にしたくなる。被害を広げるべきではない、と。


 今、この状況でさえ二人は逃げ出したい気持ちで一杯であった。一般的で正常な思考を持つ二人をよそに絵馬は宣言する。


「智恵子、全力で。私が絶対に責任取る。相手を殺しても良いから全力で、とにかく王子最優先で。もし相手を殺しても私がやった事にするから、絶対に遠慮しないで」


 その決意を前に、常識人二人は飲まれた。この流れは止められないと理解した。



 一度は自殺さえ頭を掠めた伊達絵馬という少女は、どんな時でも逃げない。逃げられない。



 詩季に助けられてからずっと、伊達絵馬は矢面に立つことを信条としていた。だからこその人望。だからこその発言力の強さ。自分の心を守るために、一見矛盾しているかのようではあるが己を最も危険な場所に置き、決して逃げない。それが彼女の正攻法である。


 王子を、王子の姉を、王子のために倒れたであろう同志(とも)を前にして、逃げるなど選択肢にはない。それが地獄から救ってくれた王子への無言の誓い。自分との約束。


 強迫観念にも似た想いに彼女は支配されている。だが、それは彼女の誇りでもある。


 ただ、どこまでも段取りと手段、そして最良の結果を得ることを重視するのが彼女の強み。想いの強さと確固とした目的意識が彼女の武器。


「智恵子、ごめん」

「謝んなってば」


 自分の想いに付き合ってくれる愛すべき馬鹿(とも)に、自分と同じくらいに危険な役目を押しつける。


「一番危ないから」

「一番美味しいね」


 智恵子の軽口に微かに絵馬は笑みを浮かべる。


「こいつら、頭おかしい」

「全く・・・・・・あんま無茶すんなよ?」


 そして、そんな二人をあきれ顔で見る少し馬鹿な二人。


「努力はするよ。ハリーは記録係、スマホ二台で隠れて撮影の準備。出来るだけ犯人の顔映して。肉っちは見つからないように扉に近づいて奴らに消火器向けて。それが開始の合図」

「もう……解ったよ」

「でも、本当に大丈夫なの? 不安で仕方ないんだけど」


 立ち上がる冬美。不安げな二人に順番に視線を向け力強く頷く。


「大丈夫」


 絵馬と智恵子のやりとりに、立ち向かおうとする姿に、一人ではないという事実を知る。頼りになる。心強い。助けられない訳がないと他に根拠は無いが確信する。


「問題ない」


 無茶な突撃が始まった。







 そして、見事に先手を取った。肉山の放った消火器の煙幕は上手く四人を包み込んだ。


「なっ!?」

「ぐほっげほッぐぇっ」

「ぎょばっがはっ」


 突如煙幕を浴びまともに呼吸器官に入り咽せるヤクザ達。


 犯人らに向かって走る絵馬の後から飛び出し智恵子は手近な女の背に周り込む。


「ふっぁあッ!」


 そして相手の腰に手を回して、あたかも人間相手ではないかのように鋭い裏投げ、バックドロップを食らわせた。


「ぎゅぁッ」


 蛙を潰したかのような叫び声、というよりも後頭部が堅いコンクリートに打ち付けられたことによる脊髄反射からの断末魔。後遺症が残ったとしても死なないであろう程度で手加減出来ているのが智恵子の経験値の高さ、才能の証拠であろう。

 殺しても良いと言われても、殺さないですむなら殺したくない、というのが本能として仕事した。


「ぐぃてぇッ!」


 絵馬も負けてはいない。ひざまずいている女の顔面を走った勢いそのままに無言で蹴り上げる。上手いこと片目に爪先が当たったため相手はそのまま震えのたうち回り、まともに動けない。


「ぅくおらあああアアアアアアああッ!」


 そして絵馬は銃がどこにあるのか解らず焦って探すが見つからず。しかしその間にもう一人を智恵子が柔道技とはとても言えない、両手で抱え挟んだ顔面をニーキックで容赦なく打ち抜いていた。


 鼻骨を粉砕し、智恵子の膝にその血痕を残す。


 その一撃により犯人の鼻骨だけでなく周囲の骨に深い亀裂が走ったのだが、智恵子は全く気にする素振りさえ見せない。犯人は当然気絶していた。殺さなければ良い、程度の認識でしかないあたりが影響してか、どちらが犯罪者か解らない様相を見せていた。


 むしろアドレナリンの分泌量は智恵子史上最大の最中に死なない程度の手加減がギリギリなされていたのは奇跡に近い。


「死にてぇのか! 止まりやがれぇええ!」


 煙もおさまり始め、智恵子と絵馬から五メートルほど離れた場所でリーダー格のチンピラがリボルバーを構えていた。

 

