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誘拐 初恋



 柳幽斉は先天的な意味合いで言えばそこまで酷い性格でもなかった。極々普通の、一般的な感覚の幼児であった。


『ママ、なんでこんなことばっかりやらなきゃダメなの。いやだよ、ぼく……みんなみたいに遊びたいよ』

『いいから、言われた通りにやりなさい。貴方は我が家の歴史を背負わねばならないのですから』


 幼少期に何度も繰り返された会話。

 書道の大家の息子として生まれた幽斉は物心つく前から毎日毎日、墨を擦り、筆を取った。それこそ、幼児用のガラガラなどの玩具よりも先に筆を握らされた。


『貴方のためです』


 書道の世界は基本的には性差は無い。そういった意味では健全である、表向きは。


『お母様、なんで、なんであんなことしなきゃダメなんですか』

『我慢なさい。貴方のためです』


 精通前、それこそ小学校低学年から柳幽斉の日常には、書道界における大御所らへの夜伽が課せられた。


 書道の大家といえど、同流派団体の重鎮を抑えなければ足を引っ張られる。常ならば、そして子が女児ならば金銭的な付け届けで済むが、柳幽斉の母親は夢を見た。


 自分の息子が書道界初、男でありながら師範となる、という夢を。


 そしてそれは出産時の身体への負担が大きかったがために次の子を産むには厳しい柳幽斉の母親にとっては譲れない夢であり、叶えなくてはいけない野望であった。


『いやだよぅ……うぅ……いやだぁ』


 ただでさえこの世界の男子は物心付く頃には本能的に女性を忌避するようになる。


 ああ、坊や、良い子だねぇ


 醜い、それも自分の母親どころか祖母くらいの女の閨に入る日々に、柳幽斉のただでさえまともとは言えない家庭環境で育った精神は、着々と、そして早々に削られ歪められていった。


 母に逆らえば折檻される。その恐怖と実体験により彼の行動範囲と思考は非常に狭くならざるを得なかった。

 恐怖という監獄に物心つくころから入れられた少年に家出という選択肢は存在しなかった。


『なんで、僕はこんなことを……気持ち悪い……気持ち悪い……あぁ……もっと、好きに生きたい……自由に生きたい』


 そう言葉にならずとも想い、過ごして、彼は高校で恋に落ちてしまった。

 堂々と、凛々しく生きる少女に。





 それは、とある日の高校の廊下、放課後。


 年増ばかりの相手を強制的にさせられていた幽斉は、その反動でせめてもの慰めに、と高校に入学してからは若い女子を求めていた。


 まだこの頃はそこまで監視は厳しくなく、門限さえ守れば何を言われることもなかった。母親が幽斉を『母が指導しなければ何も出来ない子』と侮っていた面もあった。事実その側面も有ったが女性関係においては母の想定外であった。


 そして、その母親もまた、屈折していた。自分の血を分けて、腹を痛めて生んだ実子に欲情し、関係を持つようになったのである。


 学校ではただ単に、折角男に誘われたからと釣られる女は何人も居て、幽斉にはそれが当たり前であった。


 そして何人も人気のない場所やホテルなどに連れ込み、好き勝手に蹂躙した。


 なんだかんだで幼少の頃より性の面で鍛えられてきた少年のテクニックにまだ若い少女たちがあらがうのは非常に厳しいものがあった。需要と供給の一致でもあるのでこの時点では誰も不幸となる取引ではなかった。


 さらには、普段から普通ではない柳幽斉の言動から取り巻きなどは出来なかったが、興味本位や純粋な性欲から『あんなんでも男だし』と相手を引き受ける女子たちは多かった。


『え、いや、無理』


 この日、柳幽斉は人選を誤った。

 千堂俊郎の取り巻きの一人を誘い『勘弁して』とキッパリと断られたのである。


『ぼ、僕が折角使ってやろうってのになんて無礼な!』

『あんた気持ち悪いし無理。生理的に無理。無礼とかって何様だっての。皇帝(としろうさま)みたいになってから言えっつの』


 と予想外の、そして人生初の反撃を受けたのである。気持ち悪いと誰かに対して思うことはあっても、口にしたことはなかった。ましてや自分がそう評されるなど予想外にもほどがあったのだ。


