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幕間 美容室 ○ッキーランド

「お兄ちゃん? 何をし」

「ん?」

「あ」

「え?」


 洗面台の鏡とにらめっこをしている兄を見つけた冬美が声を掛けた瞬間、事件は起こった。





「自分で切るとか、有り得ない」


 兄を珍しく詰る妹。詩季は詩季で最愛の妹の剣幕と呆れた様子の姉達にたじたじとなった。

 事の発端は詩季がいつも通り自分で適当に髪を切ろうとしたところ、冬美に呼ばれ振り向いてしまったため間違って前髪をバッサリ切り落としてしまったことである。

 冬美は兄に対して申し訳ない気持ちもありつつ、ただ流石に非常識な兄の行動に苛立ちも覚えてしまっての発言であった。


「そうさね。そもそもなんで美容院行かないのさ。百二十六歩で最寄りの美容院が有るじゃないのさ」


 ちなみにマンションの正面入り口から出ての換算なので、つまりはご近所である。


「いや、髪切るだけで五千円オーバーって高くない?」

「お前はなんで妙に貧乏くさいんだ。母さんかなり稼いでるから大丈夫だっての。ちゃんとプロに頼めよ」


 詩季の経済観念自体がかなり慎ましやか、というよりも貧乏くさい事を知っては居たが流石に今回はツッコミ入れざるを得ない夏紀。

 ちなみに千円カットの店も存在するのだが、それは女性向けであり詩季も実際に訪れた際に「勘弁して下さい!」と店長に半泣きで断られた事があったので自宅でカットしていたのである。

 男性優位な社会において、女性向け激安店という時間も手間も掛けられない業態で男性のヘアカットを請け負い問題になったら目も当てられないのだ。下手をすれば訴訟を起こされ和解したとしても多額の賠償金有りきの話となってしまうのが容易に予想できた。

 かと言って表だって「男性お断り」と掲げると今度は「男性差別だ!」と五月蠅い団体が意気揚々と乗り込んでくるのだから性差別の闇は深いと言わざるを得ない。


「しかし随分バッサリいったな」


 前は十cmは有った詩季の前髪、詩季から見て右側は四センチほどとかなり短くなっている。


「いっそ川原木君みたいにスポーツ刈にしよっかな」


 一瞬全員が「紅顔の美少年なのに!?」と思いはしたもののここまで短くなってしまうと他にやりようがないと思い直し言葉を飲む。


「詩季君……私が一緒に行くさ」

「む。それなら私が」

「春姉さんに流行廃りが解るってのなら止めないさ」


 見かねた秋子が申し出て咄嗟に手をあげようとした春姫を牽制する。


「解る訳ないだろ」


 即座に秋子の尻馬に乗る夏紀。


「秋姉」


 神妙な様子で首を横に振る冬美。


「それなら、私が、夕飯の支度をしよう」


 悲しい目で退く春姫。ちなみに春姫のセンスの無さは特筆すべきほどで、まずはロングへアかポニーテールしか家族に許可されていないことと、着る服も無地でありモノトーン系しか許されていない事から察するべきと言えた。

 一時期、ウニクロは味方だと、正義だと歓喜し妹たちも何も言わなかったが事件前の詩季に「お前、ウニクロばっかだな。だっせぇ。そんなんでうろうろすんなよだっせぇ。だっせぇのが感染るだろがだっせぇ」と罵倒されてから封印した。ウニクロが悪い訳ではなく、フリフリ系やセレクトショップ取り扱い商品こそが正義であり衣類には相当なこだわりを見せていた美少年かつ倒錯したナルシストでもあった事件前の詩季にとっては「ウニクロはだっせぇ」という先入観と偏見が有っただけである。実際には無難なブランドなのだが、ナルシスト詩季のように桁が違う衣類を着ていると流石に材質の違いも見えてきてしまい彼の目からはみすぼらしく見えてしまっていただけなのである。