「こいつが死んでも良いのか? あぁ?」


 そしておもむろに詩季を転がしていた方角に銃を向ける。


 しかし、その場所に転がっていたはずの詩季は既に冬美によって手際良く気付かれない内に外に引きずり出されていた。


「…………あ?」


 詩季が無事外に出された事に安堵しつつも、状況を理解出来ていない犯人に向かって微妙な視線を向けてしまう絵馬と智恵子。


「どこ行った?」


 間抜けなリーダー格の表情に呆れた声をあげそうになる絵馬と智恵子。だが拳銃を持った相手との微妙な距離に、近づくも離れるも判断が付かず降着状態となる。


 間抜けな間の後、リーダー格の女は人質を切り替えた。


「くそ、やりやがったな……だがな、このガキ、死んでも良いのか?」


 うつ伏せのまま、血の海を作ったまま動かない須藤香奈の頭に銃口を向ける。


「ちょっと待って!」

「殺しちゃ駄目だ!」



 慌てる絵馬と智恵子。それに勝機を見たリーダー格の女は口角を上げる。


「言う通りにすりゃ殺しはしねぇよ」

「だから駄目だって!」

「落ち着いて!」

「あ? だからお前らが大人しくしてりゃ」


 背後に迫る影に気付かぬまま、


 ゴッ


 地に伏せた。


「夏姉ッ夏姉ッ」


 背後から近づいた冬美が夏紀の持っていたバールで全力を込めて、全身の筋肉に体重を乗せて、相手の頭部に振り下ろしたのである。


 否。


 振り下ろす、というよりも宙返りするかのような、曲芸染みた身のこなしでもって全体重をそのバールに乗せてヤクザの頭に着弾させたのである。およそ人体が鳴らして良い訳がない音を響かせヤクザは地に伏せた。


 その倒れたヤクザの頭をさらに踏み台にして姉に慌てて近寄る冬美。


「夏姉、うぅ……うぅううッ無事! 生きてる! だいじょぶ! 生きてる! これ、これに当たった!?」


 姉の胸元に曲がったコインが載っていた。気絶はしていたが呼吸もあり、心臓も動いている。

 外傷らしい外傷は無かった。


 家族旅行でお揃いで買った記念メダルを夏紀はネックレスとして身につけていた。その記念メダルに真っ正面から弾丸が当たり夏紀に届かなかったのである。

 これが詩季や冬美のようにキーホルダーだったならば彼女が生き残ることもなかったであろう。凄まじい豪運と言えた。


 ただ、それでも胸部に瞬間的な衝撃を受けた結果、夏紀は気を失ったのである。それはそれで非常に危険な流れと言えたが一先ずのところ命に別状は無いと言えた。


「すご! いや、嘘だろ? いや、マジで?」

「うわ……古い映画みたい」


 呆然とそれを見る智恵子と絵馬を友人二人が叱る。


「おまえら縛るの手伝えよ!」

「このまま目覚めたら最悪だってば!」


 拘束を解かれた詩季も倉庫に入り、犯人たちも含め死なないよう苦心した。


「皆、頭だけは動かさないように、今救急車呼んだから!」


 まずは姉の生存を真っ先に確認し、次に須藤香奈を介抱すべく動いた。詩季とて犯人たちに人権などない、と想わないでもない。ただ、家族や友人たちが正当防衛だとしても殺人犯になるなど許容できないのでそれはそれで必死であった。勿論夏紀と須藤香奈が最優先なのは当然である。


 柳幽斉は先ほどヤクザ達に拘束されて転がされたままなので放置された。


「流石は、暦家の女」


 あまりに容赦なく叩き込まれたバール。まともな人間の一撃ではない。その結果を凝視することが怖くて絵馬は出来るだけ最後のヤクザを視界に入れないよう視線を逸らす。


 そんな絵馬に冬美が声を掛けてきた。


「伊達さん」

「な、なに?」

「兄も姉も助かった。ありがと、ございます」

「あ……うん、皆で頑張ったよね」


 腰を深く曲げて礼を言う。素直で礼儀としては完璧な所作。だが、何故か絵馬の背筋を悪寒が走った。その理由は次の言葉で理解する。


「あと死んでたらヨロ」

「へ?」

「責任取るって言った、よね?」


 冬美から家族でさえ見たことがないであろう満面の笑みを向けられ、血の付着したバールを押し付けるように手渡されたのである。


「え」

「ありがと、ございます」


 暦家の家族至上主義が下地に有る合理的な判断は、最早他人に理解される範疇を次元レベルで超えていた。そうだがそうではない、要は、盛大にズレているのである。


 道義的にも法的にも逸脱する筈が「言ってた。ヨロ。本当に感謝感謝」程度の認識でしかない。

 身体スペックのみならず精神面でも冬美は「暦家らしい最新型」だと言える。


 何が一番危ういかと言えば冬美は全く邪気が無く素直に心の底から絵馬に尊敬の念を持って最大級で感謝している点である。


 そして解決してしまえば絵馬も現金なもので所詮は十代の少女。


「言わなきゃ良かったぁああああああああああ!」


 絶叫も致し方ない。


 世間の常識はともかく、冬美には言ってない、などと逃げることなど出来ないのが伊達絵馬という少女の悲しい性である。






 幸いなことに敵味方双方に死者は出ず、事件は終焉へと向かうのであった。 







次回、誘拐編エピローグ。

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