幕間 暗黒物質
『ダークマター』
暗黒物質。天文学的現象を説明するために考え出された仮説に基づく物質である。間接的には観測されているが実質的にはその成分が解明されていない。
「という訳で、作ってみた。ダークマターより重要なシキニュウムだ」
「脳味噌大丈夫か?」
思わずツッコミを入れるのは紋女。そして受けるのは紋女が出資者の一人、abekobe基礎生物化学研究所の所長、中谷である。
『すぐに来い! 大発明だ!』とだけ連絡を受け何事かと確かめようとしてもコンタクトが取れず仕方なく多忙な紋女が予定をやりくりして訪れてみれば、何かが入った試験管を片手にそんな事を言われれば脳味噌の心配をしてしまうのも仕方ないことであろう。
「大丈夫だ、問題ない。相変わらず天才だ」
「頭悪い答えだがいつも通りではあるな。して、大発明とはそれか?」
あまりまともに受け答えをしたくない、言ってしまえば紋女にとっても面倒な相手である中谷に先を促す。
「ああ。メッティは精液の構成がどうなっているか知っているか?」
「お前がメッティと呼ぶな。しかしいきなり不穏当なことを……まさかそれだとか言わないだろうな?」
精液とは精嚢分泌液と前立腺液の混合であるがそんなことを専門分野でもないのに知る訳がない紋女は答えられる訳もなく核心に迫る。
中谷の持つ試験管の白濁具合にもしやと思っていたがまさかのようである。中谷の仕事は「受精段階で男女比を操作するための技術」である以上は逸脱した内容ではないどころか最終着地点に近い。だが流石にまだまだそれは先の話だと紋女も理解しているだけに首を傾げざるをえない。
「疑似精液だ! 構成や質感、味なども全て本物に限りなく近いぞ! まぁこれを注いでも本物ではないから受精は不可能だがな!」
妊娠しない疑似精液などで大発明になるのだろうか、と首を傾げる。単なる偽物ならそれこそアダルトビデオ制作会社で嫌という程作られている。それこそローションに歯磨き粉を混ぜたりやりようはいくらでもあるのだ。
「で、それが何になるのじゃ? 大発明というのはどういうことなのじゃ?」
「え……偽物とは言え本物そっくりな疑似精液ってドキドキしない?」
紋女の心臓が一気に血液を全身に巡らせた。それはさながら火山の噴火の如しである。血管がもし弱かったら脳溢血で紋女の命も危なかったであろう。
「馬鹿者がああああああああ!」
「へぶるぁっ!?」
紋女は容赦なく中谷の顔面、それも鼻柱を殴りつけた。
流石に笑えない、冗談じゃない、そんなアダルトなジョークグッズ並に頭が悪い物を作らせるために年間数十億もの出資をしている訳ではない、と怒りが一瞬でわき起こったのである。紋女の反応は至極当然と言えよう。
「貴様は、貴様は、そんな物を作っていたのか!?」
「ふぁてふぁてふぁて!」
鼻血を吹き出しながら本気で恐怖を感じ「待て待て待て」と言おうとするが上手く発音出来ない中谷に紋女は詰め寄り胸ぐらを掴む。バイオレンスメッティ誕生の瞬間である。
「何が待て、じゃ? 次に余計な事を言えば冗談抜きで始末するぞ?」
紋女はスマホを操作し、とある懇意にしている暴力的な団体の代表取締役的存在のアドレス画面を中谷に突きつけた。巨大な企業を成長させてきた紋女も完全には綺麗な人生、王道を歩んできた訳ではないのである。彼女は暴力装置をも使いこなす悪い意味での大人の側面もちゃんと持ち合わせていた。
「ほのふぁんぱくひつは、ひきくんのふぁ!」
「ああん?」
中谷は鼻血を白衣で拭い、もう一度、今度は伝わるようにゆっくりと言う。
「これは、詩季君の、髪の毛から採取した蛋白質で作った、一点物、だ!」
大変な変態が居た。中谷は先日詩季と冬美が研究所を訪れた際にサンプルとして提供された髪の毛を使い疑似とは言え精液を作ったのである。
紋女も流石に引いた。紋女も大概変態と言えないこともないが詩季の髪の毛から作られた疑似精液に興奮するほどイカれてはいない。
どう考えても人間的に越えてはいけないラインを超えている。だったらいっそのこと愛しい相手である詩季の髪の毛そのものの方がお守り的に嬉しい筈だと思うほどには紋女はまだ常識的であった。
「お前……本当に脳味噌大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない。ちゃんと天才だ」
こんな女を野放しにしていいのだろうか、このまま始末した方が世界的に平和なのではないだろうか、とスマホの上で指をさまよわせるのであった。
ちなみに詩季の髪の毛で作られた疑似精液は紋女がしっかりと廃棄したのだが、寝る前にちょっと後悔してしまった己に心底呆れ情けなくなるほどには紋女はプライドも潔癖さも有り詩季に対して誠実であった。
おまけ
「詩季君。申し訳ないのだが、ちょっと慰めてくれんかのぅ」
「え。勿論良いけど、急にどしたの? 何か嫌なことでもあった?」
「いや、ちょっと辛い事があっての……そうするしかなかったのだが、惜しい気持ちとそう考えてしまう我自身が情けなくてのぅ」
「なんだか解らないけど……紋女さん、来な!」
「シキニュウム分ゲットにゃーーーーーー!」
どうやったらそんなに飛べるのかという程に飛んで詩季に抱きつこうとする紋女。
「駄目さ」
「ざけんな」
「やれやれ」
「メッティ、バカ?」
勿論詩季に到達する前に、夏紀がショルダータックルしてひっくり返して秋子が腕ひしぎ、春姫がボディプレス、冬美がトドメに紋女の顔に油性マジックで『痴女』と大きく書く、という一幕が有ったのだが流石に哀れになった詩季に後ろから抱っこして貰え、やはり本物に勝る偽物などないのだと紋女は実感するのであった。