 とにかく何でも焼いてしまう姉に指針を示す。


「あ、じゃあ豚の生姜焼きあたりで宜しく。サラダとかは後で適当に作るから」

「了解した」




「うわ。どうしました、これ?」

「自分で切ろうとしたら失敗しちゃって」


 帽子を脱いだら男性の美容師に驚かれた詩季は苦笑を浮かべる。

 詩季と秋子が訪れたのは駅前繁華街、友田柔道場の近くにあるそのあたりでは最も有名な美容院である。

 ちなみに美容院はこの世界では男女共に訪れる場所で、理容院は主に女性向けである。髭剃りは理容師には出来ず美容師にしか出来ないと変なところであべこべだったのも詩季にとって理解が難しい微妙な常識の差違と言えた。


「あの、カットモデルって事にして貰えればお代は結構ですけどどうします? お店にあんな風にヘアカタログとして飾らせて貰うんですけど」


 美容師の男性、この店の店長の思惑として詩季をカットモデルという名目でヘアカットし、実際に仕上がりを撮影、その写真を店の片隅に飾りたいと考えた。勿論詩季がこのあたりで有名な美男子だという事も彼は熟知しており話題の美男子の行きつけとなれば客足にプラスにこそなれマイナスになることはないと踏んでの事である。


「あの、そういうのは」

「特別無料券、十枚綴りで付けますし」


 後ろから「これ以上目立っても困る」と断ろうとした秋子に気づき畳みかけるように詩季に条件提示をする店長。


「お願いします」


 これで一年は余裕で戦える、と何と戦うのか解らないがサムズアップし良い笑顔で店長に笑いかける詩季に店長も思わずサムズアップ。


「じゃあ早速。付き添いの方はあちらでお待ち下さ~い」

「あの、カットモデルは流石に」

「あーあーあー、あっちですよ~。はーい危ないからあっち行ってくださ~い」


 あーあーあーきこえなーいきこえなーい、とでも言いそうな態度で仕事に取りかかる店長に流石の秋子もそれ以上の妨害が出来ない。相手が男性だけに実力行使に出た瞬間に社会的に死ぬためそれも出来ず臍を咬む思いである。


「今日はどんな感じにされます?」

「あー……うー」


 いざ聞かれると答えようがない詩季。千円カットに慣れ親しんでいた彼に希望の髪型を伝える技術も経験も有るわけがなかった。


「なんか、良い感じで。文句言わないのでお任せします」

「かしこまりました」


 この世界の女性ならば「適当に」とかよく有るが男性でそのような注文をする人間は少ない、どころかこの店長の場合は初めてであった。

 だが、待ち望んでいた。美少年が己に身(髪だが)を委ねるのだ。全身全霊を賭けてさらに一段階上の存在にしてみせる、と静かに気合いを入れる。

 その背を見て秋子は「気!?」と一瞬殺気と勘違いして詩季の身を案じて駆け寄ろうとしたがすぐにそうではないと理解し席に戻る。


 店長の腕は本物であった。秋子は後にこう語る。


「あまりに速く、洗練された動きってのは、それだけで芸術足りえるとあの時知ったさ。あの店長は、あの時、あの瞬間、まさに千手観音と言って差し支えないさね」


 結果。ツーブロックショートヘアーというありきたりな髪型ではあったが、詩季の造形に完璧にマッチした仕上がりを見せた。


「如何でしょう?」


 会話すらせずやりきったとばかりに良い笑顔にキラキラ輝く汗を浮かべた店長に、詩季はやっと何か妙な具合に掛かっていたプレッシャーから解放されたのを感じた。如何でしょうと聞きつつも完璧な仕上がりだと店長本人は確信していたのもありかなりのドヤ顔であった。


「詩季君……最高さ」


 太鼓判を押す秋子。頬を両手で挟みうっとりと詩季を眺める。


「うはぁ。なんか照れるねぇ」


 以前の詩季は、顔の造形と雰囲気でもって完璧な美少年と言えたが、適当に自分で切っていた髪のせいでどこか垢抜けない少年であった。事件前の詩季は丁度、長髪にしようと伸ばしていた。今の詩季は結果的には家族に気付かれない程度にしか切って居なかったため発覚が遅れたのである。