 確かに幽斉の誘いは強引であった。しかし、それでも男は男、女は女、女子たるもの男子に優しくすべし、が先進国の常識である。公衆の面前での罵倒は幽斉にとっては到底許せるものではなかった。


『こ、このアマ!』

『な!?』


 拳を握り、物理に訴えようとするもヒョロヒョロな幽斉の動作は遅かった。

 だが、完全に避けるのは難しく、それでも顔面の中心を狙っているであろう拳を受ければ確実に怪我をする。


 さらに厄介なことに、下手にガードをしてしまうと逆に攻撃されている筈の女子生徒側が暴行の罪で咎められかねないのがこの世界の、この国の常識であった。


 例えそれが本当に防御行為であったとしても、非常にややこしい事態となる。


 男性がその女子生徒の防御によって痛みや怪我を負って訴えれば


『本当にそれは防御だったのか? 誰にも見えないように密かに攻撃してたんじゃないか? 本当に害意がなかったと証明出来るか? ちょっとは痛がらせてやろうって気持ちがあったんじゃないか?』


 と悪魔の証明を女子生徒は求められるのである。


 そんな世界であっても、一応は法治国家。流石に公衆の面前で証人が多数居れば起訴まで行かない。


 だが、その手の追求は対象となる女性が素行不良ではないか、と学校や会社組織、社会からは見なされる不安の種となるのである。


 故にその女子生徒は、避けきれない、防ぐわけにいけない、逃げられない、(きた)る痛みを迎えるべく、目を瞑った。


 パンッ


 が、軽い衝突音が響くも、その拳は女子生徒の顔面まで届かなかった。



『まずは落ち着こう』



 その言葉に女子生徒はそっと目を開けると、そこに居たのは学校でも有名であり、柳幽斉やこの女子生徒と同じクラスの生徒であった。その手で柳幽斉の拳を阻んでいた。


『暴力はいけない』


 柳幽斉は初めて自分に性的な意味合いを持たずに触れてきた存在に出会った。


 母ですら、己を性的に扱うというのに。


 彼を諫めるため。

 落ち着かせるため。


 そして下手に痛みを与えぬよう、春姫は丁重に、丁寧に、爆弾を扱うように柳幽斉の拳に両手の平を添え、そっと下げさせた。


『世の中相性も有るだろうが、男性には出来る限り優しくすべきだろう』


 暦春姫はそう女子生徒に忠告した。柳幽斉の方には暴力行為以外に告げることはなかった。


 それは春姫にとって、というよりも女性にとって男性にその手の忠告『あまり女遊びすべきではない』や『強引に事を進めるべきではない』などと言っても藪蛇になると判断してのことである。


 わざわざいつ破裂するか解らない、毒ガスの詰まった風船を突つきたくないというのが本音であった。


『なんの騒ぎだ』


 そしてややこしい事に、当時生徒会長であった千堂俊郎が割り込んでまた一悶着起きる。


『千堂君か。ご苦労様』

『な、暦、貴様、また何か』

『何も。これから買い物に行かなければならないから後は君に任せよう』

『お、お前勝手に!』


 堂々と、凛々しく生きる、暦春姫という少女に恋をした。柳幽斉にとっての初恋であった。


 それからというもの、屈折した精神と育ちの柳幽斉が春姫に受け入れられる訳もなく空回り続けることとなる。


 柳幽斉が暦春姫に抱く想いは純粋に恋や愛と言って差し支えないはずであった。


 だが世間一般に受け入れられるような恋愛観を育む環境になかったため、春姫に受け入れられる可能性をそもそも有して居なかったのである。


 そして悲しいかな、それが理解出来る切っ掛けもなく時は流れ、女遊びを止める訳でもなかった柳幽斉は、いつしか性質の悪い人脈を築き、詩季をその毒牙に掛けることとなった。


 彼は加害者であると同時に、被害者でもあった。



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