「有り難うございます」


 はにかみながらのお礼に店長も満足である。そして最後のイベント、写真撮りだが本来なら店長がデジタルカメラで撮影しているのだが今回は近くの写真店にわざわざ撮りに行くという。


「え、マジっすか?」

「ええ。せっかくですからしっかりした写真撮らないと」


 前世では七五三ですら写真屋に行った事のない詩季はたじろぐが、確かに十回分の回数券も既に貰ってしまっているので今更嫌とは言えないし非協力的な態度もとれる訳がない。


「あの、全身写真とか飾ってありましたっけ? それにこの衣装は?」

「裏メニューですよ」

「はーい笑って笑って~」

「あ、はい」

「はーい次は遠くを見つめるように顎ちょっと上げて~」

「え、あ、はい」

「手を前で組んで、それを見つめるように~」

「は、はい」


 さながらふつうにモデルのようである。意味が解らない。

 ただ既に秋子と店長はこそこそと裏取引を完了していた。裏メニューとはむしろ秋子が提示した「無料優待券四百枚」で二百万円相当である。

 秋子としてはヘアカタログで店内に飾られればどうせ話題になるのだ。開き直って小遣い稼ぎした方がマシだと判断したのである。


 そして何故そんな大金が動いたかというと店長側の都合である。勝手に人の写真を使用する事は男女問わず当然訴訟沙汰になるのだが、詩季ほどの美少年の今回撮った写真を看板やウインドウにデカールとして使用できると考えれば破格と言えた。


 現金で受け取らないあたりかなり黒い。諸々申告する気がないのである。転売必至なのは店長も理解しているが、キャッシュフローとしてはかなり有効な手段のため即断であった。


「君が芸能人になったら私を専属にしてね?」


 別れ際にそう言ってウインクする店長に詩季は苦笑するだけであったが秋子は秋子で「ノリで本当に芸能人になりそうで怖い」と弟に危機感を募らせるのである。




 それから二月後。


 詩季がモデル立ちしている広告看板や店デザインが完成した。


 壁どころか床も鏡もレジもソファーもケープやタオル、ドライヤーなども、店のいたるところに詩季の顔や姿が印刷された店ができあがっていた。


「いや、これはアイアンクローじゃ済まないさ!」


 予想以上の、いや、予想の斜め上の使用方法に焦った秋子は春姫にアイアンクローを食らう前に何とかしようとするも叶わず、結局出張った春姫が「半年間限定」という事で店には許可を出し直し、正式に契約書を取り交わしたのであった。


 ちなみに店としては始め秋子の不意(むしろ非常識な拡大解釈)を突いていたという後ろめたさも有ったことと流石に訴えられて事実関係を精査されると良くて泥試合、悪くて敗訴になるだろうとの予測から交渉開始当初より歩み寄りの姿勢を見せていたため割と穏当に終わった。

 投資した物も最後には詩季のサイン入りとして公式グッズ的にオークション形式で販売して予想以上の売り上げとなったこともあり、むしろ店としては大きな臨時収入となったのも平和裏に終わった理由と言えよう。



「さながらシッキーランドだね」

「智恵子、上手いこと言うね」


 半年経過し元の店構えに戻した後もシッキーランドと呼ばれ続けることになる美容室は常連を数多く獲得し末永く繁盛したのである。

 ちなみに暦家の人間はお金支払おうとしても受け取られないため永年フリーパス状態となり一円も払わないこととなる。






「こんなの出してた?」


 冬美がたまたまネットオークションで見つけた詩季の顔印刷マグカップが更なる展開を生む。


 最終的には学校にも話を通し、詩季は紋女の会社の社員として所属し、社員の肖像権を守るという名目の下で対策チームが結成されるのである。実際には弁護士事務所に丸投げであるが上辺を取り繕うのは重要な事と言えた。


 そもそも勝手にグッズを作って販売するような企業や個人にろくなのが居る筈もなく、結局大体が訴訟まで至らずとんずらされるのであるがそれはそれで無闇に訴訟を起こしたり被害届を都度だしたりして目立つ事を嫌う暦家や紋女の目的には適うので良しとされるのである。



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